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”この靴は誰の靴?虐殺されたのは誰?” 〜ウクライナ難民取材序章〜

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”この靴は誰の靴?虐殺されたのは誰?”

その靴は人類に普遍の問いを投げかける。

しかし、人間は過ちを繰り返すのだ。

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”しょうは神にここに導かれた。神の祝福があるから、大丈夫だよ。幸せになる。そして、きっとまたここに来れるよ。”

その靴を見ていて、誰よりも優しかった。ユダヤ人の友のことを思い出した。

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2022年、2月24日世界のルールは一変した。

ロシアによる、ウクライナへの侵攻が始まったのだ。

多くの兵士、多くの民間人が戦果により命を奪われ、

かつて、美しかった街は灰色の焼け野原と化した。

2022年4月8日現在。戦争開始からわずか一ヶ月半。400万人以上の人が国内へ逃れ難民と化した。国内避難民も700万人を超えた。ウクライナの人口は4413万人(2020年)だ。ウクライナの人の4分の1もの人がこの戦争で故郷を追われたのである。

ある者は涙を流し

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ある者は平和と正義を叫び

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あるは者は失望した

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そして、無垢な子供たちは何が起きてるか知るはずもない

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そして、ある者は故郷、家、今までの生活、さらには最愛の人まで奪われた。(上記の写真はハンガリーのロシア大使館前で行われたウクライナの人たちによる抗議)

俺は同じ戦争により故郷を奪われた人たちの悲しみを聞いた事がある。

だからこそ、、、、、

俺が向かったのはウクライナ隣国ハンガリーの首都ブダペスト 。

2022年3月末時点で24万人以上のウクライナの人が隣国ハンガリーに避難していた。

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ブダペスト 西駅前、ウクライナ難民の方々へのボランティアの支援。暖かい食事の配給や宿泊する場所の手配、交通情報の提供が行われている

そんなハンガリーの首都ブダペスト 

ドナウ川沿いの街並みは真珠のように美しく、東欧の真珠と称されている

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ハンガリーの世界一美しいと称される国会議事堂

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そんな美しいハンガリーだが、今まで難民に対しては厳しい反難民の国だった。

”ムスリム(イスラム教徒)の侵略者だ!!””いかなる移民も望まない”

2020年には650万人にも達したシリア難民の人たちに対してハンガリーのオルバン首相は過去にこのように発言している。

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筆者がシリアの国境で出会ったシリア難民の子供の兄妹

しかし、ウクライナ難民に対しては全ての国境通過地点を開き、ウクライナ人だけでなく、学生などウクライナに合法的に滞在していた人々も受け入れ、帰国の手配も助けると述べている。国境付近の町や村でもボランティアなどにより、住民に献身的支援活動が行われているという話だ。一般のハンガリー人は難民に対して同情的だと報道されており、難民もグループや人種により扱いが違うのかと批判を受けていると報道されている。

”ハンガリーの人たちはとても親切よ。彼らは交通の乗り換え、シェルター、暖かい食事に、薬、情報提供や通訳まで幅広く助けてくれているわ。”

現にハンガリーで出会ったウクライナの女性(お母さんは戦争が始まり、避難するためにハンガリーを訪れ難民となっている)はそう語っていた。

しかし、意見というのは人により違うものだ。

現地で知り合ったハンガリー人の男性の意見はこうだ。(あくまで彼個人の意見だが)。

”ウクライナに対しては複雑だな。少しでもロシアへの経済制裁を緩めたら世界中からハンガリーが悪いと批判されるんだフェアじゃない!!今もハンガリーはたくさんの難民を受け入れているのに、ゼレンスキーは充分じゃないとハンガリー を非難するんだ。ハンガリーとウクライナは隣国だから昔からいろいろな歴史がある、領土争いも(韓国と日本みたいなもの)。だから、前からゼレンスキーはハンガリーは悪い国だと非難してきた。にも関わらず、難民をたくさん受け入れているのに、ハンガリーの支援は充分じゃないってゼレンスキーはハンガリー を非難するんだ。フェアじゃないだろ?ハンガリー政府は昔からロシア政府と結びつきが強いんだ!!。ガスだってロシアに多くを依存している。ガスがロシアから供給されなくなったら、俺たちの生活はどうなるんだ?。なのに少しでも制裁を弱めたりしたら、世界からハンガリーは悪者扱いさ。ハンガリーとウクライナの歴史を知ってから判断して欲しいよ。フェアじゃないよな。”そう、ハンガリーの男性は語っていた。彼はイギリス在住者で一時帰国でハンガリーに戻っており、何もかもハンガリーよりイギリスの方がいいよと語っていた。考え方はだいぶ西寄りだと推測できる(日本の政治問題も多少知っており、海外情勢に興味がある、リべラルな人だった)。そんな、西寄りの考えのハンガリー人の意見が複雑で、フェアじゃないという言葉だった。日本や西欧の報道と現地ハンガリー人の考え方でさえ、かなり乖離があると感じた。

