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同時に学べる!世界史と地理 Vol.24 1945年~1953年

ヨーロッパ中心の植民地帝国が崩壊に向かう時代

歴史:未曾有の被害をもたらした第二次世界大戦が、ようやく終わりを迎えた。

じゃあ戦争が終わって、世界は平和に向かって歩み出せますね!

歴史:まあ、「日本の歴史」を勉強するとそういう印象を持つかもしれないけど…。

違うんですか?

歴史:もちろん改善されたところもある。
 でも、すべてが「リセット」されたわけじゃない。

 変わったことといえば、これは少し前から始まっていたことではあるけれども、まずイギリスやフランスによる「植民地だらけ」の世界が、さすがにグラグラし始めるということ。

色の塗られたところが植民地とその宗主国(=元締め)wikimedia
植民地は、アフリカ大陸の全土と、赤道周辺のアジアに多いことがわかる。


 それに代わって、核兵器を保有することに成功したアメリカとソ連が、それぞれの「正義」(注:イデオロギー)を掲げて世界の主導権を握ろうとしていったんだ。


アジアやアフリカの植民地はどうなっていますか? 独立できていますか?

歴史:この時代には、アジアの一部 ( 東アジアの韓国・北朝鮮、中華人民共和国。東南アジアのフィリピン、ビルマ、インドネシア。南アジアのインド、パキスタン、セイロン。西アジアのシリア、ヨルダン ) とかアフリカ北部の一部(リビア)で独立が成功するけど、まだ大部分( 東南アジアのラオス、カンボジア、ベトナム、マレーシア。アフリカの大部分 )は植民地のままの状態だ。



独立運動も起きるんだけど、手放したくないヨーロッパの国々や、新たに「子分」にしたいアメリカやソ連が口出しを始めている。

そのアメリカとソ連は第二次世界大戦では同じチームで戦ったわけですよね?

歴史:そうだよ。

ソ連は途中からアメリカチームに入ったよね。

 当時のイギリスの首相としては、戦争が終わったらソ連とともにヨーロッパを「はんぶんこ」して、ある程度の支配権を及ぼし続ける予定だった。

 でも、イギリスはすでに戦争「へとへと」だ。

 実際にはイギリスに代わるアメリカと ソ連が戦後のヨーロッパを「はんぶんこ」する形で、にらみ合う体制が生まれるよ。

お互い核兵器を持っていますが、大丈夫なんでしょうか…。

歴史:核兵器の威力は、今までの兵器とは比べ物にならない。たった一発で街を消滅させるほどの破壊力を持っている。

 つまり、お互いが核兵器を使って戦争を始めたら、両方とも「自滅」する結果になる。だから、結局「核兵器は恐ろしすぎるがゆえに、使われることはない」「でも、持っていれば相手に対する、これ以上ない威圧になるから「お守り」のようなものとしては有効だ」と信じられるようになった(注:核抑止論)。


つまり、武装することで平和を維持しようとしたんですね。

歴史:そう。そうやって勢力圏を広げることを「核の傘を広げる」という言い方もする。

 でも、だからといって戦争が起こらなくなったわけではない。

 アメリカとソ連は、真正面から戦うのを避けるようになっただけで、それぞれの「子分」にあたる国や地域をあるときはひそかに、あるときは公然とサポートする形で対決した(注:冷戦)。

なるほど。直接はつばぜり合いしなくても、子分たちに代わりに戦わせると―(注:代理戦争)。

歴史:そうそう。
 でも、両国とも表向きはお互い同じグループ(注:国際連合)に加盟しているから奇妙だ。

 第二次世界大戦のときの「戦勝国」が、そのまま戦後の世界平和を守るための組織(注:国際連合=the United Nations=連合国)に発展したんだけど、この組織の中心メンバーになったソ連とアメリカがこうやって対立するものだから、「平和」もクソもなくなるわけだ。


結局「グループ」に分かれて対立する構図が再開したわけですね。
ヨーロッパの国々はどういう対応をとったんですか?

