「毒親育ち」を書く理由を考えた

 「毒親育ち」というのを近年とてもよく見るようになった。私自身はその言葉にちょっと抵抗があって、というのも、自分がそうらしいのは重々承知しているのだけど、その認識に精神が追いつかないままなのだ。果たして、あの人達を「毒親」と呼んでいいのか。それは私の中で、十年以上前からの疑問点だ。私が阿呆すぎたせいではないのか、私が悪かったから酷く怒られただけで、そればかりを記憶しているだけで、本当は当時良く言われた通り、「立派」で「自慢」で「羨ましい」と言われるのに相応しい人達だったのではないのか。そういう疑問の言葉が脳内を駆け巡って私を責め立てる。逃げ出した自分が悪い。理想通りになれなかった自分が悪い。言い付けを守れなかった自分が悪い。酷く怒られても罰されても懲りなかった自分が悪い。そう思うことはとても容易なのに。

 「毒親育ち」という人の話を読むのは、嫌いではなく、寧ろ「ああ、これは親が悪いんだなぁ」と思うキッカケになるので、育児の参考のためにも読むことは多い。が、如何せんしんどいのは「だから嫌いでもいい」や「許さなくてもいい」や「親が嫌いです」「許したくない」という意見、感情を前に、私は自分の「嫌えない」「まだ認められたいのかも」「本当は好きなのかも」に揺さぶられて、とても悲しい気持ちになってしまうことだ。似たような目に遭ってしまった方が「嫌い」「許さない」というのを表記していると、まるで「嫌えない私が悪いのではないか」「許そうとしている自分がおかしいのではないか」という感情に支配されてしまう。「嫌いのままでいい」「許せなくていい」というのもまた同じで、「本当に嫌いのままでいいの?」「許さなくて平気なの?」という気持ちになる。毒親関連の記事は大体がそういう二択なのだ。徹底的に「嫌う」か「許す」か。その二択。私の中ではまだ処理できる問題ではなく、一時期、確かに「親が憎い」「早く死ねばいいのに」と口に出していた時もあったし、今も夫にだけはそう言うが、本心はいつだって違っていて、そういう言葉を口にするだけで、心がささくれてしまっていた。精神的な自傷だったのかもしれない。子供だった頃はもっと、切実に、「買い物に行った自分以外の家族全員が事故に遭って、訃報の電話が入らないかな」と願っていたけれど、それは実現することもなかったし、隕石も落ちず、ゾンビも湧かなかった。その名残は私の中でめきめきと育ち、そんなはしたない願いを所持していた自分はメンタル警察に逮捕された(自作自演である)のかもしれない。

 「お前は家族の死を願ったな」「はい願いました」「極刑に処す」的な。実家を飛び出して以来、あの家族の死を思うと出てくるのは罪悪感と自己嫌悪になってしまった。

 結果、実家を離れてからの方が私は両親を憎いと思うことすらできなくなり、「毒親」と呼ぶことすら辛くなるようになった。


 私が自分で毒親関連のブログを書こうと思った理由がこれだった、という思い出しで、改めて言葉にしてみた所存である。「私は両親を、特に母を嫌いになりたい」というのは本心だ。父に関しては嫌いとも好きとも言えない、というか、実家での存在が軽薄すぎて最早どうでもいいというか、どうとでもなるというか、過去の記憶と対峙しても、父のことは「好きでも嫌いでもなく、たまたまあれが父だっただけで、遺伝子情報をくれた、強がりで内弁慶で仕事が命だっただけの本当はしょうもない人間」みたいな感想にまとまってしまって、もう結論が出てしまった、みたいなところがある。会社に何年も務め、無遅刻無欠勤、真面目に働き、確実に地位を上げていく、という姿は私の理想であり、尊敬できる、いや、尊敬させて頂きたい面ではあるが、家庭に関してはダメダメな男で、いざ自分が結婚し出産し、夫を見つめながら父を思うと、「あ〜……」という嘆息しか出てこないので、多分、そういうことだ。(どういうことだ。)

 ところが母に関しては、本当に、本当に、どう処理したら良いのか、ほとほと困っている。思い出せば思い出すほど、母のことが理解できず、そして過去の自分を嫌いになっていく。

 おかあさんに嫌われる私が嫌い、という感じ。終始そうなので、毎日毎日自己嫌悪のお祭りが開催されていく。軽率に言うことを許して欲しいが、正直、マジで死にてぇな、と思う。自己嫌悪って心身が削られるのだ。でも肯定することもダメージがでかいので、本当に八方塞がりだ。どうすりゃいいんだ。

 親の話、家の話をすると、誰もが顔を顰めるので(ネットでは顔は見えないけど、返答に困らせてしまうのは分かるし、「そんなの有り得ない」とか「あなたは悪くない」とか言われてしまうので、上記の「おかあさんを悪く言わせた私が憎い」が発動してしまう)、文章にしては消去してきたけれど、これは私に対する客観的思考と視野を模索するためなのだ、と言い聞かせて、思い出した母に関する話、時々おとん、みたいに書いていけたらよいのかな、なんて思う。

 数多の人間の話を聞いてきたカウンセラーさんも、驚いたり、唖然としたり、絶句したり、急に怒り出す(私ではなく、両親に対して)ので、進んで話たくない気持ちはある。自傷画像や自殺報道が他者の精神に影響するというのも知っている、というか体感しているから、余計にかもしれない。なので、閲覧はお勧めできない。したくない。自己責任でお願いしたい。そう願ってしまう。

 私の中で何も解決できないまま、瘡蓋にすらならずにいる、この生々しい感情が、心底煩わしく、毎晩喉を掻き毟りたくなっている。これが数年、十数年、元を辿れば子供時代の物心ついた頃からなので、よくもまぁ普通に生きているものだと思う。心身の図太さを憎らしく思う。

 音信不通となった、あの家族、そして親族達と、いつか顔を合わせることがあるのか、今の私には分からないし、想像もできない。というか、したくない。疎まれていたことを再認識するのも怖いし、かといって、今更心配していたなどの言葉をかけられたところで信用はできず、だが振り切ることもできないだろうから、きっと後々泣くことになるのだろう、くらいなら理解できる。その時までに少しでも心の整理ができていれば、「嫌い」という感情を罪悪感なく持てていれば、

「あの頃の私を助けてくれなかった癖に」

 という心の奥底にしまいこんで、今も掘り起こしたくない感情を、きちんと受け止められるようになれるのではないか、などという希望的観測である。毎日毎日自分の死を願い、死ねなかったこと、生きていることを嘆き、隙あらば精神を摩耗し、身体機能への悪影響を試みるのは、そろそろ、疲れてきた。と言いながら、十年経ったけど。

 子供達への影響を懸念し、自傷行為は封印したままだ。その分の負荷は斜め後ろの声が劇的になったことと、マイナス感情へ落ちていくのが容易くなったことで、判る。これがあと何年続くのか。そんな今を「そんなこともあったね」と笑える日は果たしてやってくるのか、てんで検討もつかないが、それでも自分の血肉を分けた存在のためには尽きるまで消費する責務があるので、全うするために、少しでもマシなニンゲンになれるよう、努力したい。

 ダメ人間のまま、命を蝕む自分が、心底醜く思うので、いつか未来の私がこれを読んで笑ってくれたらいいなと、ちょっとだけ、思う。嗤う、ではなく、笑ってくれたら、と。

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