ポケットの中の私(戯曲)

【これは、劇団「かんから館」が、2022年11月に上演した演劇の台本です】

  〈登場人物〉

   妹(山内幸子)
   友人(小林真由美)
   母(山内静子)
   兄(山内悟)
   父(山内誠一)



  真っ暗な舞台にビデオ画像。
  妹が映っている。

妹のビデオ  本日は、ご多忙中のところ、お越し下さいまして、誠にありがとうございます。
早いもので、今年も残すところふた月を切りました。‥‥とか、こんなのを毎年言ってるような気もしますが、そういうのを何回、何十回も繰り返す中で、どんどん一年が消化ゲームみたいになって行って、どんどん早くなって、どんどんトシをとって行くんですよね。ほら、六月の三十日とかに「こないだ明けましておめでとうとか言ってたのに、もう半年過ぎちゃったんだよねぇ。早いねぇ。」とか、「暑い暑いと言ってたのに、もうすっかり秋だよねぇ」とか、こういうパターン化した挨拶は禁止した方がいいと思うんです。区切れば区切るほど、どんどん時間は早くなって行くんです。だから、ほら、小学校の時は、あれだけ時間が無限に長かったのに、中学とか行くと、中間テストとか、期末テストとかあるじゃないですか? あれのせいで、「とりあえず中間まで」とか「期末テストに間に合わせよう」とか「センター試験まであと百十七日」とか、パターン化した時間を消化する習慣ができてしまって‥‥。
ほんと、もう挨拶だけじゃなくて、カレンダーもなくした方がいいですよね。いっそ年も数えない方がいい。そしたら、元通りのカオスなありのままの時間が取り戻せるじゃないですか?そしたら、もう年齢も寿命もどうでもよくなって、せいぜい一生とか二生とかしかわかんなくなって、「あれって前世だっけ?」「ちがうちがう。前々世よ」「あ、そっか」みたいな素敵なことになるんじゃないかしらん。ねぇ、そう思いません?

  途中で舞台が明るくなる。
  妹が現れて、ビデオを眺めている。

妹  何、アホなこと言うてんの?
妹のビデオ  うっさいな。アホなこととちゃうし。
妹  アホなことやん。‥‥もう、恥ずかしいし、やめて。
妹のビデオ  何が恥ずかしいの?
妹  恥ずかしいやん。
妹のビデオ  だから、何が?
妹  そら、自分やし。
妹のビデオ  はあ?
妹  だから、今のこの自分やないかもしれんけど、いつのどの自分かはわからんくても、やっぱり自分は自分なんやから、その自分が、そんなはずいこと言うてたら恥ずかしいに決まってるやろ?
妹のビデオ  はあ? あんたこそ、何わけのわからんこと言うてんの?
妹  わけわかるし。
妹のビデオ  ほんま、こっちの方が恥ずかしいわ。
妹  え? 何が恥ずかしいの?
妹のビデオ  そやから、あんたは、この今の私やないかもしれんけど、いつのどの私かはわからんくても、やっぱり私は私なんやから、その私が、そんなはずいこと言うてたら‥‥。
妹  ストップ!
妹のビデオ  え? 何?
妹  そういうメビウスの輪みたいな会話やめへん?
妹のビデオ  メビウス? 何がメビウス? 誰がメビウス?
妹  黙れ。もうゲーム終了や。

  妹、リモコンを持つ。

妹のビデオ  おい、そんなん使うの、卑怯やで。反則や。
妹  うるさい。黙れ。
妹のビデオ  ちょっと待って。ご無体な‥‥。
妹  強制終了!
妹のビデオ  うわ。(消える)

妹  ふー。一件落着。

  間。
  と、別のディスプレイから復活。

妹のビデオ  こんにちは。
妹  うわ。
妹のビデオ  ほんま、無茶するんやから、あんた。我ながら、あきれるわ。
妹  なんやの? あんた? しつこいな。

  妹、リモコンを持つ。

妹のビデオ  そやから、ちょっとやめーな。そういう乱暴なやり方。ちゃんと話をしよーや。
妹  話なんかないし。
妹のビデオ  あるし。
妹  なんで自分と話とかせなあかんの? 自分のことやったら、自分の中で解決したらええやん。‥‥ほら、この、脳内でもう一人の自分と対話するとか‥‥そうそう、自問自答というのがあるやん?
妹のビデオ  そんなめんどくさいことせんでも、ここにいるんやし。‥‥その、もう一人の自分?
妹  そやから、それがきしょいんやわ! そんなんふつーいいひんし。頭の中にしかいーひんし。
妹のビデオ  でも、いるし。ここにちゃんといるし。そやから、ここで、その、自問自答? やったらええやん。盛大に。
妹  何が盛大に、やねん! もう、ごちゃごちゃうっさいな。さようなら。

  と、リモコンを押そうとする。

妹のビデオ  待ちーな。話せばわかるやん。
妹  別にわからんでもええし。さいなら。
妹のビデオ  話せばわかる!
妹  問答無用!
母の声  サチコー? サチコー? いいひんの?
妹・妹のビデオ  あー、はいはい。いるで。

  母が入って来る。

母  ああ、そこにいたん?
妹・妹のビデオ  うん。

  中央にダイニングテーブルがある。
  母、イスにすわる。
  妹もイスに座る。(ビデオは消える)

妹  ‥‥寝てたん?
母  ああ‥‥うん。‥‥この頃なあ、何かねむとてねむとてなあ。
妹  ふーん。
母  テレビ見てても、知らん間に寝てたりするし。
妹  まあ‥‥疲れてるんやわ。そういうの、後から来るらしいで。結構時間が経ってから。‥‥まあ、眠たかったら寝てたらええんちゃう?
母  もう、誰が誰なんかようわからへん。
妹  え?
母  ほれ、子供やったんが大人になったりすると、人が変わるやろ?
妹  え? 何それ?
母  そやから、何がどうなってるんかようわからへんさかいに、おもしろないわ。
妹  え? 何それ? ‥‥ああ、テレビのドラマ?
母  そや。
妹  へー。
母  ほんま、朝ドラは、すぐに子供が大人になるしなあ。
妹  ‥‥‥。サト君は?
母  サト君? ああ‥‥見てへんなあ。
妹  出かけたんかな? どこ行ったんやろ?

  しばしの間。

妹  お茶入れよか?
母  ああ、そやね。
妹  ダージリン?
母  ‥‥‥。

  妹、台所に去る。
  母、しばらくボーッとしているが、リモコンを取ってテレビをつける。
  何かのワイドショーをやってる。母、見るでもなく見ている感じ。
  やがて、妹、お茶を持って戻ってくる。

妹  はい。(カップをテーブルに置く)
母  ‥‥‥。

  二人、黙ってお茶を飲む。

母  ‥‥ついこないだまで暑い暑いって言うてたのに、もうすっかり秋やねぇ。
妹  ‥‥‥。
母  ‥‥そや、父ちゃんの電気毛布あったやろ?
妹  ああ‥‥うん。
母  あれな、母ちゃん使うわ。あれ、上等やしぬくいねん。
妹  ああ‥‥。あれ、どこにしもたかなあ? お葬式の時、バタバタって片付けたさかいな。捨ててへんとは思うけど。
母  二万円か、三万円もしたんやで。ほんま、自分のだけは高いやつ買うんやさかい。
妹  へー。

  二人、お茶を飲む。

妹  ‥‥四十九日済んだら、もうしばらく法事とかないんかな?
母  知らん。
妹  次は‥‥一周忌? 一回忌? ああいうのの数え方、ややこしくて、ようわからんな。
母  知らん。
妹  おじさんに聞いてみるわ。サト君もああいうの全然知らんし。私以上に。
母  もう十一月かいな?
妹  ああ、うん。
母  そろそろ郵便局で年賀ハガキ売ってるんかいな?
妹  え? 年賀状出すつもり? あかんて。喪中やさかい。‥‥そや、「喪中につき‥‥」とか、ああいうのも出さなあかんねんな。めんどくさいなあ。
母  ほんま、一年経つのは早いなあ。ついこないだ、明けましておめでとうさんとか言うてたのにな。
妹  ‥‥‥。
母  テレビ消して。
妹  え?
母  なんか、これ、おもしろないわ。
妹  ああ。

  妹、リモコンを持って来て、テレビを消す。
  二人、黙ってお茶を飲む。

兄の声  ただいまー。
妹  あ、帰って来た。

  兄、入って来る。

妹  朝っぱらからどこに行ってたん?
兄  いや、ちょっと発見してん。大発見。
妹  何、それ?
兄  昨日の夜、押し入れで探しもんしてたら、これ見つけたんやわ。

  と、ミニDVテープを取り出す。

妹  カセットテープ?
兄  ちゃうて。ミニDVや。ビデオテープ。
妹  ビデオテープ? 何、それ?
兄  これな、親父のメッセージが入ってんねん。
妹  メッセージ?
兄  遺言というのとは違うみたいなんやけど、何かな‥‥一応癌やから、そのうち死ぬかもしれんとか思ってたみたいで、何か元気なうちにメッセージを残しとこうとか思って撮ったやつみたい。
妹  へー。そんなことしてたんや。
兄  それがな、イマドキミニDVのテープやさかいに、ミニDVのカメラなんかもういらんやろって捨てたやん? そやから、うちにミニDVのデッキがあったから、ダビングしに帰ってたんや。
妹  そんなん持ってるの?
兄  オレ、昔のテープとか一杯あるさかいな、VHSもベータもハイエイトもミニDVも、全部そろってるで。
妹  さすがビデオオタクやな。まるで業者さんやな。そこまでそろってたら何か気色悪いけどな。
兄  うっさいな。‥‥で、とにかくDVDに焼いてきた。‥‥見る?
妹  そら、まあな。‥‥母ちゃんも見る?
母  えー、何かようわからんけど、父ちゃんがしゃべってんの?
兄  そや。‥‥いつ撮ったのかわからんけど、そんなに昔やないと思うで。
母  ほなら、見るわ。
兄  ほな、みんなで見よか。‥‥(テーブルのカップを見て)あ、オレもほしいな。
妹  ダージリンやで。
兄  オレはコーヒー。キリマンジャロな。
妹  ほんまめんどくさい家族やな。キリマンなんかないで。ゴールドブレンドや。
兄  えー。‥‥まあ、それでもええけど。
妹  ほな、ちょっと待ってや。‥‥先に見たらあかんで。
兄  ああ。

  妹、台所に去る。
  兄がDVDをセットする。

妹の声  ミルク、砂糖、アリアリやね?
兄  砂糖はスプーン三分の二な。甘しすぎたらあかんで。
妹の声  ほんまめんどくさい家族や!

  妹が、カップを持って戻ってくる。

妹  お待たせしました。キリマンジャロ仕立てのゴールドブレンドでございます。
兄  うそこけ! そんなんあるか!
妹  ほな、見よか。

  兄、コーヒーを一口。

兄  ちょっと砂糖足りひんな。ちょっと薄いし。
妹  もう、細かいな。辛抱しよし! はい、ビデオ、ビテオ。
兄  ああ‥‥。ほな、本邦初公開! 御開帳!
妹  そんないやらしい言い方やめて!
兄  何言うてんねん。それはお前がいやらしく考えるからや。御開帳ちゅうのはな、元々お寺の‥‥。
妹  うるさい! さっさとやれ! サン、ニ、イチ、Q!
兄  もう!

