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ACT.48『いらんからぷて。』

北海道公用語?

 最初にタイトルを見て困惑された方も居るかもしれないので解説。
 この言葉は、アイヌ語の言葉で
「こんにちは」
という意味の挨拶である。普段は聞き慣れない言葉だが、北海道。そしてJR北海道の列車に乗車しているとこの言葉での挨拶を多く耳にする事になる。
 最初にこの挨拶を(しかも大橋俊夫さんの声で)聞いた時には爆笑寸前になるかと思ったのだが、非常に北海道では標準的に使用されているようだ。
 特に、この自分が今いる白老という場所では。
 この白老はアイヌの民族共生空間が駅周辺にあり、そしてアイヌのテーマパークの建設もされている。アイヌに関する事を触れて学べる場所として北海道内。そして全国にその名を轟かせているのである。
 さて。最初の写真だがこの写真は白老駅の跨線橋から撮影したモノである。この跨線橋から、目的としている鉄の機械が姿を見せている。

白老アイヌまで

 目的の場所に行くまでに、様々な写真を撮影していた。写真が順不同になっていたのでタイトル付きで急場を凌ぐが、白老の発車標には普通列車が電車だとこうして『737系で運転』と職人技で表記され新型車両の宣伝に買っている。しかも側面のピンク色まで示しており、その気合の高さは充分だ。こうした事からも、JR北海道はどのような威信をかけて737系の導入に踏み切ったかが分かる。
 そして、この改札の付近ではNHKのローカル放送局ブースとして2台のテレビが地域の情報発信をしていた。
 片方はNHK総合の北海道情報を。もう片方はBSの電波(4Kだったか?)を傍受しており、この時はBSの電波で宇宙の神秘のようなモノを放送していた気がする。
 そしてテレビブースの近くには観光案内のスペースだ。自分が訪問した時間では間に合わなかったか、既に閉鎖されている。しかし、木の温もりやアイヌ衣装の映されたポスターなどを見るとアイヌの場所に来たのだと感じた。

 最初、鉄の機械の居場所が分からなかったので地元の会社の人に場所を聞いてしまった。すると、
「跨線橋を渡った反対側」
と告げられ反対側に。
 と、反対側に上陸して撮影した写真。何やら古文や古語の発音を想起させるような書き方をしているが、コレが正式な『イランカラプテ』だというのか。
 しかし自分の中では脳内で勝手にJR北海道自動放送の主、大橋俊夫先生が読んでいる姿しか想像が付かず笑いそうになる。…至って真面目な看板なのだろうけど。
 そして、赤い矢印が指し示す『ウポポイ』というのが白老のアイヌに関するテーマパークだ。この場所に行けば、更に北海道とアイヌを探求する事が出来る。
 と、この律儀な電柱を越えて歩いていくと草むらの囲まれた中に目的の存在を発見した。

アイヌの存在と暮らす蒸気機関車

 自分が白老に向かう、と多くの人にこの話を告げた時、多くの人は
「ウポポイ?」
と北海道を満喫するであろう姿勢で聞いてきた…が自分の目的はそこではないのだ。
 この蒸気機関車である。ウポポイの近く、白老駅の北広場にD51-333が保存されているのだ。この蒸気機関車を見たく、白老での下車をしたのである。
 蒸気機関車は見た感じ、綺麗な厚塗り塗装で気持ち良い姿だった。北海道独特、切り詰めのデフレクター(煙除け)が聳え立つ。

 何度も示しているが、この近くには『アイヌ民族共生空間』としてテーマパーク『ウポポイ』がある。アイヌの存在とアイヌの歴史、生活などを現在の日本に伝承する場所でもある。
 そして、そんな場所の近くに333のキリ番号を付けた蒸気機関車D51が静かに眠っているのだ。写真は、そんな白老の象徴でもあるアイヌの看板と併せて撮影。
 このD51-333はかつて、この白老の駅から離れた公園の『ポロト公園』にて保存されていた蒸気機関車だ。しかし、平成20年に白老駅北口の公園に移設されて保存され、現在の位置となっている。

