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映画『月』を見て。石井裕也監督が描く「人間の尊厳」。(※ネタバレなし)

心揺さぶられる衝撃

 すごい映画に出会った。映画「月」。主演は宮沢りえ、磯村勇斗、二階堂ふみ、オダギリジョーら。スクリーンにエンドロールが流れ、劇場が明るくなっても席を立たない人が目立つ。筆者もその一人だった。あまりの衝撃に呆然として立ち上がれなかった。重いテーマだ。頭の中で自問自答を繰り返したが時間が経っても回収できず、3日後の10月22日(日)、名古屋・伏見ミリオン座で開かれた石井裕也監督の舞台挨拶にも出席し、再び鑑賞した。近年、稀に見る傑作映画だ。個人的には今年見た洋邦画の中でベストワン。おそらく来年の賞レースを独占するに違いない。

主演の宮沢りえ「社会全体が取り組む問題であることを伝えたかった」

「事実をもとにしたフィクション」石井監督


映画「月」のモチーフは、2016年、神奈川県相模原市の障害者施設で元職員の植松聖(さとし)死刑囚が入所者19人が刺殺し、職員ら26人が重軽傷を負わせた事件だ。この事件をもとに芥川賞作家の辺見庸氏が書いた小説を、さらに再編して作られたフィクションがこの映画。作品には犯人の植松聖を想定した男が”さとくん”の名で登場、若手実力派として近年最も注目される磯村隼人さんが演じている。舞台挨拶で石井監督は「映画はあくまでもフィクション」と断った上で、「元々植松死刑囚に興味はなかった。彼の人物像を掘り下げることにも加担したくなかった」と話し、犯人は作品上の設定であることを強調した。確かに筆者は相模原障害者殺傷事件に関するいくつかのルポも読んだが、実際の植松はもっと浅はかで軽薄な話し方をする。劇中のさとくんはむしろ「ごく普通の人間」として描かれ、その人物がなぜあのような凶行に及んだかが描かれている。ただ石井監督は、植松が犯行の動機としていた「意思疎通のできない人(彼は”心失者”と読んでいた)は生きている価値がない」という考えについて、今の社会全体に蔓延する「生産性のないものは存在価値がない」という風潮に繋がるのではないかと考え、映画化に踏み切ったという。障害者施設で働くことになる堂島洋子役の宮沢りえも「事件のセンセーショナルな部分を描きたいのではなく、社会全体が取り組むべきもんだあいであることを映画を通して伝えたかった」と語っている。

名古屋で舞台挨拶する石井裕也監督

 この映画は何より脚本力が凄い。それはもう言葉の刃(やいば)で、血飛沫が飛ぶような激しい対話劇を展開する。そして、容赦なく社会や見る者の欺瞞をえぐり、綺麗事ばかりのウソを暴いていく。名古屋の石井監督の舞台挨拶では車椅子に乗った障害者が監督に直接質問する場面があったが、その女性は「聞くのも、見るのも嫌になるセリフばかりだった」と打ち明けた。ネット上では上映中止を求める声もあるようだ。確かに当事者や障害者が身近にいる人には辛いセリフ、目を背けたくなるシーンが少なくない。しかし、それは介護の現場が綺麗ごとで済まされないという現実を私たちに突きつけている。

 
施設職員を演ずる磯村隼人と二階堂ふみ

 

事件を忘れないために・・人間の尊厳とは?


重い話ばかりだが、希望もある。実際の障害者が出演しているシーンには心が洗われた。宮沢りえとオダギリジョー演じる夫婦の描かれ方も素晴らしい(むしろこちらがメインテーマ)。そして人は何のために生まれ、何のために生きていくのかという、根源的な問いを見るものに投げかける。2度見ても私の中ではまだ回収できない疑問が頭の中を駆け巡っている。しかしそうして自問自答することこそ、この映画が投げかけた問いなのだと思う。そして相模原障害者殺傷事件とは何だったのか?薄れゆく記憶を掘り起こして私たちはもう一度考える必要がある。(了)


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