歴史:ソ連がドイツから解放してやった地域は、のきなみソ連の「子分」(注:共産圏)になったよ。

 首都ベルリンを含むドイツの東半分、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなどだ。

アメリカはソ連グループの拡大を「封じ込める」ためにあの手この手をつかった。
この地図ではソ連の「お友だち国家」に色が塗られている。
視点1:大西洋では、中央アメリカの一部(キューバ、ニカラグア)を除いては勢力を伸ばすことが成功。(wikimediaより)
視点2:アフリカは守りが固い。守り薄の元・ポルトガルの植民地(アンゴラ、モザンビーク)やエチオピアなどに点々と「営業活動」。
視点3:ユーラシア大陸からインド洋・太平洋への南下はなかなかできない。「親友」の中国も途中でケンカ別れ(黄色いところは中国と、一時中国グループとなるカンボジア)。



 他方、ユーゴスラビアは自分たちで追い出すことに成功したので、「子分」になるのを嫌がった。
 なんとかしてヨーロッパの西のほうがソ連の勢力に入らないようにしなければと、アメリカの大統領は考える。

 そこでアメリカは、公然と「ソ連立ち入り禁止エリア」(注:封じ込め政策)を設定し、お金をばらまいて「ソ連の側につかないよう」に要請した(注:マーシャル・プラン)。

なんだか、第二次世界大戦が終わっても、全然平和になってないですね。むしろ複雑になっている…。

歴史:そうなんだ。

従来は、

ファシズム大嫌い」:アメリカ+イギリス+ソ連+中華民国+ドイツ占領下のフランスなど

植民地いっぱいの勝ち組大嫌い」:ドイツ+イタリア+日本など

  …という対立構図だったよね。

 それが、いざ戦争が終わってみると、

 アメリカは次のように対立構図を「変更」したわけだ。

自由で民主的な国」:アメリカ+イギリス+中華民国+フランス
 対
不自由な独裁国家」:ソ連

 …というように。

 アメリカは「平和」のためには「自由な貿易」ができる環境づくりが必要不可欠だと主張して、イギリスやフランスの植民地の壁を壊し、ドルを中心とする自由なビジネス環境を整える。

 また、石油の重要性が高まるなか、サウジアラビアに接近して原油の採掘を本格化。このころから、「中東」(西アジア)イコール「石油のとれるところ」「アラブの石油王」という構図やイメージが一般化していくことになる。

西アジアって、もともとイギリスやフランスが進出していたとこでしたよね。

歴史:そこへアメリカが切り込んでいったわけだね。

 「新規参入」だ。

 ヨーロッパとしては、東からソ連の勢力が広がるのを防がねばならないんだけど、かつてのようにイギリスやフランス一国で立ち向かうことは困難だ。

 ヨーロッパの小国、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクにとったら、もっと怖い状況だ。そこでこの3国は、フランス、ドイツの西半分、イタリアを誘って、集団防衛のためのグループを立ち上げた。

 それでも不安だったので、アメリカを誘って同盟を拡大した(注:NATO;北大西洋条約機構)。アメリカの核兵器の威圧によって、ソ連の核兵器に対抗しようとしたのだ。

なんだかヨーロッパの存在感が薄まっていますね。
歴史:ヨーロッパの国々も、「もう仲間割れしている余裕はない」と考えたわけだ。

 長い歴史を見てみても、ヨーロッパの戦争の発端というのは、フランスとドイツとの争いがきっかけとなっていることが多い。

 そこで、「ヨーロッパ」の国々をひとつにまとめて、対立のない「統一ヨーロッパ」をつくろうじゃないかという運動もはじまるよ(注:シューマン・プラン)。これが今のEUの原型となる。

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●1945年~1953年のアメリカ

歴史:この時代、アメリカはソ連との対立を深めていく。


あれっ、ソ連ってアメリカ側で一緒に戦っていたんじゃないでしたっけ?

歴史:「共通の敵」である日本やドイツがいた間はね。
 でも、根本的に「どんな社会をつくるか」っていうところは「真逆」なわけだから。

 ひと昔前ならイギリスがソ連の「対抗馬」だったわけだけど、イギリスにはもはやそんな力はない。
 そこでアメリカの大統領が、「ソ連つぶし」の役を買って出たのだ。


アメリカはどうやってソ連をつぶそうとしたんですか?

歴史:「お友達を増やす」作戦だ。
 当時、ソ連は世界中に自分のパートナーを増やそうとしていた。アメリカもそれに対抗したんだ。
 「お友達」っていっても、実質は「子分」だけどね。

 アメリカが特に重視したのは、中央アメリカや南アメリカだ。
 ソ連がアメリカ大陸にまで「子分」を増やそうものなら、危機的な事態だからね。


ソ連の側に立った国は出てきたんですか?

