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「Furusato」がオランダを救う?!

タイトルの、少々、いき過ぎた表現をお許しください。
ただそれだけこの話を聴いた時衝撃だったということ。

先日オランダ在住者向けのオンラインプラットフォームを運営するJACOPの文化祭に行ってきた。

オランダの在住日本人人口は外務省によると1万人を超えている。特に私が住んでいるアムステルフェーン市はオランダ一日本人が多く住んでいる町で、外を歩いて日本人に出会わない日がないほど。

そんなアムステルフェーンに拠点を構えるJACOPはオランダ市から借りた施設でこのようなイベントを開いたりしている。工芸品販売やワークショップ、和菓子提供、フリーマーケットなど在オランダの団体や個人が思い思いにブースを出していて、どこも盛況だった。
その2階の一角に、「Furusato-huis」と書かれた紙の奥に何やらひっそりとプレゼンテーションのスペースが設けられていた。

「何についてのお話ですか?」と尋ねても「まぁまぁ」と着席を勧められ、私は勧められるがまま話を聞くことになった。

誤解を恐れず端的にいえば、アムステルダムに日本人高齢者を中心とした集合住宅をつくろうという活動だった。
始まりは、在蘭日本人高齢者の受け入れ先がないということが問題の端を発していた。高齢になってくると、日本にも身寄りがおらず、オランダの医療制度の受け皿も弱い。高齢者施設も存在するが、オーバーフローしており、入会条件は日に日に厳しくなっているという。

加えて、地域の中で高齢者の支援ネットワークが存在しているようで存在しておらず、オランダ国内でも「孤立・孤独」の問題が深刻化しているというのだ。

「若い時は、日本食なんかなくても生きていける、というぐらいオランダに染まった生活をしていたのよ。でも歳を重ねれば重ねるほど、『故郷』への思いが強くなってくる。そういうものなのね。」

起案された方のお一人は、オランダ人と結婚し40年以上もオランダに住んでおられる方だ。ただ、ご自身の思いだけではこの構想の実現は難しい。

プレゼンの様子(画像が変色してしまい読みづらく申し訳ありません)

施設を開業するにも土地は、市が全て管理している。市に構想を提案したところ、「日本人高齢者向け」というだけでは受け入れられなかったそうだ。そこで、「Furusato」というコンセプトで、マルチジェネレーション・マルチカルチャーが自立共生するコレクティブハウス、という構想に進化していったのだという。

日本でも、介護、医療、となると専門家の領域という印象がある。そのため、高齢者中心の施設となると医療従事者が常駐して、という発想が自然に出てくる。

ただ、それは安全を確保することが目的であって本質的なニーズではないのではないか。

「高齢になってくると、役所から来る封筒を開けるのも億劫になってくるのよ。するとどんどんポストに溜まっていって。誰かが来て、こんなの来てるわね〜って整理するだけで、安心するわけ。あとは電球変えるとか、そんなの医療資格とか全然必要ないでしょう。大事なのは何か困った時、相談できる人がいるか、助け合える人がいるかということじゃないかしら。」

今はまだ土地や施設利用者の目処もついていない状況ではあるものの、様々な場所でイベントを開催され広報活動を行われてきた。その中での学びとして、「孤独・孤立」の問題は日本人高齢者だけの問題ではないということが徐々に浮き彫りになってきたという。オランダ人も「集合住宅」という発想に興味を持ち、話を聴いてくれるそうだ。

資本主義の闇というべきなのか、住宅不足、医療・介護供給不足。
オランダ全土でもシェアハウスなどの集合住宅を構想する運動が盛んになってきており、それは比較的若い世代、相対的に裕福でない層から始まっているという。そう、これは高齢者に限った問題ではないのだ。ただ、どうしても顔が見える関係でこういった活動をすると、若い世代は若い世代で群れをなし、同じような文化背景の人で群れをなすという現象が起きるのは自然なことだ。

「なんとなく、こんな人は入ってきて欲しい、ちょっと変な人は…どうかな、なんて思うこともあるわよね。」

そうなると、暗黙的にも明示的にも排除的なガイドラインが敷かれ、必然的にマルチカルチャーやマルチジェネレーションとは逆の方向に進むだろう。

私がなぜこの構想に衝撃を受けたのかを改めて探ると、やはり世代に関係なく、肌の色や文化に関係なく、混じり合い助け合えるビジョンが見えたからだ。
そしてそのビジョンをつなぐものが「Furusato」なのだと直感的に感じたのだ。

故郷とは、自分が馴染んだ食などの生活を想起するものだが、私は本質はそこにないと思っている。おかえり、といっていつでも受け入れられる場所、魂の居場所、そこからいつでも冒険に出られる場所なのではないかと思う。そういう場が一人ひとりにあるかないか、によって社会の孤独・孤立の問題は解決されうると思う。

和のテイストが根底に敷かれるとしても、私たちの文化はいつでも海の向こうから来る文化と混じり合って形成されてきたのだから、和はこうだ、と固執するものもないのではないか。守るべきものとしては全てを許容してきた精神性や周りを大切にする道徳心の方ではないか。

「Furusato」がオランダを救う?とは大きく出てしまったのだが、私は来る未来を垣間見てしまった気分だ。
そんな場が広がっていくと良いな、と心から思う。

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