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"「わからない」という方法" (橋本治著)

自分はどうしても方法論を探してしまう。方法論というジャンルが好きなのかもしれない。SFみたいで夢がある。

さてさて、年末にtwitterを見てたら、確か糸井重里だったと思うが、橋本治に関するツイートをしてて、何気なくYouTubeで橋本治が出てる動画をみた。元々は知らない。何となく見てて、「へぇー物腰が柔らかくて、面白いことを言うおじさんだなぁ」と思っていたら、橋本治が「これを書いてたら気づいたんですよ」なんて言いながら、何かの系統図を書いた巻物のような紙を取り出して広げた。「書かないとわからないんで」的なことを言いながら。

これを見て、「こんなすごいおじさんも自分で系統図を書き直して、そのなかで気づくんだ!」と「おぉ」となった。

それからamazonとかで橋本治の本を調べてたら、イラストレーターだったり、枕草子を現代の女の子の言葉で現代語訳してたり、日本の古典文学を中心に色んなジャンルの本を書いていた。

「桃尻語訳枕草子」「上司は思いつきでものを言う」「人はなぜ「美しい」がわかるのか」「思いつきで世界は進む」「父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない」「ひらがな日本美術史」

タイトルだけで読んでみたくなる。そのなかで「「わからない」という方法」という新書をみつけた。「くぅ、そそられる」

でも、「もう方法論は一旦脇に置いて、年末年始は30本くらいたまったアートの批評記事の文章を分析するぞ」と思ってたところだったので、とんでもない誘惑。

結局、買っちゃった。守破離、起承転結、「映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと」(シド・フィールド)、「神話の力」(ジョセフ・キャンベル)、「本を読む本」(アドラー)、「読書について」(ショウペンハウア)、「読んだら忘れない読書術」(樺沢紫苑)、「なぜアートがわかるのか」(カンデル)、「小論文を学ぶ」(長尾達也)、「デザインの生態学」(佐々木正人他)、ビジ本、イギリスの美大の授業計画書などなど。

学生時代に真面目に勉強してなかったので、大人になってから自分で先生を探し始めた。本で。2006年に留学しようと思ってからだから14年かぁ。

ずーっとそれが出来てたわけじゃないけど、上に挙げたような良い先生に出会うことができた。だんだん感度も上がってきた。それと同時に、次のステップとして「自分で書いてみよう」としてるところ。何か小説を書くというよりか、物理的にペンで書いたり、キーボードを打つってこと。

ついつい先生たちの本を読んでると「あれも知りたい」「これも知りたい」となっちゃって、ぴょんぴょんと本を買っては積ん読しながら、いくつかを読んで、また読む。みたいな。ずっと「俺は何かをアウトプットしたいのに。…何か?…何か…、まだまだだ。ピースがなさすぎて全体が見えない、まずは埋めよう、いやただ憧れてるだけ?いや憧れだけの衝動とは違う、じゃあ、それって?わからない」みたいなループを回ってるわけです。

好奇心はあっても、「切り口」探し下手。Facebookにいる大学教授の知り合いが学生の論文のテーマ設定に「こうアドバイスをした」的な投稿があり、キレイな切り口。さすが。教授になる人はこんな感じで切って、論文を書ける人。自分はついつい幅広くなってしまうのをどうにかしたかった。でも、ずっとできなかった。ようやっとそれは経験不足、知識不足だったと気づいた。遅ればせながらも少しずつこれらを積むことができたのか、ちょっと切り口の「き」くらいに手がかかった気がしてる。みなさんに感謝です。

で、で、この年末にこの「「わからない」という方法」という本にも目が行ってしまったわけです。なぜ自分が留学時代にデザイン学科からアート学科に移ったのかというと「アートってよくわからないから」だったし、切り口の感触があるから方法論は一旦お休みと思ってたけど、こんなド・ストレートなタイトルの本を見逃せなかったのですね。

読んだ。グッと来た。これまでの右往左往を言語化してくれてるかのよう。まさに系統図を自分でつくっちゃったり、わからないから地を這うしかないと仰るんです。書いたから今は分かるんであって、書く前は分からないとも。そして、ピンときて、穴を掘り始めたら、最後まで掘らないと墓穴になる。覚悟をもってトンネルを通せと。

昨日の元旦に9歳の甥っ子がきて、「プログラミングに興味があってサマースクールに行こうとしたら人数が少なくて中止になっちゃった」と言ってたので、「無料でスクラッチってのがあるから、やってみようぜ」と自分も初めてスクラッチをやってみた。教えてあげるにも自分もわからないから、隣りで色々いじられて、自分もコツがつかめず…そのうち甥っ子が飽きて、どっかに行ってる間に、一番最小の動きさせてみて、それができたら次に他のキャラクターと連動させてみたりと一個ずつやってったら、だいたい分かった。

戻ってきた甥っ子に「分かったから、コレ見てみろよ」と見せると、「どうなってるの?」と聞いてきた。今度は答えられる。すると、甥っ子もさっきは完全にメチャクチャだったが、今度はやる範囲を少し限って、その中でバリエーションを試しながら、範囲を広げてくという自習っぽいことがちょっとできるようになっていた。

結局、一歩ずつ。

本の内容を図にしてみました。今年もよろしくおねがいします。

橋本治_「わからない」という方法

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