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クリスチャン・ボルタンスキー【Lifetime】

以前ルイ・ヴィトンエスパスに行き、下記『アニミタス』に関するnoteを書きました。

読んで頂いた皆さまありがとうございます。

今回は熱が冷めないうちに国立新美術館で展示が行われている同氏の【Lifetime】に行くことができたのでレビューを行いたいと思います。

【Lifetime】について

まず展示の概要と展示を通しての私の感じたことをお伝えします。この展示はボルタンスキーの初期作品から最新作までを紹介する大規模な回顧展で、半世紀にわたる様々な試みの振り返りと、会場に合わせたインスタレーションを手がけるという構想のもと企画されています。展覧会という限られた時間が過ぎたら消滅してしまう、まさに人の命になぞらえる【Lifetime】という作品の中で、ほのかに光る明かりを頼りにさまよい歩きながら、鑑賞者は無数の死者の存在を通じて生きる時間についての様々な問いを巡らすという時間を与えられます。人間の個別性と儚さ、人生についての考察を促す題名の通りの展示で、個人の存在について考えを深めさせる機会なるものでした。

ここから展示において撮影可能だった作品について紹介していきます。

《幽霊の廊下》

この作品は東京展のために制作され、大きなカーテンが並ぶ長い通路から構成されています。骸骨、天使、悪魔や見たこともないような生き物が風によって揺られて影となり映る作品です。

こちらは今日でも多くの人が氏の作品として認識する暗闇のレッスンに似通ったところがあります。これは氏もインタビューなどで語っている、一つの作品は完結したものではなくて、スペースの特徴に合わせて毎回作り直すという立ち位置に立ったものです。氏の作品は展示終了後8割が壊れるものでもあり、氏も「モノ」としてではなく「記憶」として自分の作品が残ることを願っています。ここでしか体験できない非日常の空間、そしてそこに映る淡い像を見て、長い廊下をわたるまで此岸と彼岸、天国と地獄行き来するような、されどこの色合いから自分が聖なる心待ちに包まれるような作品でした。

《ぼた山》

この作品は本展示でもとびきりの強い印象でした。黒い衣服の堆積でできた山で、そこにコートの1枚1枚を見分けることはできず、人間の思い出が一切本当に失われて混ざり合ってしまったかのような感覚を覚えます。

近くで接写してみても、どこからどこまでが単体としての服なのか見分けることができません。またそれを見分けることは意味がないというように言われているような感じでした。氏は写真や古着といった過ぎ去った過去の遺物を集め、人々が「かつてはいたこと」を示します。

上記画像の《保存室》では、様々な服が一緒くたに染められることなく展示されています。そこにはその服を着ていた体の形が現れており個性を誰かの個性について想いを馳せることができます。しかし《ぼた山》の中には個性を認めることができません。まるで貝塚や何かを追悼して建てられてモニュメントのようなものだと感じました。何か特定されることが憚れる誰かのためを思って造った作品なのではないかというのが僕の仮説です。

《発言する》

会場に何体もあり、近づくと人間存在の死や我々がどのようにあの世へ行くかということについて問いかけます。いわば彼岸の番人たちと図録には紹介されていました。フランス語→日本語という流れで男女様々な問いかけが2種類なされる仕組みになっており、死という答えのない問いについて考えざるを得ない状況になります。しかし、その声は優しく、死は人間の外ではなく個人それぞれの中にあるのだということを感じさせてくれました。

《スピリット》

会場天井に吊るされた100枚を超えるヴェールで構成され、過去に氏が使用した様々なイメージがプリントされています。会場内に吊られた電球に照らされ、風に揺られている姿から、もうこの世には存在しない誰かの霊魂が呼び出されているような感覚でした。私が撮った写真は一部ですが、全体を見ると荘厳な気持ちになります。

