弁当箱テトリス
脳内で月曜日からの出来事が走馬灯のように再生された。
水曜日の朝8:40。
私は階段で、自分のズボンの裾をヒールで踏んづけていた。意図的ではない。不慮の事故だ。
今まさに、私は階段から転げ落ちんばかりである。
脳内で再生される走馬灯ムービーの解像度は高い。
それにズーム機能もついているらしい。
4K画像がズームアップされる。
自分の顔の怒った顔のドアップなんかみたくもない。
あぁっ!
そんなところに、フォーカスしないで!
口元の吹き出物は……ちょ、ちょっと、ちょっと、ちょっと!
🎞
その週は月曜日から慌ただしかった。
出勤後、山積みになった書類を手に取ると、緊急度の高い順番で並び替える。
PCを開き、溜まったメールをチェック。
急ぎのメールを開いてプリントアウトする。
印刷された内容を確認して、早急に返信しなければならない内容にマーカーを引く。
「え? 何? どう言うこと?」
私は思わず独りごちた。
私は一旦、プリントアウトしたメールを音もなく横にそっと置いた。たぶん、気の利くバーテンダー並の動きだったと思う。
あちらのお客様と恋が生まれたかどうかはどうでもいいが、気になるのは回線のことだ。
しかし、回線のことも気にかかるが、山積みの書類も急ぎなのだ。
私はまず第一に山積みの書類をやっつけることに決めた。
しかし書類を片付ける端から、次々に新しい書類が積まれていく。
あまりの山積みに遠慮していた書類たちが、時間差でやってきたのだ。
わんこ書類。
このままでは、回線の件には手がつけられない。
私は書類の山をまたもや気の利くバーテンダーのように、そっと脇に置き、ベンダの担当者に電話をかける。
「お世話になっております。メールの件でお尋ねがございまして、ご連絡さしあげたのですが……今、お時間よろしいでしょうか。私の理解が間違っていたら申し訳ありません。回線の件なのですが……現地で確認していただいた際に現在の回線を使用するお話だったと思うのですが……」
担当者は冷静に説明をしてくれた。
諭すように、優しく、そしてゆっくりと。
私は赤子ではないのだが。バブー。
結局のところ、古い回線は使えないから新しい回線が必要だということらしい。
これまでにその事実を伝える時間は十分にあったのではないかと思ったが、それを私が彼に伝えたところで、後の祭りである。
わっしょーい!
私は各所へ調整、確認をした。
一番最短で工事が行える方法を確認しつつ、稼働が間に合わなかった場合のフォローの方法も検討した。
慌ただしい中でベンダは機器の仕様に関する内容の確認を次々に要求してきた。
わんこ要求。
こんなことになるとは思っていなかった。
むしろ私は「楽勝だね!」くらいの余裕をぶちかましていたのだ。
ベンダから工程表こそもらえなかった(作っていないと言われた)が、早期着手だしなんとかなるだろうと思っていた。
しかし、それは私の間違いだったようだ。
月曜日はなんとか書類の山を片付けた。
回線についても、調整の目処が立った。
なんとかなりそうだと安堵し月曜日は帰宅。
火曜日に出勤すると、さらにベンダから締め切りの嵐。エンドレスわんこ。
ARASHI、あらし、フォードリーム。
エンドレスわんこに、夢なんかない。
これまでの準備期間、ベンダの担当に提出期限を確認すると「大丈夫ですよ〜」と優しく言われることが多かった。
私はそれを鵜呑みにし、「では、準備をしておきますね~」と余裕のあるスケジューリングで作業をしていた。
すると、突如「締め切りは明後日でお願いしま〜す」と連絡がくるのだ。
日付の感覚の違いに愕然とした。
もっと詰めて具体的に日付を確認しておけばよかった。
まあ、聞いたら「大丈夫」って言われたんだけど。
聞き方が甘かったのだ、たぶん。
仕事の進め方を失敗したなと思った。
もちろん、なんとかはなるんだけど。
私の予定はガラガラと崩れていった。
結局、私は月曜日に引き続き、火曜日もバタバタと作業をすることになった。
そんな中、私の部下二人が揉めている。
揉め事の原因となる出来事は、私がバタバタしていた月曜日に起きたらしい。
一旦収まったかのように見えたが、火曜日の朝にケンカが勃発した。
下火になって燻っていた火種に、B美が放火したのだ。
炎上!炎上!大炎上!