  兄、リモコンのスイッチを押す。

父のビデオ  えーっと、これで写ってんのかいな? ええ? も一回押す? ああ、写ってるわ。(父、撮影位置に移動)
えーっ、みなさん、毎度お騒がせ致しております‥‥ああ、ちり紙交換みたいやな。も一回。
‥‥‥。はい、みなさん、こんにちは。‥‥もしかしたらこんばんはかもしれませんが‥‥いつも大変お世話になっております。わたくし、このたび‥‥何か、選挙みたいやな‥‥ま、ええか。‥‥わたくし、このたび死ぬことになりまして、いや、死ぬと言っても、今日、明日ということではありませんで、そのうち死ぬだろうということです。ですが、ああ、まあ、誰でもそのうち死ぬわけですが、そういうそのうちではありませんで、もうちょっと近いそのうちに死ぬだろうということになりまして、この機会に、一応、お世話になっている皆さんにご挨拶をしておいた方がいいのではないかと、まあ、そう思った次第であります。
ですから、それほど深刻に見ていただく必要はありません。ありませんが、少し深刻というか真面目に見ていただけるとうれしいのであります。
それで、えーっと、何から話したらいいでしょうかねぇ? ええっと、思い起こせば今を去ること‥‥って、生まれた時からの話をしても、とても長くなっちゃいますね。そんな話を延々と聞かされるのも迷惑だろうし‥‥まあ、それはまた、別の機会にしましょう。‥‥そういうのは、何か文章とかそういう形で残す方がいいですよね?
ええっと、何を言おうかな? ちょっと待って下さいね。今、考えますから‥‥。(考え込む)
妹  何なん? これ?
兄  先に考えとけよ。
妹  がんばれー。
母  あんたら。
妹・兄  え?
母  ちゃんと聞いてあげーな。
妹・兄  すんませーん。
妹  あ、始まった。
父のビデオ  えーっと、いやあ、こういうのって、いざしゃべろうと思ったら、案外、何にもしゃべることってないもんですねぇ。ほら、昔の偉い人の伝記とかに、ほら、徳川家康とか、坂本龍馬とか、あとエジソンとか、リンカーンとか、何かよく死に際の立派な言葉とか書いてありますが、ああいうのって、ほんとなんですかねぇ? ほら、人生は山道を歩くみたいなもんだとか、死ぬ時は、前向きに死にたいとか、ああいうの、ほんとに考えて言えたりするもんなんですかねぇ? ‥‥いや、もしかしたら、ああいう偉い人は考えるのかもしれませんが、私なんぞは、ちょっと全然思いつきませんねぇ。
‥‥まあ、とりあえず、皆さん、健康第一ですから、とにかく健康には気をつけて、よく食べて、よく寝て、運動不足にならないように、散歩とかもちゃんとして、元気で長生きして下さい。これ、ほんとですよ。病気になっちゃった人間が言ってるんだから、信じて下さい。いやあ、ほんとに。‥‥健康が一番大事だってことを健康を失ったら痛感するもんだって、そういう話は、昔からよく聞いていたんですがね、でも、やっぱり、そういうのは、ほんとに健康を失わないとわからないもんですねぇ。
‥‥って、こんなのが、私の最後の言葉みたいになったら、ちょっと恥ずかしいですね。もうちょっと含蓄があるっていうか、重みっていうか、立派な言葉とか言っとかないとねぇ。‥‥健康第一だけ言って病気で死んじゃったよ、なんて言われたら、ちょっと様になりませんな。
これ、ちょっと失敗。もう一回ちゃんとやり直します。ちゃんと考えてから。
‥‥こらあかんわ。‥‥案外難しいもんやな。‥‥ええっと、録画スイッチは? ああ‥‥(突然切れる)
全員  ‥‥‥。
妹  終わり?
兄  みたい。
妹  何これ?
兄  うーん。
妹  うーん。
母  ええんとちゃう?
妹・兄  え?
母  父ちゃんらしくてええと思うで。
妹  父ちゃんらしい? どこが?
母  そやさかい、何かわりとやわらこうて楽しい感じやん?
妹  ああ、まあ。
母  うちにいる時とはだいぶ違うやん?
兄  まあ、そやね。
母  父ちゃん、会社とかではね、若い女の社員さんとかにわりと人気あったんやって。
妹  ああ、そうらしいね。
兄  まあ、お葬式にも結構来てくれてたしな。
母  外ヅラがええっていうやつなんやろねぇ。
妹  みたいやね。
母  そういうのんが、ちょっとわかる感じがしたわ。
兄  ああ‥‥なるほど。
妹  ふーん。

  しばしの間。

妹  なあ。
兄  え?
妹  これって、続きがあるんちゃう? も一遍撮り直すって言うてたやん?
兄  ああ‥‥そやな。
妹  ないの?
兄  うーん。このテープにはそれだけやな。続きらしいのはなかった。
妹  ほなら、他のテープかな?
兄  そうかもしれんな。
妹  探してーな。ちょっと見たい。
兄  えー、あるかな?
妹  押し入れの奥とか?
兄  あそこ、ごちゃごちゃになってるしなあ。
母  サト君、頼むわ。
兄  え?
母  母ちゃんも、それ見たいわ。
兄  ああ‥‥そう? ほなら、ちょっと探してみるわ。‥‥そやけど、今、ちょっと仕事がたて込んでるしなあ。
母  今とちごてかまへんし。急がへんし。
兄  ああ‥‥そう?
母  うん。
妹  それでも、この感動が醒めへんうちに頼むで。
兄  この感動? ‥‥って何?
妹  そやから‥‥健康第一?
兄  なんやねん、それ?
妹  あはははは。
兄  ‥‥ほな、オレ、行くわ。
妹  仕事?
兄  そや。自分の食い扶持ぐらい自分で稼がんとな。
妹  忙しい人やね。
兄  貧乏暇なし。‥‥そや、そろそろ百カ日のこと、お寺に電話しといてや。
妹  え? 百カ日?
兄  法事や。年末になると、あっちもバタバタするやろし。‥‥ほな、行ってきます。

  兄、去る。

妹  百カ日‥‥。そんなんあるんや。
母  ‥‥‥。
妹  ‥‥サト君もそういうの知ってんのか。‥‥まあ、ググったらわかるか。

  母、壁のカレンダーを見る。

母  ああ。
妹  え?
母  もう、今年もあと二ヶ月切ってるんやねぇ。
妹  え?
母  ほんま、早い早い。
妹  ‥‥‥。
母  そろそろ年賀状‥‥。
妹  そやから! ‥‥喪中やし。
母  ああ、そやったねぇ。
妹  喪中ハガキって、どこに頼んだらええんやろ?
母  知らん。
妹  まあ、ググったらええか。‥‥あ、そや、母ちゃん。
母  ‥‥‥。
妹  父ちゃんの‥‥住所録とか、今年の年賀状とか置いてあるとこ知らん? 知らん人もいるやろうし。仕事関係の人とか。
母  知らん。
妹  ああ、そうですか。‥‥飲んだら流しに持って行っといて。洗うし。
母  ‥‥‥。
妹  私、ちょっと洗濯物干して来るわ。
母  ‥‥‥。

  母、窓越しに空を見ている。

母  ええ天気やねぇ。
妹  ‥‥‥。(母を見る)

  妹、去る。

  音楽。
  暗転。




  妹と友人が座って話している。

妹  この頃、そういうの、多いみたいやで。
友人 そういうのって?
妹  結婚せーへん人。
友人 ああ。
妹  何かな、男の四人に一人、女の五人に一人が生涯未婚なんやって。
友人 へー、そんなにいるんや。思ってたより多いな。
妹  それがな、これからどんどん増えて行って、そのうち男の三人に一人、女の四人に一人ぐらいになるんやって。ネットの記事に書いてあったわ。
友人 へー。これからって、いつ頃?
妹  ええっと‥‥二〇五〇年やったっけな?
友人 ふーん。二〇五〇年か。‥‥何かちょっと微妙やな。先と言えば先やし、もうすぐと言えば、もうすぐやし。
妹  そやな。
友人 そう言うたら、その二〇五〇年って、何かやたらと多ない?
妹  多いって、何が?
友人 そやから、ほら、地球温暖化の話とか、ガソリン自動車が禁止になるとか、それから、何やろ? ああ、地球の人口が百億人になるとかとかもなかった? 二〇五〇年。
妹  ああ、確かに‥‥。まあ、あれちゃう? キリがええさかいちゃう? 二〇〇〇年とか、二〇五〇年とか、三〇〇〇年とか。‥‥キリ番やな。
友人 ああ、それは言えてる。‥‥でも、何か、暗い話とか、憂鬱な予測ばっかしやな。
妹  ああ、それはそうやな。
友人 昔は、未来とか、将来とかは、基本、明るくなかった?
妹  え? そうかな?
友人 そやて。「あなたたちの将来には無限の可能性が広がっています」とか、小学校の卒業式とかで言うてへんかった? 校長先生とかが。
妹  ああ、あったな。そういうの。‥‥でも、そういうのは、定番というか、社交辞令みたいなもんやろ?
友人 社交辞令?
妹  そら、そやて。考えてみーな、卒業式なんかで「あなたたちの未来には大変な困難が待ち受けていますが、それでもめげずにがんばって下さい」とか言われたら、小学生にはヘビーやで。鬱病になってまうかもしれん。自殺するかもしれん。
友人 さすがに、小学生にはそれはないやろ? まだ何にも考えてへんし。
妹  そんなことないって。最近の小学生は、そこらへん、かなりセンシティブでナーバスやで。
友人  そうかなあ。‥‥まあ、そう言えば、最近、いじめの自殺とかもあるしな。
妹  そやろ? ‥‥でもな。そういうの、最近だけでもないと思うで。
友人 え? どういうこと? いじめ?
妹  まあ、いじめもそうやげど‥‥私らの時かて、そういうのなかった?
友人 そういうのって‥‥「あなたたちの未来は絶望的です」って話?
妹  ちゃうちゃう。‥‥ほら、小学生とかは、確かにあんまし何も考えてへんかもしれんけど、生きてる世界が小さいから、憂鬱とかもでかいやん?
友人 憂鬱がでかいって、どういうこと?
妹  えーっと、ほれ‥‥あ、そうそう、ほら、学校で運動会のゼッケン貼って来るのに、「安全ピンは危ないから、必ず糸で縫って下さい」とか先生に言われて、お母さんに頼んだら「そんなん別に安全ピンでかまへんて」とか言われて、一晩中憂鬱になって、運動会に行きたくなくなったとか?
友人 さっちゃん、そんなん覚えてんの? すごい記憶力やな。
妹  そやから、そういうのがトラウマになったりするんやんか? 小学生は。今考えたら、おもきししょーもないことかもしれんけど。
友人 あー、なるほど。
妹  それから、ほら、朝起きてハムスターが死んでたら、もう学校に行けへんとか?
友人 あー、それ、わかるわ! めちゃわかる。‥‥モル太郎が死んだ時、ほんま、立ち直れへんかった。
妹  モル太郎? 何、それ?
友人 えー、覚えてへんの? さっちゃんにもよう話してたで。モルモットのモル太郎。
妹  ハム太郎のパクリ?
友人 パクリってひどいな。‥‥えー、ほんまに覚えてへんの? 写真とかも見せてたやんか!
妹  ハムスターとかモルモットとか、基本、全部おんなじやん? それにすぐ死ぬし。
友人 ひっどー。おんなじちゃうわ! 一匹一匹、それぞれちゃんと個性があるし。
妹  へー、個性とかあるの? ‥‥うちは猫やったからわからんわ。
友人 ああ、ミーちゃんな。‥‥私、ちゃんとミーちゃんのお墓参りしたで。‥‥あんた冷たいな。
妹  まあ、そら、モルモットのお墓参りには行ってへんな。
友人 モル太郎やて!
妹  まあ、温度差ってやつ? 悲しみの大きさは人それぞれやからな。
友人 なんやねん、それ。ごまかすな。
妹  まあまあ、昔のことやし。昔々のこと。

  しばしの間。

妹  ‥‥昔のことというたらな。
友人 うん。
妹  うちの母親、ああいう人やんか。
友人 うん。
妹  それで、結構いろいろあったねん。
友人 うん。‥‥それは、何となく知ってる。
妹  子供は子供で、それなりに悩みとかあったりするやん?
友人 うん。それはあるな。‥‥さっちゃんはいろいろあったしな。
妹  うん、そやねん。‥‥それで、そういうのん、子供はやっぱし、親に相談したいやんか? 女の子やったら、母親?
友人 ああ、そやな。
妹  でも、ああいう母親やしな。
友人 うん。
妹  でも、一遍、思い切って言うたことがあってな。
友人 うん。
妹  結構勇気出して、いろいろしゃべったんやんか。三十分か、もしかしたら一時間?
友人 そら、がんばったな。
妹  うん、そやねん。まあ、一世一代の大勝負?
友人 うん。
妹  そしたら、あの人、どう言うたと思う?
友人 あの人って、お母さん?
妹  うん。‥‥私が勇気出してがんばってしゃべった後でな、あの人は言うてん。「母ちゃん、悩んだこととかないから、そういうのわからへんわ」って。それだけ言うてん。
友人 え? それだけ?
妹  うん。ほんまにそれだけ。
友人 そら、あんまりやな。
妹  あんまりやろ。
友人 うん、あんまりや。
妹  それで、その時、決めてん。「もう、この人には二度と話はせんとこう」って。
友人 ふーん。
妹  ‥‥‥。ま、昔のことやけどな。
友人 そっかあ‥‥。
妹  うん‥‥。

