年を重ねるごとに取り返しがつかなくて
2023年
新しい年になった。
去年は自分の嫌な部分に注目し、改善しようと投資したお陰なのだろうか
自分のことを極端に嫌いになることはなくなった。相変わらず醜いかもしれないけど、自分では「そこまで」悪いというようには思わなくなった。
そして不思議と自分自身への妥協が、一人ぼっちを解消させることに繋がることになる。
あー、なんだかこんな日々でもいいのかも
そんな風に思えば世界は色を取り戻す。自分自身も捨てたものじゃない!なんて思い始めて…
しかし、それは大きな間違いである。それどころか問題の先送りにしていたに過ぎない。
人間の人生で「上手くいっている」ということは、3つのことが同時にそれなり以上でないとならない。
自分自身
人間関係
仕事
こと3つが揃ってこそ「あーこれでいいかも」と思えるものである。でも、この3つは歳を重ねれば重ねるほど取り返しがつかなくなっていく。
諦める
妥協する
嘘をつく(自分に)
先送りにし続ける
これらのことをすれば、ある程度まではなーなーになれるかもしれない。もちろんその分、許せるようになったり、現実を見ないようにしたり、世界から取り残される覚悟を決めることを求められる可能性はより高くなる。
いつかの自分に重荷を背負わせて、今をなーなーにしてしまうことも人生かもしれない。でも、実際は今の自分自身にも大きな足枷を履かせてしまっている。
ある意味、今という状況に爆弾を落としてくれた「自分さえよければそれでいい人」のおかげで、自分が取り返しのつかないところにいることに気がつかせてくれた。
もしこのままぬるま湯に浸かり続けていたら…いやでも今の環境が自分の身体には合っている。自分の身体や精神に合うものを見つけても、実際は恵まれた人だけのものであることを見抜けなくなっていた自分への罰なのだろうか。
歳を重ねるごとに理想や叶えたいものがより叶わなくなっていく。周りはどんどん変わっていくのに、幸せになっていくのに自分がいくら努力しても”絶対に選択したくないプラン”だけしか残っていない。
絶対に選択したくないプランのなかで、せめてどれがマシか?を選択するということは「自分を傷つける刃物は包丁だと嫌だから、せめてステーキナイフにしようか…」というわけの分からないものとなってしまう。
数年の誤差で社会でのポジションは、取り返しがつかなくなってしまう。
いつどうすればいいのかなんて、一番適切なときに気がつけるわけじゃない。適切な時期を選択できるのは、一定のキャリアプランを歩んでいる人や早く安定(妥協も含めて)ができた人、あるいはかなりの運があった人…
つまり、ほぼほぼ恵まれた人でなくてはならない。
自分の望んだ選択ができないにも関わらず、自分でも分かるほど劣悪なものを選択しなければならない世界は
本当になんなのだろう。
確かに気がつくのが遅かったし、今更では遅いのもわかるけれど気がついたのに、この有様なんて酷すぎるのではないだろうか。
でもそんなことを理解してくれる人は、社会のどこを探してもいない。
だから理解できるようになるためには、仕方なかったかもしれない。その理解のために人生を棒に振ったのだろうか…
もう選択肢がないなかで
僕はどうなるのだろう。
もっと諦めるなんていうことは、僕にはもうできない。これ以上、全てをうやむやにはしたくないし、
本当の意味では安心できないということだろう。
歳を重ねるごとに取り返しがつかなくなる。
社会や人は、最初から安定した恵まれた人だけしか許さないのである。
夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。