松岡正剛「千夜千冊エディション 芸と道」

堪能しました。「弾いて哀切、舞って幻、演じて飄々、笑って下げる。」と調子よく進む「前口上」を読むだけで、セイゴオさんがノッているのが伝わってきます。
セイゴオさんの愛読者には周知のことですが、セイゴオさんの父親は京都で悉皆屋を営んでいた趣味人で、数多くの芸人や役者を贔屓にして家に招いていたそうです。その影響もあり、セイゴオさん自身も数々の名人芸を実際に目にしていて、その印象や思い出も本書の随所に語られています。能の所作に魅了され、三味線の音色にふるえ、文楽のわずかな動きから広がる光景に戦慄する、見巧者としてのセイゴオさんが本のレビューを通して、日本の芸能の魅力をたっぷりと語っているのが本書の一番の魅力です。

全体の構成はこれまでの千夜千冊エディションと同様、4章仕立てとなっています。
第1章は「世阿弥に始まる」。世阿弥が切り開いた能の世界と思想が追求されていきます。「型」と「稽古」を重んじた世阿弥の方法論はそのまま、セイゴオさんが校長を務める「編集学校」の方針に受け継がれていることからも、いかに世阿弥からの影響が大きいかを知ることができるでしょう。章の最後には狂言についても述べられています。

第2章は「芸能と音曲」。歌舞伎、琵琶法師、説教、新内などに対象が広がっていきますが、とりわけセイゴオさんの三味線に対する愛着の深さが強く伝わってくる章となっています。そして本條秀太郎「三味線語り」のレビューから第3章「芸道談義」の冒頭に置かれた、有吉佐和子「一の糸」につながっていく流れ(セイゴオ流にいうなら「ハコビ」)が見事です。

その第3章は「芸道談義」と題され、文楽、日本舞踊、女形が取り上げられているのですが、後半に徳川夢声「話術」が取り上げられ、第4章「寄席や役者や」への流れがセットアップされます。このあたりの本の配列がさすがの編集術なんですね。

そして第4章では前半では円朝や桂文楽、などの落語の名人がピックアップされ、後半では森繁久彌、山崎努といった名優を語りつくしで締めくくられています。

千夜千冊はたいてい読後、書店に直行したくなるのですが、本書に限っては寄席や舞台、それが叶わぬならばせめてYouTubeでも・・・と思わせます。セイゴオさんは現在の笑いを席巻しているヨシモト的な芸にははっきりと批判的なスタンスをとっているので、そこに不満を持たれる方もいるでしょうが、そうした人はそれぞれ自分が考える現在の「芸」のありかたについて思索を巡らせるのがよいと思います。

私自身について言うならば、これまでクラシックやジャズ、ロックやブリティッシュ・トラッド、アフリカ音楽などに親しんできましたが、日本の芸能の数々については関心はもちつつも、なかなか奥まで踏み込めずにいました。遅かりし感はありますが、少しづつでもこれらの豊かな富に分け入っていけたら・・・と考えさせられる読書体験でした。

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