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レンタルチャイルド 作られた子供達

インド、アフリカや東南アジア、中国など
貧富の差が激しい国、地域、新興国(発展途上国)に実在している「子供の物乞い」のことを指していいます。

問題点は、いち個人の意思で行っているのではなく、親や組織的に「レンタル」されているということなのです…


レンタルチャイルドとは


「子供の物乞い」

日本の場合、物乞いといえばホームレス、中年から老人など、成人の姿がおおく見られるかと思います。
日本が成人ばかりなのは「児童施設」などが充実しているのもあるかと思いますが、新興国ではそういった施設や保障がないほうが当たりまえです。


ハッキリ、さきに答えを言えば

「可哀そうだと思われやすい”子供を”レンタルし物乞いをさせる」

そうして得た収益を親、もしくは裏組織が徴収します。
これがより効率化し

身体の障害を”ワザと”作り物乞いをさせています。

腕や足、目など、比較的わかりやすい部分を切り落としたり潰したりと、あからさまに

ハンディキャップが原因で物乞いをしているんだ」

というストーリーを彷彿とさせ、寄付をよりおおく貰おうというシステムと、その対象である子供をさして「レンタルチャイルド」といっていいと思います。

では、なぜ?


国により宗教の教えや文化として

「物乞いなどへの寄付は徳を積む」

という地域もあり、1日の収入は物乞いの方が儲かる場合もあり、その”縄張り争い”もあるぐらいです。組織に属さない物乞いの場合、シャバ代というのもありそうですね。

裏社会では、もちろん国により20万円~で人を殺す依頼、請け負うこともあれど、基本的に犯罪行為などはそれなりのリスクも伴うわけで、組織もリスクリワードを考えて行動します。

命をかけてまでの商売は、よっぽどな事態でないかぎり上も嫌煙します。
なので比較的、足が付きにくく根まわしも楽で、危険が少ないほうが盛んになります。
たとえば野菜(隠語)やギャンブル、風俗、そして

「シノギ」

レンタルチャイルドは日本でいうとこのシノギに近い印象です。

シノギとは裏社会の人たちの「副業」みたいなものです。組での活動(本業)以外で、普通に生活資金としてや献納金としてなど、一般人のように働く仕事のことです。なかには正式な会社員の方もいらっしゃるそうです。

日本での物乞いは軽犯罪法違反として罰せられます。なので日本では大々的に行っているのは見られないと思われますが、当然のようにレンタルチャイルドが行われている国でそんな法律はありません。

つまり何のリスクもなく、しかも体が不自由な子供を人通りのいい場所に寝かせておくだけでいいといった「ノーリスク、ハイリターン」なシノギなわけです。


政策・制度


カースト制度や政治、政策、戦争、紛争などによりこれからも貧富の差はますます開くことでしょう。
一人っ子政策、人口増加、内部紛争や部族間抗争にて親がいなくなったり、望まれぬ子供たち

つまり口減らし、人身売買etc…

故意かどうかなどはわかりませんが、こういった国の政策や勝手な紛争の影響により孤児がおおくなっているケースもあるでしょう。そして

保障・施設・支援制度・援助制度


多くの先進国では障害や病気、孤児や片親といった生活困窮者には支援制度が設置されています。生活保護や健康保険なども充実していて、児童施設、老人施設、養護施設などもあり、地域では定期的な炊きだしや配給、仕事の斡旋もあります。

そういった保障全般が充実さえしていれば、生活に苦しみ子供を捨てたり、売ったりと、孤児ですらなく物乞いとして他者に頼る必要はないのです。

各国の細かな法律や制度までは分かりませんが(日本とは違いすぐ変わる)充実していれば間違いなく現状ほどは増えていないでしょう。
税金が安い、消費税がないというのも考えものですね。

私たちの募金・支援・援助の影響

様々な先進国の、無計画な援助や支援により現地の都市化計画は疎外され、職や生産が損なわれています。

安易な支援により職についてもろくな賃金が貰えず、奴隷のように体を酷使し障害を患うほどの状態にまで追い込まれることも。

希少金属の掘削作業
日本、アメリカなどでは「ゴールドラッシュ」のようにいち時期に貴金属系は取りつくされていると思われます。もしくは、都市化が進み移住や産業建物等が立ち並び掘削作業(ダイナマイト使用など)が不可能に近いのかもしれません。

