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世界史のまとめ × SDGs 第11回 民族の大移動と環境への負荷(200年~400年)

SDGsとは―

世界のあらゆる人々のかかえる問題を解決するために、国連で採択された目標」のことです。
 言い換えれば「2018年になっても、人類が解決することができていない問題」を、2030年までにどの程度まで解決するべきか定めた目標です。
 17の目標の詳細はこちら
 SDGsの前身であるMDGs(ミレニアム開発目標)が、「発展途上国」の課題解決に重点を置いていたのに対し、SDGsでは「先進国を含めた世界中の国々」をターゲットに据えています。
 一見「発展途上国」の問題にみえても、世界のあらゆる問題は複雑に絡み合っているからです。
 しかも、「経済」の発展ばかりを重視しても、「環境」や「社会」にとって良い結果をもたらすとはいえません。
 「世界史のまとめ×SDGs」では、われわれ人間がこれまでにこの課題にどう直面し、どのように対処してきたのか、SDGsの目標と関連づけながら振り返っていこうと思います。

***

Q. 人々は何を求めて移動したのだろうか?

SDGs 目標1.5 2030年までに、貧困層や脆弱な立場にある人々のレジリエンスを構築し、気候変動に関連する極端な気象現象やその他の経済、社会、環境的打撃や災害に対するリスク度合いや脆弱性を軽減する。

よりよい環境を求めて

歴史:この時代、北アメリカの南方の熱帯エリアでは都市がいくつもできて、農業や貿易の利益をコントロールする支配者が立派な神殿を建設して、富を独占している(テオティワカン文明)。

すごい規模ですね!

歴史:マヤ文明の都市国家からも、当時の王様のパワーを物語るように、ヒスイという青い宝石で全身をおおわれた王様のお墓が、ピラミッドの中から見つかっているんだ。

すごいインパクト…

歴史:ただしマヤ文明では、ユーラシア大陸のように広い範囲の領土の統一には発展せず、都市ごとに王様がいて互いに争うにとどまった。
 ユーラシア大陸のように騎馬遊牧民はいないしね。
 この時期には北の大都市から、南の熱帯エリアに軍隊が進出して、いくつかの都市は乗っ取られたらしい。


 どうして年代がわかるかというと、正確な日付とともに支配者の名前が石碑に刻まれているからだ。現在では文字はほとんど解読され、詳しい事実が次々に明らかになっているよ。

南アメリカはどうですか?

歴史:アンデス山脈で広い範囲をまとめる支配者が登場しているよ(注:モチェ文化)。
 海岸付近では巨大な「地上絵」が描かれて、雨乞いの儀式が行われていたらしいね(注:ナスカ文化)。

太平洋(オセアニア)はどうですか?

歴史:この時期に、南の島の人たちは船に乗って西の島を目指して、少しずつ拡大している。気ままな移動ではなく、計画的な移住であったらしい。

なんだか世界中で人々が移動していますよね。

歴史:気候の変動による影響と考えられている。
 ユーラシア大陸の草原地帯でも遊牧民の大移動がはじまっているよ。

遊牧民が移動したら、相当なインパクトがありますよね。

歴史:そうだね、草原地帯の遊牧民の活動範囲はスケールが大きい。

 中国の北で活動していた遊牧民グループ(匈奴)が、中国の王様に敗れて西に進んでいき、西のほうでフン人というグループに変化していったのではないかという説もある。

当時の西の方(ヨーロッパ)にはローマがありますね。

歴史:そうそう。
 当時のローマは領土がもっとも広く「安定」した時期(注:パクス=ローマーナ)にあたるけど、その一方で支配の欠陥が目立つようになっていた。
 国境警備隊を置いて国を守ろうにも、ローマ人の兵隊が足りない状況となっていたんだ。
  ローマ人の中にも貧富の差が広がっていたし、首都から遠いところはコントロールがうまくきかなくなっていた。
 国全体を一人の皇帝が支配することも難しくなっていたんだよ。

じゃあ誰が国境地帯を守ったんですか?

