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聖徳をまとう_二/故郷にて(1)

  ◇

 好奇心は猫をも殺すというが、まずもって、好奇心は時に人を動かす原動力となる。抗えないほどの好奇心が自分のなかに生じた。幸いなことに、時間はいくらでもある。田辺雄平と会った翌日、私の足は地元――大阪府南河内郡にある太子町に向かった。

 河下美月の自損事故の現場は、バス停から目と鼻の先だった。車を持たない私にはありがたい。そこは、太子町郊外の、とある私立学園前の交差点だった。

 一年前、美月が運転する軽自動車は、南西角にあるコンビニの駐車場に東側から突っ込んだのだと聞いた。ブレーキ痕は無かったらしい。見晴らしの良い大きな交差点だ。広々とした駐車場に立つと、南側の丘から吹き下ろす初夏の風が私の頬を撫でていく。

 事故現場はすぐにわかった。駐車場の端に立つ街灯柱の足元に小さな小瓶が括られており、それにささやかな花束が挿されていた。

 いったん街灯柱のそばを離れて、缶コーヒーでも買おうかとコンビニ店舗の入口まで差し掛かったときだった。振り返ると、

 一人の女性が――。

 街灯柱の前で、今まさに腰を屈め、小瓶に手を差し伸べようとする女性の姿が視界の隅に映った。

 大きなつば付きの白い帽子。白いワンピース。すらりと伸びた痩身の背にかかる艶やかな黒髪。絵画から飛び出したかのような女性の姿がそこにあった。

 手には、薄葉紙に包んだ数本の切り花が見える。キキョウ、ダリア、小さな小菊のような花は何だろう。

 あの女性は、河下美月の関係者か。そんな偶然があるのか。ただ、しかし――。

 コンビニの自動ドアは開いていたが、構わず私は踵を返した。白昼夢のようだ。自分の見ている景色が現実なのか、そうでないのか判然としないまま、街灯柱に向かって歩を進める。

 あの女は――河下美月の――ユミの――私の、何だ――。

 踏み出した右の足裏に堅い感触を覚え、立ち止まった。

 違和感の正体を探るべく、目線を落としたまま足の位置をゆっくりとずらす。

 アスファルトの上に、小指の爪先ほどの小さな白い石片がひとつ、あった。よく見ると、歯だった。ヒトの歯――いわゆる前歯だ。中切歯、いや、側切歯か。コンビニの駐車場に不釣り合いな白い歯。いつしか私は眩惑されたかのように、その白に見入っていた。

 そのとき――。

 車のスキール音が耳をつんざき、たたらを踏んで我に返った。

 オレンジ色のハスラーが、いつの間にかその鼻先を私に向けて停車していた。すぐさま運転席の窓から女性の顔が飛び出す。

「ちょっとー、死にたいの? 危ないったら! ぼーとしてたら轢かれるよ! ん、あれ?」

 私を見据えるや、女性の特徴的なつり目が大きく開かれた。

「もしかして、しゅうちゃん?」

「えっと……香苗――さん?」

 私は頓狂な声をあげた。

  ◇

 ややあって、私の姿はハスラーの助手席にあった。隣の運転席では、ステアリングに両腕を載せた横谷香苗がニヤニヤと私の瞳を覗き込んでいる。横谷香苗は、私の同級生であり、また、お互いの実家も近かったため、いわゆる幼馴染みといわれる間柄だった。

「成人式で顔あわせて以来かな? 帰ってたんなら連絡くらいくれてもいいのに」

 大仰に口を尖らせる香苗の表情に怒気は無い。駐車場に停めた車内には、淡いシトラス系の香りが漂っていて、私の鼻腔をくすぐった。

「まぁ、僕もこう見えて色々多忙だったからさ。悪かったよ。香苗さんは買い物?」

 さらりと嘘を混ぜ込むのが大人の世知だ。

「そーう! 両親が来週まで旅行しててね。あたしは近くで独り暮らししてるんやけど、実家にパラサイトしている不肖の弟の世話をしてくれって、お母さんに言われちゃっててさ。で、今は日用品の買い出しの途中ってわけ。しゅうちゃんは何してたん?」

