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ACT.86『飛ばせる線路』

石勝線、再び

 追分駅に戻ってきた。列車を待機する。
 南千歳方面に向かって札幌方面に戻るのがこの旅の現状の締めくくりに相応しい…状況であるが、時刻表を確認してみると新夕張方面に1本の列車が見えた。
「少し乗車して、1駅か2駅先で下車すっか」
そうした思いで、駅に入る釧路方面の特急列車を待機した。

 やってきた列車に乗車する。キハ261系1000番台による特急列車、おおぞら/9号である。
「ま、ちょっとだけやしえぇかな」
そうした思いで乗車すると同時に、
「帰って来れたらえぇんやけど」
の不安な気持ちが胸を打つ。不安になるなら最初から乗車しなければ良いだけの話を。

※先ほどまで、道の駅あびらD51ステーションでその姿を観測したキハ183系おおぞら。現在のキハ261形と比較すると、その差は歴然である。

飛ばせる線路

 石勝線は、昭和61年に開通した北海道の交通網を劇的に変えた鉄道路線である。…とこの事に関してはこの連載内で大きく何度も記しているので、記事の追っかけをしてくださっている方には必要不可欠な話だろう。
 おおぞら9号に乗車。ググンっ…と加速するようなディーゼルサウンドを耳に入れると、列車は早速走り出して行った。キハ183系時代に蓄積された瞬足の特急史は、既に最新鋭のキハ261系1000番台によって新たなフェーズに突入していった。
 乗車してしばらくその加速に体を傾けてゆったり着座していると、車掌が車内巡回にやってきた。自由席に座っている乗客に、少しづつ声を掛けてゆく。自分の順番が回ってきた。捻り出した思考で解答する。
「どちらまで行かれますか?」
「…新夕張まで。」
「はい、わかりました〜。」
なんとかクリア。それでは乗車していこう。

※追分付近で室蘭本線と並走する石勝線。石勝線の開通によって、それまで滝川を経由していた優等列車たちは軒並み石勝線経由に回され、道東の交通活性化に奔走した。

 石勝線の走りは、移り変わってかわっいくもの…というか、なんと言うのだろう。非常に単調なものだった。
 スノーシェッド、分岐器を保護するトンネル。そして高規格に設定された瞬足を維持する環境。石勝線がとにかく所要時間の短縮。いかに山をブチ抜くかという事に情熱をかけたか、思い知らされる。
 石勝線は昭和56年に開通した。
 この5〜6年前には蒸気機関車が追分ではラストランを実施し、人々に惜別の挨拶をしていたのだから考えてみれば少し驚きかもしれない。
 現在乗車している石勝線の追分〜新夕張はかつて、石勝線ではなく『北海道炭礦鉄道』が室蘭方面に石炭を運炭する為の鉄道線として明治25年に開通させている。
 石勝線のように、道央・道東を貫いて札幌都心を目指す構想は既に明治の年代から存在していたものの、実際に工事が着工されたのは昭和の年代に突入してからであった。
 それまで、山岳を鉄道で貫く技術がまだ確立されていなかった…という事に理由が挙げられる。石勝線はこうした運炭に向けて敷設された線路を編入。そして後に開業する南千歳〜追分・新得〜占冠での工事を実施し、この2つと明治25年に開通していた路線を整備・編入して石勝線が誕生した。
 ギュウウウウウウン…ゴワァァァァッ…
 キハ261系1000番台のエンジンサウンドが響いている。あっという間に、新夕張に到着した。