放火されたA子が私にB美のことを涙ながらに訴えてきた。きっと煙が目にしみているのだろう。
「B美をどうにかしてください」
いつもなら優しく話を聞くところだが、今の私にその余裕はない。
なぜなら、今は回線とベンダへの対応が最優先なのだ。
すまぬA子。
だいたい、二人のトラブルはほとんど毎月やってくることであり、どっちもどっちの話なので、聞いても聞かなくても正直なところ解決はしない。
解決したと思っても、来月にはまた同じように揉めるのだから。
正直言って、骨折り損のくたびれ儲けだ。
その日のビールがちょびっと体に染み渡るぐらいの効果しかない。
私はA子に「今、忙しいから」と断りを入れた。
普通に現状がわかる人だったら、今話しかけるべきじゃなかったと思うようなバタつきっぷりなのだ。
「ベンダーマン!新しい設定書よ!」
って投げつけたいくらいに、私はバタ子なのだ。
A子は私の「忙しい」に「はい」と返事をしたものの、納得はしていなかったらしく、さらに上の上司に申し立てをしていた。
しかし、あっさりと「どうしようもないし、仕事してください」と言われていた。
メンヘラA子、爆誕!!
A子は泣き始めた。
ずっと。
それも一日中。
誰かが話しかけても、A子の耳には声が入ってきていないのか完全無視だ。
私は何度も耳元で声をかける。
一度だけA子の反応があったので「大丈夫? 今日はもう帰るなら帰っても……」と声をかけた。
A子は「お気遣い、ありがとうございます……」と言って、少し回復した様子を見せたが、その後も帰ることはなく終業まで泣き続けた。
A子が席を外した隙にB美が私に近寄ってきた。
B美はB美で自分の主張をしてくる。
「こんなことがあって! 私は……!」
こちらは目を真っ赤にして涙を溜めている。
わかってるけど、今は……。
私のただでさえ狭いダイエット中のOLの小さい弁当箱ほどのキャパシティから、何かが溢れる音がした。
その瞬間、私はB美に対して論破モードに入ってしまった。
いかん。これはいかん、と思いつつ止まらない。
可能な限り、努めて優しく振舞ったが、たぶん怒っているのは近くにいる誰しもが気づいただろう。
折りに触れてB美の意見も正しいとは伝えて、考え方を変えるようアドバイスもしたが、効果があったとは思えなかった。
喋る度にストレスが積み重なっていく。
小さな小さな弁当箱に、テトリスのように落ちてくるストレスを詰めていく感覚。
大きさも形もバラバラのテトリス。
凝り固まってしまったストレスはガチガチだ。
せめてスポンジみたいに柔軟だったら詰めやすいんだけど。
余裕がある時の私は頭をフルに使って、弁当箱にテトリスを詰めていく。
詰めては処理して、テトリスのように消していく。
しかし今、消せなくなったテトリスは弁当箱からはみ出している。
ガラガラと音を立てて弁当箱から溢れ出す。
消せずにあふれかえったテトリスを、私はあちらこちらに投げつけた。
そんな時、私の目に「スキ」の通知が飛び込んできた。
その日の朝、公開したnoteのタイトルは「アンガーマネジメントの極意」。
特大ブーメラン。
今朝方投げたブーメランが、弁当箱に突き刺さった。
アンガーをマネジメントなんてできてない。
おこがましすぎるタイトルに嗚咽がした。
そもそも、アンガーってなんだよ。
マネジメントってどういうことだよ。
読んでもらいたいがために尊大なタイトルをつけて、できないことを誤魔化しながら書いた。
それは私が一番よく知っている。
自分の卑小さに眩暈がした。
自分を落ち着かせようと昼休みに散歩に行き、外の空気を吸った。
本当はスタバに行きたかったけど、時間もないし、ペイペイ残高が653円くらいしかなくて甘いものまで買えそうになかったのでコンビニに行った。
あったかいブラックコーヒーとブラウニーを買って、コートのポケットにブラウニーを詰め込んだ。
コーヒーを手に職場へ戻る。
泣き続けるA子を他所に私はブラウニーを開けた。
一口サイズに割ったブラウニーを口の中に放り込む。
さっくりとしたチョコレートと小麦粉の食感を歯で味わうと、中からしっとりとした生地が現れた。
口の中いっぱいにチョコの甘さが広がる。
温かいブラックのコーヒーでチョコを流し込む。
口の中はほろ苦い甘さで満たされて、私のお弁当箱のテトリスがチョコレート色に染まっていく。
このままテトリスが全部ブラウニーになってしまえば、ぎゅうぎゅうに詰めてしまえるのに。
そんなことを考えながらコーヒーを飲んでいた私を上司が横で見ていてくれた。
「おつかれさま」とそっとおやつをくれた。
私はいただいたベビーカステラもぺろりと食べた。バブー。
昼食+ブラウニー+ベビーカステラ⇒私の胃
満腹になって、ホッと息を吐く。
その横でA子はいまだに泣き続けている。
もしかすると私はサイコパスかもしれない。
A子を気遣うフリだけ見せて、実際のところ何も気にせずに落ち着いて作業をしているのだ。
その甲斐あってか仕事自体は順調に進み、一日を終えた。
帰り着くと、夫が息子に怒っていた。
怒るのも仕方がない出来事だったけど、その日の私は疲れていた。
もうこれ以上、弁当箱にテトリスは排卵。
排卵期でイライラしてるのもあるけど、もう無理。
ああ、もう、疲れた。
酒だ!酒だ!