歴史:国境地帯にAとBという遊牧民グループが迫ってきたとする。 この場合、ローマは遊牧民グループBを「ひいき」して、ローマの国内で兵隊として働かないか?と誘った。そして「ライバルのAがローマに入ってこないように国境を守ってくれ」と頼むんだ。

敵を倒すのに敵を利用したというわけですね。

歴史:そうだね。でも、「フン人」という遊牧民グループが東の方からローマ国内に突入すると、もはやコントロール不能となってしまった。 「フン人」は別の遊牧民グループを倒すたびに、その軍隊を自分たちの仲間として採用し、「雪だるま」のようにふくれあがってローマに入ってきたんだ。

それは大変…。

歴史:結局なだれを打つようにローマ国内にいろんな遊牧民が入り込み、各地のローマ人を支配しはじめたんだ。 彼らのことをまとめて「ゲルマン人」という。軍事的にはローマはとてもかなわないからね。ローマはこの状況を認めざるをえなくなった。

緑色の「←」がフン人の主力の移動。それにつられて、濃い紫(西ゴート)、薄い紫(東ゴート)、青(ヴァンダル)、オレンジ(フランク)、黄色(アングル、サクソン)といったゲルマン人のグループが移動した。


 こうしてもともといたローマ人の貴族たちは、あとからやってきたゲルマン人たちの支配下に置かれることになったのだ。

でもゲルマン人たちは定住民を支配するのは慣れているんですか?

歴史:いいところに気がついた。そりゃ慣れてない。
 もはや馬に乗ってテントを張る暮らしは終わりだ。
 住民たちを納得させるには、それなりに妥協することも必要だよね。

 ローマ帝国はこの危機を乗り越えるために、帝国の支配を1人ではなく4人で運営したり、キリスト教のネットワークを支配に利用するためにキリスト教以外の宗教を禁止したりと、いろんな策を打った。
 でも結局はこの時代の最後に、イタリア中心の政権(注:西ローマ)とバルカン半島中心の政権(注:東ローマ)に分裂してしまった。

* * *

草原地帯の東の方でも同じように遊牧民の移動は激しくなっているんですか?

歴史:そうだよ。東と西で連動している

 中国では大きな国(漢)が滅んでからというもの破壊的な内戦となり、結果的に3つの国の争う時代となった。「自分が皇帝だ」っていう人が3人いた時期もあるんだ。

 でもそのうち、中国北部の黄河流域に拠点を置いた国(注:魏)がようやく統一を果たした。
 しかし今度はそこへ、方のモンゴル高原と西方のチベット高原の方から遊牧民がやってきたわけだ。彼らは定住民エリアを支配するために、中国の伝統的な価値観を大切にした。
 「郷に入っては郷に従え」というわけだ。

 一方、遊牧民エリアに残ったグループも当然いた。「トルコ系の言葉」を話す人たちの動きが活発になるのはこのころのことだ。

トルコってどこにある国ですか?

歴史:いまは西アジアのヨーロッパのすぐ隣にある国に、「トルコ系の言葉」を話す人たちがたくさん暮らしている。でも彼らのふるさとは、中国の北にあるモンゴルのほうなんだ。


Q.農地の開発は社会や環境にどのような影響を与えたのだろうか?

SDGs目標 15.4 2030年までに生物多様性を含む山地生態系の保全を確保し、持続可能な開発にとって不可欠な便益をもたらす能力を強化する。

遊牧民が北から攻めてきて、中国人は大変ですね。

歴史:遊牧民が中国に入ってきて自分たちの国を建てると、多くの中国人は長江のほうに避難民として逃れていった。手付かずで未開発の地域の多かった長江下流は、このときの亡命中国人によって整備が進んだんだ。

 開発がすすむと、南中国は経済的には北よりもはるかに先進的な地域になっていく。
 このときの混乱によっておびただしい人の命が奪われてしまったのだけどね。

(上)長期的な中国の人口変遷グラフ。左のほうの「HAN」は漢のこと。そこから次の「SUI」(隋)にかけて、人口が停滞・減少していることがわかる(コロンビア大学 ASIA FOR EDUCATORより)。

(下)もうすこし詳しい中国の人口変遷グラフ(推計)。この時代(200~400年)前半に人口(実線)が激減していることがわかる。破線は内戦による社会の不安定指数を示す(出典)。歴史的な人口を正確に推定することは難しいが、この時代の中国が破局的な状況だったことは間違いないだろう。

南に逃げた中国人は、北の皇帝に従ったんですか?

歴史:ううん、彼らは北に建てられた遊牧民の皇帝を認めず、南で自分たちの皇帝の国を建てたよ。
 ちなみに当時の日本で前方後円墳という古墳をつくらせるくらいのパワーをもっていた王様たちは「南が本当の皇帝だ」と判断して、使者を送っている。

皇帝が二人いる状態になったってことですか?

