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学校が安心する場だったわたし

さいきん、テレビやネットニュースなどで
不登校の子供の話題を何度か目にした。
長い夏休みが終わって新学期が始まるタイミングで
不登校児が続出するらしい。
新聞やネット、テレビなどでは必ず
「無理して学校に行かなくていい」と言う。

死ぬほどつらいのなら行かなくても良いと思う。
でも安易に「行かなくていいよ」って
それホントかなと思うこともある。
行かなくいい、逃げてもいい。
半分はそう思うけど。
だけど逃げたあとの人生の面倒まで見てくれない人たちが
そういう発言してるよね。

いじめなどでつらい子は
行かない方がいいかもしれない。
でも学校に行くことってそんなに無駄ではないよ。
「行かなくていい」という人のなかには
まるで学校が無駄ばかりのように言う人がいるけど
それって極端なこと言い過ぎじゃないかな。

家に閉じこもっていたら体も脳も固まる。滅入る。
外に出たら歩く。歩くと体が喜ぶときもあるよ。

外に出たら嫌なこともあるけど
良いこと、良い人に出会うこともあるよ。
いろんな子供がいて、いろんな先生がいる。
授業で、知らなかったことを知ることができるよ。

わたしは10代の頃、家にいるのがとてもつらかったので
学校のほうが逃げ場だった。
今の多くの不登校の子たちは、昔のわたしとは逆なんだね。
学校がつらくて、家が逃げ場なんだね。

わたしは家にいたら、ほんとしんどかった。
家にいて、もしmamaと2人になったら
心が圧迫感で一杯になった。
ゆっくり家でくつろぐことはなかった。

きょうだいがいても、命令口調でなにかやらされる。
mamaときょうだいは、わたしを召使いみたいにこきつかった。
シンデレラのストーリーは最後にハッピーエンドだけど
わたしの実家での立場は、召使から昇格することはなかった。
命令を断ることもできなかった。
命令されたら盲目的に従わないとmamaが不機嫌になる。

父親は優しかったけど、普段あまり家にいなかった。
そしたら、もっとmamaときょうだいは
わたしを召使いのように使った。
わたしに拒否権はない。考える余地はない。
子供ながらに必死で命令を実行することを
毎日毎日やるだけだった。

命令と、嫌味、小馬鹿にされることが日常でたくさんあって
家にいるのが楽しいはずがなかった。
人格が認められないのだから。

年上のきょうだいが実家を離れたときは
ほんとうに心の底から嬉しかった。
ああ、私に命令する人が1人減った!
わたしの負担が少し減るかも!

幼少期から、きょうだいがいて楽しい気持ちはなかった。
負担だった。

実家とは何だろう。
大人になった今、実家へ行くことがあっても楽しくない。
子供の頃の命令の日々が蘇って苦しくなる。
命令に従うことに、せいいっぱいの毎日。
一生懸命従ってた子供の頃の自分が悲しい。

逃げ場である学校へ行くと、ホッとしたものだった。
勉強や宿題、ときどきトモダチとトラブルがあっても
そんなのは、家にいて嫌な思いすることに比べたら
わたしにとっては軽いことだった。

こうやって子供の頃の愚痴をいまだに並べる自分。
やっぱり正直ウンザリ。自分に。
でも吐き出さずにはいられない。
何十年も心にたまった、しんどいという気持ち。

今、不登校で苦しんでいる子たちが
大人になった時に、心の整理ができたらいいな。

その子たちに、こんな言葉をかけたい。

大人になったら自分で判断することが増えて大変だけど
でも、気持ちは楽になる部分もあるよ。
責任は伴うけど、自分が自分でいられる。
そんな時間は増えると思うよ。
今を乗り越えたら、
大人になったとき、自分で好きに判断できるよ。
今を乗り越えたら、そんな瞬間もくるよ。

いちばん大事なことを言うね。
あたりまえのことだけど
何があっても時間だけは過ぎていくよ。

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