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天皇・三島由紀夫・卓越主義(10)(2022)

第10章 社会の中の天皇
 原武史放送大学教授は『日本政治思想史』において、そうした天皇の活動を検討し、戦後、特に平成を「皇后の時代」と呼んでいる。それは天皇の「皇后化」である。この指摘は明治政府による理想の皇后像を踏まえている。

 藩閥政府は奈良時代の光明皇后を理想の皇后像と認め、その振る舞いを将来を含めた天皇の妻に求めている。彼女は聖武天皇の皇后で、仏教の庇護者として知られ、慈しみの伝説が語り継がれている。最も有名なのがハンセン病患者をめぐるものである。皇后は施薬院にて千人の垢を洗い落とすことを発願する。この垢を落とす修行は釈迦の弟子である周利槃特に由来する。皇后がそれを続けていると、最後の千人目にハンセン病患者が現れ、皇后に膿を口で吸い出すよう要望する。彼女がその通りにすると、病人は阿閦如来となったという。国立ハンセン病療養所である邑久光明園はこの逸話から命名されている。病院を慰問したり、弱者に寄り添ったりするこうした皇后の役割を平成では天皇も担っているというわけだ。

 日本国憲法の施行に伴い、天皇の憲法上の位置付けが改まったものの、戦前からの連続性も残っている。昭和天皇は国内の巡幸を戦後も続けるが、これは新嘗祭を始めとする天皇家の私的行為でも憲法4条が規定する国事行為でもない。彼が行くところでは、日の丸の小旗が振られ、「天皇陛下万歳!」の声が響き渡る。しかし、昭和天皇はもはや大元帥ではない。巡幸には安全保障の施設や演習場は含まれていない。その代わりに病院や戦災孤児施設などの社会施設を訪問する。それは大日本帝国憲法下の時代では皇后にふさわしいとされた振る舞いである。昭和天皇は日本国憲法の求める天皇像に納得していたとは言い難い。彼はその転換の必要性を十分に認知していたわけではないけれども、皇后化した行動をとっている。

 明治政府の天皇と皇后の位置づけは、近代が国家と社会によって構成されていると彼らが理解していたことを示す。天皇は国家、皇后は社会と結びついている。こういう発想は近代的であるが、彼らは国家を社会より優先している。しかし、戦後の日本国憲法下では天皇も皇后と同様に社会との結びつきを進める。それは社会があって国家があるという近代の認識である。そう考えると、「皇后化」は「社会化」と言い換えられる。

 「社会の中の天皇」の自覚に基づく認知行動に取り組んだのが明仁天皇である。それは結婚から始まる。日本でテレビが普及するきっかけとなった出来事は、1959年のご成婚パレードである。皇太子が軽井沢のテニス・コートで出会った民間の女性と結婚するというシンデレラのような物語がすでに巷に広まっている。4月10日午後、現代のおとぎ話を一目見ようと沿道を埋め尽くす人の間を若くさっそうとした二人を乗せた馬車が進みゆく光景をテレビが全国に生中継する。それは開かれた皇室だけではない。日本国憲法の保障する権利としての結婚や男女同権を皇室も守っていることを国民に印象づけている。「皇太子さま~!美智子さま~!」の声援が沿道から投げかけられる。二人は、難波大助が狙うようなテロの対象ではなく、メディア・スターである。実際、即位した後も、「天皇陛下万歳!」の叫び声ではなく、二人に向かって人々は「陛下~!美智子さま~!」と嬉しそうに手を振る。

 その光景は1945年8月15日の玉音放送と確かに違う。国民は正午からの放送をラジオの前で起立した上で聴かなければならない。悔し涙を流したり、茫然自失したり、文語のため何を言っているのかわからずとりあえず頭を下げたりする人もいる。思いはさまざまだ。実際には全国がそうだったわけではないが、録音盤を聞いたあの時は、晴天で、暑かったという記憶が共有されている。

 一方、ご成婚パレードは国民が見なければならないイベントではない。けれども、その生中継を味わいたいと、人々は自主的にテレビを購入している。テレビを買えない人も、その時を体験したくて、それがあるところに自分の意思で集まる。彼らは晴れやかな光景に喜びを共有している。実際には投石などもあったが、皆が笑顔だったという共同の記憶がある。

 三島由紀夫はそんな姿を『文化防衛論』において「週刊誌的天皇制」と批判する。皇太子との婚約者となった平民出身の正田美智子には既得権を奪われた元華族などから嫌がらせを受けたが、大衆はその結婚を熱狂的に支持する。それをもたらしたのは「週刊誌」を始めとするマスメディアである。これは市場経済と結びついている。

