見出し画像

専業主夫の49歳が精神科病院に入院したときの話(7)やっとスタートライン!

専業主夫の薄衣です。

前回までのところで、いわゆる独房、
奥の隔離部屋を卒業しました。

少し制限が緩んだ入院生活が始まります。

前回の入院日記はこちら


薄衣の自己紹介はこちらです


はじめての閉鎖病棟

新しい部屋に移ると、担当看護師から色々説明がありました。

この部屋は外鍵のみ、内鍵は無し。
解錠時間は、今日はとりあえず午前と午後1時間ずつ。
恐らく少しずつ増えていく。

病衣や歯ブラシなど、
日常のアメニティは家族が契約していったので、
チラシを見て必要なものがあれば言って欲しい等々・・・

今思えば「それもっと早く言ってや」
ということもありましたが、
それよりもこの時は開放感に満ちていました。

移動後すぐお部屋の鍵が1時間開けられたので、
病棟内をウロウロします。

ほかの患者さん達、初物の中年に興味津々。
熱い視線を感じました。

フラフラしていると
自動販売機に公衆電話を見つけました。
ここは病棟内での携帯電話がダメだったので、
皆さん公衆電話を利用されてました。

給湯器・・・
お湯、ほうじ茶、冷水が。これは無料か・・・
小さな本棚、20~30冊くらい本がある・・・

ブツブツ言いながらウロついていました。

周りの方に会釈をしたり、
挨拶して少し言葉を交わしたり。
といっても、「隔離終わったの?」
「はい、そうなんです。」くらいだったのですが、
ほんの10分程度、こんなやりとりをして
自室に戻ると心がザワついていました。

久しぶりの刺激、
というヤツだったのかなと思います。

念願のお風呂

ここは、月・水・金の週3回お風呂に入れます。
基本的に午後、2時間ほどお風呂場が
開かれており、その間はフリーです。

お風呂に入れるのは素直に嬉しい。
でも、考えると不安が・・・

この日の私は脱隔離初日だったので、
お風呂利用の流れなどを理解していません。
分からないことが不安を掻き立てました。

しかもこの日に入れるのは、
午後の解錠時間(1時間)の間だけ。

さらに私は、混雑がとても苦手でした。

例えば土日のショッピングモール、
例えばお昼時のレストランなど、
混んでいると分かっているところに行くのが無理なんです。
そのおかげで、家族によく迷惑をかけていました。

駐車場の空きを探したり、
空いている席を探したり、
あるいは列に並んだり。ダメなんです。

それを考えるだけでイライラしたり、
お腹を下したり。いざ現場に行くと、
パニックになったり・・・

で、この時は風呂オープン!
にあわせて患者さん達が押し寄せます。

見ると、4~5人入っていると
以降の人は廊下に並んで
待っていることが分かりました。

それを見た私。
まず、並ぶのに抵抗があります。

なので、最初の30分は捨てました。
次の30分に賭けよう!
少しは空くだろう!  と考えます。

そして落ち着かないまま、
せっかくの解錠時間をウロウロして過ごします。

30分経ったか経たないか、
見ると列が消えています。
中を伺うと、お一人のみ。
チャンス!とばかりに慌てて入ります。

取り急ぎシャワーで全身リフレッシュ!

最高でした。

しかし浴槽が・・・

この病棟自体かなり年季の入った建物なので、
当然お風呂も・・・
いろいろと気になってしまうのでした。

久しぶりでも、例えオヤジでも、嫌なものは嫌でした。
というわけでシャワーのみで早々に終了です。

初めての閉鎖病棟、そしてお風呂というかシャワー。
とても慌ただしい時間があっという間に過ぎ去りました。



振り返ると

この頃は、心身のチョットした変化に
気づきやすくなっていました。
チョット心がザワつくとか、少し汗をかいてきたとか。

ほんの少しコミュニケーションをとっただけなのですが、
身体はシビアに反応します。
でも、まずそれに気がつけるようになっていました。

人生49年。リタイアする寸前でギリギリ踏み止まった結果、
ようやく

自分と向き合うスタートライン

に辿り着いた、という感じでしょうか。

お風呂に入るときの感覚。 
自分が苦手なもの、混雑。
再認識しました。

それに対して、対策を考え実行する自分。

行き当たりばったりで、
現場合わせでスッといけば良いじゃない。

それが当時は無理でした。

今も無理・・・かもしれません・・・

苦手なことをしようとすると、
事前にあ~して、こ~して、
こうなったら、どうやって、
などと机上の空論をひととおり
やってしまう自分がいました。

案ずれどもなかなか産めず

【ひとり小田原評定】

とでも言いましょうか。

まだとても、【案ずるより産むが易し】の境地には辿り着けません。

それもまた、今の自分であると思います。
仕方がありません。

時間はかかりますが、
そういうことを自覚して、意識して、
少しずつ「直し」たければ「治し」ていこうと思います。

今は感じたことを家族に説明して、
共有して、できれば理解してもらえるよう努めています。

自分はどういう人なのか。

まず、
それを自分自身が把握していなかった。

自分が無い自分を知らない
49歳の秋を振り返りました。

今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

続きます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?