  しばしの間。

友人 さっちゃんが不登校してたんは、ひょっとしてそれが原因なん?
妹  いや、別に、それだけでもないんやけど。
友人 かなり長かったやんか?
妹  まあ‥‥ね。
友人 五年と六年?
妹  そのぐらい‥‥かな?
友人 ‥‥‥。相談してくれたらよかったのに。
妹  え?
友人 「私にも相談してくれたらええのに」とか‥‥その頃は思ってたりもしてんか。
妹  へー、そうなんや。
友人 うん。‥‥なんも言うてくれへんかったさかいな。‥‥でも、こっちからは、そういうの言い出しにくいしな。‥‥まあ、何の役にも立たんかったような気もするけど。子供やったし。
妹  ふーん。‥‥でも、正直、ようわからんかったし。
友人 え?
妹  不登校してた理由。なんで学校に行かへんのか? 行けへんのか? 正直、自分でもようわからんかってんか。
友人 へー。‥‥まあ、案外、そういうもんかもしれんな。
妹  うん。案外、そういうもんやで。
友人 ふーん。
妹  ‥‥‥。でな、さっきの母親の話やねんけどな。
友人 うん。
妹  兄貴に話したことがあるねん。大人になってから。
友人 サト君?
妹  うん。‥‥そしたら、「お前、そんなにようずーっと恨み続けられるな?」って言うねん。
友人 ずーっと恨み続けてんの?
妹  恨んでるっていうか、やっぱり許せへんみたいな?
友人 へー。
妹  それで、「ほなら、静子の葬式の時、『お別れです』って棺桶に花を入れる時に、お前生ゴミぶち込んでええで。オレが許す」って。
友人 何なん、それ!
妹  まあ、そういう変なヤツやからな、あいつは。
友人 それと‥‥静子って‥‥あんたらお母さんのこと、そういう風に呼ぶの?
妹  まあ、私とサト君はそうやな。最近の流行?
友人 えー、そうなん? あんたら変やで。変なん、サト君だけちゃうで。
妹  えー、そうかなあ?
友人 そやて。
妹  ふーん。
友人 それで、その生ゴミの話、もしかしてお父さんのお葬式の時の話?
妹  ああ、うん。
友人 そしたら、むっちゃ最近の話やん。
妹  まあ‥‥そやな。
友人 へー。
妹  まあ、やっぱし、男やしな。女と男とは、やっぱし思考回路が違うのかもしれん、と思たわ。
友人 あー、それな。それはわかるわ。めっちゃわかる。
妹  ヒロシ君もそうなん?
友人 まあ、それはアルアルやで。やっぱし。
妹  そっかあ。
友人 うん。
妹  それで‥‥ヒロシ君は? ‥‥まだ東京なん?
友人 よう知らんけど‥‥そうなんちゃうかな?
妹  連絡ないの?
友人 ない。
妹  電話とか、繋がらへんの?
友人 番号変えたみたい。
妹  そっかー。
友人 うん。
妹  あんたとこもいろいろ大変やねぇ。
友人 うん、まあな。
妹  両親が亡くなって、兄貴も連絡不通やったら、そら、結婚どころやないわな。
友人 いや、別にそういうことでもないねんけど。
妹  え?  もしかして?
友人 いや、そういうのんとちごて、家庭の事情で結婚できひんのとかとはちゃう。
妹  ああ、そうなんや。‥‥そしたら、あれか?  さっき言うてた五人に一人ちゅうやつ?
友人 まあ、統計のデータとかやと、そうなるんかもしれん。
妹  そっかあ。
友人 さっちゃんはどうなん? どうするつもりなん?
妹  そやなあ、どうなんかなあ?
友人 どうなんかって?
妹  いや、そやから、生涯未婚って決めてるわけでもないし‥‥。
友人 ええ人がいたら、そのうちとか?
妹  それもようわからん。
友人 ふーん。
妹  うちの場合、身近なモデルが最悪やしな。
友人 え?  身近なモデルって、あんたとこの親のこと?
妹  まあ‥‥そやな。
友人 他人の家の事情に立ち入るのも何やけど‥‥。まあ、いろいろあったみたいやしなあ。
妹  少なくとも、結婚に対する憧れとか幻想はないわ。もうこれは小学校の時から。
友人 そら、えらい年期が入ってんな。
妹  そやろ?
友人 結婚に絶望してる女子小学生とか、なかなかおらんで。
妹  そうかなあ?  案外そうでもないんちゃう?
友人 え?  そうなん?
妹  ほら、最近、離婚とかあほほど多いやん? それで母子家庭もいっぱいあるし。
友人 ああ、たしかに。‥‥そう言えば、DV事件とかもたくさんあるな。
妹  そやろ?  そういう家の子には、結構多いんちゃうかな?
友人 結婚に絶望してる女子小学生?
妹  まあ、女子に限らんやろけど‥‥やっぱり女子‥‥かな?
友人 そら女子やて。男の小学生なんか、ほとんど猿やし。
妹  猿って、すごいこと言うな。でも、それは言えてるわ。
友人 な、そやろ。
妹  まあ、中学生や、高校生でも、猿に毛が一本生えてるくらいやけどな。
友人 さっちゃんも言うなあ。それやったら、大人の男子でも、毛が三本くらいやで。
妹  あははは。‥‥で、その三本が抜けへんように、必死でカロヤン使こてたりして。
友人 うまい!
妹  あはははは。
友人 あはははは。

友人 ‥‥やっぱりトシとったらあかんなあ。
妹  え?  何?
友人 昔は、こんな品のないジョークは言うてへんかったよ?
妹  ああ、確かにそれは言えてる。
友人 曲がりなりにもレディーやったさかいな。
妹  それが、今ではすっかりお肌の曲がり角。
友人 うまい!  さっちゃん、どうしたん? 今日、えらい冴えてるやん?
妹  ほめても何にも出ーへんで。
友人 ええっ!  パフェぐらいおごって。
妹  まあ、パフェぐらいやったらな‥‥。前向きに検討致します。
友人 ラッキー! ほんま、やっぱり持つべきものは友達やわ。
妹  ほんまに調子のええやつやな。
友人 はい! 調子のいい親友です!
妹  もう、よう言わんわ。
友人 あはははは。
妹  あはははは。

  突然、自動車の走る音。
  舞台が薄暗くなって、二つのモニターに画像が現れる。

妹のビデオ(黄色い帽子) あ。
兄のビデオ(黄色い帽子) あ。
妹のビデオ  帰って来た。
兄のビデオ  そやな。

父と母の声が小さく聞こえる。

父の声  ただいまー。(酔っ払ってる感じ)
母の声  お帰りなさい。‥‥ご飯は?
父の声  いらん。
母の声  そやけど、用意してますねんけど。
父の声  そやから、いらん言うてるやろ。見てわからんか?
母の声  ほなら、明日の朝、食べはります?
父の声  なんで朝から残りもん食わなあかんのや!
母の声  そやけど、もったいないですやん。
父の声  オレは残飯処理係か!
母の声  そやけど、もったいないし。
父の声  何年暮らしたらわかんのや!  このあほ女が!  お前には、脳みそちゅうもんがないんか!
母の声  そんなこと言わはっても‥‥
父の声  あほ!  かす!  ぼけ!  ほんま、考えるちゅうことができんのか!  この頭は!
母の声  痛い!  やめて下さい!
父の声  こういう壊れた頭はな、映らんテレビとおんなじや!
母の声  痛い!  やめて!
父の声  このあほが!  この馬鹿女が!
母の声  痛い!  痛い!  痛い!

  この間、妹と兄のビデオ、顔で演技。耳を塞いだり。
  舞台明かり戻る。ビデオ、消える。

妹と友人  あははははは。
妹  ほんま、すっかりおばはんやな。
友人 失敬な。大人の女と呼んで。
妹  誰が、大人の女やねん?
友人 ワ・タ・シ。
妹  その厚かましさが、おばはんの証明や。
友人 悔しいけど、それは言えてるな。
妹  な、そやろ?
友人 ほんま、さっちゃん、絶好調やな。
妹  そやから、何も出ーへんて。
友人 ええ?  パフェおごってくれるって言うたやん。
妹  ちゃうちゃう、前向きに検討しますって。
友人 そやからおごってくれるんちゃうん?
妹  あほやな。知らんの?  役人や政治家の「前向きに検討します」ちゅうのは、「やらへん」って意味やで。
友人 あんた、いつから政治家になったん?
妹  来年の統一地方選に立候補を考えてます。
友人 前向きに検討してるん?
妹  そや。前向きにな。
友人 あははははは。
妹  あははははは。

  音楽。
  暗転。




  妹がイスに座って、スマホをいじっている。
  母はダイニングテーブルのイスに座っている。
  二人とも正面向きに座っている。

母  母ちゃん、昔、付き合うてた人がいてな。
妹  ‥‥‥。
母  高校の時と、短大の時と‥‥結構もてたんやんか。
妹  ふーん。
母  父ちゃんと結婚する前にもな、付き合うてた人がいてな、まあ、もう三十前やったから、結婚してほしいみたいな感じやってんか。
妹  ‥‥‥。
母  その人、大きいお寺さんの跡取り息子やってな、まあ、そのうち後継いで住職になるんやろうけど、まだその時はサラリーマンやったはってな、それで、営業で回って来やはった時に、母ちゃん、会社の受付嬢やってたから、その人毎日みたいに来やはるから、まあ、いろいろしゃべったりするやん? それで「映画行きませんか?」って誘われてんか。
妹  ふーん。‥‥そら、よかったね。
母  何の映画やったかなあ? 新京極で見たんやけど、あんまり覚えてへんのやけど、何かSFみたいな感じやったから、スターウォーズやったんかもしれん。あの頃、流行ってたしなあ。
妹  ふーん。
母  それで、食事行ったり、お酒飲みに、ちょっとおしゃれな店にも行ったりもしてな、はっきりプロポーズされたわけではないんやけど、まあ、この人やったらええかなあ、みたいには思ててんか。
妹  ‥‥‥。
母  そしたら、お母ちゃんがな、ああ、あんたらのおばあちゃんな、やっぱし癌にならはって、昔は癌は治らへん病気やったしな、それで、「元気なうちに結婚してくれへんか」みたいに頼まれて、ちょっと迷ったんやけどなあ、まあ、これも最後の親孝行かなあ、とかも思たりもしてなあ。
妹  へえ。
母  それで、まあ、一応会うだけ会うとこかなって思って、お見合い写真見せてもろたら、なんかけったいな写真やねん。ほら、父ちゃん、カメラ趣味やんか? それで自分で撮ったんやろな。何かムスッとした顔で、「えらいあいそなしの人やなあ」っていうのが初めの印象で、まあ、はっきり言うて、全然好みと違ごたわ。
妹  へえ。‥‥結構ボロクソ言うな。
母  それでなあ、お見合いが、何か料理旅館みたいなとこであったんやけど、その時、母ちゃん、三十分ぐらい遅刻して行ってんか。わざとな。それで顔はスッピンで。
それで、絶対断られるやろうと思ってたんや。
それがな、後から聞いたんやけど、何かな、「飲みっぷりがいい」とか、変なとこが気に入ったみたいで。‥‥女がガブガブ飲んだら嫌われるやろうと思ってたんやけど、あれは大失敗やったわ。その時は、父ちゃんが飲んべやとか知らんかったしな。‥‥まあ、何が災いになるか、ほんまわからんもんや。

  ディスプレイに妹。

妹のビデオ  何なん、これ? この人、何言うてんの?
妹  え? ‥‥さあ?
妹のビデオ  自分の娘にこんな話とかする?
妹  ‥‥‥。するんちゃう? この人やったら。
妹のビデオ  ああ‥‥。まあ、そうかもしれんな。
妹  うん。
妹のビデオ  なるほど‥‥な。

  妹のビデオ、消える。

母  それでな、さっき言うてたお寺の跡取りの息子さんなんやけどな、父ちゃんと結婚してから何年か経って、偶然に出会うてな。

  もう一つのディスプレイに、母が映る。

母のビデオ  あれは、絶対偶然ちゃうで。
母  やっぱり?
母のビデオ  そらそやて。いつも待ち合わせに使こてたからふね屋やんか。
母  まあ、そやな。
母のビデオ  それに、あの人、ずーっと結婚もしてへんかったやんか。
母  まあ、そやな。
母のビデオ  あんたかて偶然とちゃうやろ?
母  え? あれ? バレてた?
母のビデオ  そんなん、バレバレやわ。‥‥二人共確信犯やな。
母  そやけどな、会おうとかヨリを戻そうとか、そういうのを考えてたんとはちゃうで。‥‥そら、もしかして会えたらなあ、とかは思てたやろけど。
母のビデオ  まあ、ちょうど父ちゃんが本性を現し始めてた頃やったからな。
母  そやそや。もう家にいんの、かなんかってん。
母のビデオ  そやんなあ。お先真っ暗って感じやったもんなあ。
妹  そんなにイヤやったら、離婚しようとか考えへんかったん?
母のビデオ  ああ、それなあ。‥‥そら、考えんでもなかったけど、‥‥まあ、時代が違ごたんやな。
妹  え? 時代?
母のビデオ  あの頃はまだ、離婚する人が今みたいにそんなに多くなかったしなあ。
母  そやそや。「マルマルさんとこの娘さん、出戻りらしいで」とか言う年寄りも結構いたしな。
母のビデオ  それとなあ、まあ、これは今でもやけど、母子家庭とかになると生活が大変やしな。女にまともに給料くれる仕事とか、ほとんどなかったし。
母  ほんまほんま。そういうの考えると、なかなか離婚するって勇気は出んもんやで。
妹  ‥‥ふーん。そういうもんなんや。
母  そういうもんやて。
母のビデオ  それで、何年ぐらい付き合うたかなあ?
母  二年ぐらい違ごた? サト君が生まれる前やったし。
母のビデオ  ああ、そやったな。
妹  え?  付き合うたって、そのお坊さん?
母  お坊さんの跡継ぎ息子。
妹  いや、そやから、それって不倫ちゃうん?
母  不倫とか言うようになったんはもうちょっと後ちゃう? あの頃は、まだ浮気って言う方が多かったわなあ?
母のビデオ  ああ、そや。浮気やな、浮気。
母  そうそう、浮気。
母・母のビデオ  あはははは。