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そんなハンガリーの世界一美しい国会議事堂の前には美しいドナウ川が流れる。

そんなドナウ川の前にたくさんの靴が並べられている。

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中にはウクライナの国旗がつけられたものもある。

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この国旗を見ると、一見、この靴はロシアのウクライナ侵攻に対する抗議のオブジェクトかと思える。

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確かに、ウクライナ国旗がこの靴につけられているのはロシアによる、ウクライナ人虐殺への抗議の意味がある。

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しかし、この死者の靴は1944年〜1945年、ナチスによる死者の行進により、ドナウ川に撃ち落とされ、虐殺された2000人以上にも及ぶユダヤ人を弔うためのものだ。

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死者の行進(写真はイスラエルのユダヤ人虐殺記念館の写真)

ナチスによる、反ユダヤの全体主義により、ブダペストのユダヤ人たちは暴行、拷問を受け、虐殺された。8000人にも及ぶユダヤ人はハンガリー を追放され、収容所が待ち受けるオーストリア国境まで、徒歩で死の行進をさせられた。内2000人は美しいドナウ川堤防で射殺された。

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”殺される前に、自分で靴を脱ぐんだ。”

銃殺される際、犠牲になったユダヤ人たちは靴を脱ぎ、自分の手で射殺される場所から靴を退けるように命令された。なぜなら、当時靴は高価だったからだ。

その忌まわしい悲劇、罪を忘れぬように2005年死者の靴と題した、このモニュメントが作られた。

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しかし、人間は過ちを繰り返す。

2022年ロシアのウクライナ侵攻による略奪、ウクライナ人への拷問、強姦、虐殺がウクライナ首都近郊、ブチャ、ボロディアンカなどで確認されており、現在激戦区の東部マリウポリなどでもロシア軍による数えきれない虐殺、戦争犯罪の疑いがある。

世界の多くの人々がロシアの侵攻、虐殺に憤った。

かつても、ナチスが虐殺したユダヤ人に対しての大虐殺に世界の人々が憤ったように。

2度とこんな過ちは起こさないと、世界中で強く叫ばれてきた。

だというのに、、、なぜ過ちは繰り返されたというのか?

そんな、ユダヤ人にとって悲しい歴史の残るブダペスト、美しいユダヤ教の文化も残っている。

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ドハーニ街シナゴーグ。ユダヤ教の寺院、シナゴーグ。ユダヤ人にとっての教会。ドハーニ街のシナゴーグは欧州最大のシナゴーグだ。

、、、、、美しい、、、キリスト教、イスラム教のベースとなった一神教の始まりユダヤ教。全ての始まりユダヤ教の寺院はあまりにも美しい。

神秘的で荘厳、一見ユダヤ教のシナゴーグというよりも、荘厳でカトリックの教会のようだが

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ユダヤ教のシンボルの六芒星、ダビデの星などのシンボルもたくさん描かれている。ユダヤ教の神秘さと荘厳さが入り混じった、本当に息を飲むほど美しい空間。

色々な多様な文化、それぞれの文化には美しさがると俺は信じている。

しかし、異文化、異なる考え方は常に排除、差別、迫害や虐殺を産んできた。遺物なゆえに欧州の人々にユダヤ人は歴史的に迫害を受けてきた。

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”しょうは神にここに導かれた。神の祝福があるから、大丈夫だよ。幸せになる。そして、きっとまたここに来れるよ。”

イスラエルで出会った誰よりも優しかったユダヤの友の言葉を思い出した。

彼との別れる前の日、これから先の人生が不安だとこぼしたらそんな言葉を彼はそんな言葉をかけてくれた。聖地エルサレムで言われたその言葉はそれから辛い時や苦しい時も俺の心の支えになってくれた特別な言葉だった。

、、、、、また、この美しいシナゴーグを見られたのも、、、神の導きってやつかな、、、

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俺はイスラエルに行くまで、ユダヤ人もイスラエル人にも正直いいイメージがなかった。ある意味憎んですらいた。パレスチナへの入植行為やガザ地区への空爆を行っているからだ。

ムスリムの優しい友達も居たし、国境を越えてたくさんの親切なイスラム教徒の人の世話になったからこそ、そんなイスラエルが許せなかったのだ。

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パキスタンの村の少年たち。イスラム教徒の犠牲祭イードに村中の人が異教徒の俺を歓迎してくれ、もてなしてくれた。

