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"歴史" 系 note まとめ

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#海外

【国内 "世界史" 観光500選】 記録的円安なんて吹き飛ばし、ニッポンの「世界史」を歩こう!

 コロナ禍も明け、海外に出かけようとせっかく思い立ったところにふりかかる記録的円安…。これから夏にかけてどのように推移するかは不透明ではありますが、二の足を踏んでいる方も多いのではないでしょうか。  では、日本国内で海外を味わうことはできないのでしょうか?  いえ、そんなことはありません!  「世界史」をキーワードに掲げて視点を変えてみれば、日本全国津々浦々、さまざまなところに海外の人や出来事とのつながりは潜んでいます     いや、「世界史」と「海外」は別物じゃないか

ニッポンの世界史【第4回】東洋史の「再発見」 : 宮崎市定・古代文明・トインビー

宮崎市定 「ヨーロッパは後進国だ!」  戦前の日本における東洋史は、中国史のウエイトが多くの割合を占めていました。  しかし、いわゆる京都学派の宮崎市定のように、アジアが世界史に果たした役割を重視し、アジアを射程にいれた世界史を描こうとする試みも、すでに戦前からありました。  たとえば、文部省の要請により宮崎も編纂委員として関わった『大東亜史』(未完)の冒頭部分をもとに戦後刊行された『アジア史概説』は、東洋史の学習指導要領(試案)でも参考図書に挙げられています。  オリエント

歴史の扉 No.15 ココナッツの世界史

ひろがるココナッツ文化圏 ココナッツはポリネシア人の移動とともに太平洋に広まった。台湾付近から現在のインドネシアを通り、果てはハワイやイースター島にまで拡散したポリネシア人は、前近代にもっとも広範囲に拡散した民族集団のひとつだ。 これに対し、インド洋方面に伝わったココナッツは、太平洋に伝播したものとは異なる遺伝子型を持つようだ。そこから6世紀に東アフリカにココナッツを伝えたのはアラブ人だ。 なんといってもココナッツに含まれる水(ココナッツウォーター)は、熱帯では "命の水"

歴史の扉Vol.12 カレーの世界史

カレーライスは日本の「国民食」と呼ばれる。もちろん、「カレー」は日本由来のものではなく、「本場のカレー」というべきものがあろうことも知った上でのことだ。日本のカレーライスを「インド料理」だと思って食べる人など、そうそういないだろう。 ただ、カレーが「インド料理」なのかというと、これまた難しい。 「カレーという料理はインドにはない」という話は割合知られるようになったが、そのルーツは複雑だ。 ムガル帝国がインドに肉料理をもちこんだ そもそも菜食主義が一般的なインド各地の料理

新科目「歴史総合」入門(4)グローバル化

■3つ目のしくみ「グローバル化」 いよいよ最後、3つ目のしくみは「グローバル化」があらわれる20世紀半ばの時代をみていきましょう。 前回みたように、戦争が終わると、今度はアメリカとソ連の2つの世界に引き裂かれましたが、2度の世界大戦を通して縮小していた貿易や交流は、以前と比べれば回復に向かいます。 ソ連とアメリカは、それぞれの掲げるイデオロギーのもとで、世界をひとつにまとめようとします。 人々は、生活水準を高める憧れを抱き、どちらかの陣営に参加し、よりよい人生をおくる

3-3-3-2. 主権国家体制の確立 新科目「世界史探究」をよむ

さてさて、16〜18世紀を通して、西ヨーロッパでは経済成長が進んでいった。 これは、軍事力と戦費調達能力を強化し、国内産業への投資により輸出を増やす政策(重商主義政策)がとられるようになった成果である。 これに対し、東ヨーロッパは、相対的に西ヨーロッパの穀物を調達する後背地に成り下がっていった。 工業製品をつくる西ヨーロッパと、その原料を調達する東ヨーロッパに、命運が分かれた。で、その影響が、いまもなお影を落とし続けているというわけだ。 *** オランダの覇権 とはいえ

歴史の扉③ タピオカミルクティーの世界史

 コロナ禍の影響から、一時に比べ下火となったタピオカミルクティーの流行(ちなみに私は1點點が好き)。早くも懐かしむつもりで、世界史とのつながりについて、話題の『中国料理の世界史—美食のナショナリズムをこえて』(岩間一弘著、慶應義塾大学出版会、2021年)をもとに簡単に紹介します。 ルーツは台湾の屋台   1980年代頃、台湾の屋台では、ポリ袋入りの紅茶が売られていました。東南アジアでよく売っているやつですね。  これにかき氷のトッピング用に大粒のタピオカが入れられるように