  妹のビデオ。

妹のビデオ  そういう問題ちゃうやろ! 浮気でも不倫でも変わらんわ。あんたらアホか。‥‥ああ、あんたら違ごて、あんたか。‥‥もう、ややこしいな。
妹  ほんまにな。私らかてそうやけどな。
妹のビデオ  こっちは自問自答やし、大丈夫。
妹  いや、あっちも自問自答ちゃう?
妹のビデオ  ‥‥‥。まあ、それはおいといて。‥‥とにかく、実の娘に、そういうモテ自慢とか、浮気話とかをするって、どういう神経してんの? 母親としての自覚とか責任っておわかりですか?
妹  私もそう思う。
母  え?  ‥‥母親が‥‥何って?
妹  あー、こらあかんわ。やっぱし。
妹のビデオ  すみません。聞いた私が馬鹿でした。
母  いや、そやから、母親が何なん?
妹  いや‥‥もうええし。
母・母のビデオ  え? 何がええの?
妹  ‥‥‥。ああ! もういやや! こんな生活!(ビデオ、両方消える)

  と、父が歌いながら、舞台上を通過する。(気配のような、実像のような‥‥)

父  ♪見えない物を見ようとして望遠鏡をのぞき込んで
  見えない物は見えませーん

  父、退場。

妹・母  ‥‥‥。
妹  ‥‥夜になって、ごはんを食べた後、自分の部屋に籠もってずっと歌とてたな。でっかいでっかい声で。毎日毎日。
母  ‥‥そやったな。
妹  まあ、でっかい声とか、調子っぱずれなんは、まだええんやけど‥‥。

  兄のビデオ。

兄のビデオ  全然ええことないって。「お宅のお父さん、いっつもえらい元気やねぇ」って、近所の人からよう言われたで。
妹  それは私も言われたわ。‥‥でも、ようわからんかったんは、何でカラオケちゃうんかったんかなあ? 私、何回か「カラオケセット買うたら?」って言うたんやけど、「いらん」って。

  父、再登場。

父  ♪ノミのままの姿見せるのよ ダニのままの自分になるの
 何も恐くない けど殺虫剤は少し恐いわ

  父、退場。

兄のビデオ  それは、まあ、あれちゃう? カラオケやと自由に歌えへんからちゃう?
妹  自由? ‥‥まあ、確かに自由自在に歌てたな。メロディーも歌詞も。
兄のビデオ  そや、自由自在や。自分の曲にしてまうねん。
妹  確かに、完全に自分の曲やったな。‥‥それから、あと、もう一つ。
兄のビデオ  何?
妹  何で、AKBとかあいみょんとか歌てたんやろ? おっさんやったらおっさんらしい歌とか‥‥

  父、登場。

父  ♪カモンカモンカモンカモンベイビー 占ってよ
 恋するフォーチュンクッキー 未来はそんな悪くないよ
 ヘヘイヘイ ヘヘイヘイ ヘヘイヘイ ヘヘイヘイ
 人生捨てたらあかんでー

  父、去る。

兄のビデオ  それは、若い女の子に受けたいからに決まってるやん。
妹  えー。あんなん受ける?
兄のビデオ  全然わかってへんなあ。‥‥カラオケとかで、めっちゃ痛いおっさんとかいるやん? ほら‥‥えーっと、ほら、例えば「女々しくて」とかを歌って踊ったりなんかするおっさん。そういうのやったら、女の子が「キャー!」とか言うたり、笑ったりするやんか? そういう時、そういう痛いおっさんは「よっしゃ、受けてる!」って思うんやで。
妹  えー、そうなん?
兄のビデオ  オレ、そういう系のおっさん、ぎょうさん見て来たし。
妹  えー。‥‥父ちゃんもそうやったんかな?
兄のビデオ  そうに決まってるがな。‥‥ひょっとして、二次会のヒーローやったんとちゃうかな? 「ヤマウチ、行きまーす!」「待ってました!」みたいな感じで。
妹  えー。うそー。
兄のビデオ  ふだん堅物の課長とか部長とかに限ってよういるんやわ。イメチェンのつもりかもしれんけど‥‥。そうやって、社員の心をつかんでるつもりかもしれん。
妹  ‥‥それって、痛いを通り越して、なんか、悲しいな。
兄のビデオ  まあ、そうとも言える。‥‥でも、お葬式にも来てくれてたんやさかい、それなりに心をつかめてたんとちゃう?
妹  へー。
兄のビデオ  男という生きもんは、基本的に不器用やしな。それが、おっさんなりの生き残り戦術なんちゃうかな?
妹  ‥‥生き残り戦術ねぇ。‥‥もしかして、サト君も、そういう戦術やってんの?
兄のビデオ  オレはまだ早いわ。‥‥でも、あと十年か二十年したら、絶対やらん、という保証はないな。‥‥オレもおっさんになるし、生き残りたいし、それに、遺伝からは逃れられへんからな。
妹  ‥‥遺伝ねぇ。
兄のビデオ  そや、遺伝は恐いでぇ。絶対逃げられへん。
妹  私も、父ちゃんの遺伝があるんかな?
兄のビデオ  あるに決まってるがな。‥‥それに、母ちゃんもな。
妹  ええー。それだけは堪忍して!
兄のビデオ  無理やな。
妹  ‥‥最悪や。

  しばしの間。

妹  ‥‥そういう生き残り戦術、何でウチの中では使わへんかったんかな?
兄のビデオ  父ちゃん?
妹  うん。‥‥社員の心をつかむみたいに家族の心をつかむ、とか。
兄のビデオ  ああ‥‥それは‥‥必要なかったんやろ?
妹  え? なんで?
兄のビデオ  そやから、心なんかつかまんでも、支配できてるつもりやったんちゃう?
妹  支配?
兄のビデオ  支配っていうか‥‥所有物かな? 家族は自分の所有物。
妹  私らは父ちゃんの所有物?
兄のビデオ  ほら‥‥昔のことわざに「釣った魚には餌をやらない」ってあるやん? ああいう感じちゃう?
妹  何、それ?
兄のビデオ  えーっと‥‥なんかな‥‥片思いの男は、アタックする時には必死で女の子にサービスするんやけど、いっぺん恋人や夫婦になってしもたら、もう全然サービスはせーへんってこと?
妹  ああ。確かにそういう男はいるな。
兄のビデオ  いるやろ?
妹  いるいる。付き合った次の日から「お前」とか呼ぶやつ。
兄のビデオ  まあ、そういう感じちゃうかな?
妹  そやけど。
兄のビデオ  何?
妹  それやったらな‥‥それやったら、母ちゃんは父ちゃんに釣られた魚やから、まあええとして、私ら釣られてへんやん?
兄のビデオ  そやな。‥‥まあ、卵かな?
妹  卵? まあ、それでもええけど‥‥卵は大切にしなあかんのちゃうの?
兄のビデオ  あははは。お前、あほやな。
妹  何があほやねん!
兄のビデオ  お前、動物番組見てへんやろ? 「ダーウィンが来た」とか。
妹  なんなん、それ?
兄のビデオ  魚はな、腹が減ったら、卵食べるんやぞ。ふつーに。
妹  え? 自分の卵?
兄のビデオ  ああ。‥‥それがふつー。デフォルトや。自然のサバイバルは厳しいさかいな。それが動物の生き残り戦術というもんや。
妹  えー、そうなん?
兄のビデオ  そやで。
妹  ‥‥‥。そっかあ‥‥それやったら、私ら食べられへんかっただけラッキーやったってことなんかなあ?
なあ? ‥‥あれ?(兄のビデオ、いつの間にか消えている)

  父、またまた登場。

父  ♪粉雪 ねえ 心まで白く染められたなら
 二人の 孤独を分け合うことが 出来たのかい
 粉雪 ねえ 頭まで白く染められたなら
 毛染めの お金を包んで 店にかえすから

  父、去る。

妹  ‥‥‥。
母  えらい急に寒なってきたなあ。
妹  え?
母  こないだまで暑い暑い言うてたのになあ。
妹  ‥‥‥。
母  父ちゃんの電気毛布出しといてくれた?
妹  ああ‥‥ごめん。まだ。
母  今晩あたりから使いたいんやけど?
妹  はい。‥‥ちょっと探すわ。
母  ‥‥‥。

  妹、去る。
  母、ぼーっと外を見ている。

母  ♪懐かしい痛みだわ
 ずっと前に忘れていた
 でもあなたを見た時
 時間だけ後戻りしたの
 「しあわせ?」と聞かないで
 ウソつくのは上手じゃない
 友だちならいるけど
 あんなには燃え上がれなくて
 失った夢だけが
 美しく見えるのはなぜかしら
 過ぎ去った優しさも今は
 甘い記憶  Sweet Memories

  音楽。
  暗転。



  僧侶(父の変装)が出てくる。
  座布団に座る。

僧侶  えー、皆さんお疲れさんでした。
本日は百カ日の法要ということで、亡くならはってから百日目の節目ということなんですけど、最近はね、これを省略してしまって、四十九日の次は一周忌みたいにやらはるところが多なって来ましてですね、まあ、葬儀会社やお寺さんの方でもそっちをお薦めしやはるところもありまして。地方によっては、お葬式の日に、初七日も四十九日も全部一緒にやってしまうみたいな、これを繰り上げ法要って言うんですけど、まあ、絶対あかんとは言いませんが、ちょっと乱暴というか、無茶するなあみたいな感じはするんですけど。
法要というのんは、ご存知かと思いますが、それぞれの日の法要にそれぞれの意味がありますのやさかいに、あんまり感心はしませんなあ。
いくら忙しい時代になったから言うて、生きてるもんの都合に仏さんを合わせるっちゅうのは、何や仏さんも忙しゅうて、あんじょう三途の川を渡られはるんかいなあ?とちょっと心配になったりもします。
まあ、そういうことですさかいに、こうやってちゃんと百カ日の法要をやらはったんは、ほんまによろしいことで、仏さんも喜んではると思いますし、ええ功徳になると思います。
まあ、百カ日というのは四十九日とかに比べて、どうしてもマイナーちゅうか、影が薄いんですけど、別名「卒哭忌(そっこくき)」と呼ばれてまして、何か難しい言葉なんですけど、この「卒哭忌」の「卒」は、卒業式の「卒」で、「哭」ちゅうのは、難しい字ですけど「慟哭」の「哭」、ほれ、ご存じありませんか? キムタクの奥さんの工藤静香のヒット曲で「慟哭」ってありましたやろ? あれです。「声をあげて激しく泣く」という意味でして、つまり「もう泣くのは卒業」、「もう泣かんでもええよ」という意味なんですね。
四十九日で仏さんはあの世、極楽浄土に行かはって、もうそれからだいぶ経つさかいに、この世にいる人も、もういつまでも泣いてんと、普通の生活に戻って下さい。と、そういう儀式なんですね。そやから、この日が終わってから結婚式を挙げようとか、そういう人もいやはります。
さて、早いもんで、もうすぐ今年も終わりますけど、ほんまに今年はいろいろありましたねぇ。戦争が始まったり、元の総理大臣が殺されたり、なんかびっくりするような物騒な一年でしたけど、来年は、とにかく静かで平和な年になってもらいたいもんですわ、ほんまに。
もう年末で、来週はクリスマスで、実はうちの本堂にも昨日クリスマスツリーを飾りまして、まあ、お寺にクリスマスツリーなんか飾るんはけしからんとか言う人もいますけど、うちは学童みたいなんもやってまして、子供らがみんな喜んで飾り付けをしてくれまして。まあ、宗教ちゅうのんは、宗派はちごても、人々の心の平安を祈るもんですよってに、別にかましまへんのやないでしょうかねぇ? まあ、今年はウクライナの平和を祈って、お経をあげさせてもらいますわ。
そや、クリスマスイブとクリスマスの日に、ちょっとしたお茶の会をさせてもらいますさかいに、よかったらどうぞ。子供らの音楽会みたいなのもやりますさかいに。
それでは、本日はどうもお疲れ様でした。

