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虐め対策。成長する生き方(2021年)


はじめに

基本的にはどの生物も自助が大切です。何かで助けを得られる場合もありますが、いつでも助けが得られるとは限らないですし、助けを得られる事に慣れてしまうと助け無しでは生きれなくなり弱くなってしまいます。

大抵の人間は何かしらの欲望や心の傷があります。虐めやパワハラなど理不尽な攻撃をしてくる人は、欲望が強かったり傷が深かったりしますが、自身の心と真摯に向き合う勇気が無いので虐めやパワハラをします、つまりは心がとても弱い人達です。


虐め対策や成長する生き方として特に重要なのは智恵だと思います。虐め対策で主に役立つ智恵は、歴史、兵法などの古典、心理学、脳の構造や神経伝達物質の仕組み、事件史や犯罪史などになりますね。

歴史は生きる事についてのノウハウの宝庫です。特に古今東西の戦乱時期がお勧めですね。

古典は主に中国古典がお勧めで、中国古典の殆どが春秋戦国時代のもので百家争鳴の時代です。春秋戦国時代だけで人間の考えられるものは全て語られていると言っても過言ではないほど密度が濃い時代でした。


諸子百家

【兵家】

孫子、呉子、六韜、三略あたりは有名ですが、尉繚子、司馬法、李衛公問対も加えて武経七書と呼ばれ代表的な兵法についての古典とされています。兵法なので軍事を連想しやすいですが、より深くは政治学であり心理学になります。
基本的には軍事は政治の延長線上にあり、やむを得ない事態でない限りは安易に使ってはならず、安易に使えば自滅するもとになり、なるべく政治や外交を重視し、それでも仕方がなく戦う時は事前に勝つ状況を作り出し、勝つ状況が出来てから戦いを始め、味方の被害や物資の消耗を最小限に抑えるように思慮工夫をし、目的を果たしたら欲張って継戦せずに冷静に撤退し軍事行動を停止する。大まかにはこんな事を説いており、勝つ事より負けない事が肝要とされています。
勝つ状況を作り出すには、自分と相手をよく知る事や、よく知った相手を自分が目的とする罠に誘引して嵌める詐術や、変化する状況に合わせた臨機応変さが肝要と説かれています。また、軍事行動を継続する為の兵站も肝要であり、現代の一般人であれば心身や時間や経済や飲食が当てはまります。後は君主や将軍のあり方、つまりは理想とするリーダーについてや、人心掌握術など組織運営についても説かれていますね。


【法家】

商鞅、韓非、李斯が有名で儒家の徳治主義に対して法治主義を説きました。徳治主義は立派なリーダーがいて民衆はそれを見倣って立派になる、そうすれば社会は立派になるといった理想論に寄った考え方でした。けれども実際はそんなに皆が立派になる事は難しい、また立派という理想も曖昧さがある、そこで明確に○○は善いこと、××は悪いこと、と法律化させる事により善いことと悪いことを決めた上で信賞必罰をするのが法治主義でした。
当時の春秋戦国時代では始皇帝で有名な秦の国が昭襄王の頃より法治主義を取り入れ国を強くしていました。法治も完璧ではなく法を司る者の清廉さや判断力や解釈の仕方で様々な問題もありますし、曹操が誤って行軍中だったかに馬で畑を荒らしてしまった時も郭嘉が機転を利かせて死罪の法から救ったとの逸話があったり、ソクラテスの悪法も法なりも有名で、法というものも考え方や捉え方で解釈の仕方が変わってきますね。
基本的に民主主義の国では法治主義と徳治主義を併せたような統治の仕方をしていますね。基本的な法律、つまりは協定やルールを学ぶ事も戦い方や生き方の幅が広がります。


