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無風

先日書いた『ベルデン8428』は自分にとって若干新しい風が吹いたが、世間的には殆ど無風だった。

自分がニッチであることは承知の上だが、まさかここまでニッチ過ぎるとは……。

昔、自分がよく書いていた頃、ときめいてくれていた人たちがいた。私を育てようとしてくれた人さえいた。
無知で人の書いた本を読まない私が、本多劇場に連れられて、開演まで並んでいる時、乙一さんを知らなくて、「これ、何て読むの、おつはじめ?」と言うと、育てようとした人にすごい剣幕で「おい! ここは下北沢だぜ?! こんなサブカルのたくさんいる人たちの街の真ん中で、そんな恥ずかしいこと大声で言うなよ!」と叱られた。私は自分の声が大きいだなんて知らなかった。
「え、ここにいる人、みんな知ってるの?」
「当たり前だろ」
「じゃあなんて読むのよう……」
「自分で調べな」
吐き捨てるように言われた。
田舎者の私の言動が恥ずかしくて、とにかく怒られた記憶しかない。それでもその人はその人なりに私が、というか私そのものではなく、私の書いた文章が陽の目を見るよう少しは真剣に考えてくれていたように思えるのだから、ありがたい人だった。学歴主義の意地悪さも根付いていたので、文学を通してしか友達になれなかった。あの頃はそうした反響がいくらかあったものだ。今は? ほぼ無風だ……。

書けなくなったのか? いや、自分ではまだそうは思わない。昔より尖ってないのか? 丸い? どうだろう。それでもこの『ベルデン8428』は、あの頃の自分には書けなかったと思う。

ギターやベースをやらない人には読みにくい文章だし、かなり詳しい人にとっては稚拙と感じるかもしれない。
専門的なことを書くのは苦手で、取材しながらずいぶん面倒なことに手を出しちゃったなあ、よせばよかったなあと思った。しかし人の思いを何か形に残すのは悪くないことだし、最後の一文を書きたいがために書いた。

謎かけが得意な芸人のねずっちさんは「オチから考えれば出てくるよ」と言った。「連想した言葉と同音異義語のものをオチに持ってくるのが、一番早く作れると思う」。

話のオチが書きたくて仕方ない。書かないとやりきれない。誰の気持ちも浮遊する。

なのでケーブルについて調べて、真面目にヒアリングして、頭の中を整理した。しかし悲しいかな、終わりに辿り着かないうちに、読み手は読むのをやめてしまうようだった。

それでもモデルとなった人に見せると、大げさではなく声を出して涙を流して笑ってくれた。私は自分の文章で笑い泣く人を初めて見た。

「文章にしたら面白さが真空パックされた感じがする。永遠に笑えるよ。何回読んでも笑えちゃう。外で読めないよ。ちなみに元々使ってた8412より長いケーブルが必要になったから、あのお店にオーダーしたんだよね。当時はその長さで売ってるところがなくてね。ほんとこれは音楽関係者とかバンドマンとかに読んでほしい。最後の一文も、おじさんに対して愛があると思った。書いてくれてありがとう。苦しくなるぐらい笑わせてもらったよ。時々思い出しちゃいそう。まだにやけちゃう」

自分は昔よりもっとニッチになっちゃったかもしれない。でも誰かの心に届くのがたまらない。だから今日も書いているし生きている。

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