  僧侶、退場。
  入れ替わりに、喪服の母、兄、妹が入ってくる。

兄  ‥‥ウクライナにお経って、もしかしてクリスマスツリーの前でお経を唱えるんかな?
妹  そうちゃう?
兄  変な坊さんやな。
妹  ほんまやな。
母  そやけど、百カ日が大事やって言うてはったし。
妹  そら、そうやけど。
兄  そんなん、ビジネスの都合やろ?
妹  何? ビジネスって?
兄  そら、法事が減ったらお布施とかももらえへんやん。
妹  ああ、そっか。
兄  そうに決まってるわ。
妹  ‥‥サト君、考え方が素直やないなあ。
兄  何が?
妹  学童とかやってるとか言うたはったやん?
兄  それがどうしたん?
妹  お金儲けばっかし考えてるんやったら、そんなんやらへんのちゃう?
兄  そうか? 別にボランティアでやってるって言うてへんかったやん? 託児料とか結構ガッポリ取ってんのとちゃう?
妹  だから、そういう考え方が素直やないんやて。
兄  そうか? まあ、どうでもええけどな。
母  あそこのお寺さんとは長い付き合いやで。
妹  へー、そうなん?
母  うちのお墓はずーっとあそこにあるし。
兄  山内家?
母  そや。
兄  へー。
母  前のおっさんとはよう話したんやけど、息子さんになってからはよう知らんけどな。
妹  おっさん?
兄  住職のことや。お前、そんなんも知らんのか?
妹  何でそんなん知ってるん?
兄  常識や。常識。
妹  何が常識や! そんなん、みんな知らんわ。
兄  お前の「みんな」は、真由美ちゃんとあと一人か二人やろ? 「みんな持ってるもん!」って泣いてる小学生とおんなじやな。
妹  うっさい! 黙れ!
兄  それに、真由美ちゃんも知ってると思うで。あの子、結構常識があるさかいな。
妹  知らんわ!
兄  いや、知ってる。
妹  絶対知らん!
兄  ほな、真由美ちゃん来たら、聞いてみようか?
妹  ええで。
兄  何賭ける?
妹  え? ‥‥何でそういう発想になるかなあ?
兄  賭けんとおもんないやん。
妹  ほんま、人間がゆがみまくってんな。
兄  そやから、何賭ける?
妹  もう何でもええわ。
兄  預金通帳とか?
妹  そやから、何でそういう発想になるかなあ?
兄  何でもええって言うたやん?
妹  それの方がよっぽど常識がないわ。
兄  そやから‥‥

  ドアチャイム。

妹  あ、誰か来た。はーい。

  妹、玄関へ。

兄  逃げるな。
妹  逃げてへんて。

  玄関で声がする。

妹  はーい。どなたですか? あ、真由美ちゃん。
友人 こんにちは。
妹  こんにちは。
友人 お父さんの法事って、いつやったっけ?
妹  うん。今日。
友人 あ、ごめん。ほな、出直すわ。
妹  かまへんで。さっき終わったとこやし。
友人 おっさん、もう帰らはったん?
妹  ‥‥‥。
友人 え?
妹  まあ、入って、入って。
友人 ああ、うん。

  妹と友人が入って来る。

友人 お邪魔します。
母  こんにちは。
兄  こんにちは。
母  ああ、母ちゃんな、着替えて、ちょっと寝るわ。
妹  着替えて寝る?
母  なんかなあ、むちゃくちゃ眠たいねん。
兄  お経聞いたからちゃう? お経の催眠効果は強力やからな。
母  ああ、そうかもしれん。‥‥真由美ちゃん、ゆっくりして行ってな。
友人 はい。ありがとうございます。
母  ほな、ごゆっくり。

  母、去る。

兄  オレの勝ちやな。
妹  うるさい。
兄  助かったな、お前。
妹  助かったって、何が?
兄  預金通帳取られんで。
妹  そんな約束はしてません。
兄  ふーん。

妹  (友人に)まあ、座って。
友人 うん。

  友人、ダイニングテーブルのイスに座る。
  兄も座る。妹も座りかけて、

妹  あ、何か飲む?
兄  ああ、そやな。
妹  あんたに聞いてへんし。
兄  なんやねん、それ?
妹  どうせキリマンゴールドブレンドやろ?
兄  そやから、そんなもんないし。
妹  真由美ちゃん、何がええ?
友人 その、キリマンゴールドブレンドって何?
妹  サト君の好物。
兄  こら。何言うてんねん。
友人 ほな、私もそれ。ちょっとコーヒー飲みたかってん。
兄  いや、だから、そんなもんは地球上に存在してないから。
妹  オッケー。ほな、キリマンゴールドブレンド三つね。
兄  おい。こら。ふざけんな。

  妹、台所に去る。
  友人、笑う。

友人 相変わらず、仲がええですね。
兄  え? そんなことないよ。あいつ、兄貴を兄貴と思てへんし。
友人 そんなもんちゃいます? そんなにトシ、離れてへんのやし。
兄  そうかなあ? ‥‥真由美ちゃんとこもそうなん?
友人 え?
兄  ヒロシ。あいつともこんな感じやった?
友人 そやねぇ‥‥。子供の頃はそやったような気もします。
兄  ふーん。‥‥もう、だいぶになるよね? 何年会ってへんの?
友人 えーっと、最後に電話でしゃべったのが去年の夏かな?
兄  会ったのは?
友人 もう、かなり前。‥‥何か子供の養育費がどうとか言うてたから、離婚してすぐちごたかな? 三、四年前?
兄  そっかあ。かなり前やね。
友人 はい。
兄  ‥‥ヒロシの奥さんって、劇団の人やったよね?
友人 はい。女優さんやったみたいです。
兄  演出家と女優がくっつくって、テレビとか映画とかでもようあるみたいやね。
友人 そうみたいですね。よう知りませんけど‥‥。
兄  自分の劇団の女優は、全部自分の女だ、みたいに言ってるやつもいるみたいよ。
友人 へー。そうなんですか?
兄  うん。そうらしい。

  妹が戻って来る。

妹  三つ持てへんから、取りに来て。
友人 あ、私行くわ。(立ち上がる)
妹  あかんて。真由美ちゃんはお客さんなんやから。‥‥何で、こういう時、男は動かんのかね?
兄  え? まあ、ええやん。行ってくれるって言うたはんねんし。
妹  あーあ。全然ジェンダーフリーやないやん。ほんま、男が意識改革せんと、どないもならんで。
兄  そんな大げさな。
友人 えーよ。行くし。
妹  ありがとう。

  友人、台所へ。妹もついて行く。
  二人、コーヒーカップを持って戻って来る。

妹  はい。キリマンゴールドブレンドでございます。ご主人様。
兄  嫌味なやっちゃなあ。

  妹と、友人、座る。

妹  ‥‥何? ヒロシ君の話してたん?
友人 うん。
兄  あいつもなあ、高校の時は、普通のバンド少年やったんやけどなあ。
妹  サト君は、全然会ってへんの?
兄  大学の‥‥二年ぐらいまでは飲みに行ったりしてたよ。時々帰って来てたし。
友人 ああ、そうでしたね。
兄  あいつが演劇始めたのと、政治活動とかし始めたのと、どっちが先やったかいな?
友人 一緒とちゃいますか? お兄ちゃんが入った大学の演劇サークルが、そういう団体やったみたいで。
兄  ああ、そやったっけ?
友人 ええっと、何かシンサヨク系の‥‥。
妹  え? シンサヨクって?
兄  過激派やな。過激派。
妹  え、ヒロシ君、過激派やったん?
兄  何か聞いたんやけど、大昔は、演劇やってる人にはそういう人が多かったみたいよ。左翼演劇とか言うて。もう最近はほとんどいいひんみたいやけど。
妹  サヨクって‥‥共産党とかの人?
兄  ああ、そうやねんけど、その過激派?新左翼とかの人間は、共産党とは仲が悪いらしい。
妹  シンサヨクって何?
兄  新しい左翼って書いて、新左翼。共産党とかは古い左翼ってことらしい。
妹  シン・ゴジラとかシン・ウルトラマンみたいな?
兄  まあ、そうちゃうかな? よう知らんけど。
妹  へー。
兄  ‥‥真由美ちゃんは、ヒロシの芝居とか見たことあるん?
友人 一度だけあります。友達と東京見物に行ったついでに見ました。
兄  ああ、そうなんや。
妹  私も一緒に見たで。
兄  ああ、そうなんや。‥‥どんな芝居やったん?
妹  変な芝居。
兄  変な芝居って?
友人 なんかね、ややこしくて、理屈っぽい芝居でした。
兄  政治批判みたいな?
友人 いや、政治批判っていうより、家族批判?
兄  家族批判‥‥って、どういうの?
友人 なんか、家族なんか嘘っぱちだとか、国家なんて嘘っぱちだとか、人間なんか嘘っぱちだ、とか、そういうお芝居でした。
兄  へー。
友人 まあ、家族が嘘っぱちのフィクションだというのは、わからんでもないんですけど、‥‥ウチの家族を完全にモデルにしてて、‥‥まあ、お客さんにはわからんのやろうけど、私は見てて辛かったです。
妹  ああ、ああ、思い出した。‥‥そうそう、お父さんとかお母さんとか、ボロクソに言うてたな。
友人 うん、そやねん。‥‥お父ちゃんはとにかく、あの頃、お母ちゃんはもう死んでたから‥‥死んだ人の悪口言うみたいなのはやめてほしかった。
妹  ああ‥‥確かに、そうやわな。
友人 うん。
兄  ‥‥どこの家もワケありまくりやなあ。
妹  え? 何それ?
兄  そやから、ほら、まあ、ウチの家、結構ワケアリの家やん?
妹  ああ‥‥まあな。
兄  それで、こんな家に生まれて損したとか、結構長い間思ってたんやけどな。
妹  ああ‥‥まあ、それは、そうやな。‥‥私、今でも結構思てるで。
兄  ほら、最近は仲良し家族とか多いし。インスタとかでも「家族みんなで旅行に来てまーす」とか「みんなでユニバで楽しく遊んでまーす」みたいな写真とか、一杯アップされてるやん?
妹  そやな。
兄  でも、案外そうでもないな。一皮むいたら。
妹  え? 一皮むくって何?
兄  そやから、日本人っていうのは、家の恥は表に出さへん、みたいな考えがあるやんか?
妹  家の恥?
兄  ほら‥‥あんまりええ例えではないけど、昔々は、精神病の子供とか、障害のある子供は、なんか家の奥の方の部屋に閉じ込めて外に出さへん‥‥とか、そういう暗い歴史があって‥‥そういう小説とかあるやん?
友人 ああ‥‥江戸川乱歩とか? 開かずの間ですね?
兄  そうそう、江戸川乱歩。
妹  それ、誰?
兄  そういう、江戸川乱歩でも‥‥横溝正史でもええねんけど、そういう家庭の暗い秘密みたいなんを隠しまくる伝統があるんやな。日本だけと違うかもしれんけど。
妹  だから、誰?
友人 開かずの間の話は、ヨーロッパにも多いですよ。
妹  だから、誰なん!
兄  うっさい! お前は黙っとけ!
妹  うわ。ひっどー。‥‥真由美ちゃん、ちょっと、これ、許せへんと思わへん?
友人 さっちゃん、悪いけど、ちょっと黙っといて。
妹  うわ‥‥。
兄  それでや。‥‥それで、今は、外向けの表面上は、どこの家も仲良し家族みたいな感じでやってんねんけど、一皮むいたら、実は家の中はドロドロで、DVの嵐やったりする。
友人 ああ‥‥なるほど。
兄  ほら、最近のニュースでようあるやんか。若いお母さんが、「ウチの天使でーす」って、赤ちゃんの写真をアップしてて、その半年後に殺してる、とか。
友人 ああ‥‥確かに、ありますねぇ。そういう事件。
兄  まあ、そういうことかもしれんな。
友人 ああ‥‥なるほど。
兄  そやから、今は、家庭の不幸が開かずの間に閉じ込められてるわけやな。
友人 ああ‥‥なるほど! ‥‥サト君、ちょっと小説家の才能あるんちゃいますか?
兄  え? そうかな?
妹  ないない。こんなヤツにそんな才能あるわけない!
兄  うっさい! 黙っとれ!
妹  ふん!

