見出し画像

ACT.70『我が家のような』

旭川への帰還

 夕方の時間。18時になろうとする時間帯に乗車したキハ261系『はまなす』編成での長い長い旅路を終了し、自分は富良野線ホームに向かっていた。
 ここから、富良野線の最終近い列車に乗車し、再び先日のライダーハウスよろしく(アレはそうなのだろうか)、同じ駅に向かう。
 予約している時点でも
「宿の最寄りが偶然とはいえ、同じ駅なのは奇跡だな」
なんて思いつつ、予約の電話を札幌市近郊で入れたのはかなり前の事だった。
 安平町・追分で宿泊した際に丁度、徒歩宿ネットワークの冊子を貰っていた事が好機になった。
「いくら旭川が繁盛しているからといって、ここまで宿泊客は来ないだろう」
という安易な気持ちで電話を2、3回入れた後、奇跡的に部屋が取れた。
 旭川を離れ、名寄を介して音威子府へ。そして音威子府での宿泊を終えてその後、自分は稚内に行ってからの再び同じ列車に乗車する。何の奇跡が起きたのかは分からないが、何故か富良野線に特別な我が家の匂いを感じるようになっていた。

 富良野線にて乗車していくのは、既に旭川近郊で勢力を拡大しているハイブリッド気動車・H100形だ。名寄までしか入線せず、そして名寄より先ではキハ54形のスレンダーな車体ばかりに目が慣れ、そしてあの贅沢な設備にうっとりしていたのかH100形久しぶりの遭遇は、何か目を覚ましたような気持ちになった。再び闇夜の中、よろしく。
 車両の乗車率はかなりのものであり、自分が乗り換えて車内に入った際には空席も埋まっており微かな優先席が残されるのみであった。そのまま空いているロングシートに着座し、また我が家のような運命の駅に戻っていく。車内は賑やかな装いで、旅をしている自分が少し浮世離れした感覚にさせられる。
 訪問した時期は富良野地区の最たる稼ぎ期、ラベンダー観光シーズンだったのだが、それでも乗車した時の時間帯では全く乗客の装いも異なる。生活住民を多く乗せた列車は、静かに重々しいエンジン音を奏で停車していた。

 車内で待機していると、列車の入線放送が聞こえたのでそのまま向かいのホームでカメラを構えて待機する。
 同じく、H100形の2両連結の列車だ。
 何処から来た列車なのだろう。
 すっかり闇に包まれ、夜更けに電球色の温かさに照らされる旭川駅の建築美の中、2両のハイブリッド気動車が手を組み、激走の疲れを癒す。
 乗客を吐き出し、再び運転所に戻るようだ。

 連結面を近づいて撮影する。先代の国鉄時代から走り、北海道を象徴する気動車として現在も活躍する車両・キハ40形と比較すると別の意味で迫力を感じる。
 なんと言うのだろう。H100形は、ロボットのような筋骨隆々とした車体だ。連結面では、より一層その力強さ、聳える車体美を遺憾なく発揮する。
 これまでの国鉄形よりもずっしり思い車両だけあって。その威容はホンモノだ。
 軽く撮影し、眺めてそのまま自分の目的地に向かう美瑛行きの普通列車の車中に戻った。
 再び、富良野線の闇夜をひた走る旅路が始まる。

遅くまで、すいません。

 ハイブリッド気動車の軽快な走りに、時々ウトウトしながら揺られる。宗谷本線をフル体力で疾走したからこそ、、その疲れが今来ているのだろうか。
「そういや今日、全然充電器に頼らんかったな」
充電環境が充実して居たからこそなのか、全く周辺機器だけで事足りてしまった。結果として、今自分が触っている端末はフル充電状態だ。端末上部の右にある電波横の電池アイコンは、まだ満充電に近い状態を維持している。
 さて、そんな中で暇つぶしに困らなくなった富良野線の旅路。
「北海道なら雄大な自然美を楽しめよ!!」
と言われそうだが、それ即ち周辺には何もない事を同時に意味し、「日が暮れてしまえば何も見えなくなってしまう事」を意味してくる。闇に閉じこもった富良野線の車窓は、何も見えない。このラベンダーシーズンでは観光列車『富良野・美瑛ノロッコ号』なるものも走行しているが、全くこの時間ではそんな列車の魅力である景観も形なしだ。
 旭川の高架を下って、神楽岡に停車。そして、西御料・西瑞穂・西聖和と西の単語を冠する駅を3駅連続で掠めていく。
「これ初見やったら大変やな…」
と思いながら、時間が巻き戻ったような時間を車内で越すのであった。
「あとどんだけ、西の付く駅があんねやろ…」
とかも思いながら。
 そして巻き戻して行動しているかのように、自分は宿の最寄り駅である千代ヶ岡に到着した。
 ちなみに完全に気になっただけなのだが、列車の乗客には訪日の中華系の観光客が数人のグループで乗車していた。
 そのまま、同じ闇夜深まる千代ヶ岡で下車したのだが、一体何処へ行ったのだろう…。未だに気になって仕方ない上に、
「こんな時間でも乗車しているのか…」
という驚愕を感じた。

