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聖徳をまとう_三/地を這う(2)


  ◇

 交わした約束はまもなく果たされた。

 カウンセリングの二日後、私は再び空に近い場所にいる。八城に示された会食の席はあべのハルカス上層階に位置するシティホテル内のレストランだった。

 地を這う気分の人間には不釣り合いな場所である。

 まったく場違いな――

 ウェイターに導かれ席に案内されるまでのあいだ、独りごちた。

 夜景の見える窓際のテーブルには三人の先客――八城と老夫婦の姿があった。近づく私を認めて彼らは揃って立ち上がる。

「お待たせしました」

「いや、私たちも今着いたところだよ」

 今日の八城はノーネクタイながらオーソドックスなスーツ姿だった。プライベートということか。秘書は帯同していない。

「紹介しよう。渡辺茂さんと咲子さん、澄子のご両親だ」

 夫婦ともに歳は七十前後といったところか。かくしゃくとしたロマンスグレーの老夫が小さく私に会釈をし、慎ましやかなその妻が夫にならった。

 この夫婦は、娘の自死の遠因を私が作ったと、本当にそう思っているのか。

「えっと。はい、藤村です。その節は――」

 言葉が出なかった。老夫婦の哀苦に満ちた四つの瞳に見つめられて。

 これは、善行なのだ。だから――今だけは胸中複雑に絡まり合う戸惑い、諦念や憤りといった数多の感情を押さえつける。そうして、身体を畳むように腰を折り、深々と頭を下げた。
 
 豪奢な料理がテーブルに並び始めてからも当然のように会話は少なかった。平日の夜ということもあってか、客の姿はまばらで店内は落ち着いた雰囲気に包まれていた。カトラリーの触れ合う硬質な音が耳に痛い。

 食事の前に、私は謝意の言葉とともに事実だけを述べた。あの日、確かに澄子の跡をつけたこと、そして門柱の前で彼女と目があったこと。確かに卑俗なおこないではあったろう。しかし、その後の彼女の自死との因果関係を私は知らない。

 多くを語らず寡黙な私に対して、渡辺夫妻はその様子を深い改悛の表れと取ったのか責めることをしなかった。あるいは八城があらかじめ彼に都合の良いように顛末を言い含めているのかもしれない。

 食事の最中は、八城が時折料理の感想を独り言のように口にし夫婦に同意を求める以外これといった言葉は交わされない。私にとっては針のむしろに座る時間だった。

「藤村さん――」

 食後、温かいコーヒーがテーブルに並ぶのを見計らったように、渡辺茂が唐突に私の名を呼んだ。彫像さながらに押し黙っていた私は息を呑んで顔を上げる。

 私と目が合うと、茂は端然と背を伸ばしてから物憂げに語り始めた。

「あなたが今日どのような気持ちでこの場所に来たのか私にはわかりません。ただ、私たち夫婦としては、あなたのことを許すも許さないもありません。宗光くんから娘のことであなたに会って欲しいと、一緒に話を聞いてもらいたいと言われたからここに来ただけです。娘がいなくなっても――宗光くんは今も大事な家族ですから」

 首元のループタイを弄びながら茂は伏し目がちに言う。

「藤村さん、あなたは今日のことを忘れないでください。それだけです」

 私は無言のまま頭を垂れた。

  ◇

 私の役割は済んだのだろう。八城と渡辺夫妻はぽつりぽつりと閑談を始めた。私は窓外の夜景を眺めながらそれを聞くともなく聞いている。

「あら? 宗光さん、お怪我してる?」

 会話の中心はもっぱら夫の茂と八城だったので、唐突な咲子の声は私の耳を引いた。隣に座る八城の手元を見ると確かに右手の甲――第三関節のあたりに絆創膏が重ね貼りされている。表面は血が滲んでおり、やや痛々しい。

「ああ。いえ、たいした怪我じゃありませんよ」

「いいや。甘く見て破傷風菌が入ってはいけない。帰ったらしっかり消毒したほうがいいよ」

 茂が淡々と言う。八城は右手の絆創膏を反対の手で覆いながら私のほうに向き直り、取り繕うように苦笑した。

「お義父さんはね、今は隠居なさっているが外科医だったんだよ。身体のことには一家言お持ちだ」

 目顔で応じつつ、そう思ってよく見ると夫婦とも身なりから高級感の漂っていることが伝わってくる。主張するタイプではなさそうだが裕福なのだろう。

「藤村さん」

 視線を感じたのか元医師は居住まいを正して私のほうに向き直った。

「何かあれば連絡をくれて構わない」

 節くれ立った指が差し出してきたのは名刺だった。表面には肩書きのない名前と連絡先だけが記されている。

「あの……。でも、私のほうは」

 慌ててバッグを手探るものの、社会的地位が皆無の私に交換できる名刺は無い。

「あなたの連絡先は宗光くんから聞いているから構いませんよ。袖触れ合うもというやつです。他意はありません」

 そう言って、この日初めて渡辺茂は私の前でその口元を緩ませた。

 年輪を重ねた老夫の瞳の奥は慈悲と憐憫、そして窓外の夜景とがない交ぜに映り込んでいた。

 私は許されたのか。だとしたら私は何の罪を課され、そして許されたのだろう。

 明日からはまた地を這おうと思った。高いところは私には似合わない。


――続(四/いもこさん(1)へ)


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