さようならママ

母親(記事の本文ではmamaと表示)から叱られて育ちました。子供の頃、家の中にいるのが…

さようならママ

母親(記事の本文ではmamaと表示)から叱られて育ちました。子供の頃、家の中にいるのが苦痛でした。家の外では開放的な気分で、自分をさらけ出す事ができました。今の私はもう、いい大人です。でも大人の癖に、母親の呪縛から完全に開放されてません。書くことで少しでも開放されたいです。

最近の記事

主人公の立場をかっさらう人

mamaは 自分が主役で 常に他人より輝いていたい人。 楽しいことも中心でいたい。 悲しいことや苦労したことも自分が主役。 わたしが昔 出産前に予定日より早く破水したとき わたしの体の状態を気づかう前に 第一声が「おんなじだ!」だった。 mamaが出産した時 予定日より早く破水したらしいので 自分もそうだったアピールを懸命にしていた。 わたしは、それどころじゃなかったですよ。 mamaの知人、親戚が 親の介護にたずさわっている時は 私の時はこうだったのよ。 こんなに

    • 自分がハイレベルであるという思い込み

      わたしのmamaは、昔からプライドが高くて 自分は他人よりハイレベルと思い込んでいる。 食べるものも、着るものも、好むものも 上品なものが自分に合うと主張する。 うちは中流の家庭だった。中の上ぐらい。 お金持ちではない。でも困窮することはない程度。 でもmamaの心の中はいつもセレブ状態。 わたしは、mamaのそんなところも苦手だった。 わたしの友人のお母さんから 一度mamaが「おかあさま」と丁寧に声をかけられた。 mamaは、その人に会った日の夜、わたしに言った。

      • ストレスで熱が出てたあの頃

        昔のはなし。 わたしが今より若かった頃。 あいかわらず連日のように mamaからのヒステリーをあびていた頃。 更年期とか、身内のごたごたがあったとか そんなのが何故かわたしのせいになって 連日なじられる。なじられる。 とにかく感情をぶつける先が欲しかったのだろうね。 そんなとき、わたしが格好の餌食になった。 きょうだいが1回餌食になる程度のとき わたしが10回から20回以上とかね。 あたり散らしやすかったんだと思う。mamaにとって。 同性で、しかも年齢が家族内でいちばん

        • ずっと心に住む悪魔

          なるべく実家には行かない。 行かないことで、寂しそうな親に対してどこかざまみろと思う。 あなた(mama)が、私を子供の頃からいじめぬき 精神的に追い詰めて来た結果がこうなんだよと。 逆上させたら厄介なので、言葉に出して言わない。 でも、せめて匂わせたい。ささやかな抵抗だ。 わたしも性格が歪んでるんだ。 善良な世間様や、良い親子関係の人からみれば わたしは毒親から生まれた膿かも。 でも、必死に自分の膿を出し切りたい。 嫌な思いを出し切りたい。 そのために、冷たい子供でもいい

        主人公の立場をかっさらう人

          怒りがおさまらない人

          ジャニーズ問題。 性的な被害を少年たちに与えた故人が一番の悪人。 それとは別の視点で、この一連の報道をみて いろんな意味で、いろんな立場の人を見て、 いろいろ考えさせられた。 記者会見はリアタイしてないけど後でニュース番組をみて、 ジュリー氏が手紙で語ったというメリー氏の話を聞いた。 これはすごく印象に残った。 母親のヒステリーにおびえて育ち、大人になった人。 その部分で、わたしはジュリー氏の気持ち、わかる。 今回の本質とは、違う話になるけど。 わたしのmamaは、

          怒りがおさまらない人

          自分はいつも正義の味方

          人は誰でも 自分の都合の良いように物事を説明するものだ。 わたし自身も きっと、そういうところはあると思う。 でもわたしのmamaは、それがひどい。 話を盛るのは当たり前。 とにかく、何でも自分の功績だ。 何でも自分が正しく、相手が間違っている。 そればっかり。 むかし、ある親族とトラブルがあった。 当時の話をmamaはいまだにブツブツ言う。 相手はもう亡くなっているけど 昨日の事のように悔しそうに話す。 年を取るというのは、こういう事なんだろうか。 わたしは、 そのト

          自分はいつも正義の味方

          微妙におもいあがった感覚

          今年の夏、ひさびさにmamaに会った。 やはり会う前は気が重かった。 肉親とはこんなもので、完全に逃れられない。 わたしはmamaの前では、いつも演技する必要がある。 苦手意識。この人いやだ。と思ってる事を悟られないように 楽しいふりをする。 そうしないとキレられる。 わたしが子供の頃、 嫌味ばかりmamaから言われていた。 わたしがブスッとした顔になったら それがまたmamaの逆鱗にふれて叱られる。の繰り返しだった。 だから、いい大人になった今も 楽しくない顔はしない。

          微妙におもいあがった感覚

          常に上から目線

          わたしが幼少から ずっとmamaが苦手だった理由。 いろいろあるけど。 その1つは、常に上から目線で 自分が一番!という思考。 わたしは接していて、いつも疲れ 重い気持ちだけ残る。 過去には、こんなことがあった。 mamaがご婦人仲間、 何名かで海外へ旅行したことがあった。 そのときメンバーの1人が 現地の人と英会話で上手いぐあいに コミュニケーション取ったそうだ。 帰国後、わたしにmamaは言った。 「あの人は、  人に隠れて英会話を習ってるに違いない。  そこ

