パレスチナ問題について(2023年10月に書いたものです)


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2023年10月7日、パレスチナ、ガザ地区の実質的支配集団であるイスラム原理主義集団ハマスと、ユダヤ人国家であるイスラエルとの間で、戦争が始まった。

ロシアとウクライナも未だ戦争状態が続いている中で起きた、最悪の事態だ。

我々の住む日本は、世界最古の国であり、且つ世界でも最も平和な国である。国境という概念もない。国が無くなるという事は、想像のし難い事かもしれない。

今、世界で起きている戦争に関して、多くの若者は、具体的に何が起きているのか。今回の争いには、どのような歴史的背景があり、お互いがどのような思いで、このような事態に陥ったのか。もしかすると、日本人は自分事として捉えられないかもしれない。自ら進んで知る人も少ないかもしれない。それは、日本の地理的、歴史的背景から考えても仕方のない事に感じる。

しかし、現在はグローバル社会。世界中の国々や、世界中に存在するものが、複雑に、そして密接に関わり合っている。今回の戦争が直接日本に関わる事はきっとないだろうと思うかもしれない。しかし、そんな事は決してない。

『茹でガエル理論』という言葉の意味を知っているだろうか。カエルは、いきなり熱々に熱せられた熱湯に入れられると驚いて逃げ出すが、常温の状態から徐々に熱せられると、逃げ出すタイミングを見失い、最終的に茹で上がってしまう。という意味だ。ゆっくり進行する危機に対応する難しさを説いた言葉である。

まさに今の日本人は、茹でガエルになる可能性が大いにある。

今回の戦争の背景は、遡ると3000年ほど前の話になる。そこには歴史的、宗教的な背景が複雑に絡み合っている。

約3000年前に、強大な力を持っていたエジプト王国の中で、奴隷として迫害に遭っていた遊牧民(ユダヤ人)が、ユダヤ教の神様のお告げにより、現在戦争が勃発している地域にイスラエル王国という王国を建国した。そして、その1000年後(今から2000年ほど前)に、当時力を持っていたローマ帝国がユダヤ人の王国であるイスラエル王国を滅ぼし、行く場所の無くなったユダヤ人は、世界中に散り散りに散在していった。ユダヤ人は故郷をを失った。そして、ユダヤ人は近現代に至るまで、あらゆる地域でよそ者として迫害され続けてきた。

迫害が続く中、重要な仕事に就く事ができなかったユダヤ人は、その当時、卑しい仕事とされていた金融業で力を徐々につけていった。そして、現代に至るまで、ユダヤ人は、世界中の富を集めるようになり、現代の国際的な金融システムを作り上げた。

何故、金融業が卑しい仕事と思われていたのか。それは当時のキリスト教の世界観では、他人にお金を貸して、利子をとって儲けるという事は、卑しい事であるという考え方が、一般的だったからだ。

そして、富を得ていったユダヤ人は、戦争の後ろ盾や、政治家のバックにつくなど、一国を動かすほどの力をつけていった。アメリカでは、お金持ちのユダヤ人に媚びるように、ユダヤ人びいきの政治が行われていく事になった。選挙でユダヤの人を敵に回すと、大統領にはなれないとも言われているくらいだ。

そんな中、ローマ帝国に滅ぼされたイスラエル王国(ユダヤ王国)の跡地はどうなったかというと、のちにイスラム教を国教に持つことになる、アラブ人が移り住む事となり、アラブ人はその地にパレスチナという国を建国した。そして、2000年間という長い歳月、その土地に住む事となった。

時は進み、19世紀末、よそ者として世界中で迫害を受けていたユダヤ人は、『我々の元の国に戻ろう』という大義の元、シオニズム運動という運動を起こし、アラブ人の住んでいるパレスチナに、もう一度ユダヤの国を建国したいという動きが強まる。

そんな中、第一次世界大戦の帝国主義時代に力を持っていたイギリスも、パレスチナ地域に目をつけ始め、1917年、後にこの問題のきっかけの一つとなる、三枚舌外交という文字通りの三枚舌な外交を行う。

イギリスは、お金の支援をしてくれれば、ユダヤの国を建国する事をユダヤ人に対し認めた。(バルフォア宣言)

