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【続】身長あれこれ古今東西~身長差がもたらすもの~

昨日のnoteの続きです。
オープンカレッジで受けた講義内容をもとに、必ずしも現代人の平均身長が古代の人々より高いというわけでもない、という事などを書きました。


さてさて身近なところで…
日本の作家の身長例、興味のある方もいらっしゃるのでは。

173cm 太宰治
167cm  芥川龍之介
163cm  三島由紀夫、宮沢賢治
161cm  森鴎外
160cm  梶井基次郎
159cm  石川啄木、夏目漱石
143cm  樋口一葉

太宰治、背が高かったんですね。
これって常識なんでしょうか。確かに小さくはなさそうでしたが。

夏目漱石はイギリスで自分の背丈の低さにコンプレックスを感じていた事が、当時の文献からもうかがわれるようです。

私は漱石の「夢十夜」が好きなのですが、こんな文があります。

こんな夢を見た。
何でもよほど古い事で、神代に近い昔と思われるが、自分が軍(いくさ)をして運悪く敗北(まけ)たために、生擒(いけどり)になって、敵の大将の前に引き据えられた。その頃の人はみんな背が高かった。そうして、みんな長い髯を生やしていた。

夏目漱石「夢十夜」第五夜より

漱石がもし太宰治くらいの背丈だったら、少し考えが変わっていて、ひと味違う「夢十夜」だったのかも、と独り、勝手に妄想してみました。

この他にも色んな人の身長も国を問わずランダムに教えて下さいましたので、以下に書いておきます。歴史的な人物も少し身近に感じるかもしれませんね。

ーー
ロバート・ワドロー---272cm 医学的な記録がある中で最も身長の高い人間としてギネス世界新記録
松坂良光---237cm  はっきりした証拠のある中で史上最も背の高い日本人
三浦義意---(みうらよしおき) 227cm 戦国時代の武将
孔子---216cm 九尺六寸(史記より)
ジャイアント馬場---208cm
豊臣秀頼---197cm 六尺五寸・体重43貫(161kg)
あべみょんさんの旦那さまーー190 cm ←new!
アントニオ猪木---190cm
阿部寛---189cm
項羽---189cm
小野篁---188cm(六尺二寸)834年の遣唐副使
栗原恵---187cm  元女子バレーボール選手
兵馬俑像---182cm(平均)
諸葛孔明---184cm。「八尺」後漢時代の尺なら184cm 西普時代の尺なら192cm
趙雲---184cm 八尺
大久保利通---183cm
ジョー・バイデン---183cm
ダグラス・マッカーサー---183cm
二宮尊徳---182cm(六尺超え)
宮本武蔵---182cm(六尺)
李鴻章---182cm 
千利休---180cm
習近平---180cm 
坂上田村麻呂---175cm
白洲次郎---175cm 
アドルフ・ヒトラー---175cm
明智光秀---174cm
岸田文雄---174cm
劉備---173cm「七尺五寸」
毛沢東---172cm
織田信長---170cm
ナポレオン・ボナパルト--- 169cm
徳川家康---159cm
小村寿太郎---156cm(パスポートに五尺一寸)
曹操---155cm「曹操高陵」の遺骨が曹操のものだった場合
徳川吉宗---155cm
豊臣秀吉---140cm
徳川綱吉---124cm 位牌の高さからの推定。異説あり。
ーー
2024年2月14日、あべみょんさん情報をアップデート致しましたw(new!部分)

いかがですか?
千利休180cm>明智光秀174cm>織田信長170cm>徳川家康159cm>豊臣秀吉140cm
だったんですね。
この面々が一堂に会している場面、想像しちゃいました。

千利休と秀吉の一緒にいる場面、大河ドラマなんかではありますけど、流石に俳優陣を使ってそこまで身長差は出せないらしく。無理もないですが。
そうそう、小柄な秀吉にとって大柄な千利休の一挙一動は不遜で威圧的に見えたので、あのような結末をむかえることになってしまったのではないか、という説もあるようです。確かにそうかもしれない、と想像してみました。

秀吉は文献によると本当に小柄で貧相で猿っぽかったとか。オランダ商人・ティチング『日本風俗図説』では秀吉の身長を50インチ(127cm)とする記述もあったそうです。

それに対して豊臣秀頼がとんでもない大男だったのも、意外でした。
秀吉の子供ではない、と言われたりするのもわかりますね。

李鴻章182cmと小村寿太郎156cmの身長差も26cmあったそうですね。
前回書きましたが、日本では昔から背の高い人を優先的に外交につけるようにしていたそうですが、小村寿太郎は例外だったらしく。

「恰幅のよい清国の宰相李鴻章が、各国使臣夫妻らの中で小村が最も背が低く清国のじゅうご、六歳ぐらいだ、と笑いながら言うと、小村は、日本では大男総身に智慧がまわりかね、うどの大木、半鐘泥棒と言って大男は国家の大事を託しかねると言われていると答え、李の顔色を変えさせたこともある」

吉村昭 『ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎』

これを読むと、なるほど…これはもう容姿云々ではないですね。
こんなふうに言い返せる外相、なかなかいないのでは。
今って…(以下略


記事を2つに分けたのですが、結局長くなってしまいました。
最後までお読み下さった方、ありがとうございます。

あたたかいお茶でもどうぞ


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