【儒家】

三大聖人の一人、孔子を祖とする主義です。説いている事自体は善い事を説かれているのですが、理想論であったり堅苦しさを感じもします。また、父親や長男を尊重し過ぎるので現代だと差別で平等でないと言われたり、近くの人から大切にしそれを各々が広げていけば社会は平和になるというような主義でもありました。
理想が高くもあるので実態が伴わない理想論のみを述べて賛美する人達も多々現れた事の影響か、始皇帝や曹操など時の権力者から弾圧を受ける事もありましたが、説かれている事の高尚さからか現代でも高い評価を得ていますね。
真面目な人が真面目さを補強させたいとか、不真面目だけど真面目な事を学びたいなどといった場合に適切なものだと思います。
有名な孟子や荀子も儒家ですね。性善説と性悪説の話がありますが、目指すところは同じで似たような事を言い換えているだけの印象があります。性善説は人は生まれながらは善であり後天的に悪いものに触れる事で善が弱まっていくから気を付けようと説き、性悪説は人は生まれながらは悪であり後天的な努力によって善へとなっていくと説いています。また性無説もあって生まれながらは善でも悪でもないとする主張もありますね。荀子の下で学んだ韓非と李斯は性悪説の影響を受けた事によって法家となっていったのかな?儒家は理想論的、人の本性は悪である、では現実的に悪の部分を縛る為の法が必要なのでは?と。


【墨家】

平和主義や博愛主義を説きつつ、論だけではなく攻められて困っている小国を助けに行き、防戦の実績を重ねる事で主張する主義を実践した集団でした。
儒家に対して批判的であり、身内や父親や長男だけを尊重するのは差別愛だと批判し、舞楽など楽しみは人を堕落させるから禁止させようと批判したり、冠婚葬祭を豪勢にやる事は浪費であるから簡素にして倹約しなさいと批判したり、説いている事自体は一理あるのですが儒家以上に堅苦しく厳しい教義の印象ですね。
それでも祖である墨子が健在の頃はリーダーシップを発揮してうまくまとめていたようです。墨子亡き後は厳しい教義に着いて行く人や賛同する人が減ったり、秦の始皇帝が勢力を増し統一した事によって墨家も滅びたなどの話があります。
高過ぎる理想の為に全てを賭した殉教者集団のような印象がありますね。


【道家】

有名な老子と荘子を併せて老荘思想と呼び、老荘思想を主義とする人達を道家と呼びました。老子は政治色がまだ強い傾向ですが、荘子は政治も社会も無くたっていいんじゃない?拘る事自体がよくないよと説きました。共に通じる事は道(タオ)と表現される事柄で、現代で言うならば宇宙の全体的な自然を表しているような印象を受けます。紀元前の時代に宇宙のようなものを感じ取っていたのだと思います。仏教の考え方と似たところも多く、中国に仏教が輸入された当時は老荘思想を連想しすんなりと受け入られ理解されたとの逸話もありますね。
老子は基本的には無為自然や上善如水の言葉のように、人為的な作為をなるべくせずに自然任せ、無理や強引な事をすれば反動や反発が起きるから自然任せ、作為的な事をするにしても自然の流れを計算してほんの少しの工夫をするだけ、ほんの少しの工夫であるから自然にそうなったように多くの人達は認識する、自然な流れであるから反動や反発も少なくなる。孫子の中に迂直之計という遠回りをする事が一番の近道と急がば回れの語源のような言葉があり、老子はそれをより昇華させたような老獪な政治観を説かれていますね。
荘子は儒家への批判が多い事から、戦乱の世で生真面目に堅苦しい主義をしていたら、心身が疲弊して人生そのものを楽しめなくなるよ?世の中の多くの人は善悪や禍福に拘るから余計に社会はおかしくなるんだよ?何かを善とするならば何かの悪が生まれる、何かを幸せとするならば何かの不幸が生まれる。善や幸せに拘るから自縄自縛になって人生がつまらなくなるんだ、自然に任せそれを淡々と楽しめばいい。といった事などを説きました。
実務的や物理的な物事からは離れた考え方ですが、現代社会は自縄自縛で視野狭窄に陥り心身を疲弊させている人達も多い印象を受けます。心をほぐしたりストレスを緩和させたい人に老荘思想はお勧めですね。