そして、パレスチナに住むアラブ人には、当時アラブ諸国を支配していたオスマン帝国への攻撃と引き換えに、アラブ人の独立をサポートする約束をした。(フサインマクマホン協定)

更に、フランスには、イギリスと中東を分割する協定を結んだ。(サイクスピコ協定)

三枚舌外交の結果、オスマン帝国から支配されていたパレスチナは、イギリスが支配するようになった。

1939年から始まった第二次世界大戦が1945年に終わりを告げ、ナチスドイツによるホロコーストなどの、恐ろしい迫害を受け続けていたユダヤ人は、神様からいただいた故郷を取り戻したいという一心で、1947年、アメリカに働きかけ、国連によってパレスチナ人が2000年住んでいた土地を半分に分割する事を決定をさせた。

締結された翌年、イスラム教を基板に持つアラブ諸国が、土地を奪ったイスラエル(ユダヤ人)に対して戦争を起こしていく。これが、現在行われている『パレスチナ問題』の始まりだ。

1947年、国連での決議がなされた翌年に行われた戦争を、『第一次中東戦争』といい、1973年まで、実に4回もの戦争が行われてきた。

だが、イスラエル(ユダヤ人)の後ろにいるのは、世界で一番力を持ったアメリカなどの欧米諸国だ。

その4回とも、アメリカなどの欧米諸国を後ろ盾に持つ、イスラエル(ユダヤ人)が戦争に勝った。結果、イスラエルの国土は広がり続け、パレスチナ(アラブ人)は国土を徐々に失っていった。

記憶に新しい湾岸戦争でも、イラクはイスラエルにも攻撃を仕掛けており、9.11の同時多発テロを起こしたとされるイスラム過激派のアルカイダも、パレスチナ(アラブ人)解放の訴えの元、あのような甚大な事態を起こした。

1993年、当時のアメリカ大統領であったクリントン大統領は、イスラエルとパレスチナの国交を正常化させる為の仲介に入り(オスロ合意)、中東和平となった。

しかし、そううまくはいかなかった。もし我々日本人がこの国を見知らぬ外国人に占領され、故郷を無くして、日本の首相とその国の長が和平を結んだとして、納得がいくだろうか。想像では到底わからない感情になるであろう。故郷を奪われるとは、そんな簡単に飲み込める話ではないかもしれない。

その中東和平に反発したパレスチナ人は、イスラエル(ユダヤ人)と調和し、協定を結びたいと訴えるヨルダン川西岸の地域と、イスラエルを敵対するガザ地区と言われる地域のパレスチナ人(アラブ人)とで割れ、ガザ地区のパレスチナ人は塀の中へ国際的に隔離された。

そんな中、アラブ諸国では、2011年に『アラブの春』と言われる事が起こる。アラブ諸国の多くの国が、独裁政権から次々と独立していったのだ。しかし、そのアラブ諸国に待ち受けていたのは、民主主義的な国家ではなく、イスラム原理主義(イスラム過激派)による実行支配だった。

元々問題になっていたのは『パレスチナ(アラブ人)vsイスラエル(ユダヤ人)』というものだったが、イスラム原理主義者などの台頭により、アラブ諸国(イスラム諸国)ではイスラム過激派との向き合いや、宗教間の対立の方が、大きなテーマになっていった。

2つに割れてしまったパレスチナ西側のガザ地区は『天井のない監獄』という呼び名がつくように、塀と海に囲まれた生活を余儀なくされている。その生活環境は極めて劣悪で、3つあった発電施設の2つはイスラエルによって破壊され、1つの発電施設のみで生活をしている。1日に使える電力は4時間程度だという。2つの施設を修復しようにも修復する為の資源がない。他の地域からの支援を求めるが、その資源で武器を作られるかもしれないという事で、修復することもできない。数少ない仕事を皆で分け合っている状態で、失業率は8割に達するという。若者は仕事をせず、世間話をして1日を終える。

こんな状況の中、ガザ地区に住むパレスチナ人の多くがこの現状に諦めて生きている。それは、人生そのものを諦めているといっても過言ではないのかもしれない。

しかし、そんなガザ地区の中で、立ち向かう姿勢をとっていったのが、ガザ地区を実質的に支配している『ハマス』というイスラム過激派集団だった。

もともと、パレスチナとイスラエルの争いは、アメリカとソ連の代理戦争と言われており、ロシアがパレスチナ(アラブ人)に、アメリカがイスラエル(ユダヤ人)に軍事支援を行なっていたという経緯がある。