世界史質問箱:遊牧民の国家は、農耕民の国家とどう違う?(3-1-1.遊牧民の社会と国家)

遊牧民の国家は、農耕民の国家とどう違う?これについては、白石典之さんの説明がわかりやすいので、引いておこう。 「来るものは拒まずという考えが昔からモンゴル高原にはあった。強いグループが現れると、自分たちもそのグループ名を呼称する。たとえば、紀元1〜2世紀頃のこと、中国北方の遊牧民集団の匈奴(きょうど)が没落して、新たに鮮卑(せんぴ)という遊牧民集団が台頭すると、それまで匈奴と名乗っていたグループが、たちまち鮮卑と自称するようになったという。寄らば大樹の陰といったところか。名

古代遺跡に大はしゃぎ

アユタヤ駅に降り立つと、すぐに客引きのおっさんたちが群がってきてトゥクトゥク(トラック型のタクシー的なやつ)チャーターの勧誘に迫られた。 日本語表記での料金表を提示される。3時間で600バーツ(2160円)くらいだったと思う。 2000円程度で3時間も貸し切れるのだから、日本人の感覚だと十分安い。 だが旅行も後半戦になりお財布の中身が厳しくなっていた私は、節約のために自転車で遺跡巡りをするつもりでいた。 そのことを伝えるとおっさんどもは「わかってないね、兄弟」と、アユタ

トウモロコシがもたらした大洪水 7.2.4 清代の社会と文化 史料でよむ世界史

今回は、清代(しんだい)の社会と文化に関する史料を通して、清代の社会のイメージを具体化させていきましょう。 *** 舞台は18世紀末。官僚であった洪亮吉(こうりょうきつ)という人物による文章です。 Cited from Wikicommons File:洪亮吉.jpg(Public Domain) ある人は、何代か前にはまだ土地には開墾する余地があり、まだ家には空き部屋があった〔だから、人が増えても何とかなる〕と言うかもしれない。 しかし、そのようなことで増やせるの

アメリカのルーツをたどろう 史料でよむ世界史 11.3.2 アメリカ合衆国の領土拡大①

2020年のアメリカ合衆国選挙は、民主党のバイデン大統領の勝利という結果に終わった。 今回の選挙で副大統領に当選したカマラ・ハリスさんにも注目が集まっている。 ニューヨーク・タイムズでは見出しで「最初の女性非白人」、本文で「最初の女性黒人大統領」が誕生したと報じている。 彼女はジャマイカ出身の父とインド出身の母を持ち、黒人としてのアイデンティティーだけでなく、インド人としてのアイデンティティーも、自分の出自としてかけがえのないものとして意識しているそうだ。 そもそも「

2ndロックダウン前と現在のウィーン【写真日記】

オーストリアは11月3日より2度目のロックダウンです。 その前にシェーンブルン宮殿公園を散歩してきました。 ウィーンは秋も終盤。じきに冬です。 丘を昇ってこちら"Gloriette"へ。当時は祝宴ホールや朝食ルームとしても使用されていた建築物で、現在はカフェとなっています。 1775年、シェーンブルン宮殿の庭園を構成する最後の建築物として建立された。設計は建築家ヨハン・フェルディナント・ヘッツェンドルフ・フォン・ホーエンベルク(1732-1816)。庭園の中でも最も人

史料でよむ世界史 6.2.4 宋代の社会と経済 世界史の教科書を最初から最後まで

宋は、これまでの中国の王朝(漢や隋や唐)と違って、タリム盆地方面の領土を持っていなかった。そこで貿易の重心は「海ルート」に移り、長江下流部から南の港町が急速に発達した。インドや東南アジア、それにさらに西からはイスラーム教徒・キリスト教徒・ユダヤ教徒の商人もさかんに来航し、さまざまな文物が流れ込んだ。 ジャンク船という帆船が大型化していったのも、宋代のことだ。 遠洋航海のために、方位を知るためのコンパス(羅針盤(らしんばん))が発達。 火薬の実用化技術とともに、インド洋をわ

真空地帯のイメージ “今”と“過去”をつなぐ世界史のまとめ⑤ 前1200年〜前800年

“過去”と比べて“今” の世界ですっかり存在感の薄れてしまった人々がいる。それは騎馬遊牧民だ。馬にまたがり、草原を疾駆する。簡単なようで難しい技術である。騎馬技術を編み出した遊牧民が、すでに北緯30度付近で発達していた文明と双璧をなしていく。その黎明期にあたるのが、今回の前1200〜前800年の時代である。 File:20110812 Nomad Horse Racing Zhanzong Tibet China 3.jpg その場所はユーラシア大陸の乾燥草原地帯(乾燥草