エッセイ|変ッ身! --- 幸せのカタチ
1年前に、“幸福の木” をもらった。
幸福 “の” 木。
この “の” が、いかにも曖昧で好きだ。それは “幸福を呼ぶ木” なのかもしれないし、“幸福な気分にさせてくれる木” かもしれない。または “幸福が宿る木” とか、 “幸福の象徴である木”、“幸福によって育まれる木” など、いろんなふうにとれるだろう。
植物名はドラセナという。
もとは職場にあった観葉植物で、大きく育ち過ぎたため枝分かれの2本が切り取られたことが始まりだった。
長い葉っぱが噴水のように広がり、水に浸けられ直置きされた床の上に垂れている。それをSさんとわたしとで1本ずつ引き取ることになった。
「ドラセナって、“幸福の木” っていわれてて」とは、そのときにSさんが教えてくれたことだ。
「お部屋の暖かいところに置いて水を替えてやっていると、根っこが伸びてくるかもしれません・・・根っこが出たら、土に植えられるので」と、Sさんは静かに言った。
同い年のSさんは、何でもそつなくこなす淡々とした知性派である。感情の起伏が平坦なイメージからは窺い知れない優しさが、そのときの言葉にあった。聞けば、家でたくさんの植物を育てていたことがあるらしい。
「根っこは伸びるかもしれないし、伸びないかもしれない・・・やってみないとわかりません」と、また静かな声で言う。
大きく張り出した葉っぱを持ち帰るのは少したいへんな作業だ。水が入ったビンに挿し、そのまま持って電車にも乗る。座っている人に当たらないように気をつけたり、あからさまに葉っぱを押しのける人を行き過ぎながら、予定していた英会話教室へと向かう。
葉っぱはマンツーマンレッスンのテーブルを覆うほどの大きさだったが、しまっておく場所もない。
――― お手洗いにいこうっと。
そのまま “幸福の木” とバッグを置いて、席を立った。
戻ろうとして見たときには、若いアメリカ人男性講師はすでにレッスン室の中に立っていた。開いたドアを背にして、“幸福の木” と向き合っている。近づくとこちらを振り向いて、「ああ・・・よかった・・・」と、へなへなと椅子に座り込んだ。
「君、この植物に変身したのかと思って心配してたんだ・・・」
***
突然だが、実家の猫が犬にかわったことがある。
家の床下で、野良猫が子猫を生んだのが始まりだった。人が潜れない床下で、一人ぼっちでミューミュー泣き声を上げていた。その声を聞きつけて畳を持ち上げ、床板も開いて、ようやく拾い上げることができたのだと義姉から聞いたことがある。
子猫は二階のベランダで飼うことになった。日当たりが良く屋根があって簾もかかる。
ところが、床下から拾い上げた翌朝のことだ。子猫は忽然と姿を消した。まだ幼かった姪は大泣きしたらしい。
ちょうどそのころ、犬の里親探しの会があった。姪をなだめるために行ったその会で、三匹の犬のうち一匹だけが、隅っこから静かに人を見上げていたという。
連れ帰った犬はミントと名づけられた。わたしにすれば帰省のときに会うだけの間柄なので、すこし改まって「ミンさん」と、“さん”付けで呼んだものだ。
ミンさんは、泣きわめいた姪の代わりに、その母親であるわたしの義姉に大切に育てられ、犬の一般的な寿命よりも長生きして他界した。2年ほど前だった。
うちは店をやっている関係で、もともとペットを飼うことは許されなかった家である。
ミンさんは気候の良いときはベランダで、そして夏や冬には部屋の囲いに入れられ暮らしたが、囲いから出されて椅子に置かれても、下りたりせずそこに静かに座っているだけだった。何も教えなくても最初からそうしていたという。ただ雷鳴の轟く夜だけは、こわくて部屋中を走り回ったと聞く。
ミンさんがいなくなって義姉は、「また犬を飼うなんて考えられへん。飼うとしたら、『この子はミントの生まれ変わりに違いない』って思える子が現れたときだけやな。ホンマにええ子やった」と、振りかえり振りかえり言う。
***
“幸福の木” を家に持ち帰ったわたしは、朝と晩に欠かさず水を替えるようにした。
夜に帰宅したら、まず水を替えて床暖房の上に置く。そして朝には、水を替えて明るい窓辺へと移す。毎日それの繰り返しである。
「光合成をしますから葉っぱは切らないように」とSさんは言っていた。だから長い葉っぱはそのまんま。床の上に広がるので、ときどき少し踏んづけては、「ああっ!」と驚いて飛びのいたりする。
ひと月ほどすると、水に挿している茎の断面に、ツンツンした棘っぽいものが幾つか出ていることに気がついた。
――― これって・・・? そうか! 根っこか! 根が伸び始めた!
“幸せの根” が出始めたことが嬉しくて、会社でSさんに「根っこ、出始めましたよ」と報告をした。Sさんは「私はまだ・・・」と言って、何か少し考え込んでいるようだ。
私は少し得意になった。こういうところに性格の悪さが出てしまう。
わたしはなおのこと張りきって水を替え続けた。そして根が、ぐーんと一気に伸びてくるのを待った。ところが待てど暮らせど、いっこうに変化しようとしないのである。
そのうちにSさんから、「根っこ、出はじめました」という報告がきた。
「出はじめましたよ。断面の端のところから・・・」という報告が。
――― ん? ハシって・・・? 端!? 断面の端!?