※千代ヶ岡下車の最初の時、宿に向かうまでの間。連載記事の中にもこの画像と全く同じものを掲載したが、こんな状態で周辺には全く何もない。本当に1歩を踏み出すのに恐怖を感じるのであった。皆さん、慎重に!!

 いいですか。皆さん。
 コレは本当の事です。本当に駅を降りてスグ、こんな景色があるんですから。
 と、千代ヶ岡で下車をしてから宿に向かって歩いていく。
 周辺には駅以外の電灯が殆どなく、方角によっては周辺何もない状態でこうして画像のように真っ暗な中を進んでいく事になる。
 街中、東京に大阪での注意喚起として、
『歩きスマホ、危険です!』
の注意喚起があるように思う。
 しかし、ここまで真っ暗だと周辺にあるブルーライト…を懐中電灯の代替手段として使用したくなり、結果的に端末に手が伸びてしまう。
 満充電の時間を大半過ごした理由が、ここで大きく生かされてきたのであった。端末はアチアチの状態だったのだけど。(あかんやん)
 少し歩いて、宿泊予定の宿に到着した。
「あ、ここかな…?」
その予感を確かめるようにして、端末のマップアプリと睨めっこ。
 そうしている間に、宿のスタッフらしき方が出迎えてくれた。
「ホンマにすいません!遅くなりました…」
第一声は、この謝罪の言葉であった。本当に夜遅く、こうして立って自分の事を出迎えてくれた事に罪悪感を感じる。
「いえいえ、疲れたでしょう…」
そうして、宿の門戸を叩いたのだった。

※宿舎のロビーには、『宗谷岬』の訪問証のようなものが大量に飾られていた。ライダー利用が多いのだろうか?それともオーナーの趣味?

憩いの場所へ

 そのまま荷物を置いて、規約書などにサインをしていく。代金を支払い、自分の寝泊まりをする区画に向かった。定番のドミトリー式ベッド。
 宿泊した宿は、今回は家庭感を思わせる間取りと、若干の豪邸らしさを思わせる宿だった。
 宿舎内には大きなシャンデリアがあり、伝っていく階段を登っていくとシャンデリアの照らす灯の威容を感じられるのであった。
 伝う階段を登り、何戸かある扉のうちの一角に、2段式ベッドを並べた簡素なドミトリーがある。今回はそのうちの1角に宿泊だ。
 既に自分の訪問時間というのは完全に遅れている状態…であり、既に宿泊の人々はロビー?というのか1階のリビングで寛いでいた。
 暖かそうな1人用のソファーまであり、本格的な至れり尽くせりの状態になっており、羨ましいばかりだった。
 遅れて階段を降りて、机を囲んでいる中に混じると、ようやく休息の時間を過ごせる安心感を感じた。というか稚内からここまでの帰還だけでも忙しなさすぎるというのか、落ち着いてられない。
 そんな宿舎のリビング内には、コルクボードが架けられている。中には『宗谷岬到達証』だったり、JR北海道の『我が町ご当地入場券』が飾られていたり。旅のモニュメントのようになっていた。
「コレはバイクで行かんと貰えん到達証。色々種類があってな…」
「宗谷岬から今日来たんですけど、こんなにあったんですね…」
「ん〜、種類はいくつかあるかなぁ…バイク限定とか、結構あるのよあそこは。」
 そして、リビングで机を囲んだ中の宿泊客に話を聞いてみると、何人かの宿泊客はバイクでこの地に来ているのだという。ある意味、この場所は中間地点というか精神のガソリンスタンドのような。そして休憩に丁度良い場所なのかもしれない。
 別荘のように。そして豪華な内装の宿舎内を眺めてから、消灯時間に差し掛かったので2階の宿泊場所へ。
 そして、自分は階段を降りる前同様に荷物整理をするとシャワーを浴び、眠りについた。
 ちなみに同じく宿泊となった旅人も相部屋状態になっており、さながらゲストハウスらしい空気になった。

これが北海道か!!