歴史:メキシコ、ブラジルやアルゼンチンでは、アメリカに対抗して自分の国の資源を守ろうとする強いリーダーが指導者になっているよ。
 でも、グアテマラという国ではアメリカに対抗する政権ができた。

グアテマラのごたごた(英語)

 アメリカの会社が、大規模なバナナ農園をつくってグアテマラの人たちを苦しめていた結果だ。


 ニカラグアという国では、そんなことが起きないようにアメリカのいうことを聞く軍人一族が、国じゅうの土地を独占している状態だ。

ニカラグアのごたごた(英語)

中央アメリカ・南アメリカの地図(外務省)


 ちょっとでも「国民の平等を目指す政策」がとられると、アメリカから「ソ連の側につこうとしてるんじゃないか」と目をつけられてしまう面倒な状況に、次第に反発も起きるようになっていくよ。

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●1945年~1953年のオセアニア

オセアニアの島々は日本の占領から、アメリカが解放していったんですよね。

歴史:そうだよ。
 だから、戦後はアメリカが「代わりに」支配するようになっているところも多い。

 この地域はイギリスやフランスが植民地にしていた地域が多かったけど、今回の大戦で両国とも植民地を支配する余裕が次第になくなっていった。

 アメリカは「そのスキをねらってソ連が勢力を拡大するのではないか」と心配した。
 そこでオーストラリアとニュージーランドを誘って、軍事同盟(アンザス;ANZUS。下図(wikimedia))が結成されたんだ。


あれ、国際連合っていう「世界平和のための組織」があるのに、軍事同盟なんてつくっていいんですか?

歴史:矛盾しているようだけど、これが大戦後の世界の現実だったんだ。
 「世界平和のため」と言っておきながら、さっそくアメリカ・チームとソ連チームの間に「にらみ合い」が起きているからね。


アメリカが確保した太平洋の島々は、今後独立することができるんでしょうか?

地理:結論から言えば、今も「完全にはできていない」。
 国の防衛などはアメリカに任せる「自由連合」という形をとっているからだ。国が小さすぎて立ち行かないということもあった。

 ただ、この時期のアメリカが太平洋の島々を確保したい理由はほかにもある。

なんですか?

地理:核実験だ。
 太平洋のミクロネシアという地域のビキニ環礁というところ(水着のビキニの語源)では、広島・長崎に原爆を落とした1年後から、何度も核実験がおこなわれている。現在でもその爪痕は生々しく残されている

核実験がおこなわれたところ(日本は実戦に使用)。

中国は広いので自国内で。アメリカは広いので始め自国内、のちに太平洋で。イギリスは初期はオーストラリアで、のちインド洋や太平洋で。フランスは太平洋のタヒチ近くで。ソ連は北極圏の島や、ソ連の加盟国で。

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●1945年~1953年の中央ユーラシア

歴史:この時期の中央ユーラシアは、大部分がソ連か中国の支配下となっている。

 このうち中国側では一時期、ウイグル、チベット、モンゴルで独立に向けた動きもあったけど、中国共産党が建国した「新しい中国」(注:中華人民共和国)によって阻止されているよ。

ウイグル人ってまだ中国の支配下にあるんですね。


地理
:タリム盆地を中心とする地域にいるウイグル人はイスラーム教徒だ。
 中国はその領土の中にイスラーム教徒を多く抱えているわけなんだ。
 のちに中国はこの地域を核実験場としても使用していくことになる


「植民地」を持つことが「悪いこと」と見られるようになっていますが、こういう「国内にいる別の民族に対する支配」は続いていくんですね。
ソ連の地域に入っている中央アジアの諸国はどんな感じですか?

地理:まあ、「いいように使われている」よね。
 この時期からアラル海の水が、農業用に使われまくった結果、湖の面積が極度に縮小していくことになる。
 かつては世界第4位の面積を誇っていたんだけど。

 また、カザフスタンには核実験場(注:セミパラチンスク核実験場)が作られている。


「アメリカが核実験をしました」なんて情報は聞くけど、「どこでやったのか?」ってことには、あまり注意していなかったです。

地理:地球以外でもやる可能性があるって、考えたことある

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●1945年~1953年のアジア

日本は戦争に負けましたね。

歴史:負けましたね。
 そして、しばらくの間、アメリカの占領下に置かれた。
 アメリカの大統領には、「原爆を落としたことで、日本をさっさと降伏させることができた」という意識があったとみられる。


でもどうしてアメリカは単独で日本を占領したのですか?