  突然、ディスプレイにキツネ面をかぶった男(父の変装)が現れる。

キツネ面のビデオ  もう孤独しか売り物のなくなった人々は、自分の身を削りながら、通りすがりの人々が振り向いてくれることだけを、すがるような目で祈るように待っていた。「私はひとりぼっちなんです」「淋しいんです」「誰か私のことをわかって下さい」「淋しいんです」
友人 あ、お兄ちゃん。
妹  え? ヒロシ君? ‥‥ちょっとちゃうんちゃう?
兄  まあ、演劇にありがちな、無理矢理というか、シュールな展開やな。
妹  ‥‥大人の事情というやつ?
兄  まあ、そうとも言う。
キツネ面のビデオ  人々は通り行く人に言葉をかけ続ける。「マッチいりませんか?」「孤独いりませんか?」「マッチ買って下さい」「淋しさを買って下さい」「マッチいりませんか?」「マッチいりませんか?」「マッチ‥‥」
友人 そんなことないから。‥‥孤独っていうのはね、売り物じゃないのよ。‥‥そりゃ、確かに、今の世の中、わかり合うというのは簡単じゃないかもしれない。‥‥でもね、それをあきらめたら、ダメなのよ。‥‥人は一人じゃ生きていけないんだもん。
キツネ面のビデオ  しかし、彼らにはマッチ一本のぬくもりさえ得る術はない。なぜなら、孤独など、淋しさなど、掃いて捨てるほどにこの町にはあふれかえっているのだから。晩秋の街頭で落ち葉を買い求める客などいようはずがないのだ。
友人 だから、違うのよ。お兄ちゃん。‥‥孤独も、淋しさも、きっと繋がり合うために私たちに与えられたものなのよ。ひとりぼっちの人間たちが、わかり合うという奇跡を起こすために。
キツネ面のビデオ  それでも彼らはかすれた声でささやき続けるしかなかった。「孤独はいりませんか」「淋しさはいりませんか」「孤独はいりませんか」「マッチいりませんか」「マッチいりませんか」
友人 違う! 淋しさは売り物なんかじゃないって!
妹  ‥‥飾りじゃないのよ、涙は‥‥か。

  もう一つのディスプレイに、母のビデオ。

母のビデオ  淋しさ、一つ下さいな。
友人 え?
母のビデオ  あなたの淋しさを買ってあげましょう。おいくらですか?
キツネ面のビデオ  ‥‥本当ですか?
母のビデオ  一人殺すも二人殺すも同じって言うじゃありませんか?淋しさの一つや二つ、今更増えたところで困りはしません。
妹・兄  母ちゃん‥‥。
キツネ面のビデオ  ‥‥あなたは‥‥あなたは、そんなに強い人なのですか?
母のビデオ  強い?‥‥ご冗談をおっしゃらないで下さいな。‥‥あなた、淋しくない人ってご存じ? 孤独でない人ってご存じ?悲しくない人って会ったことがありますか?
キツネ面のビデオ  ‥‥‥。
母のビデオ  人はね‥‥みんな一人で生まれて来るのですよ。‥‥そして‥‥一人で死んで行くのですよ。‥‥だから、生きてる時だけ一人でいるのが辛いだなんて‥‥そんなことを言ってたら、笑われちゃいますよ? そうじゃありません?
‥‥誰が笑うんでしょうね?
キツネ面のビデオ  ‥‥それは‥‥たぶん‥‥
母のビデオ  ♪唄を忘れたカナリヤは 後ろの山に捨てましょか
いえいえ それはなりませぬ

  母のビデオ、キツネ面のビデオ、消える。
  入れ替わりに、キツネ面の男が登場。

キツネ面  夢を食べる獏の話はご存じですか? 獏は、中国の伝説上の動物で、悪い夢を食べてくれると言われています。
私の淋しさを買ってくれた彼女は、もしかしたら、この漠のように、人の淋しさや孤独や悲しみを食べて生きているのかもしれません。
妹  サト君。
兄  え? 何?
妹  ひょっとして、母ちゃんって、淋しい人なんかな?
兄  ああ‥‥それな。‥‥それは、オレも思った。
妹  やろ? どうなんかな? 何にも考えてへん気もするけど。
兄  ‥‥わからん。
妹  え?
兄  わかるわけないし。‥‥人の気持ちなんか、誰にもわからん。
妹  え? 何、それ?
兄  だから、わからんて。
妹  そやけど、母ちゃんやで? ずっと一緒に暮らしてるやん?
兄  ほなら、聞くけど、お前、オレの気持ちわかるか?
妹  え‥‥それは‥‥。
兄  な、そやろ? 一緒に暮らしててもわからんもんはわからん。親子でもわからんもんはわからん。
妹  ‥‥ほな、私の気持ちも?
兄  当たり前や。わかるわけない。‥‥他人の気持ちはわからんて。
妹  他人て‥‥。兄弟やん?
兄  血が繋がってたら特別やとか思わん方がええで。ひょっとしたら、それが悲劇の始まりかもしれん。
妹  悲劇って‥‥何?
兄  家族はわかり合えるはず、とか、親子はわかり合えるはず、とか、夫婦はわかり合えるはず、とか‥‥そういう思い込みの悲劇?
妹  それって‥‥悲劇なん?
兄  さあ、どうやろ? ‥‥ただ、これだけは言える。
妹  え? 何?
兄  みんなひとりぼっちで淋しいということ。淋しさを抱えて生きてるということ。
妹  あちゃー。‥‥それ、言うか?
兄  え、何で?
妹  それを言っちゃあおしめぇよ、ってことや。
兄  ああ、なるほど。‥‥そうかもしれんな。
妹  な、そやろ?
兄  お前もたまにはまともなこと言うな。
妹  「たまには」は余計や!
兄  あはははは。

キツネ面  このインターネットというのが普及するとね、ほんと世の中が変わりますよ。一人一人の人間が世界と直接コンタクトできるようになるんです。もう、これは、情報の革命と言ってもいい。
友人  一人一人の人間が、自分の言葉や意見を持って、それを世界中に発信したり、受信したりできるようになる。ここにおいて、民主主義というシステムは、真に完全な形で実現するのです。
兄  国境の垣根を超えて、人々が繋がり合う。このインターネットいうツールの発明は、もしかしたら世界を一つにするかもしれません。
妹  もう私たちは一人じゃない。私たちは繋がり、連帯する。世界中の人々が、お互いに語り合い、理解し合う中で、この世から争いというものが消滅するかもしれない。人類史上、かつてなかった奇跡の瞬間を私たちは目撃するかもしれない。
キツネ面  そして世界は一つの家族になる。
友人 いいね。
兄  いいね。
妹  いいね。
キツネ面  いいね。
全員 いいね。
キツネ面  これから私たちは、仮想空間、拡張現実の住人となるのです。リアルからバーチャルへ。人間の歴史は新たなステージに入るのです。これは革命と言ってもいい。
友人 ICT革命は、我々に何をもたらすのか? それは一言で言うと自由です。それは空間の自由であり、時間の自由です。自分の好きな場所で、自分の好きな時間に、自分のスタイルで働けばいい。そんな未来がもうそこに来ているのです。
兄  私はね、デジタルネイティブの人々に大いに期待しているんです。彼らはきっと世の中の構造を根本的に変えてくれると思う。彼らはデジタルで発想しますからね。当然、これまでのアナログ時代の価値観は通用しなくなる。
妹  あなたたちの将来には無限の可能性が広がっています。
キツネ面  いいね。
友人 いいね。
兄  いいね。
妹  いいね。
全員 いいね。

キツネ面  でも
友人 しかし
兄  ところが
妹  ‥‥やっぱり

妹以外 え?

妹  ‥‥こんなはずじゃなかった。
キツネ面  こんなはずじゃなかった?
友人 こんなはずじゃなかった
兄  こんなはずじゃなかった
妹  あなたたちの未来には大変な困難が待ち受けていますが、それでもめげずにがんばって下さい。以上。

  突然、若手評論家の座談会みたいになる。

キツネ面  いやね、承認欲求がどうだとか騒いでるけどさあ、だいたいね、僕は初めからこうなるって思ってたんだよね。他人に承認してもらわないと確立できない自我って、何なの? そんなの自我って言うの? 笑っちゃうよねー。やっぱさあ、日本人に個人主義とかアイデンティファイとか、そもそもが無理ゲーだったんだよね。
友人 そう言えば、インターネットで真の民主主義が実現するとか何とかお花畑みたいなことを言ってた評論家とかいたけど、あれなんかさあ、初めの頃の、例えばアラブの春なんかの段階で、もう破綻が見えてたと思うのよ。違う?
兄  だよねぇ。「インターネットが地球を救う」みたいな寝ぼけたヤツ一杯いたよねぇ。でもさあ、真の民主主義に関しては、ちゃんと実現したってオレは思ってるよ。
妹  え、それ、どういうこと?
兄  え? わかんない? ‥‥だからさあ、民主主義の本質は衆愚政治とかポピュリズムでしかないんだってことをさ、インターネット様は完膚なきまでに我々にお示し下さったってこと。
妹  ああ、なるほどね。‥‥でもさあ、そういうの「完膚なきまでに」とか言うの、おかしくない?
兄  えー、センスねえなあ。レトリックじゃん。レトリック。
妹  えー。
キツネ面  まあさ、猫とか杓子に発言権なんか与えたらこうなるに決まってんのよ。言論なんて、あっという間に劣化して、便所の落書きになっちまった。まあ、あれだね? 悪貨は良貨を駆逐するってやつだ。
妹  猫とか杓子って‥‥。
兄  ほんと、それな。ナントカに刃物、バカに発言権なんか持たせちゃダメ。
友人 あんたたち言うよねー。‥‥でも、それって、ちょっと危険思想だよ? それ突き詰めちゃったらさあ、もう、下手すると民主主義の否定になっちゃうから。
兄  あれ? 知らないの?
友人 え? 何?
兄  民主主義ディスるのは、トレンドだよ?
友人 え、そうなの?
キツネ面  そうそう、ここ最近流行ってるよね。「民主主義オワコン説」?
友人 あ、そうだったんだー。へー、知らなかった。
兄  このトレンド、結構前からだよ。Make America Great Again !
友人 あっ、それ? なるほどー。そっかー。
キツネ面  それな!
キツネ面・友人・兄  Make America Great Again ! イエー!
あはははははは。
キツネ面  ‥‥でもさあ、昔々、自分探しとか自己啓発セミナーとか流行ってたじゃん? 「自分って誰?」ってのを人に教えてもらおうってヤツ。結局あれとおんなじだね。全く進歩してない。
友人 え? そんなのあった? いつ?
キツネ面  バブルの頃‥‥かな?
友人 えー、バブルっていつの話よ? 縄文時代じゃん。生まれてないから。
兄  ほんと、若ぶってるじじいはこれだから、やんなるよな。
キツネ面  うっさいな。黙れ、ガキ。
‥‥だからさあ、あん時も、結局そういう連中が新興宗教に走っちゃっただけでさ、オームとかさ。‥‥ほら、宗教って答えを教えてくれるからさ。「これがあなたですよ」って。
友人 ああ‥‥まあ、そういうのは何となくわかるよ。今の人間でも。
キツネ面  しつこいな。オレだって今の人間だよ!
友人 ま、もう終わりかけてるけどね。‥‥オワコンおじさん?
キツネ面  黙れ!
兄  だからさあ、分断社会とか、孤立とか騒いでるけど、そんなのずっと前からなんだよね。それがネット様のおかげでビジュアリゼーションされただけでさ。‥‥個人主義は、基本バラバラの社会。
妹  ビジュアリゼーションって、何?
兄  可視化。
妹  だったら可視化でいいじゃん。そんなのいきがって使わないでよ。
兄  お前らだって使ってんじゃん。
‥‥でさ、そういう個人主義が欧米で曲がりなりにも成立してたのは、キリスト教という固いバックグラウンドっていうか保険があったおかげでしょ? それがない日本じゃ、もう文字通りのバラバラにしかなんないから‥‥。
友人 ああ‥‥「神の前の平等」とか「神とのプロミス」ってやつね。
兄  何がプロミスだよ? サラ金かよ! 「神との契約」でいいじゃん。
友人 誰かさんのまねして、いきがって使ってみましたー。
妹  ナイス! いいねぇ。
兄  ふん!
キツネ面  ‥‥だからさあ、思うんだけど、今ナントカ教会をみんなバッシングしてるけどさあ、これからはさ、絶対宗教だよね? ビジネスチャンスは宗教にあり! 今、宗教がナウい!
友人 ナウい?
キツネ面  バーカ。わざと言ったんだよ!
全員 あははははは。

  母のビデオ。

母のビデオ  なあ。父ちゃんどこに行かはったん?
妹・兄  え?
母のビデオ  父ちゃんはどこに行かはったんかな?
妹・兄  ‥‥‥。
母のビデオ  なあ、サト君、知らん? 父ちゃんは?
兄  え‥‥いや。
母のビデオ  幸子は?
妹  あ‥‥私も。
母のビデオ  そうなん。‥‥そら困ったな。
‥‥父ちゃん‥‥父ちゃん‥‥どこ行かはりましたん? ‥‥父ちゃん?
妹・兄  ‥‥‥。

