北関東の石造物㊼:長谷寺宝塔


名称:長谷寺宝塔

伝承など:なし

所在地:群馬県高崎市白岩町 長谷寺


高崎市白岩町(白岩は旧榛名町に属する)にある長谷寺は、「白岩観音」の通称で知られ、板東三十三観音の第十五番札所となっている。

役行者が文武天皇の治世に開いたと伝わり、これは伝承の域を出ないにしても、本尊の十一面観音像は群馬県では数少ない平安後期の仏像であるから、少なくとも平安期には寺院が開かれていたのであろう。

なお、本尊は秘仏であり、通常は前立である鎌倉時代の十一面観音と脇侍の不動明王、毘沙門天像のみ拝観が可能である。

以前は本堂に入らなくても、正面から遠目に本尊と脇侍の姿をうかがうことが出来たが、近年本堂が改修され、前立と脇侍も厨子の中に納められて堂内に入らないと拝観出来なくなった。

この長谷寺の山門をくぐってすぐ左側には、南北朝時代の宝塔がある。

宝塔は塔身が細長い壺型をしており、群馬県の榛名山麓では室町時代から戦国時代にかけて、同型の宝塔が続々と造立されている。

この長谷寺の宝塔は、そうした石塔の中でも最も古いもので祖型になった塔と考えられる。

長谷寺本堂裏の墓地には、この宝塔を模したと思われる別の宝塔が二基存在する。

一基は世代墓地の中にあり、基礎に応永二十四年銘があったが、現在は基礎は失われており、相輪も後補である(三枚目)。

もう一基は墓地の入口近くにあり、戦国時代末期の天正十年銘がある(四枚目)。

この形式の宝塔としては晩期の作例である。

#高崎市 #白岩観音 #長谷寺 #宝塔 #南北朝時代 #石塔 #十一面観音 #史跡 #歴史 #日本史


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?