上記以外にも弁舌のみで外交を得意とした縦横家や、対による循環思想的な陰陽家など他にも様々おりました。


心理学

心理学、脳の構造や神経伝達物質の仕組み、事件史や犯罪史を学ぶと理不尽な人の行動原理が理解出来るようになります。当人は何かしらの心理が働いて虐めやパワハラをしていますので、それを洞察し逆用して心理操作で罠に掛けるのが効果的ですね。
脳の構造としてどういう状態の時はどういう作用が起こりやすいというのがあるのと、神経伝達物質は作用の方向性を決定付ける影響が強く、個々に刻まれた心理によって表出される事柄が変わってきます。例えば理不尽な仕打ちを受けた時の反応として怒るか我慢するかも神経伝達物質の影響が強く、怒る選択をした場合にどう怒るかは刻まれた心理によって怒るという表現方法が個々に変わってくるのです。
ですので相手を観察して洞察すれば理解がしやすくなるのと、自身の成長であれば自分の心と向き合い続けたり、神経伝達物質を良好な状態で保つ為に健康面や栄養学について学ぶといいですね。
自分と相手を知り上空から眺めてチェスや将棋の駒を動かすような客観的視点を身に付ける事もいいです。

多重人格や役者などの経験があれば、対敵用人格とかみたいに〇〇用人格を作るのも手です。ただ意図的に作る事は難しいのかな?
生物は理解の出来ないものを恐れる傾向があって、そういった理由で虐めが起きる事もありますね。野生生物も基本的には火を恐れますし、熊も人間を恐れますね。偶発的に人を殺して食べた熊は、人間弱い…食える…ぐふふ…と思うみたいですが 笑。
ですのでサイコパスや猟奇殺人鬼や豫譲などの人格を対敵用人格として備えておけば、虐めやパワハラをする心の弱い人には理解が及ばず許容範囲外となり有利に働きますよ。無関係の人に使ったら嫌われるでしょうが、人から好かれたくない場合は敢えて嫌われるのもいいですね。


闘争と逃走

智恵だけだと強引に来られた場合や何かで逆上されたりして肉体的暴力で来られた場合に防ぐ事が出来ないので武を身に付けるといいです。
格闘技はスポーツとして競争する事を目的とした武、武道は人格形成を目的とした武、武術は殺人を目的とした武になります。
武を通して精神力を高める効果も望めますね。

また必ずしも逃げずに戦う事が常に正解とは限りません。「走為上」「三十六計逃げるに如かず」のように不利な時は逃げて休んで力を蓄える事も大切です。


生きる姿勢

生きる姿勢としては好奇心がとても大切です。様々な人も好奇心旺盛な人は伸びると言っていますし、好奇心が旺盛であれば努力が苦しい意味合いでの努力ではなく楽しい意味合いでの努力になります。

変わり者であれば同調圧力などに負けて抑制せずに変わり者を貫き通した方が道は拓けます。昨今の日本人でも見識のある人は変わり者や異端者や異能者が硬直して衰退する社会を変えていくから大切にしようと主張しています。変わり者の有名人である信長も似たような事を言っていました 笑。歴史に詳しい人でしたら変わり者や異端者や異能者の影響がとても大きい事を理解出来るでしょう。
ただ現実問題として日本人は長らく変わり者を迫害してきていますので必要になったからと手の平を返されても、はい解りましたと応じる変わり者は少ないだろうと思っています。すぐに応じる人は能力が低かったり承認欲求が強めな人でしょうね。大衆側としても結果が出せない変わり者では意義が無いので、結果が出せると見込める変わり者をその気にさせるだけの何かが必要になってくるのですが、そこら辺をどのように選択していくのか?
また変わり者で能力がある人は日本より外資など外国人の方がしっかりと評価してくれる傾向ですので、能力のある人ほど外資に貢献した方が有意義だと判断していくでしょうね。
一波乱あった後に国家や人種や民族の垣根を越えて、人種で棲み分けをするのではなく能力や価値観での棲み分けが進んでいきますから、それも考慮に入れた生き方をするのもいいと思います。


総じて言える事は、自主、自助、自立、自由意思、自己責任、自分軸、良い意味での自己中心的、能動性などがとても肝要です。
人類社会だけではなく、この世の設定自体が理不尽に感じる事も多く、神々が実在するならなぶり殺してぇー!!と思ったりもしますが 笑。


まぁ、どんなに努力して頑張っても死ぬ時は死んじゃうんですよね 笑。古の聖人だって名君だって名将だってみんな死んじゃいました~、たぶん 笑。人生そんなものだけど、そんなものでもありますね。
戦う気持ちや成長する気持ちがある個体は応援したく思います。

どう生きる?どう生きたい?


旧ブログにて2021年04月23日に記載していたもの

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