それからというもの、Sさんから「根っこ、これぐらい伸びました」と、指で示されるのが常になった。どうやら着実に伸びているようだ。
その一方で、わたしのほうには何も変化は起こらない。
結局、あの断面 ”ツンツン” は、単にカットの跡だったとわかった。
――― 幸せの、根っこが出ない。
これはちょっとした悩みになった。何でもそつなくこなせる知性派で、植物にも優しいSさんには、幸福も味方したくなるのかな・・・なんて、自分と引き比べては悲しくなったりもした。
「どうして根っこ、出ないんだろ・・・毎日、朝と夜にちゃんと水を替えてるのに」と、呟いてみる。
「朝と晩・・・? それって、水の替えすぎじゃない? 替えすぎて水が冷たいから伸びないのかも。2、3日置いておくほうが、水が温んで根が出やすくなると思う」と、Sさんは淡々とこたえた。
科学的なことはわからないが、水が温んで植物の根が出るというのは、言われてみれば何だか普通にわかる気がした。
わたしは水を替えずに暫く放っておいた。そして2、3日放置してから、初めて水の入れ替えをしようとしたときのことだ。
茎を洗っていて何気なく裏を見てみると、断面周りの角から乳歯っぽいものが四つ、茎の表皮を少しだけ破って生え始めていたのである。
”断面の端から生える” のがどういう状態か、ようやくわかった瞬間だった。
人から聞きかじった方法を、闇雲にがんばるだけではダメなのだ。
Sさんは、自分で植物をたくさん育てながら経験を重ねてきた。そういう人が、そういう方法でしか、きっとつかめないことがある。
本当の幸せの根っこも、もしかしたらそんなものかもしれない。
***
それからわたしの “幸せの木” は、Sさんより遅れをとりながら、少しずつ少しずつ根を伸ばし始めた。Sさんより遅いのは、まぁ、それが二人の違いなのだからしょうがない。
「春になれば土に植えられます」とのことだったが、結果的にわたしはゴールデンウィークまでそのままにした。根っからのダラシなさが、こういうところに出てしまう。
「大きく育てたければ、鉢も大きくして。小さく育てたければ小さい鉢で」
「水はけを良くするのに、赤土を使うといいんです」
100円ショップで鉢と皿、赤土を揃えるついでに、腐葉土と肥料も買った。
あまり大きくすると置き場所に困るので、職場にあった親のドラセナよりもずっと小さい鉢を選んだが、とにかく “幸福の木” には栄養を与えたい。
栄養満タンの “幸福の木” を育てるという魂胆・・・ではなく思惑があるからだ。こういうところに強欲ぶりが発揮されて恥ずかしい。Sさんには内緒である。
鉢に植える段階ですでに根っこは伸び放題に伸びていて、モジャモジャと絡まった塊になっていた。
まず、ちょうど良い高さになるように鉢に土を入れて底上げをする。赤土をメインとして、わずかに腐葉土の層を自己流で間にはさんだ。
その上に “幸福の木” を置いてさらに土をかぶせていくのだが、事ここに至って、茎が安定するほどの土をかぶせられる高さがない。
原因は先に底の土を入れたとき、根がおさまる程度の高さしか目測していなかったからだ。植物が自立するには、茎もある程度は土中に埋まっていなければいけない。それが根っこしか埋まっていなければ・・・当然ながら植物はフラフラになる。
しかたないので、フラフラ、グラグラする茎の周りに無理やり土を盛り上げた。下のほうには腐葉土の層がキチンとつくられているので、ここを掘り返したりしたくないからだ。
しかし周辺に土を盛りあげたところで、ぐらつきはそんなに簡単に収まるものでなかった。
――― まぁそのうち、ちゃんと根づけば安定するだろうし・・・
しかし手を離すと、“幸福の木” は斜めに傾いている。
――― ときどき手で押し戻してやれば、根づくときにはきっと真っすぐ立ち直るだろうから・・・
都合よくそう解釈した。1日24時間ずっと茎を保持し続けられるわけでないことは、このときの頭にはない。こういうところに詰めの甘さが出てしまう。
果たして “幸福の木” は、斜めに傾いた状態で根づき、押しても引いてもビクともしなくなった。
そして、あまりに栄養状態が良すぎたのだろう、2倍幅の葉っぱが、次々と伸びてくるようになった。最初からついている下部の葉は細くてスッキリ。上のほうは葉っぱのお化け。見れば見るほど恐ろしい。かなりアンバランスな “幸福の木” の出来上がりだ。
ペットは飼い主に似るという。
アンバランスだろうと、自分の化身みたいなものなのだから、これはこれでしょうがない。
***
以来、“幸福の木”はまた少し違う形をとりながら現在に至っている。
斜めに植わっていた茎は、その途中から成長する方向を自ら修正しはじめて、“く”の字になりながらも真っすぐ上に向かって伸びてきた。
新たな葉っぱは栄養状態が落ち着いたのか、いまでは普通幅で成長するようになってきた。上から見ると、真ん中には小さな葉が6枚。これからの成長を待っている。
この “幸福の木” が、これからどんなふうに変化するのか。
人は “幸福の木” には変身できないが、“幸福”へは変身できるのか。
どうなっていくのかを、これから試そうとしているところなのである。
(了)
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