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聖徳をまとう_一/ストーカー(2)

  ◇

 その日の己の醜態を気にしていなかったわけではない。

 時折は、思い出したかのようにひとり悶々とし、ただ、気にしたところでどう出来るわけでも無いという事実を盾にまたいつもの調子を取り戻す。数日はその繰り返しだった。

 ユミを追ったあの日から一月ほど経った頃、思い立ってまた店に行ってみることにした。仮にユミが店にあのことを訴えていれば、私はいわゆる出禁――出入り禁止になっているだろうか。それも行って確かめてみないことにはどうしようもない。単純にまたユミに会いたいと思ったことも事実だ。

 しかし、店のホームページにユミの出勤予定が表示されることはなかった。どうしたことだろう。これまでのユミは連日の出勤が当たり前で、私が店に通い始めてからは一週間と「お休み」が続くことはなかったはずだ。足を洗ったのか。この種の業態では、そうした情報をいちいち客に伝えない店も多いだろう。あるいは、心身の不調だろうか。それが、万一、私のせいであれば――。

 煙草と香水の入り交じったすえた匂いのするアパートの一室で、私は見慣れた受付スタッフと向かい合っていた。ごま塩頭の初老の男性スタッフが私を咎める様子は無い。予約をしていないことを私が告げると、ごま塩頭のスタッフは慣れた手つきでカウンターに数枚のはがきサイズのパネルを並べた。パネルには女性の写真とプロフィールが載せられている。しかし、この時点で私の関心は目の前のパネルには無く、店からユミのことを聞き出すこと、その一点のみだった。

「えっと。そうだな、どうしようか」

「もし、お悩みでしたら、こちらのリカコさんはいかがでしょうか? フリーで入れることは滅多に無い人気の女性ですよ。オススメです」

 ずいと乗り出すごま塩頭の後ろのカーテンが小さく揺れた。

「いや、それも良いんだけど、ちなみにさ、ユミさんって、今日、出勤したりとか――」

 それを聞いたごま塩頭の表情は、一瞬硬直し、

「ユミさんは、ですね。やめましたよ! それよりリカコさん、どうされますか? せっかくいらしたんだし、どうでしょう!」

 早口でまくしたてられた。口角を上げて笑顔を繕ってはいるが、眉間には縦皺が深く刻まれてちぐはぐな表情になっている。

 ユミは店をやめた。予想していなかったわけではない。その可能性が高いことは確かめる前からわかっていたはずだ。

 それよりも。私が原因か。彼女が店をやめたのは。私を厭うて彼女は私の知る店から去ったのだろうか。

 何故だろう。白い豪邸の前で最後に見たユミの横顔が脳裏に浮かんで、消えた。そして、私の指先はリカコという女性のパネルを指さしていた。

 つきまとう客を嫌って水商売や風俗に従事する女性が店を変える。まぁ、そんなことだってあるだろう。珍しいことではない。いや、この世界ではむしろよくあることなのではないか。たいしたことではない。私がユミに対してやったことなどたいしたことではないのだ――。

  ◇

 リカコは年不相応に舌足らずな話し方をするが、それも含め、確かに男好きのする雰囲気をまとった女性だった。

 薄暗いホテルの一室で、ひととおりやることをやったあと、私はベッドに腰掛け、リカコは私に背を向け立ったまま下着を身につけている。換気扇の音だけが響く室内で、

「お兄さんさぁ。ユミさんのお客さんだったの?」

 ブラジャーのホックを後ろ手に留めながらリカコは首だけをこちらに向けていた。その表情に色は無い。

「ああ、そうか。聞いていたんだね。あのとき」

 ごま塩頭の背後のカーテンが不自然に揺れる様子を思い出す。仕切りの向こうは女性の控え室なのだろう。きっとリカコはカウンターの会話を立ち聞きしていたのだ。

「うん。まぁ、何度かね、ユミさんには。だからやめたって聞いて残念だったんだけど、でもリカコさんにこうして――もらえたし」 

 歯の浮くようなセリフが口をついて出るのは、ユミの去就に、もしかすると私の行為が関わっているかもしれないという後ろめたさがあるからだろうか。

「ハハハ。それは、どうも。ありがとうございます」

 芝居がかった仕草でくるりと正面を向くリカコ。バランスの取れた肢体が目の前にあった。

 それにしても――。こういう店では、女性同士というのは客を取り合ういわゆるライバル関係なのではないのだろうか。私という客を前に他の女性のことを話題に出すリカコの意図が不明だ。ユミは既に店をやめた女性だからか。

「あのさぁ。これ、あたしが言ったって絶対言わないでね。内緒だからね」

 リカコは下着姿のまま跳ねるように私の隣に腰掛けた。ふんわりウェーブの髪が揺れ、鼻腔をくすぐる。

「実は、ユミさんね――」

 息を感じるくらい鼻先にリカコの顔が迫る。不健康に濁った瞳の奥には、欲望を吐き出し終えたばかりの私がいる。

「ユミさんね、死んだの。自殺。自宅で首つって」

「えっ――」

 突如ざわつき始めた胸の内の何かを押さえようと私は唾を飲んだ。

「それ……いつの話?」

「そうねぇ。ひと月くらい前かな。うん、そうだ。店で大騒ぎになっていたの、たぶん、それくらい」

「どこで? 自宅? 藤井寺で?」

 思わず口走っていた。

「え? どうして藤井寺? ユミさんがお兄さんにそう言ってたの? あたしはユミさんんの自宅がどこかは知らない。実家は南河内の方って何かの拍子に聞いたことがあるけど。確か、太子町――」

 またしても虚を突かれた。もはや内心の動揺を隠しきれなかった。ベッドサイドに置いたバッグから水のペットボトルを取り出し一気飲みする。出し抜けな行動は滑稽に映ったはずだ。

「大丈夫? 空気、乾燥してる?」

「――いや、大丈夫だから。ありがとう」

 私はかぶりを振る。ほかならぬ南河内郡太子町は私の地元だ。大阪府の東南部、奈良県と境を接する小さな田舎町。ただ、私の驚愕の原因は、ユミと私が同郷だったということだけではない。

 あるとき、彼女が言った言葉を私ははっきり記憶していた。

 ――三十八歳? 本当に? 私と同い年です

 純白のシーツの上で。互いの肌を重ね合いながら。

 ――話題が合いそうで嬉しい

 ユミはそう言って笑った、のだ。

 お互い良い年だというジャブを打ち合った後であり、サバを読むような雰囲気では無かった。生まれ年まで一緒だとは限らないが、せいぜい前後ひとつ違いだろう。

 太子町内に小学校はふたつ、中学校はひとつだ。当時、私が通った小学校は学年ごとにひとクラスだった。私とユミが、青少年時代に近い距離にいた可能性は高い。

 水商売や風俗業に従事していることが知り合いに期せずして発覚することを「身バレ」と呼ぶのだと言う。あの日、あの時の私の行為の結果、ユミは「身バレ」を自覚したのだろうか。

 そして、ユミは――彼女は「身バレ」を苦に自殺したのだろうか。換言すると、私が、彼女を死に追いやったのか。


――続(一/ストーカー(3)へ)

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