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三島由紀夫の悲劇と私たち

 今回は三島由紀夫の人生を辿り、彼を悲劇に至らしめた経緯を考察しながら現代を生きる私たちの在り方について考えていきたいと思います。




【概要】三島由紀夫について

 
 1925年生まれ、1970年自衛隊駐屯地にて割腹自殺。

 類稀なる文学の才能を持ち、代表作には「金閣寺」「潮騒」などが挙げられる。ノーベル文学賞の候補となるほどであったが晩期には政治思想を積極的に発信するようになり、自ら軍隊を結成するまでになった。天皇制の原点回帰や当時安保闘争で話題となっていた自衛隊に対しては軍隊化を求めるなど、日本の伝統的精神を守るための主張を繰り返していた。

 最期は自衛隊駐屯地にて総監を人質にとり演説をするも無意味に終わりその場で割腹自殺を遂げた。これは20世紀最後の切腹と言われている。

 彼の死後、この出来事に対する様々な意見が飛び交った。彼はもう亡き人となったが今もなお多くの人に強い印象を残している。



生い立ち

 この章の内容は「三島由紀夫」(ジェニフェール・ルシュール著)に基づく。


幼少期

 1925年に東京都に生まれた。同居する祖母によって実質的に育てられた。三島が病弱であったことに加え、祖母は過干渉であり、自由のない環境で育った。中学生時代、祖母に反対されて遠足に参加できなかったほどだ。だが彼はそういった抑圧的な環境に対して感情を露わにすることはなかった。現実への忌避感から幻想の世界への渇望を抱いていた。


学生時代

 学習院中学に入学するも祖母の過干渉は続いた。また封建制の名残から学校では彼の立場は弱く虐げられることも多く、自由を得ることはできなかった。彼は二つの抑圧に苦しんだ。

 一方で彼は祖母を憎もうとはしなかった。祖母から歌舞伎について教わるという一面も持っていた。当時の歌舞伎には日本の伝統的な精神、特に武士による「名誉ある死」が色濃く残っていた。彼はこの価値観を祖母から歌舞伎を通して受け継いだ。

 しばらくして祖母は病気により衰弱し始めた。祖母は彼に身の回りの世話の全てをさせた。そこで彼は死の過程を目にし、「老い」に対して拒絶感を覚える。老いて醜くなり愚かになることを恐れ始めた。

 こうした学生生活の中で彼は文藝活動に勤しんだ。彼はエロティシズムと死に結びつきを感じるようになり、これは彼の初期の作品から描かれるようになる。「美」と「恍惚」と「死」。この三位一体の価値観は生涯を通して彼のテーマとなった。

 そして彼は学生時代に自らが抱く同性愛の感情に気づく。当時はこういったものは禁忌とされており彼は自分の中で一人楽しむのであった。

 けれども同性愛や死への考え方は認められることは少なく、彼は自己嫌悪に陥った。同時に自分を普通であるかのように偽り、仮面を被ったような日々を送った。


20代

 太平洋戦争が本格化し彼の元にも赤紙が届いた。彼は戦地で死ぬことに対してロマンチズムを感じていた。だが身体検査の結果彼は入隊を拒否される。その時彼は深い絶望を感じた。「英雄的な死」の機会を逃したからではない。彼は兵隊としての死はロマンチックではないと悟ったからだ。この「死」と「ロマンチズム」の一致を求める姿勢は彼の文学のみならず、自身の生き方にも大きく影響を及ぼしていたのだろう。

 1945年の夏、太平洋戦争は玉音放送とともに終わりを迎えた。敗戦を嘆く者、安堵する者がいる中で彼は悲嘆に暮れた。死が遠のいたからである。

 彼は女性との恋愛を試みた。けれども彼には女性への恋愛感情や性的感情が生まれることはなかった。また同時期に妹が急死する。彼はこれらの体験から、初めて自死を考えた。だが理想の死は実現できないとして結局は断念するのであった。

 彼は太宰治と交流があった。彼は太宰の作品を嫌っていたが、この二人には「自己破壊」という共通の傾向があった。彼はこれを無意識に感じ取り、恐れを抱いていたのだろう。

 文学を通して彼の中に渦巻く死への陶酔や耽美主義を明らかにしようと勤めた。精神科医を紹介してもらい診察を受けることもあった。死に対して憧れながらも突き進んでいく自分の思考を止めようと抗っていたのではないだろうか。

 

30代

 30代前半の頃自殺に否定的な意見を述べて周囲を驚かした。皆、彼に付きまとう死の観念を知っていたからだ。そこで彼はこのように語った。

 美しく死ぬには老いてしまった。武士の道徳律の内部には自決と同一線上のものがあるから武士の自決は良い。けれども作家という制作の労苦や喜びを糧にする者には死が同一線上にないため良くない。