歴史:北からソ連が下がってきて、日本を占領するのを防ぎたかったんだ。

 だから、とりあえずアメリカが日本を占領し、「日本の取り扱い」をめぐることについては「降伏」後もあいまいなままにされたよ。

 日本をアメリカが占領後、東アジアにはソ連の「パートナー」も増え、アメリカの焦りも高まっていった。

たとえばどこですか?

歴史:1つ目は朝鮮半島だ。
 ソ連の占領していた北部と、アメリカの占領していた南部が対立し、別々の国として独立することになってしまった(注:朝鮮戦争)。

 2つ目は、中国だ。
 そもそも中国は、世界大戦ではアメリカとソ連側に立って、日本と戦う選択をしていた。
 でも、戦争が終わってみると、「国づくり」をめぐる対立が起きてしまう。
 「個人の自由な競争を重んじる」アメリカ的な考えと、「個人よりもまず社会全体の平等を重んじる」ソ連的な考えの2グループの争いは、後者の勝利に終わる。


歴史
:負けた方はどうなったんですか?

 もともと前者の指導者は、結局台湾に政府をうつすことになった。アメリカやイギリスに「中国は頼むぞ」と期待されていたこともあり、アメリカやイギリスは大きなショックを受けたんだよ。

じゃあ、中国ではソ連のように「みんなが平等な社会づくり」が目指されていったわけですね。
歴史:そうだよ。
 経営者や大地主は追放されて、すべての土地や資産は国のものとなった。
 将来的には、みんなが平等な社会をめざそうとしていくよ。

 アメリカが「この動きは“病気”のように伝染していく。どこかで無理にとめなければ」と焦る中、なんと北の朝鮮が南部を占領する事態が起きてしまう!

困りましたね。

歴史:アメリカは国連の場で事態をおさめようとしたものの、中心グループのひとつソ連が会議に欠席して判断ができない状況となってしまった。
 「平和を守るため」につくられたはずの戦勝国の組織は、戦後すぐに「機能不全」におちいってしまったわけだ。
 そこで、アメリカ軍が中心になって特別な軍をつくり、北の朝鮮を北に追い返す作戦に出た。アメリカ軍は一時、原爆を使おうとまで考えたけれど、大統領はそれに反対しているよ。

 しかし、朝鮮半島の一般の人たちが命を落とし戦争が泥沼化する中、ソ連側の指導者が亡くなった。
 これがきっかけとなって、戦争の「一旦停止」ムードが高まっていくよ。


○1945年~1953年の東南アジア

東南アジアから日本が撤退して、ヨーロッパ諸国からの独立は実現できましたか?

歴史:そうカンタンにはいかなかった。
 植民地の「うまい汁」をすすっていた各国は、独立させるにしても、なるべくそのまま「首輪」をつないでおきたかったわけだ。

例えばフランスの支配していたインドシナは、カンボジアとラオスとベトナムを「むりやりあわせた」地域だ。
 とくにベトナムでは独立に向けた運動が激化。ソ連のバックアップを受けた北の指導者が、フランスのバックアップを受けた王様と対立し、大戦争に発展(注:インドシナ戦争(第一次ベトナム戦争ともいう))。
 戦争はソ連側の指導者が亡くなって、両者が「クールダウン」するまで続けられた。

 オランダもインドネシアを手放したくないがために反乱を鎮圧しようとするけど、戦いの結果独立が認められている。

 フィリピンは以前から独立への準備が進んでいたから、比較的早くに独立。
 ビルマもイギリスから独立できた。

東南アジアの現在の地図(外務省

 独立がすすまなかったのは、イギリスが「こだわった」マラッカ海峡の周辺だ。
 特にシンガポールはインド洋と太平洋を結ぶ「重要な通り道」。なかなかすぱっと独立への動きが進まなかった。


○1945年~1953年のアジア  南アジア

インドはイギリスの「大切な植民地」でしたよね?

歴史:別格扱いだったよね。
 でも、独立運動が盛り上がりを受けて、この時期になってようやく独立を認めた。
 しかし、イギリスが支配していたエリアが「ひとつにまとまって」独立したわけではなく、ヒンドゥー教徒の多い地域とイスラーム教徒の多い地域に分かれて独立することになった。

なんでそんなことになったんですか?