ビールをよこせ!!
私は心の中で暴れ回った。
キッチンでビールを飲む。
苛立った私にアルコールが沁みていく。
じわじわとアルコールが沁みて、テトリスが流されていく。
350mlの缶ビール3本分の黄金の海にぷかっと弁当箱が浮かんだ。
中には流されなかったテトリスが、ひとつ。
仕事に対してのどうしようもない苛立ちはどこかに行ってしまったけれど、自分に対する憤りが残ってしまっていたのだ。
なんであんな記事を書いたのだろうと。
読んでもらいたいというエゴが過ぎやしないかと。
気づいたら私は新しいビール缶を手に持っていて、そしてnoteの編集画面を開いていた。
自分に苛立ったまま思いの丈をぶちまけた。
私の火曜日はそんなこんなで終わった。
疲れた。
めっちゃ疲れた。
アルコールで火照った体では熟睡できるわけがなかった。
朝、いつも通りに5:30にアラームが鳴る。
ぼんやりとした頭でアラームを止める。
眠い。
めちゃくちゃに眠い。
ギリギリまで寝てやろうと二度寝を決め込む。
私はKAT-TUNのファンなのだ。
ギリギリでいつも生きていたいから〜!
あーあ。
そして6:00過ぎ、A子からの「きょうは会社休みます」のLINEで目が覚めた。
おまえは綾瀬はるかか!
とは突っこまない。眠いんだ私は。
LINE画面は、いっぱいの文字で埋まっていた。
句点と読点は最低限しか見つからなかった。
ぎゅうぎゅうに詰められたA子の想い。
メンヘラな状態で書いたと思われるような文章だった。
私に「忙しい」と言われ、拒否されたように感じた、慰めてほしかった、悲しかった、と書かれていた。
それを見て、私は大きく大きくため息を吐いた。
私はA子に「私の余裕がなくて、傷つけてしまいごめんなさい」と返す。
そう返すしかない。
「明日は、元気な姿で出てきてくださいね」と返す。
そう返すしかない。
そう返したあと、なんだか、虚しくなった。
気づいたら、ぽろぽろと涙がこぼれていた。
私がやっていることは正しいかもしれない。
彼女を甘やかしているのかもしれない。
彼女が私を理由にしたことだって、後付けかもしれないけど。
なんか、虚しいなと思った。
私は歯車の一つだから、うまく回すために動くのが当たり前だけど、何かがすり減っていく気がした。
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、ポイズン。私の中の反町隆史が歌を歌う。
虚しいなあと思いながらも、仕事に行くしかない。
ぐしゃっと涙をふいて深呼吸する。
いつも通りの一日を始めるしかない。
食事の用意をし、息子たちを起こし、犬の散歩をする。
小4の次男が頭が痛いと言うので、学校を休ませることにしたけど、今日は職場の人も足りないし、私は私でやることがあるし。
私は一緒に休んであげられない。
体調が悪い小学生の息子を家に置いていくしかできない。
「お留守番できる?」と聞いて、近所に住む私の母にお昼ご飯をお願いして、家を出る。
虚しい。
とにかく虚しい。
虚しさを拭えないまま職場についた私は、はあ、と大きくため息をつきながら階段を降りた。
水曜日の朝8:40。
ぼぅっとしていたんだろう。
私は自分のヒールで自分のズボンの裾を踏んだ。
あ、落ちる。
その時私は15段ほどある階段の、まだ中腹に位置していた。
手には資料。
やばい。
このままだと多分、顔面から逝く。
私はもつれる足を振り解く。
すかさず仁王立ちになり階段で踏ん張った。
こけなかった。なんとか耐えた。
足に力が入る。
鼓動が速くなる。
ふっと口から息を吐いて、周りに誰かいないか確認すると、素知らぬ顔で再びカツカツと階段を降りた。
まだ、大丈夫。
踏ん張れる、と思った。
踏ん張った足で、昼休みに神社へ行った。
神様からのメッセージ。
「心の仇は心」
その後、私は美味しいバームクーヘンを買って、職場へ戻った。
そして、職場のみんなで仲良くバームクーヘンを食べましたとさ。
もぐもぐ
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