歴史:だから支配者たちは、「いかに自分たちのほうが完璧な中国文化を持っているか」っていうことをマウンティングし合った。書道とか水墨画とか、「中国っぽい文化」のルーツはだいたいこの時期に確立したんだよ。

地理:ちなみに影響を受けたのは人間だけじゃない。
 このとき以降、中国の重心は「」に下がっていく。

 遊牧民の侵入を受けやすい北の黄河流域は、どちらかというと軍事の最前線。指揮をとる皇帝もそこで政治をした。
 逆に、この時代に開発のすすんだ長江流域は経済や文化の中心となっていく。

 洪水や病気のおそれがあった低湿地の開発も進められていったわけだけど、開発の手は森林にも及んでいった。
 つまりこの時期から、中国南部に多数生息していたトラやゾウの個体数も減っていくことになる。

アジアゾウ

戦争によって社会が崩れると、そのしわ寄せが環境に行ってしまったわけですね―。


歴史:これもまた、現在も解決できていない課題のひとつだよね。

朝鮮はどうなっていますか?

歴史:中国北部の混乱によって、朝鮮半島に移住する人も増えているね。
 朝鮮半島の北の方では狩りを得意とする一団が強い国(高句麗)をつくっている。中国は朝鮮の支配をキープしようと役所を残すけど、国がバラバラになると経営は厳しくなっていく。

どうして中国は朝鮮にこだわったんですか?

歴史:朝鮮は資源も豊富で、貿易の窓口にもなった。
 この時代に日本に移り住んだ「渡来人」と呼ばれる人々も、出自をたどると中国にたどり着くケースがあるよ。

日本に儒教を伝えた人物。中国から朝鮮半島に移動してきた人だという。


この頃、インドはどんな状況ですか?

歴史:この時期、北インドではグプタ朝という国が広い範囲の統一に成功した。支配者たちは多くの人を納得させるため、各地でまつられている神様たちを利用した。

たくさんの神様がいるんじゃ、誰が偉い神様かわからなくないですか?

歴史:そうだね。そこで各地の神様に序列をつけて、とくに人気の高かった神様のランクを上にしたんだ。特にシヴァという神様が人気だ。

 もともとインドにはバラモンという神官が自然の神様に対してお祈りをする宗教があったけど、人気を高めるために各地の「ご当地神様」の人気にあやかったわけだよ。
 神様に愛されるためには「こんな生き方をするべきだ」というルールが定められ、人々は身分や職業別にそうしたルールを守って暮らした。神様の登場する昔話や劇もたくさん作られたよ。

仏教の人気はなくなってしまったんですか?

歴史:仏教の寺院は、土地を持っている人や商売をしている人たちからの「寄付」によって運営されていた。
 
 当時のインド(注:グプタ朝)の王様は商業をさかんにしようとして、金貨や銀貨をたくさん発行している。

 仏教の寺院に対抗し、インド古来の神々をまつるバラモンも負けじと開発をすすめていった。「バラモンの管理地」っていうお墨付きを与えた上で、農民たちに開発させたんだ。そのほうが「ご利益」がありそうな感じがするからね。
 人里離れた山奥では岸壁を切り開いたお寺も利用されている(注:アジャンター石窟寺院)。
 でも一般人にとっては地元の神様と仏教の開祖の区別はあんまり重要なものじゃなくなっていく。

インドで生まれたのにインドでは信じられなくなっていくんですね。

歴史:「信じられなくなっていく」っていうよりは、ヒンドゥー教と混ざってしまったっていったほうがいいかもしれない。

 逆にインドの外のほうでは、仏教はさかんになっていく。
 この時期にも中国のお坊さんが「本物のお経」をゲットしようとインドを訪れているよ。

歴史:イランではパルティアという国がユーラシアの東西ビジネスルートをコントロールして、西のローマと張り合っていた。でもこの時代にはペルシア人という民族が反乱を起こして巨大な国を建設したよ。

「ペルシア」ってどこかで聞いたことがありますね。

歴史:昔、エジプトやギリシャのほうまで支配した巨大な国もペルシア人によるものだったよね。 パルティアはギリシャ人の影響が強かったから、昔のペルシア人の「伝統」に帰ろうとする動きが起こったわけだ。
 王様は、「この世は善の神と悪の神の戦いによって動いている」という宗教(注:ゾロアスター教)を保護していたよ。
 でも宗教というのはいったん支配者に保護されると、一般の人々の気持ちからは離れていくもの。
 この時期にはキリスト教の影響を受けた新興宗教(注:マニ教)が流行し、ペルシアの王様に弾圧されている。

この新興宗教はその後どうなったんですか?

歴史:迫害されて黙ったわけではなく、負けじとユーラシア大陸の各地に拠点をつくって広がったんだ。地中海のほうや中国方面にも広がっているよ。魅力的な教えだったんだね。



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