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とても興味深い本だったので、ネタバレしない程度に紹介しておきます。

タイトルは『生き心地の良い町』 講談社/刊 岡檀(まゆみ)/著。

初版が2013年。2021年に18刷というロングセラーなので、地方自治に携わる人や関心がある人にとって、おなじみの本なのかもしれません。

●慶應大学大学院で精神衛生と地域のコミュニティとの関係について研究していた著者が、全国的に見ても突出して自殺率の低い町を見つけた。その理由は何なのか、単なる偶然なのかどうか。自殺を防ぐ研究論文のネタになるかも、と、取材に出る。そしてそこで見たものは… 

この町には明らかにほかの地域との違いがあることがわかり、この取材は4年に及びます。その違いがなぜ自殺を予防する因子となるのか。次々と謎が解けて行くようすは推理小説のようで、一気に読めてしまいます。著者は決して地方自治や地域おこしの専門家ではないので、かえってこのように新鮮な切り口が生まれたのかもしれない、とも思います。

●ここは徳島県南東部に位置する旧海部町という町。人口は3000人程度で推移している、どちらかというと小さな町です。四国のサーフスポットとしても有名。2006年に他の町と合併して、今は海陽町となっているものの、合併した他の町の自殺率は全国平均のレベル(人口10万人に対する自殺者数25.2人:著者による統計)で、やはり旧海部町だけが突出して低い(同年で8.7人)。

おせっかいは焼く。しかし監視も干渉もしない。

取材を開始して間もなく驚いたことは、赤い羽根共同募金が集まらないこと。もうひとつは老人クラブへの加入率が他の市町村と比べて顕著に低いこと。この2例を同列に並べることにより、この町の大きな特徴が垣間見えてくる。

普通であれば、それほど高額ではないし、「ほかの人が募金をしている」と聞けば自分も、という理由で募金する。老人クラブについては、世話をしてくれる人に義理立てして入会するかもしれない。しかし、この町の人の多くは「よその誰が募金しようとも、何に使われるかわからないものには募金しない」と考える。老人クラブについても「誰が入会しようと、自分には必要ない。だから入らない」と考える。だからと言って決してケチなのではなく、地元の祭りの寄付金には大枚をはたいたりする人たちなのだ。

とは言え、都会のマンションの住民のように孤立した暮らしをしているわけではない。たとえばこの町にも全国どの地域にもあるような相互扶助組織がある。この組織は江戸時代から続いており、地域の保安はもちろん、冠婚葬祭の手伝いや家の普請なども行う。しかし、ここから先が旧海部町らしいのだけど、組織への出入りは自由。組織に入らなくても、何も不利益は被らない。ヨソ者を拒まない。その組織には、どこにでもありそうな上下関係が全く無い。なぜなら上下関係なんて必要が無いと誰もが考えるから。町内のどのコミュニティも、おせっかいなくらいに他の住民を見守るけれど、決して監視や干渉はしない。

●政治参加への意識は高いものの、選挙があれば誰もが好きな候補者に投票する気風なので、組織票が生まれない。首長は若く、たびたび交代する。決して一枚岩にならない。むしろ一枚岩を嫌う。ある老人は「人に何かを強制するほど野暮なことはない」と言う。「いろんな人がいた方がいい」という理由で、特別支援学級のようなものを必要としない。多様性なんて、言葉にするまでもなく昔から自然に存在する。だからイジメも起きない。

どの町でも、明日から真似ができるわけではないけれど。

著者は4年間の取材を通じて、この町の自殺率が低い理由の5項目を導き出します。その論文を読んだ地域の人々からは「この町は、ほかの町とどこかが違う、と長い間ぼんやり思ってはいたけれど、文章にしてもらって、その違いがはっきりわかった」と言われたとのこと。この5項目を列挙するとネタバレになってしまうので、興味がある方はぜひ購入してお読みください。

●なぜこんな奇跡の町ができたのか。もちろん詳しく考察されています。その要因のひとつに、木材の積み出し港として、昔から移住者が支えてきた町の歴史や気質とも関わってくるのではないか、と著者は推測します。であれば、「今すぐウチの町も、このように生まれ変わりたい」と考えたところで、一朝一夕に真似できそうにない。それなりに歴史が必要なのだ。今になって、慌てて「多様性」をスローガンを掲げたくらいでは、これほど住みやすい町は作れないはずです。

とは言え、何かできることがあれば参考にしたい。これは自治体や地域コミュニティに限られた話ではなく、個人の生き方にも応用が利くのではないでしょうか。「このように考えれば、人は無駄なストレスを抱えない、自殺などには追い込まれない」という、穏やかに生きる処世術へのヒントにもなるはずです。

●なお、この論文をまとめるにあたって、どのような取材準備をしていたのかについても詳しく書かれています。取材、執筆をナリワイとする人にとっては興味深いかもしれません。実に4年もの時間をかけた取材。常に締め切りから逆算して日程を立てる雑誌の取材では、これがなかなかできないのです。これはアカデミックな世界の羨ましいところでもありますね。


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