見出し画像

入園式、卒業式

 日本に限らず、入園や入学、卒園卒業を伝統的に祝うしきたりは世界共通ですね。伝統や形式を重んじる組織ほどその傾向が高いのは言わずもがな、だと思います。普段から忙しくている大人の場合は、そのような荘重な趣に心洗われる場合もあります。雰囲気だけで感情が高まり、目頭が熱くなる人もいるでしょう。一方で子供たちは楽しいのだろうか?といつも思ってしまいます。主役は子供たちであるはずなのに。もちろん目の前の子供たちが大きくなり大人になれば、自分たちが感じたこの感動を味わうことができます。そうやって繰り返していくのも悪い事ではないかもしれない、とは思います。子供の頃の疑問が今解けた、だからこそ感動もひとしお、なのでしょう。ただ個人的には来賓からの祝辞だけは時間の無駄なので止めた方がいいと思っています。その分子供が自分たちで企画した卒業パーティーなどに時間を使った方がいいのでは?と思ってしまいます。
 ちなみに、そのようなこだわりのない組織が卒業式をやるとどのようになるのか、ということをこちらのブログで紹介しています。*

* 「ドイツのダイバーシティ事情」-「Coffee Break:インターナショナルスクールの卒業式」参照

 日本において入園式、卒業式に欠かせないのが洋服です。特に子供が小さい時には、それきり着ないので無駄ですよね。肩身の狭い思いをさせたくない親は、どうしても用意せざるを得ません。私たちの息子が小学校入学時にも、私たちは周りと協調すべく入学式のためだけの服を買いました。残念ながらそれ以降使い道がないため、親しかった幼稚園時の知り合いに譲りました。その御家庭は女の子が息子と同級生で仲良くしてもらっており、女の子に弟がいたのです。日本ではもはや友達同士の関係が本当のお互い様になっていますので、このような譲り合いのできる関係はとても大切だと感じました。
 洋服と同時に、その時息子がハマって大量に集めたレゴも差し上げたのですが、それはもしかしたら迷惑だったかも知れなかったな、と考える時があります。親御さんは喜んだかも知れませんが、お子さんは果たしてどうなのか。散らかすことで、叱られる機会を増やしてしまった?とか。そういうことを考えだすと何もできなくなるのは判ってますが、何となくこだわりを押し付けたような感じがしてしまうのです。
 いま日本で起きていることのほとんどが、ある人のこだわり、または無意識からくる偏見的な感覚からきていて、自分たちの同意なしに進められている、と感じます。こだわることは自己主張なのでその人らしさの表現なのですが、こだわらないこと、またはそれを拒否し自分がやりたいことを実現することも自己主張だと思います。不要なものは不要と言え、私はこうしたいという自分と他人の意見を尊重して調整できる大人になりたいし、子供たちにもそういう社会を残したいと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?