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私のいるところ

こうして何気ない毎日を過ごしていると、楽しいことばかりとはいかないのが常である。


先日、いつもお世話になっているクリニックで、いつものようにリハビリと格闘していた。

大勢の他人と顔を合わせて何かをするという行為が大の苦手である私は、ここ半年くらいひとりで過ごしている。他人と同じ空間にいるだけで、それ以外は自由に過ごさせてもらっているわけだ。

ある日私用があって、いつもとは別の日にリハビリへ行ったことがあった。私用とはいえ、お世話になっているスタッフさんに用があったもので、その用事を済ませてほっとひと息ついた最中。事件は起きた。人口密度がまあ高い部屋に入ってしまったのだ。正しくは「いつも利用している部屋に行ったら、大勢の人で埋め尽くされていた」と言うべきだろう。

しかも、リハビリに取り組もうとしていた私の居場所が、そこにはなかった。どこをとっても人、人、人。居場所があればまだ耐えられたかもしれないけれど、その時だけは居場所がなかった。色濃く湧き出る孤独感。ちょっとしたことかもしれないけれど、私は消えたくて消えたくて、仕方がなかった。

気づいたら私は、クリニックから足早に立ち去っていた。もちろん、お金を支払った上である。もう耐えられなかったのだ。あの圧迫感と孤独感に。今までそんなことなんて一切なかったのに、私の心はいつからこんなに狂ってしまったのだろうか。


辿り着いた先は、私がよく行く本屋だった。

そこそこ大きめの商業施設の中にある、広めの本屋。いつも読んでいる月刊誌も、出会って速攻一目惚れした文庫本も、多くの本とそこで出会ってきた。私が時間つぶしにも、気を晴らすためにも利用する、大好きな場所だ。

最近は時間が取れず、なかなか寄れていない場所だったけれど、本屋はいつもと変わらぬ温かさで私を迎え入れてくれた。広大な売り場の随所に置かれた本たちは、やさしい光に照らされてキラキラと輝いている。

それが、その日の私にはとてもありがたかった。ひとりでいることに変わりはなかったけれど、孤独感に苛まれていた私の心を包み込んでくれた温かさ。それは心の奥深くにしみ入った。本屋が私にスッと、居場所を用意してくれたような気がしたのである。

本当にありがとう、本屋。君の存在にとても助けられたよ。


日々生きていれば楽しいことばかりではなく、苦しいこともたくさんある。なんなら、楽しいことはほんのひとにぎりで、苦しいことばかりである。

でも、苦しいことがあってもその苦しみを受け入れ、包み込んでくれる存在がある。それを忘れてはいけないと痛感した出来事だった。

明日からも前を向いて、ともに生きていこうね。

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