 一見すると作家「三島由紀夫」にとってもう自殺は無縁になったようだ。だがそうではなかった。これは彼の転換点に過ぎなかった。

 30歳を過ぎて多種多様なスポーツに取り組み始めた。病弱だった幼少期の自分を乗り越えるために肉体美を追求したのだ。

 彼は「憂国」という作品に着手した。この頃から戦争で得られなかった「死」を愛国心という一種の宗教的な概念に大義名分を見出し表現しようとし始める。理性的な愛国心ではなかった。平和な時代の中で無気力な生を耐えるために再び「英雄的な死」を求めていた。そしてその実現のために愛国心を利用したに過ぎなかった。


40代

 肉体美を追求していたが、40代に入り、最早「老い」から逃れられなくなった。学生時代に覚えた老いへの恐怖は再燃し、その裏返しのように若さを崇拝するようになった。

 彼は自殺についてこう語っていた。「弱さと敗北の自死は軽蔑するが強さと勇気の自死は賛美に値する。」「浪漫主義的な悲壮な死のためには強い彫刻的な筋肉が必須だ。」

 聞く者や時代によっては彼の価値観は偏ったものだと捉えかねない。だが年月とともに様々な経験と思考を重ねた彼にとっては極端であれども絶対的な真となっていった。

 常人離れしているように感じられるが彼にも人間らしい一面はあった。着々と理想的な死への準備を進めつつも、肉体美を追求し鍛錬している時、自らの軍隊とともに訓練している時には生への充溢を感じていたのだ。矛盾した感情であるが、やはり本能的な感情を持ち合わせていると分かるため、彼を狂人と一蹴することはできない何よりの証拠になり得るだろう。

 そして彼は軍隊を結成する中で天皇や自衛隊について政治的な意見を主張するようになる。

 まず天皇については日本の文化の起源が朝廷であるから古来の文化概念としての天皇を崇拝すべきだと考えた。彼は日本の伝統、特に武士の精神を重んじており、その象徴と捉えていたのだろう。また学習院高校時代に天皇から直接銀時計を賜ったという個人的な経験から名誉と畏敬の念を抱いていた。これらをもとに天皇崇拝を唱えたと考えられる。

 次に自衛隊については戦後、新しく施行された憲法によって武士の精神を損なわれてしまったから憲法を改正して自衛隊を軍隊にするべきだと考えていた。

 けれどもいずれにしても「英雄的な死」を遂げるための都合の良い道具でしかなかった。彼自身「右翼とは理論でなく心情だ」と個人的な心情に突き動かされていることを認めていた。


三島由紀夫の最期

 事件当日の詳細は他の資料を参照してください。

 彼は駐屯地にいた自衛隊員を集めこう呼びかけた。「生命尊重のみで魂は死んでも良いのか。」だが野次や詰めかけた報道ヘリにより彼の声はかき消された。10分後には彼は主張することを断念してしまった。そして切腹した。



考察

 彼は極端な二元論者であった。そして人生の大半を「英雄的な死」という観念に付き纏われた。彼をそこに至らせたのは何であったのか。

 幼少期の歪んだ家庭環境、武士の精神が色濃く残っていた社会、身分社会による抑圧、死と隣り合わせの戦争、同性愛者への弾圧、医療の未発達による多くの夭折、発展途上の精神医学。

 つまり、開国以後外国文化の表面的流入による混乱、人々の生活だけでなく心も蝕んでいった度重なる戦争、封建社会の名残による抑圧など当時の激動の社会におけるある種のひずみの象徴のような人生を彼は歩んだのではないだろうか。

 救済を求めることも難しい世の中で、孤独だった彼は自己を解放するために極端な思想や行動をとった。自身の矛盾を感じながらも突き進んだ。そして悲劇的な結末を迎えてしまった。


 三島由紀夫は事件当時、狂人として扱われた。人々は彼の行動の表面的な部分に驚くばかりであった。だが当時の人々は無関係だと嫌忌してはならなかった。そしてこれは現代やこれからの社会に生きる人々にとってもそうである。

 人間は生まれながらにして特異な価値観を持つことはほぼない。周囲の人間や社会が大きく影響を及ぼすことは誰もが頷ける事実であろう。だからこそこういった悲劇が起こった時には社会の欠陥を振り返らなければならない。悲劇を繰り返さないために決して目を逸らしてはならない。彼の死から私はこのメッセージを受け取った。

 

 そして三島由紀夫はどうあるべきだったのか。彼と時代をともにしたわけでもない私が言うのは烏滸がましいことである。だが、これも考えておくべきことである。

 彼は自己の矛盾に気づいていながら信念を推し進めてしまった。この世には絶対の真はない。たった100年で大衆の価値観が変わることもよくある。だからこそ彼ほどの人であれば尚更、自分を疑い続ける姿勢が必要だったのではないか。疑うとは自分を客観的に見つめ直すということだ。過去は変えられないしトラウマを簡単に忘れることはできない。状況によっては相談できる相手がいないかもしれない。けれどもこの客観的な視点は時に暴走してしまう自分を止める一助となる。したがって私は彼にもし会えたならこのことを伝えたいと思う。


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