 この蒸気機関車、D51-333の前には説明書きのプレートが記され置かれている。
 しかし、この説明書きの方も調査してみると『実際には異なる』との記述もあり、個人的に調べて出てきたものを記していく。
 走行距離は8万キロ…との計上がなされており、この走行距離に関しては正確に計上されているようである。しかし、実際にはどうだったのか。蒸気機関車の所属区などを転属歴を記したサイトから判明した履歴を掲載する。
 まず、このD51-333が歩みを始めたのは追分機関区だ。昭和15年の事である。この時はまだデフレクター(煙よけ)に関しては標準装備のままで、切り詰め状態ではない。
 そして、動きが始まったのは昭和24年。函館に転属している。しかしこの間にも何か動きがあったのだが、書類でも不明なままだ。
 昭和29年。同機にとって1つの転機を迎えた。
 キャブの密閉化だ。キャブとは、蒸気機関車の運転台にあたる場所。この場所を、厳しい北海道での活躍に備えて密閉化して閉じ、更なる北の大地での活躍に備えた。
 そして同じ年にはお召し列車を牽引。函館から大沼までの戦災復興に行幸された天皇皇后陛下を乗せて走行した。
 このお召し列車に関しては、別の日に同じ戦災復興行幸として大沼から長万部までも牽引。花形の機関車として名を残した。
 その後は函館で休車生活を送った。
 動きがあったのは、昭和34年。この時期に苗穂工場で旋回窓と運転室の北国仕様がなされた。さらにこの北海道での生活を極めていくようである。
 昭和39年。函館から五稜郭に転属した。既に本州は東京でだと新幹線の開業であるが、北海道では蒸気現役の時代である。
 昭和42年。岩見沢に転属した。まだ現役である。しかしこれでは終わらない。
 昭和43年。岩見沢から小樽築港への転属。この時期に北海道仕様として『装備品』を授かっている。副灯と切り詰めデフレクター(煙よけ)だ。この333号機では折れているが、北の大地を生活する蒸気機関車にはなくてならない装備品である。切り詰めデフレクター(煙よけ)は垂直に聳え立っているが…
 昭和47年。始まりの大地であった追分に里帰りしている。このまま走り抜き、翌年の昭和75年に廃車扱いとなった。そして白老町に保存という状態…である。
 かつては白老町のシンボル、ポロト湖の湖畔公園に保存されていたというのはこの看板にも記されているように、だ。

 さて。ここではそんな道産子蒸気として昭和40年代の晩年期まで大活躍したD51-333の気になる部分を見ていこう。
 まず1つに、密閉キャブがある。この密閉キャブは、北海道の大地を走行する際の必須装備として。凍てつく機関士たちの最大の防護として導入された装備である。
 通常の蒸気機関車ではこの部分が解放されたりカーテンで覆われた状態になっているが、北海道で活躍した蒸気機関車や高速走行した蒸気機関車はこうした密閉型のキャブを装備しているのが特徴である。
 そして最後になったが、この白老のD51も部品の多さが目立つ蒸気機関車である。まずここに1つ、踏切の警報器があった。

 そして。『切り詰めデフレクター(煙よけ)』と前照灯横に装着された『副灯』である。
 この2つの装備も、凍てつく極寒の大地北海道での生存にあたり必要となってくる装備である。
 まず、切り詰めのデフレクター(煙よけ)。この部分を切り詰めておくと、北海道では機関車の除雪に対して大いに役立つのだ。作業効率を図って、このような姿が生まれたのである。
 そして、ひしゃげた姿として折れているのが残念だが、前照灯横の小さなライト、副灯。北海道の濃霧、雪でホワイトアウトした線路を走行する際にはこうした予備の電灯が必要不可欠であり、これは北海道の蒸気機関車に必要なものである。
 それにしても、北海道の蒸気機関車の手本とも言うべき完璧な姿で本当に感動した。ただ、本当に残念なのは見ても撮影しても感じたのだが副灯が折れてひしゃげている事なのだが…
 コレでは実際に何処を照らして走るというのだろう。

実際に比べてみよう

 と。デフレクター(煙よけ)を切り詰めていると話を既に進めているが、
「実際にこの蒸気機関車は切り詰めているのか?」
という事を写真交えて解説しよう。
 まずは白老、D51-333だ。この蒸気機関車のデフレクター(煙よけ)は改めてだが、除雪を対策した切り詰めのデフレクター(煙よけ)である。

 改めて、こちらは岡山県は新見のD51-838である。
 極力同じような向きにはしているが(探してみたが)、デフレクター(煙よけ)の板が少し新見のD51は前に寄っているのが分かるだろうか。
 コレがD51の持つデフレクター(煙よけ)の差であり、実際に活躍地域毎での差が存在しているのである。
 少し話が逸脱してしまったが、こうしてD51という蒸気機関車は全てが同じではない…なんて言われた程に形態の異形さを誇った蒸気機関車だったのである。

憩いの…場?