衝撃の『攻め』

 新夕張に到着した。
 かつては紅葉山駅として呼ばれていたこの駅も、現在ではすっかり石勝線の中間駅として新夕張の名を背負っている。
 次駅、占冠…の下に、何か伏せているステッカーが見えるのが分かるだろうか。
 実はコレ、既に廃止になった『夕張支線』の痕跡なのである。かつてはこの先に、夕張駅までの16.1キロの支線が伸びていた。明治期には本線として追分までの石炭輸送に貢献した本線であったものの、石勝線開通に伴って本線の座を石勝線に明け渡し、最終的には支線として廃止を迎えた。
 夕張支線の廃止…は大きな話題を当時呼んだ。
 平成28年。JR北海道は『JR単独では維持困難な路線』を同年の秋までに発表する事を発表した。
 その中で、夕張市は大きく動いたのであった。
 この年の夏、夕張市は『地域交通整備への協力』を条件にして、JR北海道に廃止を進言した。
 通常、鉄道を維持していく事に全力を捧げる自治体からの廃線要請は、異例な『攻めの廃線』として当時の話題を呼んだのであった。
 そして、両者は平成30年に『持続可能な交通体系』再構築に必要な費用として7億5,000万円をJR北海道側が出資する事で合意した。
 時はそこから経過し、夕張支線は平成31年3月31日(届出は4月1日)に廃止され、平成最後の廃線となった。翌日以降はバス転換され、夕張支線は令和の新たな時代に向かって『持続可能な交通機関』への足取りを歩んでいったのであった。
 明治期から炭鉱に貢献し、鉱山の閉山と共に下火を迎えた鉄道の残り香が、この白いステッカーの中には残されているのである。

 新夕張で下車した後、ディーゼル機関車の唸りと貨車の動力が行き渡るあの独特な
「ガチャガチャン!!」
という音が聞こえた。
 DF200形機関車の牽引する貨物列車だ。
 そのまま札幌方面に向かってゆったりした加速でトンネルの方に向かって消えていった。
 機関車の顔を撮影したかったが、下車後の拙い記録としてこうした情景しか撮影できなかった。
 だが、この写真はこの写真として石勝線が特急・貨物列車の動脈としての貢献。旅客・荷物共に交通の街道になっている事への貴重な証拠写真として良いものが撮影できたとして割り切ろう。
 山の中に消えていく貨物列車を見送り、自分は新夕張の駅を少しだけ見て回る事にした。

真実

 乗車した特急/おおぞら9号を見送った写真だ。
 横に停車しているのは、新夕張止まりの普通列車である。石勝線を南千歳⇄新夕張まで走行し、普通列車としてのんびりした時間を高規格な路線で過ごしている。
 このようにして、普通列車と特急列車の並ぶ様子が撮影できるのはこの新夕張とその先、新得〜釧路までのみだ。
 実は、この先は北海道の鉄道旅の中でも指折りの難易度を誇っており、もう少しだけ特急で乗車していれば危ないところであった。札幌に帰れなかったかもしれない。チキンレースを自分に課していた事になる。
 石勝線は、普通列車が南千歳〜新夕張までしか走行していない路線になる。
 つまり。この先。占冠・トマム・新得…へは特急列車でしか行けないのだ。その為。青春18きっぷのシーズンでは特急列車にそのまま乗車が可能だ。こうした事情を見ていると、乗客の為…と言うのか、とにかく山を切り裂いて鉄道の所要時間短縮を狙った鉄道のように感じる。実際はどうなのだろう。

 新夕張では、丁度『北の大地の入場券』を発売している駅であったので、駅の改札に向かってみたのだが残念。あともう1時間早ければ、購入が出来たのだが改札…窓口は閉まっていた。夕方にはもう既に店仕舞いする早い駅である。
 そのまま、横に停車している南千歳方面への列車に乗車。そのまま南千歳で下車したが、既にもう日は暮れていたのであった。
 新夕張から先、高規格に整備された鉄道とあって、走りは抜群であった。普通列車であっても、とにかく風を切ってビュンビュンと走り去る姿が車内から見ても感じられるくらいに爽快であった。こうした路線なら、気動車であっても運転士は非常に誇らしく余裕を持って車両を操縦できるのだろうなと考えてしまったりもした。
 さて、既に夜の帷も降りて更けてしまったこの時間。どうしようか。
 キハ150形を、石勝線の終着駅である南千歳で降りた時、自分の思考はプラプラと彷徨っているだけであった。

そんなはずは…?

