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考える。ただ、自分が納得するために。

セミナーで、紙布について30分ほどお話しをさせていただきました。
アーカイブです。


自分の考えを文章ではなくて声で表明することは初めてだったので、理論の弱さをつつかれないかなど考えて迷いましたが、結果的に一歩進めたような気がするので良かったです。
これからも声を出して、ちゃんとした批判をいただき、自分の考えを深めていけたらと思っています。

まぁ、しかし、誰も私に理論的な強さは求めていないでしょう…笑
私は自分の感情を動機に動けない人間なので、大義を持たないと仕事を続けられないのだと思います。なのでね、そうやって自分を納得させたいだけなのかも。

また、今回の話に「沁みた」「癒やされた」というご感想をいただいて、私が世の中に提供できるものは布だけでなく、そういった価値もあるのかなと思いました。
私にとっての日常は大多数のひとにしては非日常なわけで、みなさんの日常に風を通す、非日常のような存在として。

そういった意味では、ここに居るだけで良いのかもしれないけれど、居続けるための努力はしないとね。


最近、TakramのPodcast番組を聴いています。

高校生のときに体調を崩すまで思い描いていた未来…「優秀な」大学へ行って、「優秀な」企業に務めて仕事をする…について、考えてしまったり。
しかし、健康だったからと言ってそれが実現したかは分からないし、それに、そういう道に進んだとしても結局、いつかは山奥で染織をしていたと思います。笑

勉強しよう。自分が進めなかった道も、今進んでいる道も、どちらも「正解」にするために。
(それも、ただ自分で納得したいだけ)


上のPodcastで出てきた、「自立するとは何にも頼らないことではなく、頼るものを増やすこと」という言葉。
うん、ヘッセのシッダールタってそういうことかしら。心の拠り所を無限のなかに置くことで、ひとつに依らなくなる。そういう状態が悟りと呼ばれるのかも。

昔、兄が何もかもに無反応でベッドに横たわっていた2日間、「これは身心脱落のようだけど、悟りとはどう違うんだろう」と思ったのがずっと胸にあった。
そう、あのときの兄は精神的に何にも頼っていなかった。心の拠り所は無限ではなく、「無」。

陰極まって陽となる。陽極まって陰となる。
極へ行き着くと、現象が混ざりあってどちらだか分からない。もう少し進めば、反対の極に突入したのか。環状のように、螺旋のように。
そして、すべて増えて分かれて融け続く。

もとの形を失うことで、より遠くへ。
祈り。意乗り。煙に乗り、音に乗り。

と、自分が見たい世界に合わせた誤読による再構築。螺旋を進むほどに複層的に。
「納得する」もただの幻想だと知れば、陰陽と時間が冬の日本海のように荒々しくぶつかり、渦巻き、かたちを失う。

それでも、比較による理解がいちばんインスタントで、そのことに落胆し続ける。
「ことば」にしなくてはならないのか。「ことば」に型抜きしたときに失われることをおそれてはいられないのか。

(とくに最後のブロックは独り言。ただのメモ)



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島根県石見地方、川本町という人口3500人の小さな町地域おこし協力隊として、染織をしています。協力隊の任期後に作家として独立し、「石見織」を創立するために、日々全力投球。神奈川県横浜市出身。