《アニミタス(白)》

こちらは以前のnoteにも綴ったので、あまり多くは語りませんが、ヴィトンで展示されているものと異なり、カナダで撮影された《アニミタス(チリ)》につづく作品です。氏の神話を作るという願望を表しており、雪原の中に無数の風鈴と棒が配置され、映像というよりはドローイングなのではないかと感じました。作品についての詳細は語られていませんが、撮影が行われた島がカナダにおける最初のフランス領の一部であるという歴史と関係があるかもしれないと言われています。

《ミステリオス》

今回の目的といっても過言ではありませんでした。ルイ・ヴィトンエスパスに行った時に氏のインタビューを見てこの作品を知りました。南米のパタゴニアで撮影された三つの映像で構成されるインスタレーションで(上から左、真ん中、右)、ラッパ状のオブジェを用いてクジラとコミュニケーションをとる目的として造られました。パタゴニアではクジラは世界の起源を知る存在とされています。答えのない問いに対して「鯨に聞け」という言い回しがあるくらいで、このラッパの声はまさしく氏の世界への「問い」と他なりません。左のスクリーンは、クジラの骨が配置され、右のスクリーンには空と海が映されていて、

「原始人の見ていた風景を現代人も見ることは可能か」

という問いに基づく杉本博司の海景を思い起こさせるものでもあります。また三面で構成されているこの作品は三位一体や、宗教画によく見られる形式と関連していて、キリスト教のイメージや形式の中に位置付けられることが想像できます。氏はこれからの作品は信仰に注力したいということを述べていて、自分の作品が「聖遺物」として世界中に広がり各地で信仰の対象となるような、自分の物語が伝説として語り継がれて生き続けていくことを願っているようです。

《黒いモニュメント、来世》

こちらも本店のために制作された作品です。周囲の白色で塗り固められたモニュメントは左右非対称で様々な形をしており、現代的なビル群のようでもあり墓地のようでもありました。都市ら見つめる未来としての来世というネオン、来世を願う薄暗くも美しい、墓地にさまよった自分というその双方を感じさせてくれる作品でした。

まとめ

国内で彼の作品を初期から新しいものまで見ることができる機会はそうそう無いと思います。氏の作品は環境や、自ら体験することによって印象が著しく異なるものであり、展覧会に行くことで初めてその凄みを感じることができるのではないかと思います。今回紹介した作品は全て撮影可能なものについてであり、生、氏、時間などの人間にとって普遍的な問題を考えざるにはいられない作品が他にもたくさん展示されています。

私自身人生の岐路に今立っており、改めて時間軸と空間軸を引き延ばして自分のこと、そして世界のことを見つめ直す機会になりました。別に宣伝するわけではありませんが、一鑑賞者としてより多くの人にこの展示を見て頂きたいと思いました。答えは見つかるものではなく、自分で探すものです。是非展示に行かれた方、皆さんの感想を聞かせてください。

最後に

インスタのストーリーや投稿を見ていると、撮影可能スペース以外で撮影されたものが目立ちます。僕自身美術作品を作るとか、キュレーションする立場ではありませんから偉そうなことは言えませんが、「せめてマナーを守って作品を楽しもうよ」というのが心からの発信です。美術館側も相当な期間をかけて準備をしているのであり、撮影可能にしていないことにも何らかの意図があると思います。その後を考えず乱撮をすることは、自己欲求を満たすことであり、「考えないこと」と同義だと思います。

インターネットの普及でオリジナルとコピーの概念が曖昧になり、心を動かされたものをすぐにシェアできる時代だからこそ、何かを守らなければ本物が本物として輝くことはないのでは無いかと思います。私としては本物をピュアな気持ちで感動したいという欲求があります。これもエゴかもしれませんが、この記事を見て面白い、共感したという方はスキをつけて頂けると幸いです。

最後まで読んで頂きありがとうございました。


参考文献:『クリスチャン・ボルタンスキー-Lifetime』発行者 鈴木宏 発行所 自ら声社


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