 卓越主義に基づく近代倫理学批判は鋭いが、それを復権させる際には困難がつきまとう。市場経済とコミュニティの関係を考察しなければならないからだ。代表的な近代倫理学の一つである功利主義は経済学の学説でもあり、市場経済を踏まえている。市場が効率的かつ公正に機能するためには、共同体の規範の変更も必要になる。と共に、自由放任にしてしまうと、そのシステム自体も持続可能ではなくなるので、新たな規制も不可欠である。市場経済と共同体が共存していくためには、規範を調整しなければならない。市場経済には不確実性がつきものであり、生命倫理を始めとする応用倫理学が登場しているように、倫理もそれを考慮する必要がある。ところが、アリストテレスは奴隷労働に依存した経済社会を前提にしている。市場経済と無縁の倫理学を現代に復権するとしたら、その関係の検討が不可欠である。

 三島由紀夫の天皇制論は市場経済を考慮していない。卓越主義がそうである以上、当然といえば当然である。マスメディアは市場経済にとって重要である。自由で平等、自立した個人が公開された正確な情報を参考に、合理的行動をすることで、市場は健全に働く。マスメディアはそうした知る権利に応え、対価を取って情報を提供する。その際、メディア自身も、、商業主義やメディアスクラムの行き過ぎを世論に批判されつつ、同業者との競争と牽制を通じて情報の正確性と希少性を向上させる。マスメディアにスタートして取り上げられることは市場経済を前提にしていることを意味する。だから、卓越主義者三島は市場経済と向き合う皇太子夫妻を「週刊誌敵天皇制」と批判する。しかし、それは市場経済と折り合いをつけた卓越主義の姿である。

 「週刊誌」が皇室を取り上げるのは読者からの人気が高く売れるからである。ニュース番組は世論の関心が低くても、社会的に重要であると報道することも必要だ。また、独裁体制ではメディアが圧力や忖度のために首脳の宣伝に利用される。しかし、「週刊誌」にはそんな事情はあまりない。市場の論理に基づき、売れるから皇室の記事を載せるのであり、需要がなければ供給などしない。

 「週刊誌」は読者がイデオロギーやアイデンティティなど政治的理由で皇室記事を求めているわけではないと承知している。皇太子夫妻の行動への感情は銀幕のスターのそれと似ている。無論、現代のセレブは社会的責任を果たすべく卓越性のある活動をしている。「週刊誌」も類似した取り上げ方をする。市場経済を考慮するには、今日「企業の社会的責任(CSR)」が問われているように、皇室にも社会の中の天皇の認知行動が必要だ。多様な価値観の中で市場を通じて顕在化した大多数の大幸福である。皇太子夫妻の行動が市場メカニズムを媒介して大衆から卓越性があると支持されたというわけだ。伝統は市場経済とも折り合える。

 戦前、「君民一体」を唱える者たちは決起し、失敗に終わったのに対し、戦後、それはメディアを通じて意識せずに実現する。君民一体論は個人のアイデンティティを天皇に直結させるため、社会が欠けている。しかし、近代は社会の時代である。個人が集まって形成される社会を通じて天皇と結びつく。そのため、社会の中の天皇が象徴としてのそれである。多様性を無視して特定の価値観を個人が天皇に結びつけるのだから、君民一体はモラリズムである。

 明仁天皇は、皇后と共に、「象徴」を実践し、それを多くの「国民:も支持している。ただ、「象徴」に関しての共通認識は暗黙知である。それを明示化したのが『象徴としてのお努めについての陛下のおことば』である。1989年に即位した明仁天皇は「映像の天皇」と呼ぶことができる。その天皇が2016年8月8日15時より生前退位をめぐる自らのお気持ちをビデオ・メッセージで公表する。国内外に広く伝えたいとして日本語のみならず、英語版も宮内庁のサイトに用意されている。

 内容は次のように要約できる。象徴としての行為は天皇が自ら行わなければならない。そのため、それを皇太子に代行させたり、減らしたりすることはできない。床に伏していたり、幼すぎたりする場合に設けられる摂政も、その意味で、望ましくない。また、天皇の死は国民生活に支障を来たす。さらに、喪に服しながら即位することは皇太子には大きな負担である。こうしたことから、天皇の生前退位について国民皆で考えて欲しい。

 中でも、明仁天皇は「象徴」について次のように述べている。

「私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。

 『おことば』は象徴天皇制が卓越主義に基づいていることを示している。「国民の安寧と幸せを祈ること」や「時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うこと」が「象徴」としての実践である。こうした行為が基づく「象徴」に関する国民と天皇との共通理解を改めて明示的に認識する必要がある。「象徴」としての天皇の実践が年齢などの理由により継続が困難になっている。つまり、実践が難しくなっているのに、天皇が在位し続けるのは「象徴」に反するのではないか、「象徴」としての実践を各店王が在位していることが象徴天皇制にふさわしいのかという問いかけである。

 明らかにこの問いは卓越主義に立脚している。あえて「象徴」の再検討に踏み込んだのは、実践を欠く卓越性があり得ないことを国民と共有するためである。天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意」であり、自身ではなく、その国民の判断にゆだねるほかない。

