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21.0975kmで止まっていた針を動かしたい ~フルマラソン完走者の表情を見て~

「そういえば、芦沢くんは日曜日のマラソン大会には出るの?」

「いや、今回は出ないんですよね」

上司の質問に、曖昧な表情を浮かべながら答える。
目前に迫っている休日に胸躍らせる金曜日の午後。しかし、僕の心は青空から急に曇り空に変わったかのようだった。

今回は、というのは何も無意識ではなく意識的に答えた。つまりは以前はエントリーしたことがあるということ。実際、数年前は「出ます」と言っていた。

でも……

本当は今回は、ではなく、これからもずっと出ないつもりだった。もう僕がマラソン大会で走ることはないと。


4年前、僕はフルマラソンに向けて走っていた

僕がランニングを始めたのは、社会人になって数年が経った時から。運動不足の解消とダイエットというよるある理由からだった。最初は全身が筋肉痛になった。それでも何ヶ月か継続するうちに体重は減り、目に見えて身体が変化していく。それだけでなく、走ることによって前向きな気持ちにさせてくれた。次第に、ただ走るだけでなく何か目標を持って走りたいと思うようになり、「マラソン大会へ出場してフルマラソンを完走すること」が新たな目標になった。それが、2019年の明けのことだった。

書籍や動画を利用し、トレーニング計画を立て、効率の良い走り方を研究した。最適なシューズを探して、栄養を考えた食事の摂取を心がけるようになった。
初めて出場したハーフマラソンの大会。沿道の声援が今でも忘れられない。よくスポーツ選手が「皆さんの声援が力になりました」と言うが、あれは本心から出る言葉だと思う。普段の練習以上に脚が動き、自分でも予想以上のタイムが出た。何よりも「頑張れ」の声援を浴びるのが気持ち良かった。

さらに、SNSなどによって市民ランナーの方と交流しながら刺激を受け、モチベーションが上がるとともに面白いようにタイムが伸びていく。次に出た大会では、なんと入賞して表彰を受けた。社会人になってから表彰を受けるのは初めてのこと。これまでの自分が知らなかった世界がどんどん見えていく感じがした。このまま順調にいったらランナーの上位3%しか到達していない領域である「サブ3」(フルマラソンを3時間以内で走る)もいけるのでは。10月にある初のフルマラソンに向けて、僕は驀進していた。

台風による中止、やり場のないもどかしさ

エントリーはした、ケガもしていない。あとはスタートラインに立つだけ。ゴールできるかは当日の状況によるけど、スタートラインには立てるだろう。
順調だった当時の僕には、どこか慢心の気持ちがあったかもしれない。そんな気持ちを神様は見逃さないかのように、台風が迫っていた。「まさか、中止なんてことはないよね」という思いとは裏腹に、台風は本州に直撃。当日の朝、中止の連絡を告げるメールの通知音が寂しく鳴り響いた。

初めてエントリーしたフルマラソンは、スタートラインにすら立つことなく終わった。

僕を含めて誰かが悪いわけではない。それは分かっている。でも、この悔しさはどこにぶつければいいんだろう?そんなやり場のないもどかしさだけが残った。
後日、完走者に渡されるタオルが届いた。どんな気持ちで受け取ればいいのか、僕には分からなかった。

その後に襲ったコロナ。僕は走る意味を見失った

台風による中止で一旦は下がったモチベーションだったが、数ヶ月後に開催される県外でのフルマラソンにエントリーしていたこともあり、再び気持ちを奮い立たせて脚を動かした。

だが、大会に出る中で次第にタイムばかりを追い求めるようになってしまった自分もいた。思ったように走れない時はイライラするようにもなっていた。日が経つにつれて何か大事なものが失われていくようだった。

その矢先……

新型コロナウイルスが世界を襲った。

風邪の時くらいしか使用しなかったマスクが必需品となり、外出もままならない未曾有の状況。不要不急の外出は控えましょう。そんなフレーズが毎日のようにニュースで流れていた。特に密集状態の中で運動するマラソンは、不要不急の代名詞として、世間の格好の種になった。もはやマラソンどころではなくなった。全国のマラソン大会が軒並み中止になったのは言うまでもない。

それでも僕は先にある光を信じて、人がいない状況を見計らいマスクを装着して走った。一歩一歩、ウイルスを踏み潰すような思いで。

2020年の秋。絶えず猛威を振るうコロナウイルス。オフラインからオンラインへ、生活様式がガラッと変化していく。そんな中で、全国各地では通常開催に代わりオンラインマラソンが行われていた。オンラインマラソンとは、GPSアプリを活用して、一定の期間内に決められた距離を走るマラソン大会だ。コースは自由に選べて、好きな時間に走ることができる。通常開催はできないが、それでも何かしらの形でレースをおこなえないか。運営にとっても苦肉の策であったのは理解できた。

