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どんな生まれでも (詩3)


ーこの詩を書いたときー
ー詩3-


ーこの詩を書いたときー

読み直してみると、「普通」であることから排除されていたことに
一番向き合わざるを得なかった時代だったと思い出す。

あと少しだけ我慢したら、あと少しだけ我慢したら
「僕は普通になれる!!」と耐え抜いていたけど
結局、今も普通であることに固執しているわけだから
望みは叶わなかったいえる。

そして、この時の現実として「助けてほしい」と「生まれた意味」を切り離せずにいたというのも感じる。

産まれ出たわけだから「助けてもらえる」のだと。
そんなわけないのにね。僕が僕であるように、親も友達もみな他人。

他の機能している人間関係のなかで”助けを求める”なら違うだろうけど

だから「一人でも生きる」、その一歩を自分自身で見るけるために
光が自分のなかにはあると信じたかったのかなと思う。

アニメの主人公じゃあるまいし、でも、そういった世界と現実を混合しないと自我や自尊心、何よりも自己の尊厳を守れなかったのだといえる。

そこまで子どもは追い詰められてはいけない。

必ずそのシワ寄せが来る。それは残念ながら誰の責任でもなくて

自分自身で清算しないといけなくなる。


ー詩3-

窓の外を見れば 太陽が昇り始り光が溢れてる
楽しそうに触れ合う子どもたち
何かを考え 明日を見る目ている大人たち
窓の外 足を出して
光を この手に満ちると信じて

持って産まれ 誰かに望まれたはずなのに
光を浴びることも許されなくて
どこか違うことに 違和感と一緒になって
何も悪くないのに ただ少しだけ荷物が多かっただけなのに

窓の外を見れば 星が光照らしている
静かに眠りにつく子供たち
今日の疲れを誰かと共に癒す大人たち
窓の外 足を出して
光を この手に満ちると願って

持って産まれ 誰かに愛されるはずなのに
光で包み込まれることも許されない
どこか違うことに 嫌悪感が一緒になって
何も悪くないのに ただ少しだけ錘が重なっただけなのに

ありきたりなもの 持って生まれてこなかった
ありきたりなことに臨まれなかったのかな ふと空に問いかける

持って産まれ 誰かに望まれ 愛され産まれたはずなのに
許されないことばかりなのならば 光だけ求めて
何も悪くないのだから ただ今は走り続けていくだけでいい

光は この手に溢れている どんな産まれでも

夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。