 この場所にいる、D51-333をもう少しじっくり見てみよう。
 前面を撮影した。
 前面に関しては北海道向けの副灯が垂れている以外、あまり目立った装備をしていない。尾灯などの装備もなく、蒸気機関車としてはどっしりと重厚感のある佇まいである。
 煙室扉の金ハンドル。そしてナンバープレートに煙室扉の蓋までしっかりと金の色差しをしているのも素晴らしい。この機関車は見事な装備だ。給水温め機の金装飾も立派である。
 そして、目立つのはもう1つ。雪の多い区間で活躍するために装備された雪かきの部品。スノープラウが装備されている事だ。
 コレは日本全国、雪の多い大地を走る車両の標準装備。加えて、北海道では標準装備でなくては走行も冬にはままならないのである。こうした武骨さが見られるのも、また北の蒸気機関車として素晴らしい美を持っている蒸気機関車なのであった。
 前面を撮影して思っていたのだが、蒸気機関車の横にある踏切の警報器は左右にあるようだ。撮影後に気付いたのだが、もう少し真剣に抑えておけばと後悔の念だ。

 D51-333の周囲は柵が高く張られており、機関車に接近する事が出来ないようになっている。
 しかし、機関車と地面とを繋ぐ階段のようなものが設置されているのを見ると、どうやらこの機関車には定期的な維持管理や機関車の乗車体験がなされているのだろうかと思う。
 また、柵には写真内の表記にも記されているように北海道の山の1つ。『樽前山』がペンキでアートされている。機関車回りを飾る1つの造形だ。
 綺麗な状態の機関車に、こうしたカラフルな柵が合わさり蒸気機関車の景観をより一層良くしている。この情景が、今後白老の拠点として、故郷の風景として栄えていきますように。

 この白老駅の北広場からは、室蘭本線を走行する列車を併せた撮影も可能になっている。
 少し無理矢理で分かりにくいかもしれないが、ピンク色の四角い物体が写っているのが分かるだろうか。その物体が、JR北海道の最新鋭電車・737系である。
 737系電車は今。令和5年導入の最新鋭の鉄道車両。そして、白老の駅広場で車体を休ませそんな後輩を静かに見守るD51-333は昭和15年の生まれ。
 実際に同じ線路に並んでいるワケではないが、写真上での共演で見たとしてもその年齢はなんと『84歳』の差にもなる。
 D51という蒸気機関車が誕生し、そしてここまで辿り着くまでに社会情勢は。そして鉄道は。どのような歴史や近代化への歩みを進めてきたのだろう。軽くは分かっていても、その1歩1歩を改めて反芻してしまう歳の差だ。
 今日も変わらず、D51-333は室蘭本線の列車たちを北海道の大先輩として見守っている。その頼もしい目付きを受け、737系電車は苫小牧方面に向け走り出していった。
 そしてこの白老駅北口の公園で遊んでいる子どもたち。
「ほほえましくていいな〜」
と最初は思っていたが、いきなり歌で
「はいはいあの子は特別です〜♪」
「我々は端からオマケです〜♪」
といきなりゲッターの歌を歌い出したものだから自分的に将来が不安になってしまう子どもたちばかりであった。

 うん。取り敢えずその推しの子というの…クラスか塾か分からないけど流行ってるのかい?やめた方がいいと思うんだけどなぁ…1話の衝撃展開で目をひん剥かれた人より
 と、コロナ禍自宅待機の弊害を感じたところで。
 このD51の番号、『333』について少し面白い話があるので話を入れておこう。
 まず、D51という蒸気機関車は大正時代製造の9600形が記録した製造台数、770両を突破してその更に倍。1,119両を製造した。
 その中には、この『333』のようにして番号が丁度良い『キリ番』という状態になっているD51が存在している。その中の1台がこの『3』で揃った白老のD51なのだ。