しかし、僕の心は全くといっていいほど動かなかった。マラソン大会の魅力の1つとして、普段は走れない道路を走れたり、景色を見れたりすることにあると思っている。それができないマラソン大会なんて、出る意味がない。

「こんなの、違う」

僕は、何のために走っているんだろう。

ポッキリと何かが折れる音が、はっきりと聞こえた感じがした。

3年後、止まっていた針が動いた気がした

あれから3年。
少しずつ以前のような日常が戻りつつある。全国各地のマラソン大会も通常通り開催されているようだ。そんな中、僕はマラソン大会の会場に戻っていた。ランナーではなく、ボランティアスタッフとして。ボランティアに応募した理由、それは初めて出場したマラソン大会でのスタッフの姿、沿道の声援が印象に残っているからだ。主役であるランナーだけでは成り立たない。それを支える方がいて成り立つもの。走りながら、他のランナーよりもスタッフの姿が印象に残っていたのだ。

当日、僕は完走者の誘導や補助をおこなった。
参加者は約1万人。途切れることなくランナーがやってくる。完走したランナーの中には脚がつるなどでしばらく動けなくなる方が多かった。しかし、苦しさを滲ませながらも、どこか充実感や開放感に満ち溢れた表情をしている。それは、とても晴れやかなものに僕の瞳に写った。苦しくてイライラしている、そんなランナーは1人もいなかった。42kmを走ったにも関わらず。完走者が口にする「ありがとう」「助かる」「わざわざいいんですか?」の言葉。心が真綿に包まれるような感覚があった。そして、溢れ出てきた想い。

21.0975kmの先にある世界はどんなものだろう。完走したら、僕はどんな表情をするのだろう。今まで知らなかった新たな自分が見れるのだろうか。
あの時走れなかったフルマラソン、来年は走りたい。

フルマラソンの完走者の姿を見て、止まっていた針が動いた気がした。

2024年、僕はあの時立てなかったスタートラインに立つ

走る意味を見失った時、僕は自分の不運を嘆いていた。しかし、今ならわかることがある。あの時中止でなければ出会えなかった人がたくさんいて、読書などを通じて出会えた素敵な物語がたくさんあったということを。様々な文化に触れることもなかっただろう。もし中止でなかったら、今以上に心は豊かになっていなかったかもしれない。
あの時の中止は僕に試練を与えてくれた。そのように受け入れられるようにもなっている。

そして今、巡り巡って21.0975kmより先の世界を見たい気持ちがわいてきた。人生で生じる伏線は、小説のようにいつかは回収されることもあるのだろうか。それを思うと、どこか不穏な空気が流れている今の世の中でも、明日が少しだけ明るくなって見える気がする。

書きながら、4年前に読んだ大迫傑さんの『走って、悩んで、見つけたこと。』に載っていたフレーズを思い出した。

自分がやるべきことをすべてやっているので、スタートラインに立ったときはいい意味で開き直った状態です。レースが良くても悪くても、ここまで妥協なくやってこれたというスタートラインに立った達成感があるんです。
(中略)
だからスタートラインに立つということは、僕の中ではひとつの勝利なんです。それだけの勝利で終わるのか、それをより素晴らしいものにするかは、もちろん当日のレースで決まるのですが、妥協なくスタートラインにたどり着いただけで、それはひとつの勝利だと思っています。

『走って、悩んで、見つけたこと。』

ゴールすることが重要だと思っていた僕にとって、このフレーズは印象的で、そして今になってさらに強く響いている。
できるか、できないかではなく、やるか、やらないか。ゴールできるか、できないかではなく、スタートラインに立つか、立たないか。タイムも、走ることに意味があるのかないのかも関係ない。自分自身のベストを尽くせるかどうかだ。
「こんなの、違う」
いや、違っていたのは僕自身だった。

2024年の目標の1つが早くも決まった。

「フルマラソンを完走する。タイムは関係ない。あの時立てなかったスタートラインに立ち、沿道の声援を浴びながら周りの景色を楽しみ、支えていただいたスタッフに感謝する」

今も運動不足にならない程度に走ってはいるが、あの時のようには走れないだろう。しかし、幸いにも体重に変化はない。脚に負担がかからないフォームも身体に染み付いている。用具類も必要最低限のものは残してある。練習方法などの知識も覚えている。

残っているもの、あるものに目を付ける。そのうえで、今の自分ができる最善を尽くす。
この3年間で学んだことの1つだ。

大会の翌日、僕は走り出していた。1年後、スタートラインに立っている姿をイメージして。

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