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『箱の中の欠落』感想・考察①

米澤穂信の『いまさら翼といわれても』



『氷菓』をはじめとして、神山高校古典部に所属する高校生4人が日常の謎を解いていく「古典部シリーズ」の第6作で、現状の最新刊である。


 この「古典部シリーズ」、わたし自身も高校生のときにアニメ化され、アニメも小説も楽しんでいたのをふと思い出した。


 アニメを見返すと、ふたたび面白さに感銘を受けた。
 2016年発行の第6作をまだ読んでいなかったので、さっそく買ってきて卒論作業の合間に読むことにした。



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 ページをめくって、第一に驚いたこと。
 ほーたろーは焼きそばを作るのか。

 今までの既刊でも、ほーたろーが料理をしている描写はあったかもしれない。

 が、なにせわたしは5年ぶりくらいにこの古典部シリーズをよんでいるので、覚えているべくもない。

 冷蔵庫を開いて出てきたのが、しなびたキャベツにかわいたエノキ、ひからびたベーコンとは、なんとも親近感がわく。

 わたしも自炊をするので、食材が冷蔵庫でしなびているなんて日常茶飯事だ。なんなら、今もしおれた白菜1/4株が、冷蔵庫の中に鎮座している。
 (明日の朝、焼きサラダにしよう。と思ったが、焼きサラダって、サラダの定義を揺るがしてしまいそうな料理だな)



 フライパンを温めて、焼きそばをつくっている手際を見るに、自分流のレシピも確立されていて、ほんとうにふだんから自炊をしているんだろう。父親と姉の3人暮らしなら、そこまで驚くことじゃない。

 しかしながら、ほーたろーの「省エネ主義」を思うと、自発的にフライパンを持つことを奇妙に感じてしまうのだ。

 コンビニごはんじゃないんだな。


 友人の里志から電話を受け、夜の散歩に出かけることになったほーたろー。

 近所の橋、通称・赤橋で待ち合わせをして、二人で歩き始める。

 

 ここまでで6ページ足らず。

 わたしは、ゆっくり、じっくり読みながら、既にとってもわくわくしていた。久しぶりに、小説を読む楽しさを感じていた。

 これから、里志から本日の課題となる「日常の謎」が提示されるんだな。それを、いったいどう読み解いていくんだろう、という期待。


 さて。夜の川辺を歩きながら、里志から持ち掛けられたのは、その日の昼間、神山高校生徒会の選挙で起きた事件のはなし。
 開票の立会い人を務めた里志は、すべての投票を集計した結果、全校生徒数を40も上回る投票数が出てきたことを話す。何らかの手によって、投票の水増しという不正が行われたのだ。

 どうしてこんなことが起きたのか、どうやって不正を働くことができたのか、ほーたろーに知恵を貸してほしいというのだ。


 わたしが注目したのは、この生徒会選挙の事件についてではない。

 「知恵を貸してくれ」というお願いに対する、ほーたろーと里志の応酬だ。

 事件のあらましを聞き終えて、ほーたろーは「帰った方がよさそうだな」という。夜も遅いから、ではない。

 この事件、言ってしまえば選挙管理委員会やその関係者がどうにかするべき問題なのだ。


 ほーたろーには関係のないはなし。

 学校にいる間、例えば休み時間に聞かされるならまだしも、わざわざ夜に呼びつけられ、知恵を出せといわれる筋合いもない。

 まして、ほーたろーの信条は、『やらなくてもいいことなら、やらない』

 友人の里志だって、このことはよく知っている。

 だから、そんなことを要求するのは筋が違うじゃないか。


 こう主張しているほーたろーに対して、最初わたしは、「まーた、まどろっこしいやりとりだな」と思った。
 友達から奇妙な事件のあらましを聞いて、それについてどう思う?と問われたら、ああでもないこうでもないと、反射的に考えてしまうものだろう。

 ほーたろーはそうではなく、まずそのことを考える必要があるのか?というところからスタートするのだ。

まどろっこしいったらありゃしない。

 とはいえ、それが別に嫌味たらしいな、とは思わない。むしろ、ああ、友人に対してフェアであろうとするんだな、と思った。友人だからといって依怙贔屓しない、しかるべき手続きを重んじることは、逆に里志と対等に、友人として接しているんだなと感じた。

 

 しかし本当のところ、この発言は、ほーたろーが里志に対してフェアでいようとした結果出てきた言葉ではない。

 里志が「まだ隠していること」があるから、このまま答えることはできないといったのだ。里志が建前だけで話をしようとするなら、こっちも建前をもって断ると。

 

 さらに言うと、里志にだってこの謎を解明する責任はない。里志は総務委員会の人間であって、選挙管理委員会ではない。選管でない中立の立場の人間だから、立会い人としてたまたま現場に居合わせただけなのだ。

 さて、それなのになぜ謎を解きたがる。いや、里志が自分で謎を解こうとしてみるのは勝手だが、わざわざほーたろーの知恵を借りようとまでしている。そこまでする理由を話せ、というのだ。

 

 里志は小さく苦笑した。

「ホータローには、かなわないなあ」



 里志は一言詫びを入れて、「隠しごと」について語り始めた。

 選挙管理委員会、選管の委員長というのが、どうやら厄介な人物らしい。何かにつけて、「もたもたするな」と、ひとにケチをつける。

 そして間が悪いことに、開票作業の一連の流れのなかで、ミスをしてしまった選管委員がいた。

 その1年生男子は、立会人が来る前にひとりで投票箱を開け、中身を取り出してしまったのだ。
 それを知った居丈高な委員長は、彼が投票の水増しをした容疑者であると主張した。それも口を極めて。