※愛知県知立市にD51-777が保存され、キリ番蒸気機関車として有名な存在になっている。コチラも綺麗な蒸気機関車である。

 その他には、愛知県に『7』で番号が揃った『777』号機が存在している。こちらは木曽方面での活躍で名を残した蒸気機関車だが、キリ番蒸気機関車として有名な1台である。
 この『770』という番号を突破している実績が実際に存在している事からも、D51がいかに使用効率が素晴らしく、実際にどれだけの効果を我が国にもたらしたのか、が分かる成果だ。

おみやと悲劇

 話は戻して北海道。
 ウポポイには行けなかったので、(そもそも休館日だった)蒸気機関車近くの施設(道の駅に近い場所)である『ポロトミンタラ』に向かった。
 この場所には、出迎えにポケモンの自販機が。この北海道ではご当地のポケモンが『ロコン』に指定されているようである。
 なぜ、ロコンが指定されたのかを調べてみると
・ロコンはきつねポケモンな為
・白いロコンであるアローラロコン(アローラちほう生息)は豪雪地帯生息の為
として、北海道のPRポケモンに制定されているようである。
 なるほどきつねか…!と思ったのだが、そもそもロコンがきつねであるのを自分は今まで知らなかった。ポケGOしているのに。

 というわけで。
 まずは施設・ポロトミンタラについて残そう。
 この場所では、自分の医療関係で世話になっている主治医の先生とワーカーさんにお土産を買う事にした。その1つが
・ムックリを引くアイヌの女性
のポストカード写真。コレに関しては、北海道の何処かから送ってその形で先に渡したのだが、コレに関しては更に先で登場する。
 そして、クリニックへのお土産として購入したのがこの『シマエナガ』のぬいぐるみだ。最初は『アイヌの民族置物』でおどろおどろしい空気を満載にしようと思ったのだが、予定を変更。(そもそもなかったので)シマエナガを手に入れたのであった。
 シマエナガに関しては入手し、京都のクリニックに渡した瞬間にワーカーさんから
「えぇ!いやぁかわいい!!!!」
ととんでもない反応を頂き、すっかり人気者になってしまった。
 まさかここまでと思わず、自分では爆笑である。あの時、純粋に可愛さ狙いでシマエナガにした自分は絶対に正解だったろう。
 そして、写真はないのだが自分用に
・ムックリ
を買って帰った。なんだかんだで室蘭方面はこの白老が1番大盤振る舞いしてしまったのではないかと思う。しかしここまで調子に乗る気もなかったのだが。
 ムックリに関しては1,000円近くの破格だったが、
「旅先で民族楽器を土産にしたい」
「アイヌらしい土産が欲しい」
の勝手な一心に動いたが、中々鳴らずに苦戦中である。

 しかしながら、施設の写真をあまり撮影ていない後悔も去る事ながらやはり、大きな後悔というのはこの施設が予想よりもかなり『充実』していた事にある。
 既に訪問時間帯が夕方過ぎていた事もあるが、このポロトミンタラ。充電設備がある他にカフェスペース。そして観光案内も兼ねており場所としては普通に半日以上が費やせる勢いだったのだ。…いや、半日は言い過ぎか。特急2本くらいは暇つぶしが可能な場所だったのだ。これが大誤算であった。
 結局、あとはウポポイ休館日と書かれた看板の横にある北海道野生動物ガチャを回して『イランカラプテ。』と記されたイルカの缶バッジを手にする。早速付けて移動開始だ。
 そしてもう1つ、ポロトミンタラに思ったのは施設のスタッフが楽しそうに勤務している明るさだった。何かそうした人間的に惹かれるものを見てしまい、少し電撃に撃たれた気持ちで白老のアイヌの風を浴びたのであった。

 すっかり白老を満喫したので、そろそろ南千歳に行かねばならない。ここで石勝線に分かれた先が今日の宿先なのだ。
「電車好きなの?」
「あはは、そうなんです…」
「ほら!!カムイだよ!!!」
走っていく子ども。そして去り際にはコケて泣く…という中々な微笑ましい光景を見てしまった。
「僕ここの蒸気機関車見に来たんですよ。」
「どちらからなんですか?」
「京都からですね。」
「えぇ!京都から…本当に好きなんだ…」
「ははは…もうそんなのばっか好きだから置いてかれて…」
しかし、本当に置いていかれたのは。本当に『ははは』と笑うべき場所は自分の過去ではなく。
 目の前を走り去っていったのである。

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