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〜今を生きる〜 Dead Poets Society

『いまを生きる』(いまをいきる、原題: Dead Poets Society)は、1989年公開のアメリカ合衆国の映画。トム・シュルマン(英語版)による青春映画である。

原題の「Dead Poets Society(死せる詩人の会)」は劇中の教師ジョン・キーティングがウェルトン校在学中に結成した読詩サークルの名前で、没した古典的詩人の作品[注釈 1]のみ読むことから名付けられた。邦題の「いまを生きる」は劇中でキーティングが発するラテン語「Carpe Diem、カルペ・ディエム」の日本語訳であり、厳密には「いまを生きろ」「いまを掴め」といった意味になる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%BE%E3%82%92%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B



全寮制の厳格な高校に赴任してきたOBの英語教師が、すこし風変わりともいえるような授業を通して、規則に縛られている生徒たちに詩の素晴らしさ、生きることの素晴らしさを教えていくというストーリー。

感動する映画としても有名だけど私も好きな映画の一つだ。
私がこの映画をみたのはちょうど高校生くらい。
リアルタイムで映画館に行ったわけではない。
レンタルビデオで借りてきたもしくはテレビで放送されていたのをたまたま見たそんな感じだった。昔のことすぎてどのような経緯で見たのかはもはや曖昧で、夜遅くに家のダイニングで1人で見たという記憶がうっすらと残っているのみだ。

見た当時はそこまで印象的なものでもなかった。

徐々に徐々に”今を生きる”という事が、
どれだけ大切で重要かということを理解しはじめてからやっとこの映画の価値や本質に近づく事ができたように思う。

“今、ここ” にフォーカスすることを意識するようになったきっかけはサーフィンのためにはじめたヨガだった。

2014年ごろにサーフ仲間に、
バランスとか体幹が身につくからヨガやってみたらサーフィンにもすごくいいよとおすすめされて、
そーなんだ。へー、それじゃぁちょっとやってみよっかなと軽い気持ちヨガをはじめてみた。

体や心の動きを感じること
今ここに集中すること
ヨガの中でよく言われる言葉だ。

体に意識を集中させて呼吸や血の巡り、体の動き、それに伴う疲労感や痛みや体が動くきもちよさなど体と心におこる事を感覚のすべてで味わう。
そのためには否が応でも今ここに集中するしかない。感じてるつもりでもそのすぐ横や裏側でなにかを考えつづけていたりそれに気づいてまた集中したり…。
そんなことの繰り返しだ。


その中で2019〜2020あたりにメディテーションやマインドフルネスに興味をもち学んだり経験したりしていた。
ちょうどマインドフルネスの集中的なコースを受けていた時にみるみるうちにコロナが蔓延してきた。
講座は途中からオンラインになった。
通う時間も短縮になったし自分の部屋で参加できたのでよりリラックスしてできた。


それから、本格的なコロナ禍な生活。

仕事は製品がないとできない仕事だったので
会社からは待遇面はかわらず保証してもらえほぼ3ヶ月間の自宅待機となった。
オンラインミーティングなどはあったりしたけれど圧倒的に自由な時間がふえた。

ご近所にお散歩やスーパーに買い出しにいくくらいのお出かけはあったとしてもそのほとんどの時間は部屋の中で過ごした。

YouTube、Instagramのライブ配信や、映画に読書、毎日の料理に、部屋の片付け、模様替えなどなどあの頃はとりあえずできそうなことはすべてやってみた。
その中の一つとしてマインドフルネスも加わった。


そしてこの映画の中で語られる重要な要素として
詩、ポエムのパワーがある。

日本で詩といえば
教科書にのっていた文章や詩集などを思い浮かべることがほとんどだと思うが、この映画のように海外では詩とは口頭でスピーチするもののようだ。
自分の思いを言葉として表現し体現すること。


アメリカのある女性が詩をスピーチするドキュメント映像を見たことがあるが、そこには彼女の言葉のパワーが肉声や表情、ジェスチャーなどその存在全てから伝わってくる。


この文章を書いていてふと思った。

今を生きるとは

今ここを感じること
自分を表現し体現すること 

この2つがそろってはじめて今を生きると言えるのだろう。
どちらかだけではきっと物足りなくなる。
どちらかだけではきっとあやふやになる。

私はそろそろ自分を表現し体現したいのだ。

あの日先生にどうしても伝えたいという純粋な思いで机の上にたちあがり詩を朗々と発したトッドのように。



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