 翌朝。
 暗闇に怯え、ブルーライトを恐る恐る照らして歩きし道が嘘のように自然満点の朝を迎える事になった。
 写真は宿舎内オプションの朝食だ。宿泊客全員に、トーストと飲み物のサービスがある。自分は紅茶を選択した。確かあと、コーヒーがあったような気がする。
「おはようございます…」
と改めて宿のスタッフ・オーナーさんに挨拶。どうやら夫婦経営のようであった。2人だけで営業しているのだろうか。
 リビング内、窓から差し込む日差しにウットリしつつ、自分でパンを焼いて食していく。カリカリ、サクサク。美味しい朝を迎えたのであった。ここずっと、何かと切羽詰まったような朝ばかりを迎えているような。
 内臓に染みていくのを、たっぷりのバターを塗りつけたパンを食して感じていく。やはり食べる場所も、食事柄大事なのだろうか。

※人気旅バラエティ、『水曜どうでしょう』で全国的な知名度を高めたHTB北海道テレビ。北海道の朝日系列の番組を担っており、北海道の生活の一部として今日も道民に支えられ、道民を支えている。

 宿内リビング。その部屋の中で一際目立っているものがある。
 大型のテレビだ。最近、よく家電屋で陳列されている巨大なテレビが実際に家庭環境で作動している様子を、恥ずかしながらこの時はじめて見たような気がする。我が家で使用している10年ものでも、画面は小さめだしそこまでの大きさはない。
 そのテレビでは、北海道6chのテレビ局、HTB北海道テレビが放送されていた。
「HTB!コレ北海道来たら見てみたかったんですよ〜!」
「おぉ?そうなん?」
「水曜どうでしょうの放送局として関西で見てましたが、実際に北海道で放送されているところを見てみたくて…」
「あ〜、そうやなぁ、でも普通のテレビと何も変わらへんよ?」
「本当にONちゃんがロゴなんですね…新鮮です…」
ここまでして食い入るように北海道のテレビを見る人も、、観光感覚で視聴する人も少ないのではないだろうか。自分のリアクションにはなるのだけど。

※HTB北海道テレビのマスコットキャラクター、『ONちゃん』。看板番組である『水曜どうでしょう』ではTEAM NACSより派生した人気俳優・安田顕が中に入り様々な芸を披露した。現在でも全国に出張する。写真は京都で水曜どうでしょう出張イベントがあった際に撮影したもの。

 朝にHTBで流れていたのは、(以下、HTBとする)関西でも同じようにして情報番組だった。関西圏・東海圏で朝時間帯の民放情報番組を視聴する事がない自分にとっては新鮮な体験だった。
 その中では、HTB公式YouTubeチャンネルでもお馴染みの『ONちゃん体操』も実際に札幌市の街頭中継で放送されており、夏休み時期だったのもあってか多くの賑わいを画面上で見せていたのだった。
「おぉ、ONちゃんが北海道で実際に活躍している…!」
朝の単なる道民の生活ツールに、ここまで興奮している人間も中々居ないのではないだろうか。
 そして、今や北海道の顔にまでなっている日本ハムの試合ハイライトも放送されていた。
 試合では中日よりトレード移籍した入団会見で立浪監督からの重圧より解放され闘う顔を見せた郡司選手の活躍で久しぶりの試合勝ち越しを決めたという内容であった。
 試合は楽天生命パーク宮城でのビジター戦であり、途中に小深田にソロを。フランコに2ランを打たれたのであったが途中、加藤豪が反撃の狼煙となるソロを放つ。バッテリーは北山-伏見にて始まり、昨年まで(当時は令和5年)オリックスで活躍を残し、連覇に貢献した伏見の活躍を北海道のメディアで見かけ安心した。その後、福田俊・山本拓…と続いて最後を締めたのはロドリゲスだった。試合後のコメントでは北山選手が野手への援護の感謝を述べており、大きく得点をする事の出来た1試合であった。
 肝心の闘う顔で今なお活躍する郡司選手の活躍は、打席で2安打を放ち、そのうち2回に放った中2の安打ではタイムリーで得点に貢献している。
 日本ハムとしては大型の連敗が継続した中で久しぶりの勝ち越しの1日。そして野手の機能が上手く回転し、節目の試合となったようである。
 テレビの話に戻るが、テレビでは試合のハイライトが流されゲームレポートが放送された中、日本ハムの中で仙台に因んだ郡司選手の経歴にも触れた。
 郡司選手は仙台育英高出身の選手。母校の令和5年夏の甲子園出場の中で、母校出身者として古巣で大きな躍動を見せた事。そしてヒーローインタビューが流されていた。
 自分は麗かな日差しを浴び、連覇に貢献した扇の要の姿。そして中日から移籍し闘う顔で貢献する郡司選手の勇姿をぼんやり観ていた。

