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生前好きだった自宅での葬儀~母を亡くした1週間後の心境

母は家が好きだった。
父と建てたマイホームで土地に住んで58年。

病院に入ることを嫌がり
その母の気持ちを尊重する意味もあり
自宅での療養・介護そして葬儀を行いました。

母は教会には数十年いかず
おさぼりしてはいたものの
キリスト教徒だったので
日本の通常のお葬式のように

お坊さんに来ていただく・・
お焼香など儀式的なものは
一切行いませんでした。

コロナのこともあり、もともと
大々的に親戚を呼んで葬儀をする
ことを考えていなかったので、
親しい人のみ、
最後のお別れをしに来てくださる方
だけで見送るかたちになりました。

形式的なことを一切行わないので
これでいいのか・・とも
思いきや、これで正解でした。


母も可愛がっていた
姉の飼っているワンちゃんも
お別れに参加できるというのは
通常の葬儀会場では無理だそうです。

リラックスした状態で
母との最後のお別れの時間を
過ごすことができ・・・

本当にギリギリまで
私は母のそばにいて・・・

別れをしのぶことができました。

母の額の髪を触りながら
1年に及ぶ母と過ごした
濃密な時間を思い出していた。

介護と仕事の両立。
正直、大変なものがあった。

もう、解放されたい・・
楽になりたい・・・
しんどい・・
でも、このしんどさからの解放は
母の死を意味する・・・。

解放されたい気持ちと
母を失いたくない気持ちが
同時に存在しているという
もうわけのわからない状態・・・

体はボロボロ

母は容赦なく私を呼びつける。

一番きつかったのは
夜寝れないこと。

母が呼ぶのもあるし、
夜中に水分補給や排せつ介助を
やる時もある。
一晩で5回も6回も7回も
起きてケアをしたり
見守りだけの時もあるけど。

ちゃんと寝れない日が
続くってしんどいんですよね。

「もう、夜なんだから
ちゃんと寝てよ~」と
母に声を荒げることもしばしば。

最後のほうは、母は声をだすのとは逆に
タンや唾液を詰まらせ
モゴモゴと窒息しかかっていたり・・

常に意識を母に向けていたので
声なき母の容態の変化も
察知することができ、
何とか一命をとりとめる日が
続く・・・。

離れていたらいたで、
(車で数分のところにある自分の家に戻ったり、
買い物に出かけたり)

そのすきに、母が死んでいたら
どうしよう・・!
私が居ない間に、たまたま
死んでしまっていたら
どうしよう・・・

そんな思いにかられながら
過ごす日々。

まるで、
どこがゴールなのか
いつがゴールなのかわからず
走らされているランナーの
ような状態で、

常に全力に近い状態で
走るしかないような
1年だった・・・。

ただ、唯一
手を握りながら
母の命の最後の瞬間を
看取ることができたことに
今は救われ、癒されています。

看護師さん曰く、
病院だとモニターに繋がれていることが
多いので、呼吸の仕方や酸素状況など
データを見ていたら
最期が近づいていることが
ある程度わかるそうです。

だからご家族さんをよんで・・
家族に囲まれて最期を迎えることが
できる・・・。
そういう意味では病院のほうが安心だ。

何はともあれ・・・
母は逝った。

毎日クタクタな日々を
過ごしていたが、
一気にそれが消滅。

もちろん私自身のヨガの仕事は
ありますが

母を気にして過ごす日々が
嘘のように終わった。

一つ気がついたことがある。
何か美味しいものを食べても、
綺麗な景色を見ても
何か事あるごとに

母に報告するために
物事があった部分がある。

「お母さん、あのね、
今日ねすごいことがあったんだよ~」
みたいな・・・

お母さんあのね・・・
母に自分を見てもらう

聞いてもらう
褒めてもらう

私の行動原理の中に
母に対する承認欲求のような
ものが根底にあったのだろう。

今日で母が旅立ち1週間。
社会人として普通の立ち居振る舞いは
問題なくできるけど

気がついたら
ぼ~としていたり
生前母が使っていたものを
見るのが苦痛だったりする。

時が味方してくれることを
信じて・・・
前を向こう・・・。

取り留めない長文になってしまった。
このnoteを書いていると、
父の入所している施設から
電話があった。

「お父様が不安がったり、
時々泣いておられるので
ご家族の方、いつでもいいので
面会に来ていただけますか?」
とのこと。

そう、父はまだ居た・・ 笑

葬儀の時も父を施設に迎えにいき、
何とかお別れをさせてあげたのだが・・

父は自力歩行もままならずよろよろなので
葬儀の間もドタバタでした。

8年前、
父が逝く前にちゃんと面倒を
みたいと思い、決死の覚悟で
私は愛するヨガの生徒さんを置いて
千葉から兵庫県へリターン移住した。

母が先に逝くなんて・・
こんな未来が待ち受けていたとは・・。

来週、父の面会に行くので
またその様子など
noteに書かせていただくかも
しれません。

長文最後までお読みくださり
誠にありがとうございました。


母の荷物整理をしていて
姉が見つけた。
私が11才の時に母にあげたもの。
母は捨てずに持っていた・・・

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