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僕っぽさみが深いやつ。

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ごたごたしてるからこそ、なんかいい。 そんな風に楽しんでもらえるエッセイかなあって。
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「美味しいっ」とオトナ

マスクをすることよりも、していないことに違和感を覚えるようになって久しいとさえ思うようになった。月日が経つのはあっという間なのだ。 それはさておき、文章を書く時、ここぞとばかりに「ナニナニとなって久しいが、」と言いたくなるのはなぜなのか。 僕だけか。 まだ僕が「エッセイスト」という仕事を知らない頃だから、高校1年の時だ。 その頃から何かにつけて「気取った文章」を書くのが好きだったのだろう、自覚はなかった。 クラスの日直を担当する日は、 クラス日報のような、学級日誌と呼

1979・01・25 『POPEYE』

「Magazine for City Boys」なんとも気恥ずかしくなる売り文句ではないか。 実はずっと思っていたことがあって、シティボーイっていう言葉は、半分悪口のようなカッコ悪さがないか。おしゃまが鼻につく奴を言う言葉なのではないか、伊丹十三を批判する言葉なのではないか、田舎の奥様が近所のどこかの息子さんを影で言う言葉なのではないか。そう思っていながらPOPEYEを読んでいた。 僕はPOPEYEという雑誌が好きだ。 以前、代々木上原の古本屋に寄った際、見つけて思わず買

喉が痛くてビール考

ウィルスがカラダに入り込んでくる時、潜伏していたウィルスがコンニチハと顔を出す時、私たちヒトは「何か、来た。」そう認識するとまではいかないものの、覚悟めいたものを内に宿しはしないだろうか。 アヤシゲな雲を見て、明日地震があるかもしれない、なんて思うのと似ている気がしないでもない。 あの日あの時、クーラーの近代科学臭い感じ悪い風を浴びながら、 考え事などしているまさにその時、 「キタッ」という感覚、同時にカラダ中に寒イボが走る走る。 たちまち私は、サイズが自慢の扁桃腺を炎症。

充満する朝

「目覚ましをかけなくても良い。」ことが、休日というモノを構成する最も初歩的な特性だと僕はかねがね感じている。けれどもその割にはすんなり、あまりに潔く目覚める日もあるから不思議だなと、また、ある種張り合いが無いなと、思うのだ。 今朝もそういう朝であった。 ニトリで買ったオーソドックスという言葉がぴったりな時計を掛けてある壁の色と、朝の空の色とが同じような乳白色で、僕は、まぁいいかと起きた。深い意味なんてまったく無い。 だから、起きたからといって何かするわけではない。それはもち

他人の「あわよくば」が気になって。

引越しに伴って今朝、ガス屋が訪問してきた。 僕だから良いけど、例えばキラキラ春から女子大生が一人暮らしする家にも、ガス屋のおじさんは、「今日はよろしくお願いします。」とヅカヅカ入ってくるのだろうか。 そんなことが、僕には気になってしまう。 「あわよくば」のチャンス、略して「あわチャン」。案外、身の回りに落ちている気がする。 というよりは、他人の「あわよくば」が気になってしまう。 電車のロングシートに座っているサラリーマンだって、「あわよくば、肩お借りしたい所存。」でウ

再び、美容院!

必ず、必ず、美容院というのは、戦さなのだ。 まず、美容院の前の予定を終えると家でシャワーを浴びねばイケナイ。 この時点で一歩、負けている。 シャワーしたのち、髪を乾かしながら、 「どうせこのあと(流し)をされるのに、」 なんて考えるので、また一歩、負ける。 着替えると、オシャレしすぎても、ラフすぎてもイケナイ、ちょうどいい美容院用の格好を選ばされているので、到底勝ちに程遠い。 もっと言えば、予約である。 相手の時間に合わせねばイケナイ姿勢が、 もはや敗勢ではないか

川アソビ妄想日記

8月ともなると、どうしたって川でアソビたいではないか。 半そで短パンすあしで、広い自然公園の隅っこにある舗装された川でもって、手でお椀を作ってそのお椀で下から前へ出すように、すくった水をアノ子にかけるわけである。 「ちょっと~」なんて言ってくれるだろうか、「この~」なんて言ってかけ返してくれるだろうか、そういう私とアノ子を、面白くなさそうに見ているアイツにだって、その手のお椀でもって水をかけてやればいい。 えぇ、そういう高校生活が、あってもよかった。 テニスといっても