イスラエルと敵対するイラン。そこで暮らすイラン人にも友達がいるし、たくさんのイラン人の優しさに触れた。

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イラン人の美しい女性

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イランで世話になった女性の娘さん

俺がイランを訪れたのは2020年1月、当時トランプがイランの英雄であるソレイマ二をドローンで殺害して、アメリカとイランが戦争になるかもしれないというくらいピリついていた時期だった。”アメリカに死を”とおなじみのフレーズでデモをする恐ろしいイラン人のニュースが西欧や日本のニュースで流れていた。しかし、俺が出会った現地のイラン人の多くは優しく、フレンドリーだった。むしろ、俺が話した多くのイラン人がイランの政府に不満を持っており、アメリカに政府を倒して欲しいと語っていた。その光景はニュースで見る恐ろしいイラン人とはかけ離れていた。本当にイランの人はいい人が多かったのだ。

だからこそ、イランと敵対していて、パレスチナ人を迫害しているイスラエル、ユダヤ人は悪だとなんとなく思っていたのだ。いや、イスラム教徒のパレスチナ人を迫害するイスラエルを少し憎んですらいた。許せない、、、そうとすら思っていたのだ。イスラエルに行くまでは。(実際パレスチナ人への迫害は許されるものではない。しかし、現地の人=イスラエル政府やパレスチナを統治するハマスやファタハではない。)

イスラエルには、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の三つの宗教の聖地エルサレムがある。初日とりあえず聖地エルサレムを適当にほっつき歩いていた。

そこで、俺の体に電流のようなものが走った。

この道の先にはすごいものがある、、、突如なぜかそう直感し、急に鳥肌が立ち、身体中が震えた。

その道を進むと、厳重にイスラエル兵に警備された、ゲートが現れた。

そして、その先の角を曲がると、、、、、

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荘厳な雰囲気の白い壁、黒い帽子と黒い衣装を身につけた正統派ユダヤ人が歌うように祈っていた。あるユダヤ人は壁の前で嘆くように神に祈りを捧げていた。

その神秘的な光景に思わず俺は魅入っていた。

、、、、美しい、、、、これが聖地、、、、

息を吸うだけで、身体中に冷たく、神秘的な空気が入ってきて、全身が震えた。

これが、、、聖地、、嘆きの壁、、、。

俺は嘆きの壁の美しさ、ユダヤ人の祈りの美しさに思わず涙を流していた。

あれだけユダヤ人を憎んでいたのに。

嘆きの壁。

それは、破壊されたユダヤ人の神殿の残された壁、、、。


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そして、ここイスラエルは2000年以上前にユダヤ人が追われた国であり、、、奪われた故郷、、

ディアスポラ(国を追われて離散)したユダヤ人たちは1900年以上キリスト教徒やナチスにより、迫害、蹂躙され、ある時は虐殺され、ガス室で毒ガスで殺された。

1900年以上も帰りたくても、帰れなかった国であり、故郷、、、、、。

多分俺が涙を流したのは、そんなユダヤ人の悲しい歴史をなんとなく知っていたのと、、、親が自殺して、家族が崩壊し、、、、そんな、帰る家がない、故郷がない自分をユダヤ人の悲しい歴史に重ね合わせていたのかもしれない。

1900年かけて、、ユダヤ人たちは帰ってきたのだ、、、いや、多くのユダヤ人たちはいつか帰る故郷を夢見て虐殺されてきたのだ、、。

そして、1900年ぶりに故郷に帰還し、過去の悲しい歴史を思い出し、嘆くように祈る。その姿はあまりにも美しい、、、、。

しかし、1900年ぶりにユダヤ人の国イスラエルが誕生したことにより、パレスチナ人との争い、強制移住、迫害、、、新たな悲劇が生まれた。

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そんな、イスラエルに行くまでパレスチナに同情、、、同情か、、パレスチナに行くまでは悲劇の民パレスチナ人に日本人として上から同情していたのだろう。

そんな、俺を待っていたのはパレスチナ人による酷いコロナ、、、東アジア人への差別だった。

”チナ(中国人、チナ、コロナ、コロナ笑”そう言って、何十人ものガタイのいいパレスチナ人が周りに集まってきて、手を叩いて、チナ、コロナと笑って叫びながら煽ってきた。

さらには、水をかけられる、バスには乗せてもらえず置き去りにされる、一緒に歩いていた知り合いはパレスチナ人に満面の笑みでチナと言われて蹴られた。

コロナ流行り始め時期、海外の人たちはコロナへの恐怖があり、差別ではなく恐怖のせいでコロナと言われたり、バスに乗せてもらえなかっただけだという人もいるが、、。恐ろしいはずのコロナを持っているかもしれない東アジア人の周りにわざわざ何十人も集まり”コロナ、コロナ、チナ、チナ”と煽ったり、水をかけてきて満面の笑みをしていた人たちがコロナを怖がっているはずもない。あれは完全な差別だった。