歴史:以前からイギリスの植民地担当部署は独立運動が「ひとつにまとまる」ことを恐れて、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒それぞれが中心とする独立組織が「互いにケンカする」ように仕組んでいた。
 その結果、イギリスが支配していた「インド」は、イスラーム教徒の多い地区(北西のパキスタンと、北東の現・バングラデシュ)と、ヒンドゥー教徒の多い地区(今のインドの大部分)に分かれて独立することになってしまったんだ。

領土は平和的に決まったんですか?

地理:北部のカシミールをめぐって戦争が起きている。

地理:カシミール地方は、宗教的には西方のイスラーム教と、東方・南方の仏教・ヒンドゥー教の狭間に位置するエリア。
 文字的にも西方のアラビア文字系と、東方・南方のインド系の文字の境界エリアである。
 古くはユーラシア大陸中央部とインドの間の「文化の交差点」として名をはせ、家畜を遊牧させて毛をとり高品質な織物産業(カシミヤ)が盛んだ。
 水資源や鉱産資源の利権もからみ、住民を巻き込んでいる。


○1945年~1953年のアジア  西アジア

西アジアはどうなっていますか?

歴史:むかしオスマン帝国だったところに、イギリスやフランスが「代わりに支配」していた地域があったよね。
 そこでとてつもない量の「石油が見つかった」ばっかりに、先進国の「ターゲット」になるよ。
 でもさすがに「植民地」をつくるなんて時代遅れだし、イギリスやフランスにもここをソ連の進出から食い止める力も残されていない。
 だから、アメリカはこの地域の国々と同盟を結んで、ソ連の進出に備えたんだ。


なるほど。アメリカの進出に対して、住民たちは一致団結して立ち向かうことはできなかったんですか?

歴史:パレスチナという地域にイェルサレムという町がある。
 ここには大昔にユダヤ人の建てた神殿跡もあるし、キリスト教のイエスのお墓や、イスラーム教の開祖が天国にのぼったとされているところもある。

いろんな宗教にとって大切な場所だったんですね。

歴史:そうだよ。
 昔オスマン帝国の支配下だったときには、どの宗教の「持ち物」でもなくゆる~く支配がされていた。だけど、この時代にユダヤ人のグループのひとつが、この場所に「ユダヤ人の国」(注:イスラエル)を建国したんだ。

 それに対してアラブ人は一致団結してユダヤ人を追い出そうとしたけれど、失敗。たくさんの「家を失った人」が発生してしまった。

 そんな中、エジプトでは王様が軍人に倒されている。イギリスをはじめとする外国との仲のいい王様を追い出して、「アラブ人の国」をつくろうとしたんだ。

 一方、アメリカやイギリスはソ連が南に下がってこないように、イランの国王と協力してイランに埋まっている石油を確保しようとしていた。それに対してイランの首相は「イランの石油はイランのものだ!」と宣言したけれど、アメリカの作戦によってこの首相は退陣させられてしまった。
 これ以降イランは、アメリカに対してはむかうことができなくなっていくんだ。

西アジアはみごとにバラバラって感じですね。

歴史:そうだね。
 おなじアラブ人であっても、国ごとにバラバラになってしまっている。
 これもまた、アメリカ側の作戦でもあるよ。
 とくにサウジアラビアの王様はアメリカとの関係を良好に保って、石油を輸出してボロもうけしていくことになる。「アラブの石油王」のイメージはここからだ。

なんだかせっかく独立できたのに、どんどん混乱していくんですね…。

地理:これは現在、外務省が発表している渡航安全情報。ユーラシア大陸の中央部から東南アジアにかけての地域と、アフリカの大部分は、見事に危険度が高い(白<黄色<オレンジ<赤色)。

変な話ですけど、気候的には温帯から冷帯にかけての国は「平和」ということになっているわけですかね。

地理:例外はあるけど、おおむねそうともいえるかもしれない。
 要するに、温帯から冷帯にかけての国々が、熱帯地域を中心に植民地としての支配を続けてきた。
 そこから独立する過程で「うまく問題が解決できなかった地域」では、現在でも不安定な情勢が続いている。

歴史:でも「うまく問題が解決できなかった」といっても、現在のその地域の人に「責任」があると考えるのは正しくないね。歴史的な事情をしっかりと考えるべきだろう。

じゃあ、次はアフリカを。

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●1945年~1953年のアフリカ

歴史:ドイツと日本とイタリアのグループを破った後、「勝ち組」の中心となったのはアメリカとソ連だ。

イギリスやフランスは…?