  母のビデオ、消える。

妹  ‥‥なん‥‥なんかな?
兄  ‥‥さあ?
妹  ‥‥もしかして‥‥ボケた?
兄  いや‥‥まだ、そんなトシちゃうやろ?
妹  でも、若くてもボケる人とかもいるって言うよ? ‥‥ええっと‥‥
兄  若年性認知症。
妹  ああ、それ。
兄  まあ、確かにそういうのもあるけど‥‥違うんちゃうかな?
妹  えー。‥‥ほな、何なん?
兄  うーん。‥‥ようわからんけど、一時的なショック症状みたいなやつ?
妹  えー。‥‥父ちゃん死んだの、そんなに悲しかったん?
兄  いや、ショックというのは、悲しいという意味だけやなくて‥‥。
妹  でも‥‥母ちゃん、父ちゃんのこと、恨んでへんのかな? あんだけひどいことされて。
兄  うーん。‥‥そこは、ようわからんな。
妹  え? わからんって?
兄  夫婦の関係性っていうのは、なかなか複雑で、他人にはようわからんみたいよ。
妹  また、わからん‥‥か。サト君、そればっかしやな。
兄  いや、ほんまにようわからんのやて。DVしてる相手に依存してしまうとか、洗脳されてまうとか‥‥ほんま、いろんなパターンがあるみたいやし。
妹  そんなんいらんねん。
兄  そんなんって‥‥何?
妹  そやから‥‥そういう評論家みたいな意見。‥‥サト君は評論家なん? ウチの話やで? 私らの母ちゃんのことやで? 評論なんかしていらんねん!
兄  いや、別に評論というのとはちごて‥‥。
妹  評論やん!
兄  ‥‥‥。
妹  ‥‥なんでウチの家族はこんな人ばっかりやの? なんでフツーの人がいいひんの? もう、こんなんいやや!
兄  サチコ‥‥。
妹  ‥‥‥。
友人 ‥‥さっちゃん。
妹  え?
友人 大丈夫や。‥‥ウチの家かて、似たようなもんやし。
妹  え?
友人 うちの親かて変わってたし、お兄ちゃんかて、相当変やで。
妹  ‥‥そうなん?
友人 ‥‥たぶん、さっちゃんが思てるようなフツーの人とかあんまりいいひんのちゃうかな。
妹  え。
友人 たぶん、フツーの家族というのんも。
妹  ‥‥そうなん?
友人 うん。‥‥なんか、そんな感じがすんねん。‥‥感じやけどな。
妹  ‥‥‥。
友人 ああ! 私、何言うてんのやろ?
妹  え?
友人 そやからって‥‥大丈夫ってことはないわなあ。‥‥うん。全然大丈夫やない。さっちゃんちもウチの家も全然大丈夫やないわ。ごめん。
妹  ‥‥‥。
友人 私ってあほやなあ。あははは。
妹  真由美ちゃん‥‥。

  音楽。
  暗転。



  ディスプレイに妹が写っている。
  何かユーチューバーみたいなことをしている感じ。しかし、音声がないのでよくわからない。
  妹がやって来て、その画面をしばらく見ている。

妹  ‥‥しょうもな。

  妹、リモコンを手にして消そうとする。

妹のビデオ  こら! 消すな! ボケ!
妹  うわっ!‥‥えっ? 音消してあったんとちゃうん?
妹のビデオ  知らんのかいな? 無音ユーチューバーや。
妹  何、それ?
妹のビデオ  遅れてんな。
妹  え? そんなん、流行ってるの?
妹のビデオ  私が考えた。
妹  え? 何、それ? ‥‥そんなん、勝手にやらんといてーな。曲がりなりにも、あんたは私なんやから、そういうのは私の許可取って。
妹のビデオ  そやから、私はあんたやから、そのあんたの私が許可したし。
妹  えー、またメビウスの輪かいな。
妹のビデオ  前から言おうと思ってたんやけど、それ、メビウスの輪とちゃうで。
妹  え?
妹のビデオ  それ、言うんやったら、マトリョーシカかな?
妹  マトリョーシカ? ああ、あのロシアのタマネギの皮むきゲームみたいな人形?
妹のビデオ  あるいは、入れ子構造、もしくは、メタ表現。
妹  ちょっとちょっと、ちょっと待ちーな。‥‥あんたは私なんやろ?
妹のビデオ  見てわからんか?
妹  そやったら、私の知らん言葉使わんといて。
妹のビデオ  何言うてんの? あんたは私なんやから、それぐらい知っとけ!
妹  ああ言えば、こう言うな。‥‥まあ、そんなんはどうでもええけど、その、何? 無音なんちゃら?
妹のビデオ  無音ユーチューバー。
妹  それ、全然おもんないやん! 無音でやるんやったら、パントマイムにするとか、手話をするとか、字幕を入れるとか‥‥。
妹のビデオ  あほやなあ。わけがわからんからおもろいんやん?
妹  はあ? 頭大丈夫?
妹のビデオ  まあ、シュールリアリズムというか、意味性へのアンチテーゼやね。
妹  また、そういう言葉を使う。‥‥あんた、ひょっとして、その画面の中で勝手に成長してへん?
妹のビデオ  知らん。
妹  少なくとも非行には走りかけてるな。
妹のビデオ  知らん。
妹  知らん、知らんって、あんた母ちゃんかいな?
妹のビデオ  知らん。
妹  もう! ‥‥まあ、成長しても非行に走ってもええけどな、頼むし、私が困るようなことだけはせんといてな。‥‥一応、あんたは私なんやし。
妹のビデオ  そんなんしてへんやん?
妹  してるって! 十分はずいし!
妹のビデオ  そんなん知らんわ。まあ、感じ方は人それぞれやしな。
妹  だから、それぞれちゃうし! 私は一人だけやし!
妹のビデオ  ふーん。そっかあ‥‥。
あ、そや‥‥明けましておめでとうさん。
妹  え? あんた、あいさつ禁止の人とちごた?
妹のビデオ  そんなこと言ってません。‥‥ムダに時間をコマ切れにするんはやめてって言っただけ。
妹  へえ‥‥そやったかいな? ‥‥そやけど、ウチ、喪中やさかいな。
妹のビデオ  そういう意味のない風習はやめた方がええ。別に喪にも服してへんくせに。形ばっかりって、どうかと思うで。
妹  形ばっかりって‥‥だいたい風習なんて、そんなもんやん?‥‥それ言うんやったら、年が明けて何がめでたいの?
妹のビデオ  めでたいよ。めでたい。めでたい。あー、めでたい。
妹  ほんま、いやなヤっちゃなあ‥‥。我ながら‥‥最低や。
母の声  サチコー? サチコー? いいひんの?
妹・妹のビデオ  あー、はいはい。いるで。

  母が入って来る。

母  ああ、そこにいたん?
妹・妹のビデオ  うん。

  母、イスに座る。
  妹もイスに座る。(ビデオは消える)

妹  おはよう。
母  おはようさん。
妹  ‥‥今朝は、めっちゃさむいな。この冬で一番ちゃうかな? ‥‥雪降るんちゃう?
母  ああ、そうかもしれへんな。
妹  ‥‥例の、父ちゃんの電気毛布、どうなん?
母  ああ、ぬくいでえ。やっぱし高いヤツは違うわ。
妹  そら、よかったな。
母  そやけどなあ‥‥。
妹  え? 何?
母  ぬくいぬくいさかいに、電気毛布から出たら、よけいに寒いねんか。‥‥そやから、なかなか出られへんねん。難儀やわ。
妹  えらい贅沢な悩みやな。‥‥それやったら、エアコンを入れといたらええやん。十八度くらいにして。
母  エアコンはあかんねん。
妹  何で?
母  エアコンつけて寝たら、朝起きたらのどが痛痛なるねん。
妹  へえ‥‥。まあ、そういう人は時々いるな。
母  夏かてそやし‥‥。母ちゃん、エアコンとは相性が悪いわ。
妹  ふーん。‥‥それやったら、石油ストーブにする?
母  石油ストーブ?
妹  なんかな、石油ストーブは水分が出るからのどにいい、とか、どっかに書いてあったで。
母  えー、燃やしてるのに水が出んの? えらいけったいな話やな。
妹  なんか、よう知らんけど。‥‥お茶飲む?
母  うん。
妹  ダージリンやね?
母  ‥‥‥。

  妹、台所へ去る。

母  そやけど、お正月早々やのに、真由美ちゃん、大変やな。
妹の声  え? 何?
母  そやから、真由美ちゃん‥‥
妹の声  ええわ、後で言うて。何かよう聞こえへん。
母  ‥‥‥。

  妹が、カップを持って戻って来る。

妹  はい。
母  ‥‥‥。

  二人、紅茶を飲む。

妹  ‥‥それで‥‥何やった?
母  あんた、ちゃんと寝たんか? 何か遅までバタバタしてたみたいやけど。
妹  一応寝たよ。‥‥四時間ぐらい?
母  四時間やったら眠いやろ? ‥‥何してたん?
妹  ヒロシ君のな、写真探しててん。‥‥ほら、サト君と一緒に写ってんのがあったはずやと思ったし。
母  ああ‥‥そうか。
妹  うん。‥‥まあ、あるにはあったんやけど、高校時代の写真やからなあ。
母  ええんちゃうか? 父ちゃんの時も、十年以上前の写真使こたで。
妹  いや、まあ、そら、大人やったら、十年ぐらいではそんなに変わらへんやろけど、高校生と三十代ではちょっとなあ。
母  まあ‥‥そういうたら、そうかもしれんなあ。
妹  うん。
母  真由美ちゃんは持ったらへんの?
妹  それがな‥‥昔はあったみたいなんやけど、いつの間にかなくなってたんやって。
母  え? ‥‥何で?
妹  ようわからへんねんけど、たぶんヒロシ君が処分したんちゃうかって。
母  へえ。‥‥なんでかな?
妹  うん。‥‥なんでやろな?
母  ‥‥‥。
妹  ‥‥‥。

  二人、お茶を飲む。

母  ああ、そや。‥‥サト君は?
妹  うん。私もサト君とこにあるかもしれんと思て連絡したんやけど、なんか、全然繋がらへんねん。
母  電話?
妹  電話だけとちごて、ラインも既読が付かへんし。
母  へえ。
妹  何してんのやろな? あいつ。
母  へえ。
妹  あ。
母  え?
妹  雪、降って来たんとちゃう? ‥‥あれ、雪やで。
母  え?  どれ?
妹  ほら、あれ。‥‥ヒラヒラってしてるやん。
母  え? どれ?
妹  そやから‥‥ほら、あそこ!
母  え? ‥‥母ちゃん、よう見えへんわ。‥‥老眼鏡取って来るわ。
妹  え‥‥。いや、わざわざそこまでせんでもええし。
母  ちょっと新聞とかも読みたいし‥‥。
妹  ああ、そうなん?
母  ‥‥‥。

  母、寝室に去る。
  妹、雪を見ている。

  ドアチャイム。

妹  あ、はーい。

  妹、玄関に去る。

妹の声   はい。どちらさんですか? ああ、真由美ちゃん。
友人の声  おはよう。
妹の声   おはよう。
友人の声  朝早くにごめんな。
妹の声   ええって。それより、寒かったやろ?
友人の声  雪が降って来たで。
妹の声   そうみたいやね。‥‥入って。
友人の声  お邪魔しまーす。

  友人、妹が入って来る。

友人 お邪魔します。‥‥あれ? お母さんは?
妹  あ、ちょっと老眼鏡取りに‥‥。
友人 老眼鏡?
妹  雪が見えへんて‥‥。
友人 え?

