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春の散歩道には

物理的な距離が離れるとこころの距離も離れてしまうとはよく聞くけれど、それをあっさりと認めてしまうのは癪なので、私と恋人は大学進学にあたって遠距離恋愛という選択をした。

そんな私と彼との4年間の遠距離恋愛が、ひとまず終わった。

ひとまずと書いたのは、せっかく彼が地元へ帰ってきてくれたのにもかかわらず、私が初夏から県外へ出なくてはならなくなったからである。

どうして県外へ出るのかということについては、また近いうちに書くつもり。ただ、私も恋人も今年はもう1年間勉強して、来年度から働き始めるということを目標に過ごすと決めたことだけは、ここに書いておく。

とにかく彼がこの春、卒業式を終えて地元へと帰還し、私たちの遠距離恋愛が表向きには幕を閉じた。

私と恋人は高校2年生のときからのお付き合いで、大学進学とともに島根と東京の遠距離恋愛になったので、恋人同士になってからのほとんどの時間は離ればなれの日々がメインだったということになる。

大学に入って最初のころはコロナが流行っていて学校へ行けず、彼も地元にいたけれど、彼が東京へ行ってしまってからは本当にさびしくて、すごく心細かった。

私はことあるごとに泣いていたのだし、街で恋人たちが連れ立って歩いているのを見たらうらやましくて仕方がなかった。

いつも一緒にいられるとか、帰る場所が同じだとか、そういうことは信じられないくらいの奇跡なんだから、あたりまえに思うなよな…と、カップルを見かけるたびにぶつくさ言いながら、私はアパートから大学までの道を毎日ひとりで歩いていた。

とはいっても、遠く離れている恋人が、他の誰かを愛することなく、ひたすらまっすぐに私を見つめ続けてくれていること自体が奇跡なのだから、私はそれだけで幸福だと思うべきだったのだろう。

彼は私のことを本当に好きで(と、こんなことを書いたら白い目で見られるかもしれないんだけれど、それが本当にそう言うしかないのだ)、私は彼と会えないことがさびしいと思ったことはあっても、彼の言動や行動のせいで不安になったことはただの1度たりともなかった。

そして彼も私も、数年間相手の目の届かない場所での日常を送り、相手がいちばん好きだということを証明し続けた。

私と恋人とのことを書いたnoteを読んでくださったことのある方は、私がいつもさびしくてわがままを言っては彼を困らせる、ぐずぐずな女子大学生だったことを分かってくださるだろうと思う。

あまりにも会えないせいで、私は彼が本当にこの世に存在しているのかどうかさえ微妙に感じられたり、携帯電話でメッセージのやりとりをしながら、「この画面の向こう側にいるのは一体誰なんだろう?」という不可思議な気分になったりしたものだった。

私は去年、すなわち大学4回生の1年間、大学生活が今までとは比較できないくらい充実していたので、恋人とのことはほとんどnoteに書かなかった。

それは恋人と私は、今は離ればなれとはいえこれからもずっと一緒にいるだろうけれど、大学の友人たちとの時間は生涯においてこのたった1年間しかないのだ、ということを常に胸のどこかで感じていたからでもある。

それをあたりまえに思わせてくれる彼は、なんてすごいんだろう。

恋人はずっと私のことしか眼中になく、一緒にいても離れていてもそのことは変わらないのだからどちらでも同じことだ、という感じだった。悪く言えば彼はこころの繊細な機微に疎かった。しかしよく言えば彼は忍耐強く、そしておおらかだった。

私がどんなにネガティブになっても、彼はいつも前向きで、俺はあなたのことが好きだよ、帰ったら一緒にお出かけしたりお昼寝したりしようね、ということを伝え続けてくれた。

私は自分が遠距離恋愛に向いている人間だとはとても思えない。

だから彼とでなくては、遠距離恋愛を終えるなんてとても無理だっただろう。私も彼も、たとえ離れていても、1年のうちのほとんどすべてをさびしい気持ちで過ごさなくてはならないとしても、近くにいてくれる別の異性ではだめで、どうしてもお互いでなければならなかったのだ。

そして彼は私のところへ帰ってきてくれた。

会おうと思えばすぐに会えてしまうほど近い場所に彼がたしかにいることを感じているだけで、私は彼のようにおおらかで強い気持ちになれる。日々への希望が湧いてくる。見てろ、私たちまだまだここからよ、と勇気を持てる。そしてそれはたしかに彼が私に与えてくれる、すごいものなのだ。

このまえ、彼と一緒に桜を見に出かけた。今年は桜が咲くのが遅かったせいで、まだ花はぽつぽつとしかなかったけれど、私はそれでも何も問題なかった。

だってこの数年間ずっと、私の夢は彼と一緒に春を迎えることだったのだ。軽やかな恰好で外へ出て、恋人と並んで歩きながら桜を見ることだけが、私の欲しい日常だったのだ。

それは叶ってみたら本当にあたりまえのことで、けれど、やっぱりうれしかった。体温や息遣いが分かる、いつでも手をつないで微笑むことのできる距離。彼が春風のようにそうっと私の頬に触れる瞬間の、胸がはちきれそうなほどのよろこび。

私たちが出会ってからの年数を言えば、みんな「そんなに長いこと付き合ってるの!」とか「高校のときからってこと?すごいね!」と反応してくれるし、遠距離恋愛をしていると言えば「えっ!遠距離!よくまあ続くねえ!」「本当にお互いのことが好きなんだねえ!」と驚かれたり、感心されたりしてきた。

けれど私たちには、あたりまえの日々をあたりまえに過ごしていくこと、相手を想いやり合いながら日常をともに過ごしていくことが、圧倒的に足りていない。遠距離恋愛を経て、どこかがちょっとは強くなったかもしれないけど、まだ未熟だし、仕事もしていないし、私はすぐいっぱいいっぱいになる。

でもたぶん、私たちはこれからも一緒にいるだろう。

もしそうじゃなくなるようなことがあるとしても、いまはそう確信しているし、そうありたいと願っている。

JUDY AND MARYの散歩道という曲がある。春の散歩道には、黄色い花かんむりが。夏の散歩道にはセミの行進が道をふさぐの、ってやつ。私はあれを口ずさみながら、彼と一緒に過ごせる春が来るのを待っていた。

季節はぐるぐるめぐるけど、私は彼とふたりで道を歩きたい。相手の顔を見飽きるほどあたりまえの日々を経験しても、私は彼のことを好きでい続けたいし、彼に好きでい続けてもらえるような私でいたい。

いろいろなことが変わっていくけど、そこだけは譲れない。

そんなふうに思えただけで、この4年間はただ過ぎて行っただけの無意味なものではなかったんだろうな。だから、私に遠距離恋愛を経験させてくれてありがとう。ちょっとはタフになったでしょう、私。

これを読んだらたぶん、あなたは「強がっちゃって」とか、「あんなに弱ってたくせに」って言いながら、愛おしそうに私のことを見つめるのだろう。

これからもっといろいろなことがあるだろうけど、私たち、離れていてもいろいろなことができたんだから、一緒にいればたぶん全部なんとかなる。そして私たちはこれからもっと、近くにいる恋人たちがしているみたいに、ありふれた思い出をたくさんつくって、あたりまえにふたりで過ごせる日常を謳歌してもいいのではないかなあ。

私はそんなことを思っています。どうか、これからもよろしくね。



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