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連載小説「359°」 第1回

   第一章 『ユナ』 ①

 私は、姉が大好きで、世界中の誰より嫌いだった。
 双子なんてものには、生まれない方がいい。私はそう思う。特に、見た目もそっくり、いわゆる一卵性なんてやつは本当に厄介だ。もちろん異論は認めるし、むしろ多くの人に異論してほしい。でも、ほら、兄弟のいない一人っ子が兄弟を求めるように、結婚した者が独身生活に焦がれるように。人間というのは常に反対側に思いを寄せてしまう罪な生き物なのだろう。私にとっては、「見た目がそっくりな姉」というのは、当たり前だが、どうしようもなく特異な存在であった。

 姉は優しかった。
「ユナは私が守るから。」
これが姉の口癖だった。幼い頃の記憶なんて今となっては数えるほどしか無いが、小学校に入学するときにこの言葉を聞いたことははっきりと覚えている。たしか、祖父母に買ってもらったのだと思うが、形は同じの、色違いのランドセル。
「ヒナ、ユナ、好きな色を選びなさい。」
私の気持ちはもう決まっていた。薄い青。きれいな水色のランドセル。
「これがいい。」
そう言った後で、私は子どもながらに次の展開が予想できていた。姉も、絶対に同じ色を選ぶはずだ。いつも、一緒にお絵かきをするときに、この色のクレヨンばかり二人で使っていた。お互いに、これが一番すてきな色だと、それを確かめ合うような時間が好きだった。そのクレヨンだけ短くなっていくのが、好きだった。でも、その思いが叶うことはこの時を境に、もう無かった。
「じゃあ、わたしは…。これにする。」
私だけでなく、そこにいた家族、きっと店員さんさえ、驚いていた。濃い茶色。
「ヒ、ヒナ。赤とかピンクとかもあるんだぞ?」
「これがいい。かっこいいもん。」
私は、正直ショックだった。おそろいのランドセルを背負って学校に行きたかった。家へ向かう帰り道、なぜか泣いている私を見て、祖父母はどうしていいかわからなかっただろう。私たち二人の笑顔を見たかったはずなのに。見られるはずだったのに。
「ユナはわたしがまもるから。」
泣きながら歩く私の横で、姉は一言、そう言った。

 「おお、二人とも良―いの買ってもらったなあ。」
仕事から帰宅した父が、テレビのそばに並べられた二つのランドセルをすぐに見つけて、嬉しそうにそう言った。
「でも違う色にしたんだなぁ。同じにするかと思ってたんだけど。」
それまで全く同じデザインの服ばかり着ていた―いや、母に着せられていたというのが正しいが―ので、父がそう思うのも当然のことだった。姉がコートをかけるハンガーを持って、父に駆け寄る。
「うん、ヒナもね、はじめはユナとおなじみずいろにしようかなとおもったんだけど、やめたの。おなじだとまちがっちゃうかもしれないでしょ?がっこうでもこまっちゃうかもしれないもん。」
「さすがお姉ちゃんだなあヒナは!じゃあこっちの茶色がヒナのかあ。ずいぶん大人っぽい色にしたもんだ。あと、あれだ。外国の子どもみたいだな!はは!あれ、ちがうか?」
「お父さん。」
母に制されて、父がようやく、一人だけ浮かない顔でうつむいている私に気が付く。そして、明らかに動揺した様子で、
「い、いやあユナのランドセルも良い!お父さんが子どものころにはこんなきれいな色、なかったからうらやましいなあ…。あ、そうだ!入学式の日、お仕事休みとれたから!お父さん、楽しみだなあ…。」
あわてて付け足すが、状況は一向に変わらない。
「…。」

 食事中も父はなんとか雰囲気を変えようと喋り続けていた。きっと、好物のチーズ入りハンバーグも、味なんてしなかったことだろう。姉だけ褒めてしまったから妹がヘソを曲げたのだと思っていただろうが、父のそれは見当違いであった。

 不思議な感覚だった。あんなに輝いて見えていた水色が、ひどく安っぽく思えた。それに引き換え、姉が選んだ色はなんとすてきなのだろう。茶色のクレヨンなんて、ほとんど使ったことはなかったのに…。「ユナも、ヒナとおなじいろにしたい。」何度も口から出かけたが、それが家族をどれだけ困らせるかは子どもでも容易に想像できた。
 きっと、この時だ。私は、『姉のもっているものが全て欲しくなるビョーキ』にかかってしまった。

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