聖徳をまとう_一/ストーカー(1)
◇
仕事をやめて地元に帰ることにした。
早朝、引っ越し業者に少ない荷物を預け、地下鉄で名古屋駅へ向かった。懐が寒いので新幹線は使わない。名鉄百貨店前のナナちゃん人形に横目で別れを告げつつ近鉄特急の乗り場を目指す。およそ二時間電車に揺られ、十年ぶりの大阪に降り立った。
アパートは既に契約していたが実際に目にするのは初めてだ。大阪南東部に位置する富田林市、その北の玄関口にあたる貴志駅至近に私の新たな寝床はあった。三階建て鉄筋コンクリート作りの古アパート。一階部分の三分の一程度がピロティになっており入居者の自転車が野放図にひしめき置かれていた。一階南側の角部屋が私の住戸だ。六畳一間のワンルーム、ベランダが無い代わりに居室の手前に二畳ほどのサンルームがあった。窓から差す三月の陽にきらきらと埃が舞っている。暗くなるまでまでには引っ越し業者に預けた荷物も着くだろう。
さて、これからどうしようか。今日の話ではない。明日からの話だ。仕事どころか用事すらない。三和土に立ったまま私は玄関ドアに背を預け、そして息を吐いた。
「とりあえず――」
とりあえず、風俗へ行った。大当たりだった。
◇
私が空っぽの日常を送っていたところで季節は進む。五月の連休シーズンが明けてからは、早くもじりじりと焼けるような暑さの日が続いていた。
帰郷初日、ふらりと入った店で出会った女性に、既に私は三度癒やされていた。もちろん高い店には通えない。受付は隠れるようにミナミの雑居ビルでおこない、近隣のホテルで行為をする。薄い財布に優しい店ゆえ、それなりの年齢の女性が迎えてくれるが、それなりの年齢の私に不満は無い。
通算にして四度目。そろそろ常連とも呼ばれるのだろうか。日本橋駅の交差点で別れ、信号を渡った後、振り返ると、彼女――ユミはいつものように小さく手を振ってくれていた。
阪神高速道路を頭上にあおぎながら、千日前通りを難波方面にとぼとぼと歩いた。初夏の陽光は容赦なく照りつけ、私の影を路上に焼きつけんばかりだ。
千日前商店街にたどり着いた私は、ゲートを見上げ、汗ばんだ額をぬぐう。通り沿いに立つ商業施設の一階には見慣れたチェーン系のカフェが入っており、涼気を求める私の足は気がつくと店内に吸い込まれていた。
スマホを取り出し時刻を確認すると四時半だった。スモールサイズのブラックコーヒーをセルフオーダー。ガラス越しに通りを眺められる一等席を運良く陣取れた私は、せめて日が傾くまではここにいようと内心決意を固めた。
私が漫然かつ無為に過ごしていたところで、時間は進む。薄雲にかすかに茜色の混じり始めた頃。頬杖をつき、窓外の通りを行き交う人々の様子を眺めていた私は「あっ」と小さく声を上げた。
(ユミ――さん――)
その女性は、今まさに、窓ガラスを挟んで私の目の前を横切ろうとしていた。すらりと伸びた鼻筋、長いまつげをまとったアーモンド形の瞳。肩口ではブラウンのセミロングが揺れている。見間違えようもない。彼女は先ほどまで私と肌を重ね合わせていたユミだった。
魔が差す、というのだろう。
私は、去って行くユミを視界に収めながら立ち上がっていた。グラスとトレイを返却棚に投げ置くと、店外に走り出る。空色のワンピースにクリーム色のカーディガンをはおったユミの背中は地下街に続くエスカレーターに乗り込むところだった。つかず離れずの距離を保ち、後を追う私にユミが勘づく様子は無い。地下街を抜け、地下鉄の御堂筋線に乗り、天王寺駅で下車。近鉄線に乗り継いだ。この時点でユミが私と帰路をほぼ同じくすることがわかり、奇妙な高揚感が私の心をよぎった。
魔が差した、のだろう。
帰宅ラッシュの時間帯だ。車内は混雑していたが、つり革を持って頼りなげに立つユミをぎりぎり横目で捉えられる位置に私も乗車した。始発の大阪阿部野橋駅から準急電車に乗り込んだユミは、結局、停車駅にして三つ目の藤井寺駅で下車した。もちろん私も後に続く。ユミを追い、南口を出て、通りを一本路地に入ると閑静な住宅街が広がっていた。
やがてユミが足を止めたのは、ひときわ大きな戸建て住宅の前だった。デザイナーズハウスというのだろうか。複数の箱を組み合わせたようなキューブ型の外観が古びた町並みのなかで異彩を放っている。背の高い塀に囲まれた敷地は百坪以上はありそうだ。
白い門柱の前で郵便物を確かめている様子のユミを、私はいつの間にか物陰にひそむことも忘れて正面から眺めていた。
「あっ――」
気配を感じたのだろう。振り向いたユミと私の視線が交錯する。
「あのっ――。いや、これは、その――」
言葉が出なかった。
ユミは何も言わずカーディガンの襟元を押さえると、背中を丸めるようにそのまま門扉をくぐってその姿を私から隠した。直後、鉄製の硬質な音が私の耳朶を打つ。吸い寄せられるように門柱の前まで歩を進めると、郵便受け口の上に、「YASHIRO―八城―」と読めるガラス彫刻が取り付けられていた。
「八城さん、か――」
まさか八城ユミが本名ではないだろうが。
魔が、差したのだ――。
遠くから踏切の遮断機の音が聞こえる。カンカンカンカン。宵闇の住宅街に私は立ち尽くすしかなかった。
――続(一/ストーカー(2)へ)
https://note.com/sntngc1_shushu/m/m3636748b902e
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