スマホやPC、特にリチウム電池に使用される「希少金属」のほとんどがアフリカ、南アフリカで採取されています。
その現場での実状は過酷な労働環境にも関わらず賃金、給料は本当にごくわずかだそうです。

なので
働くことより「物乞い」のほうが…
という背景もあるのではないでしょうか。

カースト制度が盛んな地域では、有益で安心な、安定した職のほとんどが血筋や家系で決まっていて、そもそも職がないという状況もあり、そんな国と比較すれば努力さえすればチャンスがある日本などは、まだ「マシ」と感じることも。

不要になった物を、貧困な国へ。
いらなくなった服を大量に送れば、現地で服屋さんは無くても困らなくなります。あっても売れない。売れても儲けれる価格ではない。アパレル産業という発展がされなくなります。

このような「先進国の便利の為の副産物」「優しさのデフレ」
が起こっているのです。

これらにより現地では「働かなくても援助が貰える」という意識もあり、ただでさえ狩りをしている部族では「腹が減ったら森へ狩りに行けばいい」という文化と感覚でいるため、より農業や生産の意義が薄いのです。

更に、天候や上記支援の影響で事業失敗するとなおさら「狩りでいい」という結論を深く再実感させてしまうことも多々あります。
狩り以外の仕事、裁縫や収穫は女性の仕事という意識もありそうですね。

まとめ

日本でも戦後、貧しい時代では国や政府は国民に対してろくなことはできませんでした。そんな時に頼りになったのは裏社会の人たちの「炊き出し」と言われています。

もちろん彼らを現代では擁護するつもりはありませんが、当時の人々にとって、餓死をするかもしれないという緊迫した状況下ではまさにヒーローだったでしょう。

そういった状況に新興国は近いのかもしれない。

各国のスラム街で、警察や国の人間よりもマフィアの方が信頼があり人望が厚いのも、密に、直に、お互いに似たような境遇であり助け合い精神からだからでしょう。

わざと手足や目などを潰し、障害にしてより多くの収入を得ようとする行為は残酷で残忍な、許されない行為だと思います。

ただ、そうだからと言って、現地の国や人の習慣と文化が餓死する子供達をなんとかしてくれるわけでもありません。

どの国でも同じように、自分たち権力者や政治家、資産家が不利になるような、発展の”無駄”と判断されるような法律を、迅速かつ道徳的に作ってくれることもそう簡単にはないのです。

そして可愛そうだからといって、なんの支援もない世界でレンタルチャイルドの廃止を強要したとして、そのご、彼らはどうなるのでしょう。

スラム街のストリートチルドレンといった、たくましく生活ができる子ならまだしも、それこそ先天的に障害を生まれ持った子や、迫害や紛争にて怪我を負った子などはどうすることもできないのです。

自由、平等、自己責任という世界。
それは弱肉強食という世界の、ただの聞こえの良い言い換えなだけなのではないでしょうか。

募金や支援も、表面的な偽善感覚、自己満で行い思考停止するのではなく、しっかりとおなじ目線で見つめ、相手の立場になり、思いやりの心で考えてあげる。これは、なにも国や組織だけでなく個人でもおなじ話です。

我々は、なにもしない、知らない、他人事としての罪があります。実行犯、主犯だけが背徳だとは決して言えない。
現地でレンタルチャイルドを横目にしている人たちと、国政と、同罪ではないだろうか・・・

せめて、少しでも「本当の理不尽」「平等とはなにか」を一人でも考えていただけるように、この記事を勇気をもって書きました。

これをいま現在、最後まで読んでいただき何がしらの情を抱いていただけたらば、そしてもし新興国に行く機会があり「レンタルチャイルド」を見かけることがあればフッと思い出して下さい。

そして、とりあえず我々のような一個人でもできることが、金銭ではなく「食べ物」や「お菓子」などをあげて下さい。きっとその場で喜びながら残さず食べてくれます。

国や文化、風習が変わり、少なくとも不運な子供たちが安心して暮らしていけるその日まで、たった一日、一時でもいいのでその善意を一人でも多くの人で分ちあえれば、何人かの命を救うことが出来るかもしれないのです。


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