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○○に捧げて良い残りの人生は一秒も無い

僕は離婚を機に実家に戻り、現在は両親とともに生活している。

また一人暮らしでも、と思っていたが意外と心地が良い。
思えば地元を離れ京都の大学を選んだものだから、両親と共に暮らすのは高校生以来だ。

大学受験で受験する大学を京都大学に選ぶ時、「もうこれで両親や兄弟と一緒に暮らすことは二度と無いのか」と切ない気持ちになったものだが、こうしてまた両親と一緒に暮らすチャンスが訪れるとは思っていなかった。

せっかく一緒に暮らすのだから両親に親孝行をと思っている。

母の日、父の日、誕生日にプレゼントとかそういう陳腐な親孝行ではない。

残りの人生を幸せに生きてもらえるよう、おこがましいが、両親をマインドセットするつもりで接している。

今日はそのうちの一つをご紹介したい。

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▼モノを探すのに捧げて良い残りの人生は一秒も無い
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僕もミニマリスト見習いなのでまだまだ断捨離が甘いのだが、僕の親世代となるとレベルが違う。

親世代はモノが溢れていない時代を長年生きてきたから無理もない。
モノを捨てるなんて「もったいない」と感じてしまうのだ。
モノが溢れている時代に変わってきているが、その事実にはなかなか気づかないし、受け入れられないのだ。

しばらく着ていない服や、納戸に眠り続けているモノ達が捨てられないのはもちろん。

お惣菜を買ってきた時に付いてくる醤油とわさびの小さな袋、レジ袋、保冷剤、割り箸、等など、ゴミに近いモノも捨てられない。

何かが入っていた空き箱なども、「何か収納に使えるのでは」となかなか捨てない。

家が散らかっているものだから急な来客には対応できず、予定していたとしても、急いでどこかの部屋にモノを詰め込んで対応する。

そんな調子だった。

長年染みついた習慣やマインドセットを変えるのは容易ではない。

まずは、僕がAudibleという本の音読サービスで何度も何度も聞き倒した、近藤麻理恵さんの『人生がときめく片づけの魔法』『人生がときめく片づけの魔法2』を同じく繰り返し聞いてもらうところから始めた。


もし片づけが上手くできないという方で、まだお読みになったことの無い方は是非読んでみてほしい。

文字通り、間違いなく人生がときめいてくる。

ただ、読んで知識を得るだけでは当然片づかないので、実際に何度も何度も一緒に片づけをした。

いろいろと口酸っぱく、細かい指摘も続けた。

その中でも最も本質的で繰り返し投げかけていた言葉は、

「モノを探すのに捧げて良い残りの人生は一秒も無い」

ということだ。


モノが多ければ、目的のモノを探すのに時間がかかる。
必要でないモノに囲まれていれば、必要のないモノに割く人生の時間は増える。
当然のことだ。

「いやいや、ちゃんとモノの場所は把握してるから別にわざわざ捨てることない」

とも言うが、それは顕在意識の話だ。
視界に入るモノが多ければその分それらに意識は割かれている。

「自分の人生の残り時間」と「モノ」どちらが大事か?

「資源の無駄遣いだから」と言って自分の人生の残り時間を無駄遣いするのか?
誰のために?地球のために?

今はおかげさまで母親は少しずつだが自分でせっせとモノを捨て部屋を片づけるようになってきているが、僕は母だけでなく両親二人とも「自分の人生」を生きてほしい。

「自分の人生」、モノを探すのに費やしたり、汚い部屋で「いつか片づけなきゃなぁ」と思い続けて終えてほしくない。

僕よりも残された人生の時間は短いのだから。


PS(追伸)  
配信時間がバラバラですが、LINEで繋がっていれば読み逃し無くお楽しみいただけます。


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