「いや、実はさ、河下美月のことを聞いて――」

 田辺雄平から美月の事故を聞きつけ、現場であるここに来た経緯を手短に説明した。ユミについては、当然触れない。

「そうなんや、美月の――」

 香苗の視線はフロントガラスを通して街灯柱に向いている。

「香苗さんの車に撥ねられそうになって取り乱して。でも、気がついたら白いワンピースの女性も、それに歯も、駐車場を見渡したけど無かったよ。女性はもう立ち去ったのかも知れへんけど、歯は小石か何かと見間違えたかな」

「歯――ねぇ。あのさ、しゅうちゃんは聖徳太子のこと知ってる?」

「どうしたの、唐突に。いや、それはさすがに僕だって一般常識レベルではね」

 飛鳥時代に生きたとされる聖徳太子は、日本初の女帝である推古天皇の摂政として、十七条憲法、冠位十二階の制定、遣隋使の派遣や、四天王寺・法隆寺の建立など、日本をして律令国家の歩みと国際交流を進めた人物である――と、二十世紀の義務教育で私は学んだ。

 一方で、その大きすぎる実績ゆえ、最近の研究では、それを一人で為したとする「聖徳太子」なる人物の実在性に疑問符がついており、偉人の名は括弧書きとなり厩戸皇子と呼称するのが一般的になっている。

「ここは、太子町。お膝元やしね」と、付け加える。

 太子町という名の土地は全国に二カ所ある。ここの太子町は、聖徳太子の霊廟を守る叡福寺があることによって名付けられたものだそうだ。

「そうそう。地元のあたしらには身近やね。でさ、これは結構マニアックな知識なんやけど、その聖徳太子の歯にまつわる伝承があるんやけど知ってる?」

「聖徳太子の歯? いや、知らない」

「あのね――。百練抄って歴史書に書かれている話なんやけど、鎌倉時代に東大寺の僧二人が叡福寺の墓破りをして、聖徳太子の遺骸から歯を盗んだんだって」

「へぇ。どうしてそんなことを」

「そうやの。何でそんなことをって思うやんか。あたし、この話を昔、おばあちゃんから聞いて、それから忘れられへんの。だって、歯やで」

 そう言う香苗は口の端を引いて歯をむいて見せた。瞬きを繰り返す両目はぎらぎらと輝いている。昔から蓮っ葉な女性だった。

「もし、信仰心から持ち帰るにしても歯ってないよね。それなら頭蓋骨ごととか、もっといいパーツがありそう」

「ああ、そうやね。でも、どうしてそんなことを今――」

 そう漏らす私に、香苗は眉をひそめた。

「どうしてって……。信じらんない。しゅうちゃんが、こんなところに歯があったとか、消えたとか、あなたがおかしなことを言ったんでしょうが! せっかく、あたしが博識を披露しつつ汲んでやったのに」

 そうして、彼女はやおら助手席に身を乗り出してきて、私の右上腕に開いたままの口を当てた。 

「あいて!」

 思わず声が漏れたが、痛みは無い。甘噛みというのだろう。それでもわずかに腕には香苗の歯形が朱色に浮かんでいる。

「あたし、噛みつき魔やから。覚えといて」
 
 目をすがめて妖艶に微笑む香苗に、

「えっと。缶コーヒー、買うんだったな」

 肩をすくめ、私は助手席のドアを押し開けた。

  ◇

 冷えた缶を手に駐車場に戻ると、香苗はスマホを触りながら愛車の横に佇んでいた。私に気がつくと、

「しゅうちゃん、これからどうすんの? 駅に行くんなら送ってくよ」

 晴朗な表情で手をあげてくる。私に噛みついたことなど無かったかのように。

 逡巡したが、先立つものを持たない私には魅力的な提案だ。素直に貴志駅まで送ってもらうことにした。そして、十五分ばかりの車中、私は河下美月について知りたかったことを香苗から聞き出した。

 河下美月は、事故に遭うまで、すなわち生涯を通して独身であり、実家暮らしだった。藤井寺の白亜の邸宅には住んでいない。そして、彼女には双子はおろか姉妹はいない。


――続(二/故郷にて(2)へ)

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