見出し画像

自分に嫌われるくらい、自分と向き合う。これが最高。

【この記事は1分で読めます】

人生の最後に自分を泣かせるもの。
それは、やった後悔よりやらなかった後悔だと思う。それでも、人はなかなか自分が描いた理想を体現したがらないもの。最近、その理由が痛いほどわたしには分かるのだ。

そこに幸せになる道があるのなら、たとえ周りから理解されなくても人は突き進む。しかし、大人になるにつれ、人は「前例のないこと」をやりたがらない。なぜなら、真の孤独に耐えられないからだ。

理論物理学者のアインシュタインはこんな言葉を残している。

“ベルリンでも、何も変わりがありませんでした。
その前のスイスでも。
人は、生まれつき孤独なのです。”

周囲の反対や嘲(あざけ)り、否定的な意見は人を孤立させるが、孤独まで追い込む力はない。むしろ、逆風は羽ばたこうとするあなたの味方にさえなる。けれども、誰の理解も及ばないステージを目指すとき、そこにあるのは無音や沈黙であり、そこで初めて人は本当の恐怖を味わうのだと思う。

孤独そのものが、人生を濃密にするとはかぎらない。自ら打ち立てた“仮説”を証明するために日々、実践、検証、考察を重ねる。兀兀(こつこつ)とそのサイクルを積み重ねる過程で、人は本当に必要としていたもの、実は不要だったものの判別がつくのではないだろうか。

あなたは何を満たしたい? 答えがない人は幸せである。

あるとき、わたしは憧れの対象という存在がいないことに気が付いた。そこに至る道程では、むしろ憧れの存在がいたからこそ自分を奮い立たせて生きてきたというのも事実。なんとなく、わたしは気付きつつある。それは、みんな自分自身が憧れの存在になりたくて、最後は“いまの”自分自身に自ら憧れる許可を与えた者が満たされるということを。

誰もが子ども時代の自分を抱えて生きている。その子どもの要求こそが、あなたの本音であり、あごを上げて指示ばかり仰いでいる人、自分には直接関係のない社会のオピニオンばかりに関心を寄せている人にはその本音が届かない。

2020年を境に、組織や会社といった縦の繋がりが崩壊しつつある。自分のことは傍(わき)に置いて、規則や協調性を優先する男性性優位の生き方はますます敬遠されるようになる。まずは自分を満たして、満たされた人全員がロールモデルになるという実に面白い時代の過渡期をあなたは目の当たりにしている。

社会は不安を生み出さない。人が不安を生み出している。

何かを始める動機が「不安」なら、それはやめた方がベターかもしれない。なぜなら、不安は決して満たされることはないからである。しかし、たった一つだけ、不安が動機でもやるべきことはある。それは「やらなかった後悔」を人生の終盤に思い出させるようなことだ。

最近、わたしは誰もやっていないあることに取り組み始めた。幼少期から身体が弱く、不調のデパートだったわたしだが、気合と根性だけでなんとか乗り越えてきた。もちろん、医学のおかげでもある。大人になり、気功という術(すべ)を覚え、それをもっと誰でも実践できるセルフヒーリングの手法に応用できないか試行錯誤を繰り返している最中でもある。

毎年世界では約200万件の医学論文が発表され、そのうち23%が2年以内に、15%が1年以内に結論が覆され、7%が発表された時点ですでに結論が覆されているという事実がある。だから、気功やヒーリングといった伝統的なメソッドも常にアップデートしていくべきだとわたしは考えている。

前例がないことに時間とエネルギーを投資する。それは賭けとも言える。けど、人生の最後に後悔しないための“負けがない”賭けだと信じている。

とにかく孤独の真っ最中。孤独はツラい。乗り越えるまで、本当の理解者がいないのだから。いや、乗り越えてもいないのかもしれない。けど、孤独が“孤高”に変われば最高じゃんってわたしは思う。

あなたはどう思うかな?

この記事が参加している募集

最近の学び

応援お願い致します。