歴史:戦争で疲れてしまって、もうへとへと。体力がないんだ。
 そこでアメリカもソ連も、「イギリスとフランスが世界中にもっている植民地を、いかに解放させるか」ということを考え、両国を含めヨーロッパ諸国に植民地を「手放す」ようプレッシャーを与えた。

独立運動も活発しそうですね。

歴史:その通り。
 でも、植民地を「ベース」に新しい国をつくるにしても、もともとあった国や民族の境界線とは一致しない。

直線的な国境が多かったですね。

地理:住民の事情はほとんど考慮されていない。地形を考慮した線引き(自然的国境)もあるけど、直線的な機械的な線引き(注:数理的国境)が多い。

 そうなると、植民地にいたいろんな民族が新しい国の実権を握ろうと「競争」する事態になる。
 それに、国づくりにはお金が必要だから、資金を提供してくれる「親分」に頼らざるを得ないところもある。


どうしてですか?

歴史:植民地はヨーロッパ諸国だけが得するように経営されていたから、住民のことを考えた国づくりはほとんどなされていなかったんだ。
 例えば、道路、病院、水道、学校などなど。


輸出向けに嗜好品を栽培するプランテーションや、鉱産資源の採掘くらいしか産業もありませんよね。

地理:そうだね。
 たとえば、のちにガーナやコートジボワールして独立する地域(西アフリカ)の熱帯雨林地域ではカカオばかりが育てられている。

 現地の人はそのカカオが「甘いチョコレートになる」なんてことは思いもよらない場合すらある。現在でもカカオの生産トップには西アフリカの国々(コートジボワール、ガーナ、ナイジェリア、カメルーン)がランクインしている。
 原産地はアメリカ大陸なのにね。

 あとはバナナ。これも赤道周辺で栽培がさかんだ。

 パーム油という石鹸やシャンプーの原料となるアブラヤシ、さらにゴム製品の原料となる天然ゴムも、西アフリカや中央アフリカの赤道付近で育てられている。

植物物語の「植物」とは、パームのこと。


 こういった嗜好品(=風味や香り、刺激を得るための飲食物)や工芸作物(=そのまま食べるのではなく、工業の原料としてつかわれる作物)を、現地の人々を労働力に広い農園で栽培する農業をプランテーション農業といって、だいたい年の平均気温20度以上のところに分布している。
 これはだいたいヨーロッパ諸国の保有していた植民地の分布と一致する。

(上)赤道付近の茶色いところがプランテーション農業アメリカの地理学者による農業区分図(wikimedia)。(下)1945年時点で植民地だったところを示した地図)。中央アメリカ・南アメリカには色が着いていないけど、19世紀まではヨーロッパの植民地だったよ。


嗜好品や工芸作物が、たまたまヨーロッパにはなくて熱帯地域に分布していたっていう事実。偶然にしては皮肉ですね。ヨーロッパでもしもコーヒーの栽培ができていたら、こんなことにはならなかったのでは…。

歴史:たしかに。偶然の配置によって決まった面も大きいかもしれないね。

 まだこの時期に独立できたのは、イタリアの植民地だったリビアくらいだけど、この先アフリカの人たちには過酷な試練が待ち受けているよ。

リビアは独立してやっていけるんですか?

地理:石油を欧米諸国に売って収入源にできたんだ。

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●1945年~1953年のヨーロッパ

歴史:ソ連は「2度目の大戦」ではじめはドイツの側に立って戦ったけど、途中で「寝返って」、イギリスとアメリカ側についた。

どうしてですか?

歴史:序盤はドイツと組むことで、とれるだけの領土をとった。
 でもドイツが負け気味になると、こんどはイギリス・アメリカと組んでドイツを「はさみうち」にしたほうが、もっと領土が取れると計算したわけだ。

でも、国の「設定」はソ連と、アメリカ・イギリスとでは大違いですよね。

歴史
:そうだね。


◆ソ連とアメリカの「設定」の違い

 ソ連は、「人間の世の中は、みんなが平等な国になるべきだ」ということを「正義」に「設定」し、「社会全体」を重視して特定の個人に「持ち物」や「手柄」が集中するのを認めなかった。

 アメリカは、「人間の世の中は、みんなが自由に個性を発揮できる国になるべきだ」ということを「正義」に「設定」し、「個人」の自由な競争を認めた。

それぞれ「いい考え」に思えますが…

歴史:一見そう見えるけど、どちらにも「欠点」はある。
ソ連のやり方だと、「社会全体」が重視される代わりに「個人」の自由はおさえこまれる。

一方、アメリカのやり方では「個人」の自由を大切にするあまり、「社会全体」の平等は保障されにくい。
 ただ、戦後のヨーロッパでは、どちらも「新しい時代」にふさわしい魅力的な考えにうつったわけだ。

じゃあ、ヨーロッパはこの2つの考えのうちのどちらかを受け入れていくわけですね?