しかし、パレスチナ国内の分断により、ハマスなどのイスラム原理主義組織は、ロシアに代わって新たにイランからの援助を受ける事となった。

このイスラム教最大の都市の一つであるイランという国が、一つ大きなキーパーソンとなっている。

イランは、イラン革命の後、アラブ人による本当のイスラム世界の統一を目論んでいるイスラム原理主義国家だ。正義の為には戦う事を厭わないイスラム原理主義であるイランは、軍事力をつけ、核開発も行っていた。

アメリカは、その危険思想とも取れるイランに対し、経済制裁やイラン包囲網といって、中東のアラブ諸国との外交を正常化する動きを見せていた。UAEやサウジアラビアは、アメリカから守ってもらう為に、イスラエルとの国交を正常化した。

イランはUAEやサウジアラビアと同じイスラム文化圏の国だが、何故イランと敵対するのか。それはイスラム教にはシーア派とスンニ派(スンナ派)という二代宗派があるからだ。シーア派はイスラム原理主義。正義の為の戦いは、戦わなければならないという教えがあるのだ。そのシーア派の大国がイランだ。逆にスンニ派がUAEやサウジアラビアなのだ。

同じアラブ人であるUAEやサウジアラビアがイスラエルと親しい国になる事は、一部のパレスチナ(アラブ人、ハマス)からすれば、許しがたい事であり、絶望的な出来事だった。

サウジアラビアにはイスラム教の聖地であるメッカがある。そのサウジアラビアがイスラエル(ユダヤ人)と国交を正常化するという事は、つまりパレスチナ人(アラブ人)はアラブ諸国からも見放されてしまう、と考えたのだ。

その歯止めとして、ガザ地区に住むパレスチナ人(アラブ人)ハマスは、イスラエル(ユダヤ人)に先制攻撃を仕掛けた、という訳だ。

ここでもう一度、構図を考えてみたい。『アメリカ、欧米諸国、UAE、サウジアラビア、イスラエル vs パレスチナ、イラン』のように思えるが、実はそんな単純な構図ではない。

世界を牛耳っているアメリカと、現在まで揉めているイランとロシアの両国は、非常に近い関係にあり、また中国もイランと協定を結んでいる国の一つだ。

更に、レバノンのヒズボラという組織もニュースで耳にする事があるかもしれないが、ヒズボラはパレスチナ(アラブ人)のハマスと同じ志を持った組織だ。イランは、そのハマスやヒズボラに資金提供をしていると言われている。

このパレスチナ問題は、政治上の対立と、宗教上の対立が、複雑に混ざり合ってしまっているのだ。

イランが今回の戦争で援助をしているかどうか、それを現在アメリカは慎重に見ているが、もしそれが明確になった場合、緊張感のレベルが桁違いになる。

つまり、これはパレスチナとイスラエルだけの問題ではなくなってきてしまうという事だ。

アメリカ、欧米諸国、ウクライナ、イスラエル、UAE、サウジアラビア側の国と、パレスチナ、イラン、イランと協定を結んでいる中国、ロシア、ヒズボラ側の国、世界中が深く複雑に絡み合っているのだ。

アメリカは現在、ウクライナにも多額の援助を行っているが、今回の戦争の勃発によって、イスラエルにも軍隊や空母、資金や武器を援助する事になる。

アメリカがこのような状況にある中で、東アジアは手薄になる。世界で戦争が起きやすいチョークポイントが3箇所あると言われている。それは、ウクライナ付近と、中東地域と、もう一つが我々の住む東アジアだ。今後、台湾有事などの世界各地で起こるうる様々な国際的な問題は、どのような動きをみせるのか。

これはどこか遠い国の出来事で片付ける事ではない。もしかすると、人類史における重大な局面なのかもしれない。

もう一度話を整理すると、話はこのようになる。

3000年にエジプトに奴隷として使われていたユダヤ人が、ユダヤ教の教えの元、エジプト王国から逃げ出し、イスラエル王国を建国した。その後ローマ帝国に滅ぼされる。そこにイスラム教のアラブ人がパレスチナという国を建国し、約2000年間故郷として住み着いた。しかし、世界各地で迫害され、故郷を持たない、そして金融面で力を持ったユダヤ人が、国連主導の元、パレスチナを分割し、イスラエルを建国する。イスラエルとパレスチナの和平に不満を持ったパレスチナ人が、二つに分断する。その片方がガザ地区であり、そこの権力者がハマスという事だ。