 他方、「主権の存する日本国民の総意に基づく」のが天皇の地位である以上、主権者は「象徴」が何かを熟議の上でコンセンサスを形成する必要があることも確かだ。原武史教授はそのように主張する。

 しかし、この「総意」は、すでに述べた通り、「伝統的支配」ではないという意味である。憲法制度は市民の権利保障と権力の義務を規定するものである。主権者である国民には「象徴」を議論してコンセンサスを形成する義務はない。象徴関係が成り立つには、政治共同体においてかの存在が主権者を統合することと共にそうだという共通認知に基づいている必要がある。「総意」に立脚する国民統合のシンボルであるなら、天皇は象徴関係を明示化する実践をしなければならない。主権者の「総意」を得るために「象徴」として天皇は行動しなければならないが、諸般の事情でそれが困難になっているにもかかわらず、在位し続けることは矛盾している。行動が「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴国民統合の象徴」としてふさわしくないと主権者が「総意」すれば、その地位は保全されない。明仁天皇のメッセージは「象徴」に関するコンセンサスの形成ではなく、「象徴」としての実践があってこその象徴天皇だという意味である。

 2010年代、オランダやベルギー、スペインといったヨーロッパの君主がテレビ演説を通じて国民に退位を訴えている。皇室も欧州の王室と密接な関係を持ち、その動向を参照している。明仁天皇はグローバルな民主主義の価値観の共有を意識していたように思える。しかも、奥州では従来の男子中心の継承から今では男女が平等である。上皇は見解を明らかにしていないけれども、自身の信念を伝統とする人たちを除く日本の世論も皇位継承について同様の認識を示している。

 巡幸野球中儀式が続いたように、戦後の天皇の実践が戦前の延長にあるという指摘は正しい。卓越主義であるから、蓄積された伝統を踏まえる。ただし、戦後の天皇、特に明仁天皇はその意味を読み替えている。「公」や「私」のみならず、「共」の空間に自らを位置づけて日本国憲法が定める「象徴」の実践に取り組み、国民はそこに卓越性を認め、天皇を支持する。それは卓越主義の近代的可能性の提示でもある。

 三島由紀夫が天皇に卓越主義を見出したのは、卓見である。しかし、彼はそれを市場経済と折り合いをつける「社会の中の天皇」と捉えることを拒否する。戦後憲法も当然認めない。三島は卓越主義を近代社会の中で再構成するのではなく、そのアイロニーとして認知行動するにとどまっている。1970年、すなわち昭和45年11月25日に亡くなった三島は、平成時代の天応皇后夫妻の実践を見ることなどない。けれども、その姿こそ彼が異議を見出そうとした卓越主義の現代的実践なのである。

戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。
私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり,ここ数年,天皇としての自らの歩みを振り返るとともに,この先の自分の在り方や務めにつき,思いを致すようになりました。
本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。
そのような中,何年か前のことになりますが,2度の外科手術を受け,加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から,これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考えるようになりました。既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じています。
私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この間かん私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行おこなって来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀そうぎに関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。
始めにも述べましたように,憲法の下もと,天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを,切に願っています。
(明仁天皇『象徴としてのお努めについての陛下のおことば』)
〈了〉
参照文献
天川晃他、『日本政治外交史』、放送大学教育振興会、2007年
大石眞、『日本国憲法』、放送大学教育振興会、2005年
太田哲男、『吉野作造 人と思想』、清水書院、2018年
同、『増補 大正デモクラシー研究-知識人の思想と運動』、新泉社、1990年
大庭健他編、『現代倫理学事典』、弘文堂、2006年
子安宣邦、『「近代の超克」とは何か』、青土社、2008年
同、『昭和とは何であったか─反哲学的読書論』、藤原書店、2008年
鈴木邦男、『愛国者は信用できるか』、講談社現代新書、2006年
菅孝行、『天皇制 』、現代書館、1983年
原武史、『日本政治思想史』、放送大学教育振興会、2021年
松尾尊兊 、『大正デモクラシー』、同時代ライブラリー、1994年
松原隆一郎他、『社会と産業の倫理』、放送大学教育振興会、2021年
三島由紀夫=東大全共闘、『美と共同体と東大闘争』、角川文庫、2000年
三島由紀夫、『文化防衛論』、ちくま文庫、2006年
山岡龍一、『はじめての政治哲学』、 岩波現代文庫、2019年
吉田和明、『三島由紀夫』、現代書館、1985年

C. A. J. Coady, "Messy Morality: The Challenge of Politics", OUP Oxford, 2008 

「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」、『日本映画専門チャンネル』、2021年5月15日21時00分放映

「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(」ビデオ)(平成28年8月8日)、『宮内庁』、2016年8月8日15時00分更新
https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12
吉川慧、「死の1年半前、三島由紀夫が東大全共闘と繰り広げた「伝説の討論会」とは」、『BUSINESS INSIDER』、2020年3月24日、05時00分更新
https://www.businessinsider.jp/post-209905


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