歴史
:そう。
 西のほうはアメリカの影響力が強く、東はソ連の影響が強かった。
 ドイツを追い出して解放することができた土地では、ソ連の影響力が強まったわけ。
 で、それぞれの地域で経済の復興をしていく。


どうやって復興させていったんですか?

地理:まずは鉄鋼の生産だね。石炭の産地近くに工場がつくられることが多かった。
 その原料である鉄鉱石や石炭をめぐって揉め事が起きることのないように、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、イタリアで共同管理グループ(注:ECSC)も作られている。フランスとドイツの国境近くの産地は、長年に渡る対立の火種だったからね。

ECSCの加盟国。ここから「ヨーロッパの再統合」が始まっていく(wikimedia


地理:でも、この時期になると原料を海外から輸入することが増えていった。
 輸送費が下がったからだ。
 鉄鋼をつくるにはいったん鉄鉱石から鉄鋼の「元」をとりださなきゃいけない。これを「銑鉄(せんてつ)」という。でもこのままだと不純物が混じっているから、そこに石炭を合わせて中にある炭素を取り出す。そうするとガチガチの鉄鋼ができるんだ。


 こういう工場を銑鋼一貫製鉄所という。例えばイタリア南部のタラント、フランスの北部沿岸のダンケルクが有名だ。

 また、石油をベースにしたプラスチック製品などの製造もすすんでいくよ。
 おおもとの原料となる石油は、東ヨーロッパはソ連に頼ればいいけど、東ヨーロッパでは取れないから輸入に頼るしかない。
 このような石油化学コンビナートは港のすぐそばに建設されることが一般的になっていく(注:臨海型工業立地)。


イギリスはどうなっていますか?

歴史:戦争を率いた首相はすでに選挙で負けて引退し、労働者の支持を得た新しい首相が、国民の福祉を最優先に考えた政策を進めている。
 会社を国有化したり、生まれてから死ぬまで国が安心を保障したりと、至り尽くせリだ。

地理:また、戦後の人口の急増に対応して「本社や役所の本部が集中する地区」(注:中心業務地区(CBD))を持つ、ロンドンの都市改造計画も実行に移された。

「都市改造」ですか?

地理:人口が増えれば、その分「世帯」も増える。
 でも、みんながそれぞれてんでバラバラに家を建ててしまうと、虫食い状に開発がすすんでしまう(注:スプロール現象)。

 すると、守るべき自然も守られなくなるし、学校や病院といったサービスもうまい具合に提供されなくなってしまうかもしれない。また、みんながいっせいに郊外(注:ベッドタウン)からロンドン都心に通勤するとなると、交通渋滞も心配だし、昼間の都心は人だらけになってしまう(注:「昼間人口が夜間人口を上回る」って表現する)。

 そこで、「ここは開発しちゃだめ」(注:グリーンベルト)というところをあらかじめ設定し、ロンドン中心部に人口が集中するのを防いだ。

 さらに、まわりに「新しい都市」(注:ニュータウン)を建設して、職場と自宅が近くなるように工夫したんだ(注:職住近接)。これを「大ロンドン計画」というよ。

では、ドイツはどうなっていますか?

歴史:西側はアメリカ・イギリス・フランスの3か国が、東側はソ連が「分割して」占領することになった。
 国がバラバラになってしまったわけだ。
 でも首都は東側に位置していたから、首都は首都で東西に「分割して」支配されることになった。

なるほど、それで「ベルリンの壁」が作られたんですね。

歴史:それはもうちょっと後の時代。この時期にはまだない。
 ただ、さっそく東西の対立が深刻化して、戦争に発展するんじゃないかというところまで行ってしまった(注:ベルリン封鎖)。
 でも、なんとかギリギリおさまったんだけど、ドイツは結局「東のドイツ」と「西のドイツ」の「2つのドイツ」に分かれてしまう結果になってしまったよ。
 こういう深刻な対立は、ソ連側の最高指導者が急死するまで続くことになる。

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