 

 ほーたろーは状況を把握した。

 つまり、里志は十分な証拠もないのに濡れ衣を着せられ、尊厳を踏みにじられた1年生男子のために、彼が犯人ではない可能性を示したい。要は、選管委員長に一泡吹かせたいのだ。

「お前は……相変わらずだな。影で正義の味方をやりたがる」




 ほーたろーの言うとおりだ。名前も知らない1年生のためにちょっぴり腹を立てて、なんとかできないかと考える。そして、友人にさえ、己のその正義感を隠そうとする。

 ほーたろーいわく、里志は親切でも、律儀でもない。だが、不正義や理不尽に対する嫌悪感が人一倍強いんだという。


 いいやつじゃないか。

 不正義に対して眉をひそめ、自分ができる範囲でちょっと正そうとする。

 何よりもいいのは、そこで自分が正義だと旗を振りかざさないこと。むしろ、自分がそんなふうに考えていることを人に気取られないように、用心深く振る舞う。


 わたしの周りを思い出してみても、そんな器用なことをできる人はいなかったな。 


 まあ、それはいい。


 もっと気になるのは、ほーたろーにしても、里志にしても、なんでこんなに理性的なんだ?ということだ。


 理性的…というのは言葉違いか。

 どうしてこんなに自分の信条に対して忠実なのか?


 別に、里志がえらいとか思うわけではない。
 信条というのは、いわば思考の癖、あるいはそう心がけたいわけだから、信条に沿った言動をしていることはすごいことではなく、ただそれが彼らにとっては自然な行動になるだけなのだとは思う。

 ただ、節操のない今の私から見ると、行動に筋が通っていることが、どうにも羨ましく感じてしまう。

 行き当たりばったり、その場しのぎだらけの言動をしながら、自分の中に確固たる基準を持ちたいなあ、判断軸を持ちたいなあと、常日頃から屈託を感じている。

 節操のない生き方は、疲れる。
 忙しさに巻き込まれている最中にふっと、「なんでわたしこんなことしてるんだっけ」と思う。
 そのときに、自分はこう思ったから、今これをしようと決めたんだよ、と、ちゃんと説明、いや言い訳を用意できていないと、わたしは疲れてしまうのだ。

 だから、「やらなくてもいいことなら、やらない」というほーたろーの軸が羨ましい。


 わたしはやらなくてもいいことばかりやってしまう。

 むしろ、やらなければならならいことが1番の後回しにされる。


それで、なにやっとるんだ、自分。となる。


 

 読み直しながら、そんなことを考えていた。

 こう感じるのは、なにもこの話だけではない。アニメを見返していても、古典部の部員たちは、常にそれぞれの信条に忠実に生きていることに目が行った。


 先に進もう。

 ほーたろーと里志の夜の散歩は、川沿いの小路から、片側1車線の道路わきの歩道へと進んでいった。

 改めて、1から詳しく事件の状況をおさらいしていくふたり。

 この文章では、謎解きまでを書く気はないので、詳しいはなしは割愛する。


 歩みを進めるふたりの背中を追いながら、ここでまた私は驚きポイントに遭遇してしまった。

 ふたりの目の前に、ラーメン屋の赤提灯が出現したのだ。

「悪いことはよそう」



 そういったふたりは、次の文章でラーメン屋のカウンター席に座っていた。


 まてまてまて、ほーたろーよ。

 君は先ほど自分で焼きそばを作り、全てしっかり平らげたんだろう?

 ラーメンを注文していいのか?

 里志は夕飯を食べ損ねたらしいから、ワンタンメンを食べてもいいだろう、うん。


 だがしかし君は…ああ、君もれっきとした男子高校生だったんだな。

 目を丸くしながら、わたしは思いを巡らせる。
 彼が「省エネ主義」であるという文句にのせられて、身体のほうもずいぶんと燃費がいいのだろうと勝手に予想していたんだな、わたしは。

 しかしながら、例えばほーたろーが4時間目の授業中にお腹が鳴りそうで絶対絶命のピンチだという状況に追い込まれる可能性が想像できない。

 電気自動車のように静かに、淡々と生きているように思っていた。

 もっとも、電気自動車なら燃費ではなく電費というらしいが。


 いやはや、読んでみるものだなあ。数年前に出会った小説の登場人物に対して、こんなふうに自分の中で勝手にイメージを作り上げていたことに気づくなんて。

 発見がおもしろくて、小躍りしたくなるくらいだ。


 ラーメンが出てくるのを待ちながら、なんで犯人はこんなことをしたんだろうね、と呟く里志。
 思いつきでよければと、てきとうな理由をぽんぽんと並べていくほーたろー。
 ここの会話のテンポが小気味よい。


「犯人は選挙が大好きで、もう一回やりたかった」

「ほうほう」

「選挙が大嫌いで、嫌がらせをしたかった」

「ほうほう」


 ほーたろーは本当にてきとうでありきたりな理由を並べているだけなのだが、こういう単純な発想の比較検討と積み上げが、日常の謎を解くのに有用なんだろうなーと思った。

 ちなみに、この話では、犯人の特定まで描かれていないので、結局犯人がなにを考えてこの事件が起きたのかは、謎のままだ。


 (②に続く)






 




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