仕舞えない引き出し

高校を卒業してから4年が経って、今日、最後の大学の定期試験だって終わって、定期的に誰かにナニカを試されるようなこともなくなって、だから多分、これからは死ぬまで断続的に試され続ける日々が、今日始まったんだと思う。 試されることに慣れないうちは、今ドコでナニしてるかを自分に問いかけ、Who am I ?なんて言って聞きたくなっちゃうような、ただ唯一ヒゲが伸びてくると、「あぁ生きてる」と分かるような日々なのかもしれない。 地下アイドルを追いかけたり、インディーズバンドに陶酔する

夏におしぼり敗北記

今朝の、パン作り修行に向かう途中だった。 家から30分くらい車を走らせ、「さぁ今日も、後15分で到着するぞ」と言う様な時に、田舎によくあるJAフルーツ協選所の駐車場で、そうだなぁ30人くらいが集まって、ラジオ体操をしていた。 交差点を直進すると、夏の朝のさわやかな風を通す為に開けていた車窓から、聞き馴染みのある、なにか、聞くだけで、急に初々しくって懐かしくって、少し眠たくなるような、ラジオ体操の「腕を伸ばして脚を曲げる運動」が、車の中に飛び込んできた。 交差点を過ぎてす

休みの日のアラーム諸事情。

普段の早起きに伴う目覚まし時計の憂鬱は、言うまでもなく世界三大憂鬱である。残る二つは、くるぶしソックスが靴の中で脱げることと、バイトの終わり際にやって来るお客さん3名だろうか。 休みの日の目覚ましは、もう決死の覚悟で、「セットしない」という風に決まっている。なにがなんでも、「最低でも11時過ぎまでは寝てやるぞ」といった具合で眠りにつき、ハっと起きるその時、まさに究極の憂鬱、朝7時の憂鬱が襲ってくるのだ。 昨日の私は、日ごろの疲労、その蓄積を一蹴せんがためにわざわざ目覚まし

ラストスパート

最近の暑さに、若干参り気味の私である。 もう少し、夏というのは、心地よい暑さだったように思うが気のせいか。 最近の夏は、どうもラストスパート決めるらしく、秋が無い。 「8月の終わりだ、おめぇら!気合い入れなおせぇ」と、夏の棟梁が声かけしてるに違いない。 手下の8月末、9月の頭から後半にかけて達は、 夏を絞り出すように、残暑残暑、これではユニクロもたまらない。 程よいセーターが売れませんからね。 秋口もなくって急に冬だから、全く最近は、 フリースしか売れません。なんて言

ネコでありたいと思うのです。

忙しいフリというのはいくらでも出来るワケですが、中身を覗いてみたら、実は大学へ行き、バイトをし、恋人とお出かけなんていうことがざらにありますね。 反対に、ヒマそうで忙しいというのもあります。本など読み、畑仕事したり、DIYしたり、いかにもヒマそうであります。 ネコというのは、24時間をどう使っているのだろうか。 飼い主のベットで目覚めるとうつらうつらしながら日向ぼっこして、腹が減ったらキャットフード置きでわしわし飯を食い、時に爪を研ぎ、時に毛づくろい、仕事する飼い主の膝

知ってるし、分かってるけど分かってない

夏になると、年末の忠臣蔵のように、ヒロシマとナガサキの話をするのが、日本という国である。 語り継ぐことに意味があるから、仕方ない。 日本に住むなら知ってなければいけない。 けれども、やはりどうしても、表面的認識に過ぎず、体感的認知には至らない。 私は、エッセイを読むのが好きで、たとえば宮沢章夫の『牛への道』をAmazonで買って読んでみたりする。 最近はもっぱら、伊丹十三を読んでいた。 『ヨーロッパ退屈日記』に始まり、 『女たちよ!』、『再び女たちよ!』を読んで、1人

違いが分かるオトナコドモ

皆同じに見えてしまうJK以下の世代にはびっくりして、いよいよ私も、オヤジに成りかけているのかも知れない。妹達の友達の名前も覚えて上げられていないのが、現状である。 たとえば、JAZZの違い、フュージョンだ、ビバップだ、モダンだと分かるならそれは、オトナではないか。 でも、TWICEを見分けられるオトナは、そんなにいなさそうではないか。 「こっちがガオレンジャーで、こっちがハリケンジャーで、」という違いが分かるのも、コドモではないか。 違いが分かるというのは、オトナなコト