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【1日で幸福に】これを言わないだけで幸せになれる言葉3選

自分を幸福にする考え方や行動をいつも書いていますが、今日は、私が気をつけている「使わない方がいい言葉」を書いていきます。妻との会話はもちろんのこと、親、兄弟姉妹、友人、同僚、一期一会の方々、すべてに対し、細心の注意を払うようにしています。ぼーっとしているときは、かならずこれを思い出すようにしています。


1.「でも」

逆説「でも」は、人間関係を不幸にする魔法の言葉です。他人の直前の発言を否定したり、だいたいが「プラス」を「マイナス」に転換する会話の流れに使われます。

良いところを見つけようとする会話に対し、それを否定するような論調展開する際に使用されることが多いと思いませんか?「あなたはこんな良いところがあるね」「このお店のご飯は本当に美味しいね」といった、褒め言葉や良い評価に対して、「でも私は〇〇が苦手だし」とか「でも〇〇は高いんだよね」みたいに、悪いところや否定的なところを探して、ついつい言ってしまっていませんか?

それは謙遜や、悪い意味での切磋琢磨(短所を指摘し合ってより高みを目指す、ような過剰な上昇志向と完璧主義)という日本で美化される文化として根付いているものですが、結局、誰も幸せにしないし、他人が謙遜しているのを見て優越感に浸る歪んだ性格の人しか喜ばせません。クレーマーやネットの高飛車な口コミが万円するのもこれが原因かなと思っています。

特に自ら発信する「謙遜型の<でも>」により、意図せずネガティブな人を引き寄せている場合があり、自身のネガティブさが、明るい人を遠ざけていることってたくさんあると思います。

これに気をつけるだけで人生変わります。私は本当に変わりましたし、これが出来ていなかった昔の自分は嫌いです。昔の自分のアルバムや記念品を破棄するほど、昔の自分が嫌いで、必死で軌道修正して今のヘラヘラ笑っている自分がいます。

2.「の方が」

比較ってかなり多くの不幸を生む行為なんですよね。人間も自分と他人を比較しますが、だいたい不幸な結末になります。

学校で洗脳される思考のような気がしていますが、全員で一斉に同じことをしたり、順位や勝ち負けをつ受けることで「人の上に立ちたい」「人より優位に立ちたい」「人を打ち負かしたい」「人に認められたい」という欲求が生まれると考えています。そしてそれを競技という形で繰り返すことで「〇〇より〇〇」のような比較思考が学習され、何でもかんでも、自己と他者を相対化するような思考に陥ってしまうのではないかと思っています。だから他人が気になるし、他人に嫉妬したりするんじゃないかなと。

私もそういう時期がありましたし、競争に勝つことのために膨大な時間を費やしていたことがありましたが、無駄だったと今では思っています。そんなことに時間を費やすなら、財産になる写真や動画、こうした文章を一つでも多く作ればよかったと。

人に勝っても嬉しくもなんともないし、人からすごいねと言われても嬉しくもなんともないです。それは進学や就職で目的を達成して周囲から褒められても嬉しくなったことが証明している他、労働社会で成功者を見たときに、彼らが幸福だと思わなかったことが証明してしまいました。

いつも言うように、朝トーストが美味しく焼けて、妻が笑顔で、自分の趣味や勉強を楽しむ時間があることが重要だと、私は信じています。

では、なぜこういう「の方が」思考になるのか、それは学校だと書きましたが、日本人は特に、垂直方向にしか視野が向かないのかなと思います。勝ち負け、ステータス、年収学歴資産恋愛のような、人と同じフィールドでやることが多すぎるんですよね。

たとえば、料理がうまくなれないなら、掃除が上手くなれるように頑張るとか、水平方向の転換、向いていないことからの脱却が苦手な民族なのかなと思います。向いていないことを辞める力がないと、向いていることを見つける力がなくなってしまうんですよね。

3.「みんな」

最後の悪魔のワードは「みんな」です。「みんな」ってなんですか?と考える時、英語だと「Everyone」でしょうか。日本人の使う「みんな」は、決して「Everyone」でないですよね。せいぜい「Almost all people」「Most People」くらいであり、さらにいえば「Someone around me」レベルなこともあるでしょう。

「みんなやってるから正しいんだ」とか「みんながそうじゃないから間違っているんだ」という価値観が間違ってるとは言いません。流されるのは良くないとは思いつつも、一般常識や社会通念は重要だと思っています。

ただし、その良し悪しは別の機会にするとして、仮に「みんな」思考が正しいとしても、「みんな」の定義が、ぜんぜん「Everyone」じゃない人が多すぎると思うのです。「俺の言ってることは正しいんだよ!」と主張したいがために、どこにも存在しない人物を妄想して、もっといえば「Everyone」を捏造して、「みんな」が賛同する「俺」の「正しさ」という論法に入る人が多すぎはしませんか?と思うことがとても多いです。

そんないい加減な主張をするのなら、いっそのこと「私は自分の好き嫌いや趣味嗜好で〇〇という意見を持っている」と開き直って、私見を信じて生きていけばいいのになと思いますね。

4.おまけ

自分で書いていて、文中で3つの悪魔のワードを使っていないか心配になりました(笑)

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