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ジャズとコーラとポテトチップス

月曜日の朝、部屋の窓から雨を見ていた。

窓の向こうには丘の下の家々の屋根があって、そのどれもが白っぽく輪郭をぼやけさせている。

住宅街の中にポツンと立つ小学校の屋根は、一部が煙突のように飛び出ていて、その上に三角屋根が乗っかっている絵本に出てくるような建物なのだけれど、雨の日にはまるで傘をかぶっているように思えて可愛い。


雨はまるで、古い映画フィルムのノイズのような縦線を作りながら落ちていく。粒が大きくない、小雨でもないこういう雨が好きだ。眺めているぶんには。

窓から見える街路樹は葉をすべて落としていて、空に向かって枝が伸びているホウキを逆さにしたような木なのだけれど、この木にはこういう線のような雨が似合う。

雨が似合うものといえば、最初に思い浮かぶのはコーヒーだ。私はコーヒーは晴れの日よりだんぜん雨の日が似合う、と思っている。雪だったらなおのこといい。紅茶は晴れがとても似合う。

食べ物でいったら、うどんは絶対に雨が似合う。反対に蕎麦は晴れた日に食べたい。こんなふうに思うのは、何か記憶が関係しているのかもしれない。

そういえば、雨の日によく思い出すのがポテトチップスだ。

母は元々料理があまり好きな方ではなかったけれど、生真面目な人だったので、毎日きちんと朝も晩も栄養を考えて手作りしていた。美味しいものを食べさせたい、というよりは栄養を取らないと、という考えが先に立っている献立だった。

そんな母であるので、おやつも既製品のお菓子は食べさせてもらえず、果物だとかお芋だとか、母が揚げたドーナッツや蒸しパンなどだった。

そんな家族の管理栄養士のような母が、なぜか雨の日曜日の昼だけはよく手抜きをした。それも盛大な手抜きを。

滅多にお菓子など買わない母が、「ポテトチップスとコーラの1L入りを買ってきて。」と私たち姉妹に指令を出す。そしてそれは、私たちのお昼ご飯になった。

普段食べられないお菓子にありつけるチャンスが雨の日曜日だった。日曜日は父が家にいて、趣味にしていた音楽鑑賞のために買った大きなスピーカー付きのレコードプレーヤーで、よくジャズをかけていた。ジャズを聴きながら食べるポテトチップスとコーラは、テレビで見るアメリカっぽくて素敵だ、と子供心に思っていた。

雨が降る休日の母は、なんとなく気だるそうにぼんやりしていた。普段なら朝から晩まで動き回って、パタパタと何かしら家事をしている母が静かなので、家の中の時間がいつもの倍くらいゆっくりと動いているようで好きだった。


今でも雨が降るとよみがえるジャズとコーラとポテトチップスの記憶は、父と母の思い出にも繋がっている。


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