          常に上から目線

          家で鼻歌も歌えない自分

          私は子供の頃から いつしか家で鼻歌も歌えない子供になっていた。 発言すれば否定され、何かあれば激怒される。 幼少時から、そんな毎日だったから 常に家庭内で無口になってしまった。 家でなにか発言しても、 どうせ馬鹿にされるのだ。 どうせ説教されるのだろう。 そんな思いばかりが心に浮かぶから。 常に家では 貝のように口を閉ざし 家で鼻歌も歌えない自分になっていた。 昔、自宅に1人でいたとき つい開放的な気分になって 家で好きな歌を歌っていた。 そのときmamaが帰宅した

          家で鼻歌も歌えない自分

          嫌な事を言う人だな

          もうずいぶん前の話。 私が結婚する事になり 挙式の前夜にmamaに言われたこと。 mamaは、わたしに向かい 「あなたが嫁いで別の家庭を持てば   自分(mama)は、ひっそりと孤独に倒れて   1人で死ぬことになるかもしれない。   そうなっても(死んだ)父親は   あなたを恨まないだろうから気にしないで。」 そう言われた。 愕然とした。 もしかしたら 「自分の事は心配するな」と言いたかったのかもしれないけど 他に言い方は無かったのか。 たとえばー。 「(mam

          嫌な事を言う人だな

          聞かれていないことをアピールする

          mamaのことが苦手だと思う理由はいろいろある。 わたしが子供の頃、叩いたこと。馬鹿にしたこと。 外に寝せたこと。ほかにもいろいろ。 前々から嫌だった面の1つが 自己アピールばかりすること。 知り合いに対して、相手から聞かれてないのに 「私はこうだった」の自慢話が多い。 内容は、若い頃、男性にもてた話や 知人や親戚の男性に親切にされ、チヤホヤされたことの自慢。 mamaが高校生の頃、先生から絶大な信頼を得ていたこと。など。 最近では、夫はすでに亡くなっているし 子供は

          聞かれていないことをアピールする

          家族からの性被害!?

          最近ネットニュースで 家族からの性被害の話題を見かけた。 幼い頃に受けた被害のエピソードなどを 取材を受けた人が話していて それがネットニュースにあがってる。 もちろん仮名で。 そのエピソードを読むと 小中学生の頃までは それがイケない事だとは気付かなかったとか。 何だか嫌だと思ってはいたけど 何となく言えなかったとか。 そういうコメントが載ってた。 わたしも同様の思いをしたことがあるけど それが性被害だったとは、子供時代は全く思ってなかった。 子供にとって、とくに親の行

          家族からの性被害!?

          引き出しの中が綺麗かどうか

          noteにブツブツと過去を吐き出してきた。 わたしは、そんな嫌な人間だ。 でも自分が救われるために まずは毒を出す。膿を出す。 そうやって 過去、何が嫌だったのか 未来、自分はどうなりたいのか 心の整理をしている。 mamaに対して優しくなる事は 遥か未来にしかできないだろう。 いや、未来でも無理かも。 mamaは当然、年老いていく。 間に合わなくても仕方ないと思う。 mamaが暴言を吐く、嫌味を言う、人を召使い扱いする。 それをやめなければ、わたしの憎悪はとまらない。

          引き出しの中が綺麗かどうか

          ある意味、うらやましい

          成人式で、ド派手な衣装をきて騒いでる若者をみて 眉をひそめる人も多いと思う。 でも、わたしは「イイナー」と思ってしまう。 だって彼らは自己主張できてるから。 もちろん、人に迷惑をかけ過ぎたり 場を乱すのはよくないんだけどね。 でも、衣装を派手にして、みんなと一緒に楽しんだり みんなで成人のお祝いを心から喜べているなら はじけてしまうのも、若さだと思う。 ド派手成人式のインタビューをテレビで観てたら 親と仲いい人もいるようで 「お母さん大好きー!」 「お母さんありがとう

          ある意味、うらやましい

          もう御指導はいりません

          接することがゼロになれば嬉しい。楽だろう。 でも血が繋がった親子というだけで義務的に連絡することもある。 電話で話す時は必ず身構えて 「なにか嫌なこと言われるだろうか」と気分がふさぐ。 そのぐらい幼少期から嫌なコトバをあびてきた。 会話していて楽しさなんて一切ない。圧迫感だらけ。 一方的な自慢話や説教ばかりでうんざりする。 つい最近の久しぶりの電話でmamaから言われた。 自分(mama)が年老いてきた今、子育ての事で あの時ああすれば良かった、こうすれば良かったと思う事が

          もう御指導はいりません

          祖母のコントロールはいりません

          あいかわらず、わたしはヘタレだ。 mamaの言動に納得いかなくても反抗できない。 情けない大人。 ヒステリーを避けるための防御ばかり。 昔からそんな感じ。 自分の逃げにも嫌気がさすけど やっぱり面と向かってやり合う気力もない。 mamaは、孫たちの進路に口を出したがる。 きょうだいの子供のことも。 そして、わたしの子供の進学には 陰でいろいろ言って、わたしに言わせようとする。 孫には直接いわず わたしを通して孫をコントロールしようとする。 受験先は〇〇がいい。そうなさ

          祖母のコントロールはいりません