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聖徳をまとう_一/ストーカー(3)

  ◇

 地元で顔の広い、旧友と呼べる存在は田辺雄平だけだった。帰郷しても連絡を寄越していなかった不義理を詫びつつ、さっそく旧交を温める場を持つことを提案すると、「サシでやろう」と彼らしい言葉が返ってきた。

 翌日、淀屋橋の商社勤めだという雄平の仕事上がりの時間に合わせて、天王寺で待ち合わせた。

「おーう! よう連絡くれたなぁー」

 現れるなりそう言いながら雄平は赤銅色に焼けた太い腕を私の肩にまわしてくる。

「ちょっと痩せたか?」

 白いワイシャツに似合う快活な笑みを浮かべた。

「まぁ、積もる話は店で聞かせてや。ほな、行こか」

 私は目顔で応じた。

 北口を出てすぐの炉端焼きの店に入るや、とりあえず私たちはビールジョッキを打ち鳴らした。

「いやー。しゅうちゃん、久しぶりやなぁ。今日はええ夜や!」

 私のことを『しゅうちゃん』と呼ぶのは地元の同級生だけだ。その一人である雄平はあっという間にジョッキの半分ほどを飲み干すと、やおら居住まいを正し、泡のついた口を開いた。

「んで、なんで仕事やめたん? カメラ売ってたんやったっけ?」

「深い理由は無いよ。会社が傾き始めてからボーナスもろくに出なくなった。で、早期退職を募っていたからそれに手を挙げた。仕事にこれといって愛着は無かったしね」

 もっと哀愁に満ちた長広舌を振るうべきだったろうか。とは言え、現実は散文的で無味乾燥だ。つまるところ、金を貰えなくなったから辞めた。それだけなのだから。巷間、どこでも聞かれる話だ。

「ふーん。まぁ、しばらく休んだらええんやないの。俺もそうしたいわー。しゅうちゃん、ちょっとは蓄えもあるんやろ」

「うん、そやね。お金はそこそこかな。けど、時間はたっぷりある。そういえば、こないださっそく風俗行ったわ」

「ほぉー。ええやないの」

 雄平は赤らめた頬をゆがめて破顔した。

「で、どやった? 良かったか?」

「ああ、まぁね。控えめに言っても、すっごい良かったよ。やっぱり疲れた身体に癒やしは必要やね」

「そんな良かったかー。羨ましい。最近、俺もご無沙汰やし、今度、その店教えてや。どこにあんの?」

「うん、日本橋なんやけどね。ところでさ、下卑た話題ついでなんやけど――」

 と、店員がつまみを持ってきたので口をつぐんだ。ジョッキを傾けて間を持たす。

「おー、なんやなんや。まだ宵の口やけど、ピンクな話はいつでも歓迎やで」

 去って行く店員の背に流し目を送り、雄平は相好を崩す。

「僕ら、もう三十八やろ」

 私は、一人称をTPO―時間、場所、場合に応じて使い分ける。公の場では『私』だ。そうでない時は、眼前の相手との関係や距離を自分なりに測り、それを『僕』や『俺』といった一人称で表現している。

「みんな、いい年だから、それぞれ色んな境遇にいるやろうし、これまでもいたんやろう。でさ、雄平なら知ってるやろうか。僕らの同級生で風俗勤めしている子っているのかな。そんな噂とかこれまで聞いたことない?」

「あー、なるほどね。そういう話か」

 つかの間、宙を見据える雄平。そして、おもむろにジョッキをテーブルに置くと、人差し指で頬を掻きながら、

「太子町なんて大阪や言うても狭い田舎やからな。人の口に戸は立てられんいうか。ほんまにどこから流れて来たかわからへんあくまで噂やで。やけど以前、聞いたことはある。河下美月――」

 カワシタミツキ。河下美月。声に出さず口内で反芻する。同級生であれば会話くらいしたことはあったのだろう。が、記憶の中の、河下美月――と呼ばれる女性は茫洋としており、一向に像を結ばない。私の胡乱な様子を見て察したのか、雄平は続けた。

「百聞は一見にしかず。だいぶ前のやけど、みんなで飲んだときの写真があるわ。ちょっと待ってや」

 雄平はスマホを取り出すと、しばらく操作してから、ずいとそれを私に差し出してきた。モニターにはひとつのフォトファイル――写真が大写しになっている。どこかの居酒屋だろう。和室で男女三人が酒肴の載った座卓を囲む様子だ。男性が一人に女性は二人。

「ここに写っているメンバーのことは、全員、しゅうちゃんも知ってるはずなんやけどな。ともかく、右端のが河下美月。大きくして見てみ」

 言われるまま私は、差し出されたスマホを手に持ち、ピンチアウトした。

 短く切り揃えた前髪の下にアーモンド形の瞳があった。はにかむように歪めた唇は薄い。伏し目がちなその表情は、同じ写真に収まる他二人の明朗な笑顔に対してどこか陰鬱に見えた。スマホを持つ自分の手が汗ばむのがわかる。私の目はモニターに釘付けになっていた。

 河下美月は、ユミだった――。

 私とユミは、四度、ホテルで会っている。ユミは、客である私が地元の同級生である藤村秀太ということに――その可能性に思い至っていたのか。それとも、気がついていたものの、逆に、私のほうにその様子が無いことを良しとして黙っていたのだろうか。

 藤井寺で見た彼女の自宅らしき豪邸の表札には『八城』とあった。結婚後の姓かも知れない。いつ自分の素性に勘付くとも知れない私が、あろうことか客としての立場のまま予期せずプライベートに踏み込んできた。その事態を苦にして彼女は――。

「思い出した?」

 沈思黙考していた私は雄平の声で現実に引き戻された。

「いや。見てもさっぱり思い出せない。客観的に見てキレイな顔してると思うけど、ちょっと冷たい感じもする」

「冷たい感じか。今、思うと示唆的とも取れるかな」

 雄平は含みを持たせた言い方をする。

「その飲み会をやったのが一年半くらい前かな。その後、すぐさ、交通事故で死んでんねん。河下美月」

 さらりと放たれた雄平の一言は、私を文字通り仰け反らせるに充分なものだった。河下美月は既に死んでいる。交通事故で、死んだ。口が渇いて、うまく言葉を発せられない。

「それって……いつのこと? 河下美月が事故で死んだの」

「夏だったから、去年の七月、かな。上宮太子の交差点で自損事故」

 私がユミの元へ足繁く通ったのはこの春からだ。そして、リカコによると、彼女は今からおよそ一月前に自宅で首を吊ったと言う。そのユミが、もし河下美月であるなら、彼女は遡ること一年前には既に事故で他界していることになる。

 ――私と同い年です。話題が合いそうで嬉しい

 ――実家は南河内の方って何かの拍子に聞いたことがあるけど。確か、太子町――

 ユミの言葉が、リカコの言葉が、脳内を駆け巡る。もう一度、スマホのモニターに私は見入った。高画素で再生された河下美月の顔容と、記憶の中のユミのそれが寸分の差も無く重なる。

 私のなかで、もはやユミは河下美月だとしか思えない。しかし、二律背反なことに、ユミが河下美月ではあり得ないことも私は知っている。何故なら、私はユミの身体に、その温もりに触れているから。

 一年前の死者に体温は、無い。


――続(二/故郷にて(1)へ)

https://note.com/sntngc1_shushu/m/m3636748b902e

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