 石勝線を下車し、そのまま千歳線に乗車した。
 函館本線、快速/エアポート。新千歳空港から乗客を満載し、車内はスーツケースや大型荷物、乗客で溢れていた。そうした中である。乗車中。北広島駅周辺を走行している際にイベントが発生した。
 写真がそのイベント発生時の様子である。
「お客さまに、ご案内いたします。ただいまエスコンフィールドHOKKAIDOにて、花火の打ち上げが行われております。」
なんとも良い時間に偶然、乗車したモノであった。
「これが新球場か…」
そうした事を思いつつ、快速/エアポートでの時間を楽しむ。まさかこんな場所で夏を感じるなんて。

 カメラはポンコツ、技術は三流とあまりにも力のない非力な機材で撮影していたので、本当に外で爆発が発生したのかと思うレベルでの酷さ。
 実際、自分は立って乗車していたので、少し屈んでようやく花火が見える状態であった。
 しかし、こうした破裂だけで花火として認識してくれるのだろうか。その中に一抹の不安を感じるのだが。
 爆発四散したロケットのように見えるかもしれない。南無三…

 コレなんかもう1番酷いだろう。立って乗車×ポンコツ機材ではこうした写真しか撮影できないのが関の山なのである。
 しかし、気になった事がある。
「どうして花火を打ち上げているのだろう?」
この日、エスコンフィールドHOKKAIDOはデイゲームで日本ハムvsオリックスの試合が開催されていた。それなのにどうして夜間に花火が打ち上がっているのだろうかと。
 調べてみた。

 結果。
 この日のエスコンフィールドHOKKAIDOでは、『ファイターズ超花火大会』として6,000発の花火を19時45分頃から打ち上げていたらしい。(乗車日は7月29日)
 しかもこの日は、エスコンフィールドHOKKAIDOの機能をフル活用したと言っても良い
『ルーフオープンデイ』
として屋根を開けていた。そうした中で、エスコンフィールドHOKKAIDO付近の学校施設である『北広島高校』のグラウンドを借りて、その場所から花火を打ち上げていたようだ。
 なお、ファイターズ公式YouTubeでの配信もあったようでこの日はまさかのお祭り騒ぎな状態の新球場に遭遇したというわけであった。

 球場ロゴ。
 当然の事ながら、NPBの12球団内では最も新しい球場である。
 日本ハムが札幌ドームから脱却し、ボールパークとしての粋を全て詰め込んだフィールドである。
 今回は日本ハムの試合を観戦しなかったが、また次回はこの球場を目当てに行ってみたいとロゴを見て思わされた。
 それにしても半分中腰体制での撮影は疲労に来る。
 日本ハムというチーム、オリファン的には伏見・山崎福・黒木と猛牛要素が濃いので充分に球場行くだけでも観戦の甲斐はあるんですよね()

帰りたくない人間・寒天

 札幌に向かって乗車中。上野幌を出て、新札幌駅に到着…?して?ない?
 ちょっと未練があって訪問。どうしても札幌市営地下鉄は東西線の撮影がしたくて、この駅で降車したのでした。
 そのまま、高架下を潜って地下駅に。札幌市営地下鉄の東西線・新さっぽろ駅で少しだけの撮影に興じる事にした。

 どうしても、南北線だけではなく東西線の8000形が撮影しておきたかった。
 南北線を走る5000形は角張ったデザインの車両。しかし、東西線を走る8000形は丸みを帯びた車両。
 登場は平成11年と自分とは一応ではあるが『同い年』に当たる車両である。東西線に乗車中、車内の銘板にて『川崎重工 平成11年』の銘板を見て親近感を感じて以来、どうも撮影したい欲が止まらず下車してしまったのだ。(誘惑に弱すぎる
 写真は、ホームから何とか撮影した引き上げ線に停車する様子。
 このまま再び転線し、ホームを移動して宮の沢駅へと折り返していくのである。
 果たして、誘惑に振られた寒天の運命は…?
デュエルすたんばい!!!

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夏の思い出

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