ラベンダー見ずとも

 リビング内で放送されていたHTB北海道テレビの情報番組を軽く視聴した後、自分は次の旅に向かって準備をした。
 北海道滞在もあと少しに迫ってきた。今日は石北本線に乗車し、一路旭川を少しだけ離れていく。
 写真は宿泊した宿舎の様子である。住宅のように見える外装をしているが、実際に入館してみると都会暮らしから離れた癒しの別荘といった感じに落ち着いた空気を醸し出しており、居心地が良かった。
 周辺には食料がないので、急に空腹になった時や胃の中にぼんやり何かを収めたい時には少し窮屈な場所かもしれない。しかし、近所にコンビニなどのない時間を1夜だけ越すのも良いだろう。
 この宿舎では、夜の時間帯に予約制のバーベキューを開催している。自分が訪問した際には既にそうした時間を回っており、夏の冷涼な(といっても暑いのは暑い)環境での自然下贅沢晩ごはんにはありつけなかった。
 宿舎を発つ前に、まずは軽い挨拶だけ…と思ったのだが、スタッフさんがまだ遅めの食事をしていた。本当にコレばかりは申し訳なかったのだが…
 そんな中、自分の旅立ちを見送ってくれた。
「また来ますので!!」
そうした言葉を投げ、再び旭川の駅に戻っていく事になった。
 ちなみにここだけの話になってくるが、なぜか宿舎の中では使用されているティッシュの箱が札幌市営地下鉄の開業記念ティッシュだった。自分の部屋の中には南北線の初代車両のティッシュ箱が。そして(確か)リビング内には東西線の現行車両の箱が置かれていた。一体何故この今まで残っていたのだろうか…?(道内滞在中に買える可能性に賭けたのだが販売は既に終了していた)
 再び、行く時は暗かった道の中を歩いていく。
「こんなにも綺麗なのか…」
自然美がと、北海道らしいずっと続いていく直線の大通り。車の走る音だけが耳に入り、狭い白線で仕切られた歩道の中を進んでいく。
 千代ヶ岡の駅に戻ってきた。全く近い…時間の列車で旭川駅に戻っていくのも、この旅の奇跡だった。

 朝、千代ヶ岡の駅舎の中は薄暗い。夜中の煌々とした光に照らされし恐怖を煽ってくるようなあの雰囲気も怖いが、何か朝に訪問しても少々不気味な気持ちにさせられる。
 そういえば。
 宿舎内に飾られたコルクボードに、観光列車『富良野・美瑛ノロッコ号』の時刻が掲出されていた。自分は乗車しないのだが、この列車もこの日は運転日である。
「もし、時間の都合が合うのなら撮影しておこうかなぁ」
と思いながら、宿舎を出て淡い気持ちで列車を待機したのだった。
 列車の時間が接近すると、千代ヶ岡の駅には何人かの乗客が顔を覗かせた。再び、H100形に揺られての旭川駅への旅路だ。

 乗客は、少し前の千代ヶ岡から乗車した列車と比較して、今日は生活住民。そして観光の乗客が多いように見えた。まさか自分も、同じ旅路の中で同じ駅を最寄りとする宿に宿泊する事になろうとは予想外だった。
 前回に乗車した列車では車内に多くの乗客…地元高校生らしき乗客たちで溢れ、車椅子スペースに屈んで雑魚寝する学生たちも居たのだが…
 そうした利用客たちの姿を見てから、今回の観光層な乗客たちを見ると
「そこまで混んでないな」
と穏やかな気持ちにさせられる。
 さて、ラベンダーは見ずに。泊まるだけの富良野線との別れである。2回、奇跡のような立ち寄りを見せた富良野線の旅路は美瑛に訪問する事すらなく終了したのである。

この記事が参加している募集

夏の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?