心は孤独な狩人 ~ジョン・シンガーと傾聴~【本・映画】

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今年の8月に発売された、村上春樹訳版のもの。税込2750円するので、通常は文庫版を待って購入するけれど、新潮社のプロモーションか、強めの宣伝文句に惹かれて購入した。

**帯の引用(一部)**

村上春樹が「最後のとっておき」にしていた古典的名作。
1930年代末、アメリカ南部の町に聾唖の男が現れた。
大不況、経済格差、黒人差別……。カフェに集う
人々の苦しみをその男だけが、いつも静かに受け止めてくれた。

**引用ここまで**

この「聾唖(ろうあ)の男」、文中では「唖(おし)」と表現されるが、その人物がジョン・シンガーであり、「いつも静かに」いろいろな人のややこしい話などを傾聴する人物だ。
いろんな人が、また訳者の村上春樹自身もそれなりの感想などを述べているが、僕はちょっと違う視点でこの小説に触れてみた。そのキーワードとなるのが「傾聴」。

またもや村上春樹小説の話になってしまって恐縮だが、彼と「傾聴」から連想されることがいくつかある。傾聴というよりも「ただそれを聴いているだけ、答えない」といった方が正確かもしれない。たとえば、

・「1Q84」で、天吾の話を聴き続ける病床の父
・「騎士団長殺し」で、主人公の話を聴き続ける雨田具彦
・「ピーター・キャット」(村上春樹が若い頃に経営していた店)で、お客さんの話を聴き続ける村上春樹
・クライエントの話を聴き続ける河合隼雄(心理学者 村上春樹と親交が深く共著もある)

ここからは、ややネタバレになってしまうが、唖のシンガーは穏やかに聴き続けているのかと思いつつ、いろいろと辟易させられていることがわかる(親友のアントナプーロスに宛てた手紙などから)。
いろいろとため込んでいたのだろうか。彼が傾聴していた理由は何なのだろうか。親友との再会こそが希望で、それがあるなら何でも乗り越えられたのだろうか。はたまた、相手をするだけ無駄と思ったのか、もしくは傾聴することで相手が救われるなら良いと考えたのだろうか。

この物語は、言ってしまえば、それぞれが悲劇的な終わり方をする。

若き日の村上春樹がこの小説に感銘を受けたのはよくわかる気がする。

あまりにも理不尽な世の中、それは、確かに今もさほど変わっていないのかもしれない。
自分が生き延びるためにはある程度、闘争しなければならないだろうし、見ないふりをしたり、それとなく踏み台にしていったりするかもしれない。

他にも非常に個性的な人物が多く出てくる。シンガーに続いて印象を残すのはニューヨーク・カフェのビフ・ブラノンだが(彼にも傾聴のにおいがするという点で。一方、ブラントとコープランド医師は激しくぶつかって両方同時に消滅した感がある)それについては割愛する。

どうもこの「傾聴」ということが気になってしかたないようだった。そういえば村上春樹の短編に「沈黙」というのがあり(これは氏の作品の中では異色だと思う)一連のルーツが垣間みられる。

僕はどうしても、慎ましく暮らしているであろう人々に関心を寄せているようだ。

「グレート・ギャツビー」の読後感想でも確か書いたが、すぐれた古典小説は「今」に響いていると思う。
それと同時に慎ましく暮らしている人々、生活、時代をどこかしら温かく感じさせてくれる作品が好きなのだと思う。

人が、人々が、言葉にしていること、言葉にし続けていることというのはほんのひとにぎりで、そこにある、あるいはあった、言葉にならない悲しみを想像できるか、ということが大切なのだろう。

(書影は https://www.shinchosha.co.jp から拝借しました)

【2021.6.3に映画も観たため追記 ↓ 】

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この長篇を2時間の映画にするとなるほど…かなりいろいろなシーンが端折(はしょ)られていた感じがある。原作がとてもよかっただけに、ちょっと期待外れ…というところもあったけれど、アラン・アーキン(ジョン・シンガー役)とソンドラ・ロック(ミック役)の演技が特によかったし、観たあとじわじわとくるものもあった。僕は涙もろいんだけど、やっぱり泣いた( ;∀;)
やはりここでも傾聴というか「どういう表情でうなずくのか、うなずけるのか」みたいなところはポイントだったように思う。
原作では、もっと観念的、哲学的、社会的議論が多かったし、その怒涛のような「訴え」なるものに耳を傾け続けるシンガーの姿は、映画では薄かったように思う。
いちばん印象に残っているシーンは、ブラントがシンガーの部屋に遊びにきて「今日は仕事が入ったからチェスができないだ、ごめんね」と言ったあとに、あまり負の感情を表さないシンガーがそわそわしはじめて、並べたチェスをばぁーっと倒してしまうシーン。
ラストでコープランド医師とミックが語り合うシーンがあるが、あんなシーン、原作にあったかな。いや、良いシーンなんだけど、たしかに、比較的無声映画のように淡々と進んでいく趣もあることから「締めますよっ」というのが伝わってきて、それはなんとなく、映画としての作り手の愛を感じた。

カーソン・マッカラーズは「結婚式のメンバー」
https://note.com/seishinkoji/n/ncb7a38d17e12
もすごくよかったし、僕としては「悲しきカフェのバラード(The Ballad of the Sad Cafe)」も村上春樹訳でぜひ読んでみたいので、いつか訳出していただければと思っております。

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