  母が戻って来る。

母  ああ、真由美ちゃん。
友人 おはようございます。
母  大変やったねぇ。お正月早々やのに。
友人 ええ‥‥まあ。
妹  まあ、座って。

  三人、座る。

友人 昨日は、いろいろごめんな。
妹  ええって。‥‥でな、電話でも言うたけど、高校時代のはたくさんあったんやけど‥‥。
友人 うん。
妹  でもな‥‥サト君とこにあるかもって‥‥。
友人 ああ‥‥。
妹  でもな、何か知らんけど、夕べからサト君に連絡つかへんねん。
友人 え?
妹  まさか、サト君も音信不通に‥‥。
友人 え?
妹  ごめんごめん、こんな時にしょうもない冗談言うてしもて。
友人 うん。
妹  まあ‥‥連絡ついたら聞いてみるけど‥‥。
友人 ありがとう。
妹  ああ‥‥でも、大学二年までしか会うてへんって言うてへんかったっけ?
友人 ああ‥‥言うてはったなあ。
妹  高校生も、大学二年も‥‥あんまり変わらんわなあ。
友人 ‥‥そうやねぇ。
妹  お役に立てへんで、ほんまごめんな。
友人 いやいや、そんなこと全然ないし。感謝してるし。
妹  ‥‥‥。
母  ‥‥それで、お葬式はいつしはるの?
友人 それが‥‥まだ、はっきりせーへんで。検死とか、ひょっとしたら司法解剖とかもあるかもしれへんし‥‥。
母  ああ、そうなん。‥‥大変やなあ。
友人 ええ‥‥。
母  東京で?
友人 それも‥‥。今日の午後に東京へ行って、そこで相談することになると思います。
母  そうなん? ‥‥ほんま、大変やねぇ。
妹  ‥‥司法解剖って?
友人 うん‥‥死因がね、まだようわからんくて。‥‥事件性はないやろうということなんやけど‥‥病気なんか、そうと違うんか‥‥。
妹  そうと違うって‥‥。
友人 自殺。
妹  ああ‥‥。
友人 私は、たぶん自殺やと思ってるよ。
妹  え?
友人 特に病気とかもしてへんかったし‥‥それと、写真のこともあるし。
妹  え? 何? それで処分してたん?
友人 いや、別に自殺に備えて写真を処分したというのとはちゃうんやろけど、そういう覚悟というか、生き方をしてる人って、自分の身辺を整理するとか‥‥聞いたことない?
妹  ああ‥‥小説家とか?
友人 そうそう‥‥そういうタイプの人。
妹  なるほどなあ‥‥。
友人 それで‥‥まあ、冬やし、まだマシやったみたいねんけど‥‥それでも結構時間が経ってたみたいやから。
妹  ああ‥‥。いつ頃なん?
友人 うん。‥‥はっきりしたことはわからへんのやけど、年末ぐらいちゃうかって、警察の人は言うてはった。
妹  年末か‥‥。
母  真由美ちゃん。
友人 はい。
母  もう、連絡とかしはったんかな? ほら、奥さんとか子供さんとかに‥‥。
友人 いや、まだ。‥‥とりあえず、死因がはっきりしてからにしようかと‥‥。
母  ああ、そうなんや。‥‥奥さんもやけど、子供さんはかわいそうやな。一緒に住んでへんでもお父さんやしな。
友人 ええ‥‥そうですね。
妹  あ、そや!
母・友人  え?
妹  たぶん持ってはるで、写真。
友人 え?
妹  別れた奥さん。
友人 ああ‥‥確かにそうやねぇ。
妹  ‥‥でも、ちょっと言いにくいよねぇ。‥‥自分で言い出しといて、ごめん。
友人 いや‥‥頼んでみるわ。‥‥こういう時は協力してくれはるやろ?
妹  ああ‥‥それは‥‥そうかもしれんな。
友人 うん‥‥そら、そやて。

  ドアチャイム。

妹  あれ? 誰やろ? はーい。

  妹、玄関に行く。

妹  はーい。どなたですか? あ、サト君?
兄  おはよう。
妹  カギは?
兄  それが‥‥ちょっと行方不明なんやわ。
妹  何やねん、それ?
兄  ああ、さぶ。雪、降ってるで。
妹  知ってる。

  妹、兄、入って来る。

兄  あれ? 真由美ちゃん、来てたん? こんにちは。
友人 こんにちは。
妹  昨日の晩、何遍も電話してんで。ラインも。どこ行ってたん?
兄  それがな‥‥昨日、高校時代のツレと久しぶりに会うてな‥‥で、飲みに行ってな。‥‥それで‥‥たぶん、その店に忘れて来たんやと思うねんけど。
妹  スマホ? ‥‥カギも?
兄  ああ‥‥。
妹  何してんの? ‥‥で、まだ確認してへんの?
兄  スマホないから電話できひんしな‥‥。後で直接行こうと思てる。
妹  えらい呑気な話やな。
兄  あ、そや、真由美ちゃん、そのツレな、ヒロシのバンドのドラムやったヤツでな、
友人 高橋さん?
兄  ああ、知ってるんや。
友人 ええ‥‥。何回か会ったこともあります。
兄  そっかあ。‥‥そいつとヒロシの話もしてたんやで。
友人 ああ‥‥そうなんですか。
妹  サト君、それがな‥‥。
兄  お待たせしました! ついに発見しました! ジャーン!

  兄、DVDを取り出す。

妹  え?
兄  親父の遺言ビデオ、第二弾!
妹  ああ‥‥。
兄  それでは、早速、ご開帳と参りましょうか? 真由美ちゃんも見て行ってな。
友人 ‥‥‥。
妹・母  ‥‥‥。
兄  え? ‥‥どうしたん?
兄以外  ‥‥‥。
兄  みんな、どうしたん? 何かあったん?
妹  ‥‥‥。あのな‥‥サト君‥‥実はな‥‥
兄  ああ‥‥うん。
妹  ヒロシ君、亡くなったんやて。
兄  え。
妹  東京のマンションで発見されたんやって。
兄  ‥‥‥。何で?
妹  それが‥‥まだようわからんみたくって‥‥。
友人 たぶん、自殺だと思います。
兄  え‥‥。
妹  真由美ちゃん。
兄  ‥‥‥。そっか。
兄以外  ‥‥‥。
兄  ‥‥そっかあ‥‥なるほどねえ。
兄以外  ‥‥‥。
兄  そっかあ‥‥まあ、そういうこともあるでしょうねぇ。
妹  え?
兄  ‥‥真由美ちゃん。
友人 はい。
兄  こういう言い方は何やけど‥‥。
友人 はい‥‥。
兄  オレ‥‥そんなにびっくりしてへんよ。
友人 はい‥‥。
兄  いや、驚いてへんと言うたら、それはちごて、何せ今聞いたところやから、めちゃくちゃ驚いてるよ。‥‥でも‥‥まさか!そんな! あり得ない! という驚き方とはちごて‥‥変な言い方になるけど、それはあり得るやろうな、って驚いてる。
友人 それは‥‥私もわかります。
妹  真由美ちゃん‥‥。
兄  まあ、あいつとは幼稚園からの付き合いやしなあ。‥‥あ、ごめん、真由美ちゃんの方がもっと長い付き合いやよね。
友人 ええ‥‥。
兄  だったら‥‥だよねぇ。‥‥あいつらしいとか言ったら、怒られるかな?
友人 サト君なら‥‥怒らないと思いますよ。
兄  そっかあ‥‥怒らない、かあ。‥‥ありがとう。
友人 いえ、こちらこそ。(少し、笑う)
妹  え?  なんなん? あんたらなんなん? ‥‥心が通じあってる‥‥とか?
友人 あたしたちじゃなくて、お兄ちゃんと通じ合ってる‥‥のかな?
兄  ああ‥‥そうかもしれんなあ。
妹  何か‥‥ようわからんな。
兄  ‥‥ちょっとかっこつけて言うと‥‥戦友‥‥みたいな?
友人 ‥‥もしかしたら、共犯者かもしれませんよ?
兄  ああ! ‥‥不謹慎やけど、それは当たってるわ!
友人 でしょ!
兄  うん!
妹  なんなん、それ? あんたら、ほんまに不謹慎やで!
兄・友人  すんませーん。
妹  もう!
母  ビデオ‥‥見いひんの?
妹  え?
母  サト君がせっかく見つけてくれたんやから‥‥。
妹  母ちゃん!
母  ‥‥‥。
友人 見ましょうよ!
妹  え?
友人 私が言うのが変なのはわかってるんですけど、すごく見たいです。
妹  真由美ちゃん‥‥。
母  ほな、サト君、見せてえな。
兄  あ‥‥ああ。‥‥ほんまに、ええんかな?
妹  何かようわからんけど、ええんとちゃう?
兄  了解。

  兄、DVDをセットする。

母  始まり、始まり。
父のビデオ  ‥‥えっと、この赤いボタンやねぇ‥‥よっしゃ、オッケー。‥‥ええっと、みなさん、こんにちは。あるいは、こんばんは。あるいは、おはようございます。毎度お騒がせ致しております、山内誠一でございます。‥‥ええっと、実は、以前にもこういうビデオにチャレンジしたことがありまして、その時は用意不足で失敗して‥‥ですから、これは、そのリベンジということになるんですけど‥‥今回は大丈夫です。ちゃんと考えてきましたから。
ええっと、一部ご存知の方もいらっしゃると思いますが、私、肺がんというのになってしまいまして、それが、実はうっかりして発見が遅くなってしまいまして、リンパ節とかにも転移しておりまして、お医者さんから余命宣告とかをいただいてしまったわけでございます。‥‥で、あるからですね、まあ、今日、明日にこの世とおさらばというわけではありませんが、近い将来におさらばすることが確定しましたので、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、お別れの挨拶を申し上げます。
えーと‥‥で‥‥まあ、半世紀余り生きて来てですね、私が皆さんに言い残せることは何だろう? と、いろいろ考えてみたんですけど‥‥結局、そんなすごいというか、かっこいい教訓は思い付きませんでした。‥‥それで、ものすごくありきたりなことしか言えないのですが‥‥やっぱり、一番大事なのは家族ですね。‥‥まあ、そんなことを言えるような立派な父親でも家庭でもなかったんですけど‥‥これも、ありきたりな言い方になりますが、人は一人では生きていけません。‥‥ほら、東日本大震災の時に、「絆」という言葉が使われて、それで、結婚する人が急に増えて、それを「絆婚」とか呼んだりしてましたけど‥‥人間、やっぱり病気になるとか、ピンチになると、自分の弱さとか小ささとかに気づいてしまって、誰かに助けてもらいたくなる、というか、他人との繋がりを求めてしまうんでしょうね。‥‥で、その一番の基本が何かと言うと、家族なんですね。‥‥いや、これは、別に難しい話じゃなくて、人間だけの話でもなくて、生き物というのは、そういう風に作られてるんですよ。たぶん。それで、これもありきたりな話‥‥

  この辺で、映像がゆっくりとキツネ面の男に変わって行く。

キツネ面のビデオ  ‥‥ありきたりな話なんだけど、人間が一人で、孤独だってことは、それはもう高校生ぐらいの時から痛切に意識していて、あまりにそういうことを考えすぎたものだから、「一人だから何なんだ?」「孤独だから何なんだ?」「淋しいから何なんだ?」って、逆に言葉にするのが恥ずかしいぐらいに思うようになった。それは、まるで、リンゴが木の枝から落ちることに大騒ぎしているくらいに馬鹿馬鹿しく思えて来て、高校時代に大好きだった太宰治の本なんかも、読まないだけじゃなくって、そばに置いておくのさえ鬱陶しい感じがして、全部ブックオフに持って行った。それで、大した金にはならなかったんだけど、その数千円ばかりの金を握りしめて、炉端焼きの店に入ってビールを飲んだ。その時、生ビールをのどに流し込みながら、「オレは孤独を卒業したんだ」と、そんな高揚感を感じていたことを今でもはっきり覚えている。
でも、孤独を卒業するなんて‥‥実はそんなにたやすいことじゃなかった。それに気づいたのは、かなり時間が経ってからのことだった。
たやすくないって言い方は正確じゃないかもしれない。‥‥つまり、オレは敵を見誤ったというか、見えてなかったんだ。
‥‥孤独や淋しさというやつは、戦い、克服する敵なんかじゃなかった。‥‥何て言えばいいのかな? 少なくとも、それは、自分の外側にいて、自分を襲って来る外敵ではない。むしろ、自分の内側にあって、自分をむしばむ癌細胞? ‥‥いや、それも違うな。‥‥孤独は癌細胞なんかじゃない。むしろ正常細胞だ。
‥‥孤独は、生きることを阻害する存在ではなくて‥‥むしろ、生きること? そうだ。孤独は存在ではなくて、状態であって、孤独であるということは、とりもなおさす生きることそのものなのだ。‥‥だから、変な言い方になるけど、孤独を卒業しようとするなら、生きることを卒業しなければならなくなる。‥‥これは、相当にやっかいな問題だ。‥‥それに気づいた時、とりあえずオレは生きようと思ったね。‥‥生きるしかない。好む好まざるにかかわらず、オレにはそれしかなかった。

  キツネ面の男、しゃべり続けるが、声は消える。
  ハラハラと雪が降って来る。

母  あ、雪や。
兄  けっこう降ってきたな。‥‥ちょっと本気の雪やな。‥‥これは積もるかもしれんな。
妹  え? 本気の雪?
兄  うん。本気の雪。
友人 やっぱりサト君、才能あるんとちゃいます?
兄  ああ‥‥やっぱり、そうかな?
妹  ないないない。ない!
兄  うるさいわ!
全員 あははは。

  音楽。(「aqua」坂本龍一)
  しばしの沈黙。みんな雪を見ている。

友人 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
妹  え?
友人 詩。‥‥国語の授業で習わへんかった?
妹  え? ‥‥そんなん、あったかな?
友人 ‥‥次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
妹  ‥‥‥。
兄  太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
母  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
妹  ‥‥太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
全員 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

  雪が激しくなる。
  音楽が大きくなる。

  溶暗。

                        終わり


※ 上演ビデオもありますので、よかったら御覧下さい。
  https://www.youtube.com/watch?v=Ms871QucN30

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