3000年前のエジプトがユダヤ人を奴隷として扱っていた事。これは権力の行使だ。

そして、そこにイスラエルという国を建国したのも、そのイスラエルを滅ぼしたローマ帝国も、先住民からしたら、ただの武力行使だ。

そして、ユダヤ人がアメリカに働きかけて、パレスチナを分割したのも、ユダヤ人やアメリカの権力の行使だ。

歴史は常に、武力や利権、正義や価値観などの押し付け、そして時には情報によって人をコントロールして、争いが起きてきた。

力を拡大しすぎてしまった人類は、この地球という星自体を、一瞬で滅亡させるほどの力をつけてしまっている。

これからの時代は、争って勝ったものが、負けた国に何かを押し付けるようでは、人類そのものの存在さえも危ぶまれる。

戦争は、どちらが悪いと一方的に決めつられるほど、単純なものではない。

ユダヤ人が受けてきた迫害も、話や本を通じてしかわからない。同様に2000年もの間住んでいた故郷を突如、国際的に分裂させられ、故郷を失ったパレスチナ人の気持ちも、到底わからないだろう。

もし、自分の愛する人やものを奪われ、迫害され、同じような境遇に置かれた時、戦う選択を自分がとらないとも言い切れない。

もしも戦う事を放棄し、沈黙を貫けば、食い物にされるかもしれない。しかし、戦う事を辞めなければ、争いが終わる事もない。『平和!平和!』と口で理想論だけを言っていても平和にはならない。歴史を見れば、そのようにして滅ぼされていく民族も存在する。

今我々ができる事は、まずは知る事を放棄しない事だ。そして、しっかりと向き合って考える事だ。民主主義国家である日本の政治は、民が決める。知る事を放棄するのは、他人任せであり、無責任と言われても仕方がない。知らなければ、より良い方向性を定める事は出来ず、気付かぬ間にコントロールされかねない。

目の前に起きている事に対して『ダメだ!ダメだ!』『自分はそういう事はわからない』と目を瞑るのは簡単だ。大切なのは、そういった現実から目を背けず、危険な事や戦争が何故生まれてしまうのか、メカニズムをしっかり考えて、どのようにすれば戦いを回避できるのかを考え、現実的対処をどのようにしていくのかを考える事が必要だ。

そういった対処を考えても、もしかするとそれは一時的な対処療法に過ぎない可能性だって大いにある。しかし、考える事を辞めれば、平和になる事は決してない。平和を目指すという事は、それだけ途方もなく難しい事なのかもしれない。

ここで、しっかりと伝えておきたいのは、決して、危機感を煽りたい訳ではないという事だ。情報によって危機感を煽り、危険な政策を通される可能性だって充分に考えられる。歴史を見れば、国民の危機感や愛国心を利用して、戦争へと意識を向ける政策が何度も行われてきた。

だからこそ、偏った考えにならないように、中立な立場をとって、多角的に捉える必要がある。

政治や、国際情勢に限った事ではなく、答えのないものに対して、自分なりの哲学や意見を持って、リスクを取って行動する事が、我々のような次世代を担う者には必要なのかもしれない。その中で失敗や成功を繰り返し、危機管理能力を高めていく。それが生きる力となるのだ。その自分の中に息づいたものを、世の為人の為に生かしていく。そして、お互いの違いを認め、尊重し、調和を目指す事が大切だ。

福沢諭吉は、『学問』とは、世の為人の為になることを学ぶ事だと言った。

武士の時代に使われた『知行合一』という言葉の意味は、学びには行動が伴わないといけないという意味だ。知識だけ身につけ、それを世の為人の為に生かさない者は馬鹿にされた。

聖徳太子の十七条の憲法の第一条は『和を以て貴しとなす』だ。自分の考えを押し付けるのではなく、しっかりと話し合いを行って、調和を大切にしなさいという意味だ。

日本人にはそういった精神性がきっと眠っているはずだ。日本人のそんな精神性を世界に示し、発信していく事が、これからの世界に求められるひとつの鍵になるのかもしれない。

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