俺は世界は変わったんだ、、、もう東アジア人は海外を前みたいに旅できない、、、そう絶望した。そして、コロナ差別、東アジア人差別がトラウマになった。

なので、イスラエルにいたときはパレスチナ人やムスリムの多い場所では常に暴行や集団リンチにも発展しかねない空気があり恐怖を感じ、警戒していた。

しかし、ユダヤ人はなぜか一度もコロナ差別を俺たちにしてこなかった。

だから、ユダヤ人が多いエリアでは安心して過ごすことができた。あれだけ、パレスチナ人に同情して、イスラエル人、ユダヤ人を憎んでいたのに、、、

”なぜ、ユダヤ人は差別をしないんだい?”ある時、ユダヤ人の友にそう尋ねた。

”ユダヤ人は歴史的にいつも差別、、迫害、虐殺されてきたんだ。だから、差別はよくないって知っているんだ。だから、ユダヤ人は差別をしないんだと思う。”そう優しいユダヤの友は語っていた。(イスラエルのパレスチナ迫害は許されるべきではないが、今回は筆者が実際体験した差別への話。もちろんパレスチナ人にも素晴らしい人はいる。政治的議論はここでしたくないので他所でお願いします。)

そして、エルサレムの聖地がある旧市街。俺が歩いていた場所でわずか10分後イスラエルの警察官がパレスチナ人のテロリストに銃で撃たれた。ユダヤの友達は恐怖して、怯えていた。

視点を変えれば世界は180度変わる。

俺の世界は、それまでの価値観は戦争前のイラン、コロナ差別の激しいパレスチナ、テロリスト怯えるユダヤ人たちが暮らすイスラエルなどを中東で見たことでひっくり返った。

今回もウクライナ難民取材を進めていけば、、、、違う世界が見えるのかもしれない。

イスラエルによるパレスチナ入植、ナチスのユダヤ人虐殺、ロシア人のウクライナ人虐殺。、、、、そして、パレスチナ人の日本人への暴行、、、これらは違うものだ、一括りにできない、、しかし、本質は同じなのではないだろうか?人間の悪意、本能、、、、。それも、大切な事実でそこから目を背けるのも違うのではないか?。俺はそう思っている。虐殺は常に正義や恐怖のもとで差別や殺人などの非人道的行為が正当化して行われる。


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物思いにふけりながら美しいシナゴーグで時間を過ごし、帰り際シナゴーグの博物館の売店に寄った。

そこで、ドナウ川を歩くユダヤ人たちの写真が写っている写真の描かれたポストカードが置いてあった。

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ポストカード内のユダヤ人の黒い背中は世界に対して問いを投げかけている、、、何かメッセージを伝えている、、、そのポストカードに強く引き付けられた。こういう写真を撮らなきゃいけないんだ。

これだ、、、、そう思い、そのポストカードをおじいさんがいるレジへ持っていった。ここで働くおじいさんもユダヤ人だろうか?

そのレジにはヘブライ語(イスラエルユダヤ人の公用語。旧約聖書、ユダヤ人の聖典タナハも古代ヘブライ語で書かれている。)のしおりも置いてあった。

ヘブライ語のしおりか、、、欲しいかも、、、。

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家がない俺は海外に行ってお土産が欲しくても置く場所がないから買うことができない。しかし、しおりなら安いし、かさばらないので世界各国のしおりを集めていた。

イスラエルには思い入れがあるが、イスラエルのしおりを買っていなかったため少し買おうか迷ったが、とりあえず先にポストカードのお金だけ払うことにした。このヘブライ語どういう意味だろうか?

”君にこれをあげよう!!”ポストカードのお金を支払うと売店おじいさんが買おうか迷っていたヘブライ語のしおりを手渡してくれた。まさかもらえると思わなかったので、びっくりした。売店で買い物した人はみんなもらえるのかな?このヘブライ語どういう意味だろうか?気になる言葉の意味を俺が聞く前におじいさんは語り出した。

”これはヘブライ語でグットラック!!幸運をって意味なんだ。”おじいさんはそう言って微笑んだ。ヘブライ語で幸運をか、、、、こいつはいい。今回の取材、神の御加護がおれにはあるかもしれない。いや、、、君のいう通りに神が導いてくれるかもな。俺はユダヤの友の言葉を思い出した。

”ありがとう!!”

”バイバイ”俺がお礼を言うとおじいさんは笑顔で手を振ってくれた。

”バイバイ”俺も笑顔で手を振ってドハーニ街のシナゴーグを後にした。


次回、笑顔のウクライナ人の少女は戦争で、、、

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